◆ ◆ ◆
ひどく、油のようなにおいがする。
湾曲した巨大な角を抱く緑の巨体、その鼻と口からは、見覚えのある黒い液体が垂れ流れていた。
タスクモンは一度、子供達に目をやったように見えた。息を荒くし足で地面を削り、角の照準をこちらに向ける。
「長くは足止めできない! すぐにゲートを!」
コロナモンが叫んだ直後、タスクモンは地面を蹴り──真正面からガルルモンが迎え撃った。
青い炎を全身に浴びせる。しかしタスクモンの足は止まらない。巨大な二本の角がガルルモンに辿り着く前に、左右に回ったコロナモンとユキアグモンが食い止める。
「そ……蒼太!! ゲート早く!」
「ちょ、ちょっと待って……」
「どうしたの!? ……貸して!」
ユキアグモンの氷がタスクモンの足を凍らせる。タスクモンの視線がガルルモンから外れた瞬間──ガルルモンの爪がタスクモンの顔面を切り付けた。
「“リアライズゲート・オープン!”」
裂けた肉から黒い血飛沫が飛び散る。その横からコロナモンが殴り、炎の弾を投げつける。タスクモンは眼球をコロナモンに向けた。彼が動き出す前にガルルモンが突進する。
──そのまま、首元に喰らい付いた。
「だめだガルルモン! 黒い水を口に入れるな!!」
タスクモンの皮は厚く、なかなか牙が食い込まない。それでも食い千切るつもりなのか、ガルルモンは首から口を離そうとしなかった。
噛み付いたまま炎を吐き出すと、鈍い叫び声が響いた。──視線が合う。眼球は黒く濁っていた。涙のように黒い水が溢れていく。
「ガルルモン! やめろ!!」
コロナモンが駆け寄ろうとする。──刹那。背後から花那が呼ぶ声が響いた。
「……! 花那!!」
「コロナモン……!」
「どうしたんだ! ゲートは!?」
「出てこない! 言われた通りやってるのに! ゲート出てこないよ!!」
「……え!?」
「リトルブリザード!! ……ゴロナモン! ガルルモンを早ぐ!」
『何で!? やり方あってるんでしょ!? なんで開かないの!?』
『し、知らねぇよ俺だって! 来れたのに帰れねぇなんてそんなハズは……』
タスクモンからガルルモンが口を離す。首は深く抉れていたが、止めを刺す事はできなかった。
だから傷口を爪で切り付け、肩のミスリル毛で何度も体当たりをする。口の中が毒で、爛れて熱い。
「────は……ゲホッ! ……っ」
「ユキアグモン! ガルルモンの口を洗い流して! それまで俺が注意を引くから!」
「……がはッ……、……ウィッチモン……どうして、ゲートは……」
『今調べていマス! もう少し耐えて!』
『こ、こっちに来てる二体は……? もうすぐ来ちゃうよ!?』
『速度からしてあと五分は時間がありマス! その間になんとしても!』
ガルルモンが炎を吐き、口の中の黒い水を焼く。ユキアグモンが爛れた口を冷却し、ガルルモンと共に周囲一帯を凍結させた。
巨体は氷に足を取られ転倒。そのまま痙攣し始めた。首からは大量の黒い液体が噴き出している。それは水溜まりの様に広がり、みるみるうちに氷を溶かす。
それでもユキアグモンは、絶えずタスクモンから身動きを奪おうとする。コロナモンが背後から、肉体の裂けた箇所を狙い炎の弾を撃ち当てていく。
──何度目かの攻撃の後。油に引火したかの様に、タスクモンの首から炎が吹き上がった。
「ギャアアアアアアアアアアアア!!」
悲鳴を背に、ユキアグモンが子供達の元へ走る。
「そうだ! がな!! 今のうぢに逃げればゲードいらない! タスグモンしばらぐ動げない!」
「わ、わかった! 行こう花那! ガルルモン、背中に……!」
蒼太の呼ぶ声に、ガルルモンは答えなかった。
「……ガルルモン? なあコロナモン! 早く行こう!」
二人は目の前の炎を見つめていた。目を、大きく見開きながら。
そこにはタスクモンが、炎を纏った状態で起き上がっていた。
首から、口から、目から、あらゆる箇所から黒い水が吹き出していく。
見覚えのある光景だ。
つい二日前。蒼太と花那がビルに連れて来た小さなデジモン。彼に起きた事と、よく似ていると思った。
────上がった悲鳴は、果たして自分達の攻撃によるものだったのか?
『……進化……』
ウィッチモンの震える声が、黒猫から響く。
『止めて!! それを進化させてはいけない!』
「……ッ! フォックスファイアーッ!!」
「コロナフレイム!!」
「……! 大丈夫、ぎっどなんどがなる! ふだりはゲード出しでて!」
「お、おいユキアグモン! 待ってよ! だから出せないんだって……!」
去って行く背中を蒼太は呼び止めたが、声は届かない。
「……っ……! 花那! もう一回やろう!」
「わかってる! ねえ、やり方あってるんだよね!? どうして開かないの!?」
『知らねぇっつってんだろ糞が!!』
『恐らく装置側の故障ではありまセン! ……とにかく続けテ!』
「──ぎゃぁあ、あ、あああアアアアァ────」
悲鳴が轟く。
毒が溢れる。
腕輪を握る子供達の手が、ひどく震えた。
「……や、やだ……」
「リアライズゲートオープン! おい! 出ろって! 頼むから……!」
「……っリアライズゲートオープン! リアライズゲートオープン! リアライズゲートオープン! リアライズ……っ!」
気付けばタスクモンの全身は、あの時と同じように黒い液体に覆われていた。
「もっと離れろコロナモン! 黒い水に近付くな!」
『……ガルルモン! 子供達と皆を連れて走ってくだサイ!』
「攻撃をやめたらすぐ進化される! そうしたら逃げられない!」
『もう限界デス!』
「なら俺が止める! 二人だけでも……」
「お前だけ置いていくわけないだろ!?」
────そして。
進化を導く光の帯が、黒く歪んだノイズが、タスクモンだったものを覆い始める。
突如、タスクモンが叫びながら走り出してきた。
子供達の方だ。ガルルモンが地面を前足で蹴り、子供達の周囲を氷の壁が囲む。
ゲートを呼ぶ子供達の声が止まる。コロナモンが続けろと叫んだ。タスクモンは子供達の方へと向かうのをやめない。その肉体は黒い塊と化し、もう原型を留めていなかった。
ガルルモンがタスクモンの口の中に炎を吐き出す。首の傷口を更に抉る。何としても再構築の手前で止めなくては。それでもタスクモンを纏うデータの帯は消えるどころか大きくなる。
子供達が恐怖に叫んだ。諦めるなとコロナモンが叫んだ。絶対に死ぬもんかと叫んだ。子供達の悲鳴が何度も響いた。
データの帯が広がり、ガルルモン達が弾き飛ばされた。黒い猫が逃げろと叫んだ。
そして新たな姿へと、タスクモンはデータの再構築を始め────
「──────離れろ!!」
そう上空から聞こえてきた。
直後、一筋の光線がタスクモンを貫いた。
◆ ◆ ◆
焼ける音と溶ける音。
叫び声に混じり、煙を上げる。
「そいつから離れろ!」
また、上空から声がした。ガルルモン達がタスクモンから離れると、色鮮やかな光線が黒い塊を貫いた。
見上げれば、灰色の空には二体のデジモン。
機械仕掛けの青い鳥が、透き通った翼から光線を繰り出していた。
「手を休めるなピーコックモン! あいつらはオレが連れて行く!」
そしてもう一体、装甲を纏った黄色い竜がこちらへと降下してくる。
「人間はオレに乗せろ! お前らはついて来い! 早く!! こんな騒ぎじゃまたすぐ別の奴が寄ってくるぞ!」
──状況が理解できず困惑する。だが、コロナモンとユキアグモンは慌ててガルルモンに飛び乗った。
「き、君は!? 誰なんだ……!」
「いいからお前は走れ! 死にたいのか!?」
「早く出発を! ラプタードラモン!」
ラプタードラモンと言われた黄色い竜は、子供達を背に乗せると高く飛び上がった。
「ついて来い! メトロポリスはお前たちを援護する!!」
第十話 終
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