◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆





 デジタルワールドからリアルワールドへ。
 リアルワールドからデジタルワールドへ。

 互いを結ぶ長いトンネル。記憶に焼き付いた光まみれの道のり。
 “彼女”が開いた命の道を、今度は遡る。




 さあ、故郷へ。







*The End of Prayers*

第十話
「ダークエリア」








◆  ◆  ◆



 窓の外は、実に不思議な光景だった。
 赤紫色のもやが埋め尽くす空間。夜のように、電気の点いている自分達の部屋だけが明るい。

「……外って、どうなってるの?」

 柚子はそれを、怯えた様子で眺めていた。

「どうも何も、見た通り。数多の情報の残滓に満ちた疑似電脳空間……ネットの海とでも言いまショウか。
 実際、何も無い空間デスけれど。窓を開けても問題はありまセンが、絶対に外に出てはいけまセン。迷ってしまっては戻れない」
「……開けないよ」

 柚子はパソコンに視線を戻す。
 ウィッチモンの使い魔の視界を映すモニター。端にはデジモン反応の有無を示す──使い魔が探知可能な範囲に限るが──レーダー画面が光の弧を描いていた。今は、何も反応が無い。

「ねー、何も聞こえないけど」

 背後からみちるが覗いてきた。

「ゲートの移動中はあちらも不安定デスから」
「そんなもんなんだー。ていうか部屋の電気ついたままだけど、これ水とかも使えるの? アタシら生きていける?」
「……あ、水はちゃんと出るよ。一応リアルワールドと繋がってるんだ」
「ええ。こちらとリアルワールドとの時間差と同じ速度で、それらも使用しテいると考えていただければ」
「光熱費やべー!! その蛇口を今すぐ閉めろワトソンくん!」

 亜空間はリアルワールドとデジタルワールド、それぞれに「半分ずつ」繋がった独立地帯。
 不安定かつ中途半端な空間であるものの、毒や外敵のリスクが少なく、観測所としてはうってつけの場所である。

「リアルワールドに来る前も、こうやって秘密基地に隠れてたの?」
「いいえミスター。ウィッチェルニーを発ってからは泡の様に漂流シテいまシタ。……こうして“まともな”空間を作られたのは、ユズコと繋がッタおかげデス」

 この部屋は少なくとも、自身が力尽きるまでは維持できるらしい。しばらくは安泰だと笑うみちると、それに表情を曇らせる柚子。

「……ねえ、ウィッチモン」
「どうしまシタ? 何でも聞いて下サイ、パートナー」
「う、うん。……昨日話した、その、何日くらいここにいるのかって話なんだけど……」
「柚子ちゃん! ホームシックになったらここをホームだと思えばいいのさ!」
「……私じゃなくて……やっぱり、あの子たちが心配で」

 ウィッチモンは僅かに考えた後、転がるブギーモンを一瞥した。
「先日の話通り、数日。そこは変わらないでショウ。もっとも領主の帰還までをタイムリミットとシタ場合デスが。……それ以外は、今は何とも。
 ええ。現実はきっと、彼らが想像するより遥かに過酷だと思いマス。──その為にもワタクシ達がいる。少しでも彼らを支えるのがワタクシ達の務めデス」
「……うん」
「では──ユズコ。そろそろゲートが終わりマスよ」

 その言葉に、柚子の表情が強ばった。

「ワタクシは現地の観測を行いマス。貴女は観測データを基に彼らのナビゲートを。……不安でショウが、大丈夫」

 柚子の強張る肩に、ウィッチモンはそっと手を置く。……ピリピリとした刺激が伝わる。柚子はしっかりと目を見て頷いた。


 画面から光が消え、その先の、世界の風景が映し出される。





◆  ◆  ◆





 ────そこは、砂漠だった。

 正確に言えば岩石砂漠。黒紫色の大地が視界の限り広がっている。けれど湿った空気が薄く霧を生み、見晴らしは悪かった。
 ゲームのフィールドで見るような泡立つ沼や、不気味な植物、アイテムが入った宝箱や壺は見当たらない。蒼太と花那も流石に期待していなかったが──それにしても、目の前に広がる異世界は陰鬱で「何も無い」というのが印象だった。

 灰色の空に陽の光は届かない。
 草木の一本だって生えていない。生命の気配をまるで感じない。──此処には何もない。本当に、何もなかったのだ。

『──もしもし。聞こえる? 柚子です』

 傍らの黒猫がにゃあと鳴く。その口から柚子の声がこぼれた。

「か、花那です、柚子さん。聞こえてます」

 応答すると、黒猫は柚子の代わりに安堵の息を吐く。

『良かった、通信は大丈夫みたいだね。えっと──……そうだ、コロナモン。腕輪のどこかに小さいコンパスが付いてるんだって。それを見て欲しいんだけど……』
「コンパス? ……ああ、これか。方角は──」
『城の位置を指シテいるようデス。東西南北、何処からでも帰還できるように、との事らしく」
「それは僕らにも好都合だ。……皆、しっかり掴まって。絶対に手を離しちゃだめだよ」

 針が示す方向へ、ガルルモンが地面を蹴る。蒼太と花那は伏せるようにガルルモンにしがみ付いた。
 ──生温い風が全身を撫でる。体感する速さも何もかも、街の屋根を飛び越えていた時とまるで違った。

「大丈夫だよ。しっかり」

 コロナモンは優しく励ましながら、二人が落ちてしまわないよう、ユキアグモンと共に身体を支えてくれていた。
 デジモンの反応があればウィッチモン達が教えてくれるらしい。走り出して数分、周囲にはガルルモンの足音だけが聞こえている。

「ねえコロナモン。ここ、誰もいないの?」
「……音もにおいもしない。今のところは……でも、その方がいいんだ」
「……そっか」
「ごめん、怖いよね。誰が息を潜めてるかわからないんだから。……ウィッチモンたちも見てくれてるし、きっと平気だよ」

 できればこのまま、誰に出会う事もなく進んで行けたら──そうコロナモンは思っていた。他者との遭遇はデメリットでしかなく、仮に戦闘になれば無傷では済まない。
 この世界には当然、経験値が貯まるシステムなど無ければ、セーブポイントも回復アイテムも宿屋も無いのだ。

「柚子、そっちはどう? 僕らの近くに誰かいる?」
『──反応は無いみたい。でも、察知できる範囲にも限界があるから……』
『んだよ使えねぇなぁ』

 割り込んでくる野太い声。わざとらしい声量に、柚子は不愉快さを滲ませる。

『……ちょっと、喋るなら廊下行ってよ。こっちの声入っちゃうんだから』
『じゃあ解けよこの鎖をよぉ。おい、気ぃ抜いたらすぐ死んで終わるからな。覚悟しとけよ』

 何故なら此処はダークエリア。
 デジモン達にとっての墓場、地獄とされる空間の名がそのままつけられたこの地は、デジタルワールドでも特に生存競争が激しいとされる。大地の黒さは毒によるものではなく、酸化した大量の血液とさえ噂されていた。

『時間が惜しいので、移動がてら作戦の次第をお伝えしマス。まずは現状のまま、針の指す方向へ。領内に入れば、城までは一直線に進めるようデス』
「城までそのまま……? 門番とか警備とかはいないの?」

 コロナモンが振り向くと、黒猫はぐるりと首を傾げた。

『そんなのいねぇよ。この状況だからな。逆に外に門番なんざ置いてる方が危険なのさ。当たり前ぇだけど外にいる奴が一番、毒にやられる可能性が高い』

 ブギーモンの言葉は正しかった。コロナモンは──ゴブリモンの姿を、思い出す。

「…………確かに、そうだね」
『しかし城からの見張りはあるでショウから、警戒は怠らず。またこちらの敵意が無いことを極力示しながら行動を。そこからは──打ち合わせ通りに』
「……俺たちはブギーモンに助けられた。俺たちが襲われている所にブギーモンがリアライズした。襲ってきたデジモンはブギーモンに標的を変えて、相討ちになって死んだ」
「だから僕たちは、ブギーモンの代わりに人間の子供を連れて来た。命を救われた恩返しとして」
「ぎぎっ。でも、ブギーモンだち信じでぐれる?」

 不安そうなユキアグモンに、「ガキ共がどう動くかだな」と濁声が答える。

『俺が言うのもアレだが、俺らブギーモンはリアルワールドからの帰還者がいるなんて想像もしねえ。うまくやりゃ騙せるさ。……いいか、嘘なんてもんは突き通しちまえば本物だ。このダークエリアで、ただ殺し合うってんなら別だが──殺し以外で生き残る気なら頭を使え。良心なんかクソくらえだ』
『えー、その子たちの嘘バレそうじゃない? めっちゃ正直ボーイ&ガールじゃん? だいじょぶ?』
『ソウタとカナはなるべく言葉を発しないように。相槌も最低限が良いでショウね』

 仮に入城が許されたとしても──うっかり口を滑らせたり、下手な動きを取れば命に関わる。

「……私は多分、何か喋ったり動いたりするの、怖くて上手くできないと思うから……じっとしてるだけの方がいいよ」
「でも、俺たち両方とも牢屋に入っちゃっていいのか? ただ捕まるだけになったら、それはそれで大変なんじゃ……」
「牢に入るのは片方だけがいい。僕とコロナモンでブギーモン達を、一人は牢の子供達をまとめて、もう一人はユキアグモンと脱出方法を探すんだ」

 ──賭けだと理解しつつも、そう提案する理由はあった。
 それは、この子達が「人間」であるが故。牢の子供達を宥め、まとめるのは同族であるこの子らがするべきだろう。自分達は彼らにとっての異形。逆に恐怖を煽るだけだ。
 鍵の探索にしてもそうだ。仮に見つかったとして、けれど城のデジモン達は「選別」をする必要がある以上、その場では子供に手を出せない。いずれにしても地下牢に連れて行くだろう。

『鍵を探す間は、見つからないように私たちがナビゲートするし、ユキアグモンも守ってくれるけど……』
「……でも、ごめん。危険なことだ。少しでも怖かったり、嫌だったら絶対に言って。無理強いだけはしたくない。後戻りだって出来るんだ」

 他にもっと安全な方法は無かったのか。もっと上手い方法は無かったのか。昨日からずっと、その思いが胸にこびりついていた。
 そんなガルルモンの不安を感じ取ったのか、蒼太はガルルモンの背を軽く叩く。

「大丈夫、やれるよ。俺たちやるよ」
「……ごめん。やっぱり、もっと安全な方法を……」
「ガルルモン。……俺さ、何もしないで、守ってもらうだけで終わるんじゃないかって、昨日からずっと心配してたんだ。だから良かった」
「……」
「もし牢屋の皆と合流できたら、私たちどうすればいい?」
「……子供たちを逃せる状態になったら、俺たちで騒ぎを起こす。そうすれば注意はこっちに向くから……」
「! そんな事したら、お前たちが危ないんじゃ……」
「何も全滅させろって話じゃない。城主さえ戻らなければ、僕らにもまだ勝機はある」

 ブギーモン曰く、城の主戦力は城主と共に遠征で不在らしい。それは一行にとってかなりの幸運だった。
 ならば何とか時間を稼いで、戦いは最低限に。あとは全力で逃げれば良い。目的は、あくまで子供達の救出なのだから。

『そうそう、矢車くんも村崎さんもケータイ持ってきるよね? ウィッチモンが此処から使えそうな電波、探してみるって』
『今のワタクシでは、そちらで使用可能な使い魔端末を一体までしか作れまセンので、牢に残る方はその電話機を通信機代わりに。……それで、どちらが探索に?』
「……宮古の無事確認するなら、花那が牢屋の方が良いと思うけど……」
「……じゃあ、蒼太が鍵探しに行くの?」
「うん。それに花那、暗い場所とか苦手なんだし、やめた方がいいよ」
「そ、それは……そうだけど、でも蒼太だって……」
「蒼太。……無茶もしたらだめだ。やっぱり俺たちで……」
「……そのまま返すよ。二人にだって無理して欲しくない」

 苦笑する蒼太に、コロナモンは顔を俯かせる。

「……。……巻き込みたくないって言ったのに、結局こんな危険なことになって……俺たち矛盾してるんだ」
「……コロナモン……なあ、どうしてそこまで──」

『スピード落として!』

 その時だった。柚子の声と共に黒猫が体毛を逆立てた。

『ウィッチモン……!』
『落ち着いてユズコ。──進行方向に生体反応を確認。数は二つ。地形次第では五分後に察知されるでショウ。ガルルモン、速やかに九時方向へ移動を』
「わかった。スピードは落とした方が?」
『念の為。足音と砂の巻き上げに注意して』
『二体だぁ? そいつら一緒にいんのか? なら多分お取り込み中だぜ。ぎゃははっ』

 ブギーモンの汚い笑い声が響く。柚子は嫌悪感で顔を歪めた。

『ほっときゃいいのさ。ダークエリアの「野良」なんざ大抵、誰かと一緒にいるなんざ殺し合ってる時ぐらいだ。テメェらみたいに仲良しこよしで動いたりしねぇんだよ』
『野良……どの勢力にも属さない者デスか?』
『ああ。どっかの領民なら外で死なねえよう三体以上で動く。二体って事は野良だ。まあ一人死んでる可能性もあるけどよ』

 また、リアルワールドから戻ったブギーモンの仲間である可能性も低い。こちらでの時間経過を考えれば、ほぼ全員が城まで戻っている筈だからだ。

『なんだ。領地ってキミ達の所だけじゃないんだ』
『メイン張ってるのは東西南北の領と、あと工業都市の五つだな。それ以外は知らねぇ。……今どうなってるかもな』

「静かに。──何か聞こえる」

 ガルルモンが足を止めた。使い魔の黒猫が口を閉ざした。
 耳を澄ませば、遠くから微かに聞こえる──声のような音。障害物が少ないせいか、離れていても聞こえてくるようだ。

 ウィッチモンが言っていた二体だろう。気付かれている様子は無い。ウィッチモンの指示のもと、ガルルモンは更に迂回する。
 スピードは極限まで落とし、気配も消した。コロナモンも同様に息を潜めた。蒼太と花那は当然、ユキアグモンも難しいようだが──構わない。大柄の自分さえ気付かれなければ回避できる。

 ──距離を取りつつ、城への方角から逸れないように。反応の二体も移動しているのか、音も移動し、少しずつ輪郭を描いていく。
 だが、幸いこちらが風下だ。あの毒のにおいも感じない。

「────」

 しかし代わりに嗅ぎ取ったにおいに、ガルルモンは酷く顔をしかめた。その様子にコロナモンが気付き──程なくして彼も理解する。
 一方、子供達は音にすら気付いていない様子だった。デジモン達にならって周囲を見回していると、コロナモンが慌てた様子で振り向く。すると突然、後ろに座る蒼太の両耳を押さえてきた。
 え、と口を出す蒼太をそのままに、コロナモンはユキアグモンに目配せをする。ユキアグモンは納得したように鳴いて、前に座る花那の耳を塞いだ。

「ゆ、ユキアグモン。これじゃ何も聞こえないよ」

 狼狽える花那に、デジモン達は何も言わなかった。
 しかし、何も見るなと、何も聞くなと──言わんばかりに目で訴える。蒼太と花那は状況が掴めず、ただ困惑の色を浮かべていた。

「……ガルルモン、早く離れよう」

 コロナモンは急かす。

「少し道を逸れてもいい。早く、聞こえない所まで」

 じゃないと聞かれてしまうから。この子達には絶対、気付かせてはいけない。

「だめだ。……あれは、だめだよ」

 遠い霧の中。段々と明瞭になる籠った音。

 それはやはり声だった。正反対の色の二つの声だ。
 小さな引き笑いの中に混じる声。くぐもった悲鳴。
 甚振いたぶられて、なぶられて、ゆっくりと殺されていく。──その過程が聞こえてくるのだ。

 子供達の耳を塞ぎながら、コロナモンとユキアグモンはその音をはっきり聞いていた。
 段々と強くなる体液のにおいにも、表情を変えることはしなかった。

『ははっ。これでこそダークエリアだ』

 傍らの猫が、汚らしい声で笑った。




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