◆  ◆  ◆



「──ユズコ。貴女は少し離れて」

 使い魔を通じた現地の音声が、狭い部屋で鮮明に再生されている。
 柚子は言われた通りモニターから離れるが、既に顔面蒼白で口元を抑えていた。

「しっかり。それと、口ではなく耳を抑えるべきデス」
「うわー、音だけでも凄いねえ。グロテスク!」
「ミチルはお静かに。……解析が完了しまシタ。どちらも同種族デスね。ガジモン、成長期ウイルス種。毒の有無はこちら側では判別できまセンが──ガルルモン、においでわかりマスか?」
『──それは感じない。多分、黒い水のせいじゃない』
「だろうなぁ」

 何もおかしくねぇ、とブギーモンは笑う。

「ガジモン達の進行方向が変わりまシタ。速度を保ちつつ前進して下サイ。貴方なら走ッテ撒ける筈」

 小さな返事の後、地面を蹴る音がした。使い魔の視界は早さを増して流れていく。レーダーを見ると、流石は成長期と成熟期の差と言うべきか──ガジモンとの距離はみるみる離れていく。

「良い調子デスね。これなら問題なく……」
「おいガキ、ここでゲロんじゃねぇぞ。なぁ。きったねぇ」
「うるさい……! そんなことしない!」
「でも顔色は悪いね。柚子ちゃん、少し休んだ方がいいかもよ」
「平気です。……それに、まだ来たばかりです」

 皆は平然としているのに、自分だけがこの有様──柚子は情けなさに唇を噛んだ。
 そんな彼女に対し、部屋の隅からは相変わらず嫌な視線が向けられる。

「なあガキ、料理ってしたことあっか?」
「……何よいきなり」
「それと一緒なんだよ。ただ殺すだけじゃつまんねぇ」

 へらへらとそんな事を言うブギーモンへの嫌悪感で、柚子の胃がキリキリと痛み出す。

「それでも俺たちにゃ普通なんだよ。てめぇの価値観は押し付けないこった。──此処は俺たちの土地だ。いいか、郷に従わねぇなら飲まれるだけだ」
「でもボクらはそもそも郷に入ってないんだし、別に従わなくて良くない? というか、問題は向こうの子達だ」
「むしろ段々慣れてくだろ? 特にデジモンの方は平気だろうよ。元々こっち側の奴らなんだから」
「……ッ、皆は違う。あんたとなんか一緒にしないで」
「一緒さ。俺達はデジモンだ。戦う事が本能だ。本能を満たすってのはよぉ、気持ち良くなるもんじゃねぇか。気持ち良くなりてぇのに理由がいるか?」
「……気持ち悪い……!」
「いや、ほんとキモいですわねそいつ。小学生相手に何言ってくれちゃってんの?」

 みちるが柚子を庇うように前へ出る。舌先を出しながら、ブギーモンに向けて親指を下に立ててみせた。

「んだとてめぇ!」
「言動が青少年に有害ですー」
「静かにシテ下サイ。音量を下げているとはいえ、余計な会話は向こう側に不用意な不安を与えマス」
「……ご、ごめん……」
「柚子ちゃんは謝らなくていーの! 煽ったブギーモンが悪い!」
「静かにするならボクらだけ廊下に出るよ。まだ特別やることないでしょ?」
「ええ、今のところは」
「うっしワトソンくんあっち行こうぜお腹いたくなってきた。消化不良かしら」
「朝お菓子なんか食べるからだよ」

 ウィッチモンは溜息と共に、再度モニターを注視する。
 ガジモン達の反応はまだ観測されているが、十分に距離が取れた。成長期なのも相まって、それ程脅威にはならないだろう。
 だが──

「──新たに反応を観測、七時方向に一体。動きからして、こちらに気付いている様子は無いかと」

 彼ら以外のデジモンも当然、生息している。各方位にそれが観測される事態も想定内だ。いずれにしても、距離が取れている間に逃げてしまえば問題ない。

「今のうち、速やかに撒きまショウ。ガルルモンは十時方向へ──……」

 だが──言いかけて、ウィッチモンの表情が固まる。

「──……! いいえ撤回しマス。一時方向へ全速! 対象の進路がこちらに向けられまシタ!」



◆  ◆  ◆



 ──気付かれた。
 聞こえて来た遠吠えに、デジモン達はそう察した。

 要因は恐らく、においだろう。自分達のにおい、もしくはガジモン達の血のにおい。獲物の存在を風に感じて。

 時間を置いて、再び遠吠えが響く。ガルルモンは一度だけ振り向き、スピードを上げた。
 その時だった。背中の使い魔が、更に反応が増えた事を伝えてくる。

『九時方向に反応、数は一つのみデス』
「……ッ、挟まれたら厄介だな」
『しかし上手くいけば、先にその二体が鉢合わせマス。まずは直進し、合図をしたら二時方向へ転換を』
「で、でも、コンパスが……私たち、お城からどんどん離れていっちゃうよ……!」
「それに、追ってくる奴ら会わせちゃっていいのか? 一緒に襲ってくるんじゃ……」
「……いいや」

 コロナモンは小さく否定した。推測ではあるが、恐らくはガジモン達の様に──先に出会ったデジモン同士がまず殺し合うだろう。自分達を襲うより先に。

「……大丈夫だよ。俺たちは、その隙に城の方へ戻ればいい」

 だから、そうなるように仕向ける。殺し合わせて、その隙に自分達は逃げるのだ。
 なんて卑怯だろう。亜空間にいるブギーモンが、自分達を笑っているような気がした。

『先程の声……七時方向のデジモンはファングモン。成熟期のウイルス種』

 ああ、またウイルス種か。そう思ったと同時に──ガルルモンの中で嫌な予感が生まれる。

『九時方向のデジモンは──識別可能範囲から外れていマス。デスがこのまま──』
「──だめだ」
『え?』

 突然、ガルルモンが震える声で遮った。
 そして、進路を変えた。敵がいる筈の七時方向へ。

「ぎぎっ! ガルルモン方向ぢがう!」
「だめだ……!」

 今度は強く言い放った、ひどく焦った声色で。

「ガルルモン……!? どうしたんだ、何で──」
「コロナモン気付け!! においが……!」

 そのまま走る。遠吠えと向かい合うように。

「あのにおいだ! どっちかが毒だ!! もしウイルス種同士なら、会わせるのはまずい!」
『……! ガルルモンいけない、戻ッテ! そっちに行かないデ!』
「毒が広がる前に倒さないと! 成熟期一体だけなら僕らで……!」

 距離がみるみると縮まる。毒のにおいが強くなる。ガルルモンの口から青い炎が溢れ出し──

『ガルルモン!!』
『違うの! デジモンがまた──「──ギャンッ!」

 短い絶叫。
 ガルルモンは目を見張った。視界を遮る霧の中。

「……ガルルモン……ガルルモン!」

 おかしい。この方向には、一体しかいないって

「ガルルモン走れ! 走れ走れ走れ!! 増えてる!!」

 霧の向こうに影を見た。
 苦痛に吠えながら、それは姿を現した。
 ガルルモンより一回り小さな赤毛の狼。

 全員が赤い背中に噛みついていた。
 溶けた身体で、溶けた牙で、肉を食みながら。

「──見せるな!!」

 コロナモンが叫んだ。ユキアグモンが吹雪を吐いて子供達の視界を覆った。コロナモンは後方へ火炎弾を放ち、ファングモンの足を止めようとする。

『この形……まさかピコデビモン!? 何故四体も、ワタクシの観測をすり抜けて……!』

 ピコデビモンの一体に火が付いた。赤い狼は背中を燃やしながら、逃げるように駆けてくる。追われながらガルルモンが疾走する。

「……くそ、くそ……! 気付かなかった! 僕の鼻……! こんなに数がいたのに!」
「もうピコデビモンのにおいじゃなかった! 同じウイルス種でも毒のやられ方が違うのか……!?」
『もう一体の解析が完了……タスクモン、成熟期ウイルス種! 八時方向へ逃げて下サイ!』
「……っ!」

 苦し紛れの方向転換。子供達が振り落とされないよう必死に押さえながら、コロナモンとユキアグモンは顔を上げる。

「……ゴロナモン、ファングモンが……」
「……──ああ……」

 霧の中。苦悶の声。彼は助からないだろう。毒に汚染されたウイルス種に、救いの道は無いのだから。
 ガルルモンは逃げていく。振動が近付いてくる。毒のにおいが強くなる。結局どちらも汚染されていたのかと、思わず乾いた笑いが浮かんだ。

 やがて大小の足音が混ざり合い──その後、何かが衝突するような音を聞いた。
 遠吠えの断末魔が上がった。数匹の何かが羽ばたこうとして、圧し潰される音を聞いた。

『ガルルモン!! 全速で直進! もっと速く!!』

 霧の中。微かに見える緑の巨体。足踏みする振動。直後に何かが砕ける音。
 鳴り止む振動。立ち止まった緑の巨体。
 その大きな顎が──ファングモンを、捉えていた。

「……今だ……」

 ガルルモンは思わず呟いた。呟いた時には駆け出していた。視界の端で何かが、咀嚼しながらこちらを振り向いた気がした。
 そんな状況を、蒼太と花那は理解できていないようだった。分からないように、自分達がそうさせたのだ。それで良かった。

「なあコロナモン! さっきから何が……!?」
「頭上げないで! しっかり掴まって!!」
「ウィッチモン! 柚子! 後ろの奴との距離は!?」
『開いてる! タスクモン、まださっきの所にいる! もう毒とか言ってる場合じゃないよ! とにかく逃げて!!』
「でも……成熟期だっだら、おでたちでも倒せなぐない! ガルルモンいる!」
『リスクが高すぎマス。同じ成熟期を一瞬で殺した上、恐らく既に毒が馴染んでいる』
「お、お城は平気なの!? 私たち、離れすぎちゃってない……!?」
『それは仕方ありまセン。……けれど確かに北東に進みすぎていマスから、どこかで進路を戻さなければ……!』

『……北東? ……“メトロポリス”か?』

 方角を聞いたブギーモンが、思い出したように呟いた。

「……メトロポリス?」
『おい、画面見せろおい! 持ち上げろ!』
『えー。ボク、キミのこと触りたくないんだけど。手袋するからちょっと待ってよ』
『うっせぇよ早くしろ! ……あーやっぱりだ近くまで来てやがる。てめぇらこんな離れた所にデジタライズしたのか?』
「そ、それは地名か……!? 僕らに影響は!」
『影響っつーか毒まみれだ。さっき話した五つの領のひとつ……少し前に毒にやられて潰れちまった工業都市だ。俺はそう聞いてる』
『それって……さっきみたいなヤバい奴がたくさんいるってことじゃ……』
『!! タスクモンが移動を開始。進行方向……こちらです! 追ッテ来ていマス!』
「……!」

 毒で崩壊した地域──そんな所なら避けたいに決まってる。だが現状、そうも言っていられない。
 タスクモンが追ってきているのだ。どういうわけか、想像以上にスピードが速い。

「……どうして……」

 また、毒のにおいが強くなった。
 また、足音が聞こえるようになってきた。

「……どうして! どうして追いつかれるんだ……!!」

 スピードの速さなら自信があった。
 今まで自分より速いデジモンなんて、見たことが無かった。それなのに。

 黒い水のせいなのか。それとも単に、力の差なのか。

『──嘘でしょ……また反応が増えたよ……!?』
「!? なっ……」
『一時方向から二体! こちらに進行!』
『あーあぁ、どうすんだ?』

 黒い猫から笑い声が溢れる。

『──このままでは囲まれマス。即時ゲートを開いて帰還を! また出直せばいい!』
『言っておくが、ゲートはてめぇらと一緒に動いちゃくんねぇぞ。一旦止まんなきゃ』
『!? あんた今更そんなこと……!』
『おいおい気付いてるもんだとばかり。ぎゃははっ』

「────ガルルモン」

 コロナモンの声は落ち着いていた。子供達に覆いかぶさりながら、その手にしっかりと腕輪を握りしめていた。

「……っ……二人とも僕から降りて!」

 ガルルモンはスピードを落とす。コロナモンが促し、飛び降りるように子供達を引き摺り下ろした。蒼太に腕輪を握らせる。

「お、おい……!」
「まだ間に合う。さっき言ってた二体が来ないうちに帰ろう。俺が合図したらゲートを開いて。いいね?」
「で、でも! コロナモンたちどうするの……!?」
「大丈夫だよ」

 霧を睨み、子供達に背を向ける。

「俺たちだって……こんな所で死んでたまるか!」


 足音と地響きが大きくなる。
 霧の中から、タスクモンがその姿を現した。




◆  ◆  ◆




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