◆  ◆  ◆



「……これ、ひどいよ」

 亜空間からの音声を切った後、柚子は深く溜め息を吐いた。

「悪いこと言ってるわけじゃないのは、わかるけど……。『ずっとデジタルワールドにいろ』ってことでしょ。皆を助けてからも、全部終わるまで家に帰るなって言ってるんだ」
「それだけ必死ってことなのかしらねえ」

 廊下からみちるが覗き込む。

「……それもわかりますよ。でも、下手すれば死んじゃうかもしれないんです。そんな簡単に『いいですよ』なんて言っちゃいけないのに……あの子たち、ちゃんとわかってない。──それよりみちるさん、具合いいんですか?」
「廊下ひんやりしてて気持ちいい! へーき!」
「柚子ちゃんも少し休憩したら? 休める時に休まないと倒れちゃうよ」
「……私は、村崎さんたちが休んでから休みます。それよりウィッチモン、この後どうするの? ……ウィッチモン?」
「……」

 ウィッチモンは、眉間に皺を寄せて窓の外を見ている。

「……どうしたの?」
「……いえ、大シタ事では。それより彼らがシェルターに着く前に、こちらでも話を進めておきまショウ。
 ワタクシ達の猶予は約五日。あの都市に滞在するとシテ、その期間は恐らく一日以上三日以内。その間、ミチルとワトソンには少々やって頂きたいことが」

 ウィッチモンはパソコンから離れる。ぐるりと周囲を見回し──「この家、他に部屋は?」と首を傾げた。

「ないよ! ワンルームなめないで! どっか場所使う?」
「いいえ。内部にもう一つ亜空間を作りマス。お二人の役割はリアルワールドの情報収集デス」
「……? ウィッチモンそれ、ここでやってもらっちゃいけないの?」
「部屋の構造上、少々不都合がありマスので。漂う情報を取得し繋ぐ為には、なるべく狭く閉め切った場所が望ましい」
「ここも十分狭いんだけどね」
「おっけーじゃあ押入れ使おう! ブギーモン出やがれ!」
「拡張空間は次元も時間軸もこちらと等しく、往来も自由に可能としマス。亜空間外に露出するわけではありまセンのでご安心を」
「それは安心だ。ボクらなりに頑張ってみるよ」

 無表情のまま答えるワトソンの後ろでは、みちるがブギーモンを押入れから引き摺り出していた。残っていた布団も床に放り投げる。

「ねー! 棚板どうすんの?」
「そのままで大丈夫。部屋ごと書き換えマスので。一旦閉めてくだサイ」
「書き換える……?」

 きょとんとする柚子の頭を、ウィッチモンは軽く撫でた。それから押入れの戸に手を当てると──押入れの中が光り出す。

「──ここは、データの世界。亜空間とデジタルワールドにおいて、リアルワールドの物質は一部データ化した状態で存在する。故に全てとはいかなくとも、データ化部分へ干渉する事は可能デス」

 光が消える。引き戸を開けると、そこには窓の外と同じ──ような内装をした、三畳ほどの空間があった。

「調べて頂くことは、ブギーモン達に攫われた子供達の正確な人数と詳細。あちら側で更新されていく本件の情報」

 戸を閉めて、「それと」と付け加えた。

「別途、モニターが必要となりマスね。ワタクシと違い、人間では空間から直接情報を収集することができないので」
「みちるさん。体調あまり良くないなら、画面見ない方がいいんじゃ……」
「画面酔いしたら寝るさ! どっちかっていうとお腹弱いだけだし?」
「この部屋テレビとか無いからなあ。パソコンは柚子ちゃんに必要だし。一回戻って大家さんとこから何か借りてこようか。ここならリアルワールドと繋がるんでしょ?」
「ええ。あちらでの十分間で戻って来られマスか?」
「一応、男手あるし。大丈夫だと思うよ」
「ではお願いしマス。こちらとリアルワールドとの接続待機時間は一分もありまセンから、すぐに出てくだサイね。戻る時はインターホンを押してくだサイ。こちらが繋げるまで扉は開けられまセンのでご注意を」
「おっけーだいじょぶ五分でお借りしてくる! じゃ、こっちでの三十分後にー」
「お願いしマス。では、いってらっしゃい」

 ウィッチモンの合図でワトソンが扉を開ける。外から白い光が差しているように見えた。手を振りながらみちるも出て行くと、扉は音を立て閉まる。

 ──部屋が静かになる。ウィッチモンは再び、使い魔との接続を行った。

「さて。ワタクシとユズコは彼と話を。先程からアンドロモンの呼び出しを受けていマス」



◆  ◆  ◆



 アンドロモンの部屋から出ると、ピーコックモンが一行を迎えてくれた。

「シェルターへ案内します。ついてきてください」

 頑丈そうな体には、真新しい傷跡がいくつもついていた。

「ああ、大丈夫ですよ。タスクモンはなんとか止められました。というより、結局進化しきれず自壊しました。皆さんの攻撃の賜物です。……恥ずかしながら、この傷は帰る途中で出来てしまって」

 ピーコックモンは淡々と言った。

「……俺たちを助けてくれてありがとう。君が、生きていてよかった」
「そうですね。本当に」

 彼女がコロナモンに振り向くことはなかった。

「それで、アンドロモン様からは何と?」
「……」
「話ながぐで、うまぐ言えない」
「あの方は一度話し出すと長いですから。……まあ、おおよその想像は付きますけど。我々への協力の話だったでしょう?」
「……。……君は……、……君たちは、いつまでこのシェルターで……」

 コロナモンの言葉を遮るように、ピーコックモンは「長くはもちませんよ」と答える。

「次に内部で汚染者が出たら今度こそ全滅でしょうし。外部からの汚染体の侵攻だって、今の都市の力で防衛しきれるかどうか。──でも、あなたたちが何とかしてくれるんでしょう?」

 ピーコックモンは振り向いた。皆、思わず口を噤む。

「……ぎぃ。皆まだ決められないっで」
「皆? じゃあ、あなたはどう考えてるんです? ホーリーリングのユキアグモン」
「せーじを助げる。ごの街もなんどかしだいげど、おではそれが一番やりだい。そーだと、がなも、ぜーじと無事でいで欲じい。あぶないのは、よぐないよね」

 ユキアグモンもまた、子供達の身の安全が第一だと。それが侵され得る状況は望まないのだと、喉を鳴らす。
「……あなたたちが首を縦に振りさえすれば、きっと私たちは生き残れます。シェルターの外で、少しでも長く」
「……僕たちだけならともかく、この子たちは」
「私とラプタードラモンは命をかけて皆さんを救った。これ以上の戦力の欠損は許されないこの状況で」
「……」
「何の損も無しに利益だけを得られるとは思いません。でも我々は、私たちは、これ以上何を失えと──」
「それは僕たちだって……」

 言いかけて、俯く。

「……ああ。気持ちは、よくわかるよ」

 シェルターへの道のりに人影はない。音もない。唯一聞こえるのは、どこか遠くから聞こえる轟音だけ。
 しばらく歩くと、遠くにドーム型の建物群が見えてきた。

「……どうか、ごゆっくり」

 ピーコックモンの操作で扉が開く。
 彼女は最後まで、誰とも目を合わせなかった。



◆  ◆  ◆



『────亜空間よりメトロポリスへ。聞こえマスか』
「ああ、聞こえるとも」

 錆びた蓄音機からウィッチモンの声が流れる。ガラクタまみれの暗い部屋。

「待っていたよ。ああ、呼び出してすまないね。話したいことがあった。そこのブギーモンにだ」

 蓄音機からは拍子抜けた声が聞こえてきた。それからズリズリと、引き摺るような音と共に濁声が答える。

『な、んだよ。俺がメトロポリスと話すことなんてねぇぞ』
「二ヶ月前の雨の日以降、メトロポリスはダークエリア各領と連絡が取れない状態にあった。通信障害かと思ったが、北のそれは自主的なものだったのかね?」
『あ? ……うちは毒の報告を受けてすぐ、外部との接触は全部切ったんだよ」
「そうか。では他の領地の情報は得られていないと?」
「知らねえな。そっちもか?』
「いいや、ある程度は得ている」
『へぇ。で、どこが生きてるんだ。まさか俺たちだけってこたねぇだろ』
「そのまさかだよ。君達だけだ。まともに勢力として生き残っているのは。
 東の領は内部汚染により自滅。西は外部汚染により全壊。南部も崩壊したが領主は行方不明と聞く。これが何を意味するかわかるかね」
『……は?』

 ブギーモンは息を飲んだ。彼はアンドロモンの言葉の真意を、本当に汲み取ることができないでいた。それを察したのか、アンドロモンは少々呆れた様子で息を吐く。

「あまりに不自然、かつ不可解だ。彼の性格は知っている今回の行動の理由も理解できる。だが──何故北の領にはそれを出来る程の余裕がある? 今のダークエリアの状況で遠征など」
『ま、待てよ。待て待て。何が言いてぇんだよ。つまりなんだ? 俺らが生きてるのがおかしいってか?』
「そういう事になるな」
『そんなもん、俺らの領主様が凄かったからじゃねぇのか』
「各領の間にそれほどまでの力の差はなかった筈だ。……物事には理由がある。君達がそれほどまでに余力を、安全を手にした理由が」
『……お、俺だって全部知ってるわけじゃねぇよ』
「知っている限りで構わない。話してくれ。君達はこの二ヶ月をどう過ごしていた」
『何で話さなきゃいけねぇんだよ! いいか、俺はこいつらに協力するハメにはなった。でもお前らは違う。なのに話してやる必要があるか? 交易関係も何も無くなったっつったのはてめぇだ。こっちの前の事情なんてこいつらに直接関係する事でもなきゃ、俺らが得する事でもねぇ。てめぇの単なる好奇心じゃねぇか!』
「立場を理解したまえブギーモン。君が今話しているのは曲がりなりにも君の主人と同等のデジモンである事を忘れてはいけない。そう、決して対等ではないのだ。我々は。しかし同胞だ。ダークエリアの同胞として、それなりの礼儀を以て互いに接するべきだろうそうは思わないかね。
 ああ、ブギーモン。それに君達は我々の“お得意様”じゃあないか」
『……』

 アンドロモンの声は威圧を込めて圧し掛かり、画面越しでもブギーモンを委縮させる。──ブギーモンだけではなく、それを聞いていた柚子も。

『……は、話してブギーモン。色んなことを知るのは、私たちのためにもなると思うから……』
「ほら、そちらのお嬢さんもこう言っている。協力を求められている以上君には話す理由があるだろう?」
「……」

 僅かな沈黙の後、舌打ちの音が小さく聞こえた。

『……。──城には、結界が張ってある。毒を持ってる奴と、領主様が認めた以外のウイルス種は入れないようになってんだ。だから今まで平気だった。……別にあいつらはウイルス種でもねえし、毒なんて持っちゃいねえんだ。問題ねぇだろ』
「……もう一つ君に尋ねよう。腕輪のことだ。君達が使い、あの少年が持っていた。あの腕輪は誰が作った?」
『し、知らねぇよ。俺らはただ渡されただけだ。うちが発注したってことはてめぇらの製品なんじゃねぇのか?』
「……そうか。……よろしい、下がりたまえ。私はウィッチモンと話をする」
『は!? お、おい……』

 蓄音機から猫の鳴き声がする。それから再び引き摺るような音がして、濁声は遠くなっていった。

『……ワタクシには、提供できる情報などございまセンが?』
「君はウィッチェルニーから来たと言ったね。故郷を救うという目的を持つ点で、君と私は分かり合えるのではないかと思った」
『……』
「加えて、君は賢い」
『……ワタクシから彼らを説得しろと?』
「強制はしない。だが君が私の気持ちを察してくれるというなら、だ。それを除いても君は、この場でどう動けば君達にとって利益となり得るか判断出来る」
『……』
「どう思う?」
『一つお聞きしたいことが』
「言ってみたまえ」
『先程仰っていた、ブギーモンの腕輪の件……そもそもあのような装置を作ること自体、可能なのデスか』

 リアライズゲートの開放は本来、天使達のような神聖デジモンに与えられた特権だ。それを悪魔が、属性に関係なく濫りに開いた。それも同じ場所で一斉に。リアライズとデジタライズ時の座標さえ絞った状態で。
 そんなイレギュラーを可能とした腕輪が、簡単に作り上げられる物とは到底思えない。

「仮にその装置を作る事ができれば、我らの条件を快諾すると?」
『あくまでも可能性の話デスわ』
「賢い判断だ。そしてそれは私も話したいと思っていた事でもある。
 腕輪に関しては現実に存在する以上、理論的に製造可能である……が、それは君の求めている答えでないね。そのくらいは分かる。結論を言えば可能でもあり不可能でもあるのだ。少なくとも我々の技術では、それ程の性能を持つ装置を作る事は出来ない」

 次元の壁同士に穴を抉じ開ける──だけであれば、彼らの技術でも装置の製造が可能らしい。尤も、そんなもので作ったゲートを通れば、移動途中での身体の分解は免れないだろうが。

『……ありがとうございマス。こちらからの質問は以上デスわ』
「この件に関しては我々も調査したいところではあるが、要塞都市に着いたら天使達に聞いてみたまえ。恐らくその方が情報は得られる。出来ればそれを私にも報告してくれると嬉しいがね」
『……まだ行くと決まったわけではありまセン』
「同じ話を繰り返したくはないが、どのようにすれば君達の、いや、ウィッチェルニーの為となるか、よく考える事だ。君なら理解できるだろう。良心だけでは生きてはいけないよ。
 そもそもあのユキアグモンが彼らとともに行動している時点で、答えは決まっているようなものだ。そうだろう?」

 ウィッチモンの表情が固まる。柚子が訝しげに目を向けた。

『……どういうこと?』
『……確証はありまセン。あくまで彼の推測でしかない』
「だが可能性は高い。あの子は天使のスパイではないのかね?」

 柚子は思わず「え」と声を上げた。しかしウィッチモンはモニターを睨みながら、アンドロモンの言葉を否定する。

『彼らとユキアグモンが出会ッタのは運命的なものであり、何よりあの子は誠実にパートナーを憂慮シテいる。……あまりこちら側に、不審の種を撒くのはやめて頂きたいのデスが?』
「そんなつもりはないさ。まあ、良いだろう。それについても追々判明する。
 話は以上だ。彼らの返事を我らはいつまでも待ちたいとは思うが、君達にとってはそうもいくまい。また連絡を待たせてもらうよ」
『……ミスター・アンドロモン』

 アンドロモンは車椅子の背に身体を預け、息を吐くように「何かね」と言う。

『ブギーモンだけではない。貴方もワタクシ達に、嘘や隠し事はされまセンように』
「勿論だとも。我々は頭を下げて頼む側だ。先程の件に関しては話せない事を了承して頂きたい」
『…………失礼致しまシタ。では、後程』

 蓄音機からの音声が途絶えた。



 ──音声を切る。ウィッチモンの口から、大きな溜め息が漏れた。

「……疲れた?」
「……少しだけ」
「ウィッチモンは凄いね。あんなに冷静で……私じゃできないよ。……あのデジモン、なんだか怖くて」
「確かに格が上のデジモンは怖いデスね。……それに彼はワタクシ以上に強引で、頭も回る」
「……ウィッチモンは強引なんかじゃないよ」
「……ありがとう」
「あ、それとね。ひとつ、気になったことがあったんだけど……」
「あら、何でショウか?」
「さっき皆と話してた時に、アンドロモンが言えなかった二つ目の────」

『ぴんぽーん』

 玄関のチャイムが鳴った。柚子は驚いて振り返る。

「……随分と早く帰ってきまシタね」
「でも三十分くらい経ってるから……あ、私のは後でいいから、早く入れてあげないと。繋げてあげて」

 柚子が玄関に走った。ノブに手をかけようとすると、ウィッチモンが空間を繋いだのか、向こう側から扉が開く。

「ただいまー! ねえ早かった? がんばった!」
「ただいま柚子ちゃん。ほら見て、使ってなさそうなパソコンあったから借りてきたよ」
「……それ、やっぱりどうかと思いますけど……」

 みちるとワトソンは部屋に戻ると、早速押入れの中へと入って行く。
 柚子は玄関を見つめていた。現実世界の光は、もう見えなくなっていた。




◆  ◆  ◆




→ Next Story