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 目の色を変えたデジモン達を、アンドロモンは宥めるように制止した。

「落ち着きたまえと、再び言わせてもらおう気持ちは分かるがね。ああ、分かっているとも。聞こえは最悪だ。だが何も、君達が向かう北領のような者達に売るわけではない。むしろ逆だよ。君達が本来向かうべき場所に売るのだ」
「……俺には、あなたの言っている意味がわかりません」

 表情を険しくするコロナモンに、アンドロモンは口だけをにっこりと微笑ませる。

「損はさせないという事だ。総合的に見ればの話だが」

 口角を固定したまま、唇は不自然に動いていた。

「このダークエリアなる地が『悪』だとすれば、デジタルワールドにはそれに対なる場所が存在する。君達は『要塞都市』の存在を聞いたことはあるかね?
 聖なるデジモン達……主に天使型デジモンが治める正義と秩序の都市だ。現状、デジタルワールドでも数少ない安全な土地と言える。理由はデジモン達なら分かるだろう」
「……わかります。それにそこだけ聞けば、とてもありがたい話なのもわかる。なのにどうして、あなたはさっきから俺たちを『売る』って言うんですか」
「天使共に君達を『導く』と言った方が印象が良いかもしれないが、実際こちらは売り向こうは買うのだから表現は正しい方が良い。持ちつ持たれつという関係か、単純に言ってしまえば利害の一致でもある。
 ──このメトロポリスはダークエリア唯一の工業都市。そして唯一、外部との接触と交易を行っていた場所だった。ダークエリアのデジモンからすれば格好の獲物の巣窟だったろうしかし……長年栄え続けていた。理由はダークエリア側に利益があったからだ。土地そのものというよりは、そこを治める者達にとっての」

 善も悪も無い。生きる為に必要なのは強さと、利害の一致。

「ただ殺し食い合う環境を乗り越え、地位を守る段階に来た時──彼らは争いの無益さを知る。ダークエリアとは言え、求められるのは屍の上に敷かれた利益と均衡なのだよ。なればこそ力ある者に手を貸し手を借り、我々メトロポリスは今日まで生きてきた」

 そしてそれは、これからも変わらない。世界が毒に満ちようと、自分達の在り方は変わらない。

「利益の下に我々は動こう。故に我らは、君達を無償で天使に引き渡す事などしない」
「……私たちを売って、お金にして……それで、私たちはどうなっちゃうんですか?」
「悪い誤解だお嬢さん。先程も言っただろう君達には利益しかないのだと。……ふむ、もう少し簡潔に説明をしよう。いつもそうなのだが私の話は回りくどくていけない。まず天使は間違いなく君達の味方だ。ああ、どこまでも。そして天使共に君達を売って得るものは金ではない。この状況下でそんなものが役に立つと思うかね?
 我々が切に求めるのは『援助』だ。今や彼らの援助はどんな大金よりも価値がある。この朽ち果てたメトロポリスを見れば我らの気持ちもわかるだろう」

 ──自分達を助けたのは、生き残る手段のひとつ。ラプタードラモンは確かにそう言った。

「我々は、このままでは全滅するだろう恐らくあと数ヶ月もかからない。状況こそ安定はしてきたが、既に四分の一の人口も残っていないのだ。最低限のライフラインすら維持できぬ今のこの状況で、かつ外部の侵攻から身を守り続けるというのは最早不可能に近いのだよ。
 皮肉にも毒油の防壁が不用意な侵入を避けてはいるが時間の問題だ。正気でない“友人達”が増える程に侵攻は増えていく。そして侵攻は外部からとは限らない。汚染された各地は閉鎖をしたが、生き残ったこの首都自身まだ爆弾を抱えている」

 だから援助が必要なのだとアンドロモンは言う。毒に耐性があり、かつダークエリアのデジモン達に最も対抗力を持つ天使型のデジモン達の力が。
 天使型のデジモンがそのデータを開放すれば、毒に侵された土地すら浄化できるだろう。──コロナモンもガルルモンもその目で見て知っている。アンドロモンの考えが理解できないわけではない。

「……けど、この場所を……この規模を浄化するとなったら、きっと天使デジモンそのものが犠牲にならないといけなくなる。……それが目的なら、僕は反対です」
「当然理解しているとも、都市の浄化となれば何体もの天使が命を落とす事態になる。それは要塞都市が許さない。彼らは仲間意識があまりに強い。みすみす仲間を失うようなことはしないのだ。それ故、主要地区のみの保護であったとしても──君達を売りでもしなければ援助の要請ができないのだよ。……それよりその言い方、天使型のデジモンに出会ったことが?」
「……」
「言いたくないのなら構わない。とにかく我々は、少しでも構わないのだ。彼らの援助が欲しい。分かってくれたかね?
 ……さて、返事を聞こうか。主に聞くべきなのは君達だな。──子供達よ。我々を、助けてはくれないか」

 蒼太と花那は顔を見合わせる。

「……俺は……協力してもいいと思う。だって本当に、俺たちに悪いこと無さそうだし……それでここにいるデジモンたちが、助かるかもしれないんでしょ?」
「で、でもねアンドロモンさん。私たちまだ、友達を助けなきゃいけないんです。先に皆を助けてからでもいいなら……それでここの人たちが助かるなら、私も協力します」
「おお、それは何と……」
「待って」

 ガルルモンが遮って止める。

「……待って。まだ、返事は待ってくれませんか。僕らはまだ、あなたに聞かないといけない事があります」
「と、言うと」
「その天使デジモンたちが僕たちを欲しがる理由も……そもそもどうしてあなたたちが、あの場所に僕らがいた事を知ってたのか。それにさっき言った、この都市の爆弾だって……全部、聞かないと」
「……それは少々、難しいな」
「僕たちに少しでもリスクがあるなら、それを全部知った上じゃないと承諾できません。それとも言えない事情が?」

 ガルルモンの追及に、アンドロモンは虚空を見上げ考えあぐねる。

「……まず二つ目の件だが。我々は交渉条件に反する事はしないそれ故に一切を話せない。強いて言うならば“間に合って良かった”というところだ。了解して欲しい。
 三つ目については特別、話せない事ではないが……我々自身が正確な状況把握を出来ていないという点で不用意な情報開示が出来ない。一部、後程語るとしよう」
「僕たちをそのデジモンたちが買う理由は?」
「……いいかね。我々は、ダークエリアで死にかかっていた君達を助けた。我々の為にだ。しかし君達にもまた目的があったな。友を救うとこの子らは言った。
 君達が目指す領の主はフェレスモンという。このダークエリアで力を得た北の権力者。彼の事は私もよく知っているよ。なんでもパートナーを得ていない子供を集めているとか」
「それは天使じゃなくて領主についての……」

 コロナモンの前にアンドロモンは指を差し、シー、と息を吐く。

「天使はその逆だ。パートナーを既に得た、君達のような子供を集めているのだよ。──少年、それは何故だと思う?」
「えっ……」

 突然話を振られ、狼狽える。その様子を微笑ましく見守ると、アンドロモンは答えを待たず話を続けた。

「フェレスモンは英雄になる事を求め、天使は英雄そのものを求めている。
 人間は、知らぬだろうな過去に起きた出来事を。現在デジタルワールドには毒の雨が降り、多くのデジモンが死に至っている。見ての通りだ。大勢が死ぬ。明確な対抗策など分からない──このような大災害は過去にも一度あったのだよ。もうずっと昔のことだ。当時幼年期であった私はメタルエンパイアのシェルター奥深くで奇跡的に生き永らえた。つまり私はかなりの長寿であるが……ああ、私個人の話は必要ないな。
 さて──その時分、毒や毒により暴走した者達に立ち向かったデジモン達がいた。かつての世界は彼らを『英雄』と呼ぶ。そして、その『英雄』のデジモン達だがね。彼らの大部分には人間のパートナーがいたのだよ」

 ──そう聞いた瞬間の、蒼太と花那の表情の変化を、アンドロモンは見逃さなかった。

「君達人間は特別な存在だ。非常に特別で、大切な」
「……昔の……デジモンと友達だった、俺たちと同じ子供が……世界を救ったんですか」
「詳細は不明だが大きく貢献したとされる。ああ、救ったと言っても過言ではないだろう。私のような古いデジモンにしか伝わっていない話ではあるが事実だ。君達人間のおかげで世界が救われたのだ。何故か? 君達パートナーがいればそのデジモンは強くなれるからだ。もう少し具体的に言えば『進化』への道が開きやすくなる。二人のパートナーはどのデジモンだ?」
「お、俺はコロナモンです」
「私はガルルモンで……ウィッチモンの所にもパートナーがいます」
「ユキアグモン、君はフリーなのかね?」
「こいつのパートナーは……ブギーモンに攫われて。……俺の友達なんです」
「ならば確実に君達の目的も果たさねばなるまいな。我々は協力しよう。強くなり得るデジモンが味方に付けばそれだけ、守る事にも戦う事にも希望と可能性が見出せる。事態の収束まで世界を保つことができる。だから天使共はパートナーを得たデジモンを探しているのだ。君達の力を導き、世界を救う為に」

 その光景はまるで、夢物語を話す老人と、目を輝かせて聞き入る子供のようであった。
 ──だが、それを眺めるデジモン達、そして亜空間で聞いている柚子さえも、その表情には陰りがある。

「このメトロポリスはもうまともには生きられない。しかし君達という希望があるのならこの工業都市は存分に力を貸そう。備品の面では特に力になれるだろう。
 故に。もう一度問おう。我々の要望を、どうか聞き入れてはもらえないだろうか」
『──よろしいでショウか。アンドロモン』

 使い魔がしとやかに鳴いた。

「……何かね、ウィッチェルニーの」
『仮にそちらの要件を飲むとシテ……メトロポリスの援助を受けるとなれば、今すぐ城へ発つわけにもいかない。猶予のある数日はこちらで過ごす必要がありマスね?』
「……そうなるだろうな。君の結論は?」
『今ここで返事をする事はできまセン。現にソウタとカナはまだ、貴方の話の意味する事に気付いていない。どうせ滞在するというのなら、少しばかり時間を頂けまセンか』

 アンドロモンは少しの間、眼球をぐるりと床に向ける。それから、片目だけを使い魔に向けた。

「……ああ勿論だ。頼む側の我々が、君達の頼みを聞かない訳がないからだ」
『では、滞在にあたってはこの都市の安全性についてを。説明いただけないかしら』
「先程の三つ目の話だな。良いだろう。しかし言ったように、我々も正確な状況把握はまだ出来ていないのだ」

 アンドロモンは車椅子を動かし、モニターの前へと移る。

「……毒を受けたウイルス種がどうなるかは知っているだろう。ラプタードラモンから報告は受けている。タスクモンは進化をしかけていたそうだね」
「……ピーコックモンは……」
「コロナモン、彼女は勇敢だった。勇敢な戦士だった」
「……」
「そして自ら命を捨てることはしない子だ。大丈夫。現在ラプタードラモンと帰還をしているところだそうだ。傷は負ったようだがね」
「……!」

 全員、特に子供達は、安心したように大きく息を吐いた。

「さて。タスクモンの様子を見て理解しただろうが、毒油を受けたことによるウイルス種の進化は実に歪だ。経験則だがいくつか推測できる事がある。
 ……そう、彼らのそれは自身のデータの強化に因る進化ではない。力を授けられた訳でもない。毒により強制的に変質させられた──故にその代償が存在する」

 アンドロモンが言うには、まず毒で変異したデジモンは肉体が非常に脆いらしい。そもそも毒で肉体が溶けているのだから当然だが。
 脆いが故、汚染された状態で放置、もしくは外的ダメージが蓄積すれば、いずれは自壊する。
 また溶解が進むと、生きていてもデジモンとしての存在は維持できなくなるという。ガルルモンとウィッチモンがピコデビモンを察知できなかった理由はこれだ。

 加えて毒による変異は肉体と電脳核に負荷が掛かるのか、進化を遂げたとしても、本来の世代に比べると弱体化するようだ。
 毒で成熟期に進化すれば、成長期より強いが成熟期よりやや弱く──と言ったところ。つまり毒による進化世代と同等以上のデジモンが迅速に「対処」すれば、被害の拡大は防げると言う。

「だが──恐ろしいのは、毒による変異で完全体を超えた(・・・・・・・)場合だ。その進化の途中で対処しきれなかった場合だ。
 このデジタルワールドにおいて、土地の統治者の殆どは完全体もしくは成熟期。長が対処しきれず殺されれば、そのコミュニティーは全滅する」

 この都市もそうだ、と。羅列した画面に目をやった。

「……ダークエリアのとある地域に毒油が降り始めたのは約二ヶ月前。生息するデジモンの大半がウイルス種たるこの土地では爆発的に汚染が広がった。
 外部はまさに地獄であったとも。我らメトロポリスは都市を即時封鎖、各地のシェルターと防護壁で毒を凌いでいた。……それから一ヶ月、汚染者はある程度ダークエリアの外部へと進出し、我らは耐え切ったように思えたが──」

 アンドロモンはモニター前の装置をいじる。画面が切り替わると、そこには荒廃した廃墟の風景がいくつも広がっていた。

「既に都市の中でも毒が降っていた。気付けなかった私の責任だ。被害は緩やかに広がっていき、ある一体が大きく進化を遂げた事で我らが都市は壊滅寸前まで追い込まれた」
『それは……その一体が、毒に因り完全体になッタと?』
「完全体か、恐らくはその更に上だったのだろうな。身体の特徴から元が成長期の個体だと推測した。──嗚呼、それが幸運だったのだろう世代を幾つも飛ばした有得ない進化だ。進化した彼はその時点で死にかけていた。だがそれでも、まともな完全体の私でさえ非常に苦戦した。その結果がこの無様な姿だ」

 アンドロモンは自嘲気味に微笑む。
 毒が生み出す可能性──完全体ですら対処不能になり得る事態など、想像するだけでも恐怖で硬直しそうだ。

「……僕は……今のデジタルワールドでは、完全体への進化すらほとんど不可能だって聞いて……」
「信じられないだろう。だが、それを無理矢理してしまうのが毒油の力だ。完全体に成りきれない完全体、そしてその上へ、不完全なまま変異する」
『……それで、きちんと“対処”はできたのデスか』
「そう、その事だが」

 アンドロモンは画面のうちの一つを指差す。

「対処をしきれたかと言えば、否だ。殺しきれなかった。だから──埋めたのだ」

 そこに映っていたのは、瓦礫で溢れた街の一画。
 地面が一部崩壊し、大きな陥没穴が空いていた。

「そして穴も、埋めたのだ。あの時確かに」

 アンドロモンの眼球は、焼け付くように画面へと向けられていた。

「五日前のことだ。彼を落として埋めた場所に、突然この大穴が空いた。──可能性は二つ。『彼』が自壊せず生き延び、這い出たか。若しくは汚染により地面が腐ったか。
 我々は後者に賭けている。理由は我々がこうして生きているという事だ。もし彼が這い上がって来ていたなら今度こそ都市は全滅している。……真相は分からない。言ったろう我々も把握しきれていないのだと。だが事実を説明すれば今の通りだ。これが我々が抱える爆弾だ。我々はいつでも、今にだって滅びる可能性がある」
「……そんな奴が生きている可能性があるなら、俺たちはこの場所に滞在なんてできない……!」
「今すぐこの都市を出ると言うかね? ああ、危険な者の側に近付きたくない気持ちはわかる。しかし君達にとってそれは外にいても同じ事だろう。結論、どこにいても変わらない」

 それでも外よりは、この場所にいた方が安全だろう。アンドロモンの目はそう言っているようだった。

「……私から今、説明できることは以上だ。何かあれば聞こう。後でも構わないがね。
 そして返事に時間がいるというならば、君達の時間に余裕がある限り我々は待とう。しかし安全を考え、此処を出てからはシェルター内にいてもらうことを了承して欲しい。此処とシェルター、そして『彼女』が導く以外の道は毒だらけで危険だからだ」

 モニターの画面が元に戻る。その一つに自分達が入ってきた階段が映し出されていた。そこには────負傷しながらも帰還した、ピーコックモンが待っていた。

「我々としては心優しい諸君の、良い返事を期待している。ああそれと、一度その腕輪を貸してはくれないかね。大丈夫、サンプルデータを取りたいだけだ」




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