◆ ◆ ◆
シェルターの中は薄暗かった。
ペットショップを思わせるようなカプセルのブロック。それらが規則的に積み上げられ、高い壁を作っている。
そのガラスの向こうに閉じこもったデジモン達も、床にじっと座り込んでいるデジモン達も皆、一行を見てざわめき出した。
「……まあ、無理もないか」
ガルルモンはそう呟くと、シェルターの隅へと移動する。周囲の視線を浴びながら、しかしようやく落ち着いて腰を下ろすことができた。
蒼太と花那はガルルモンに背中をもたれ、辺りを見回す。見たことのない様々なデジモンがいて──これまでであれば目を輝かせていたのだろうが──しかし自分達から話しかけるのは気が引けた。
空気はどんよりと重い。そう感じるだけか、実際にそうなのかはわからない。
「…………二人とも、疲れたね」
コロナモンは、蒼太と花那に笑いかける。
「出発してからどれくらい経ったんだろう。少し寝ておく? 俺たち、見張ってるから大丈夫だよ」
「……私、まだ眠くない」
「……そっか」
疲れてはいたが、どちらかといえば気疲れだ。とても眠るような気分にはなれなかった。
「ゴロナモン。おで、ねむい」
「寝てていいよユキアグモン。ずっと戦ってくれてたんだ」
「せーじは、ぢゃんど寝でるがな」
「……。……きっと、……」
「明日か、遅くても明後日には出発できる筈だ。……大変になるだろうから、今のうちにお互い休もう」
ガルルモンもそう言うが──コロナモン共々、休むつもりはなさそうだ。難しい顔でシェルターの中を見回していた。
蒼太と花那は、なんとなく二人の真似をする。
ただ静かに、ぼんやりと周囲を眺める。
“────人間だ。あんなに、小さいのか”
誰かの会話が、断片的に聞こえてくる。
“あんなに弱そうな──”
“──商品────助かるなら、──”
“毒ついてたらどうしよう──”
“──部外者なのに、──”
“アンドロモン様から連絡は────”
“──の気持ちも知らないで”
“──? 断られたら──”
“外に出たい”
“南部で──は、──?”
“要塞都市は私たちを──”
“もう死にたくないよ”
「あ、あの」
近くで声がした。
「お、おつかれ、さまです……」
コクワモンは、おどおどとしながら頭を下げる。
「……俺たち、迷惑になってない?」
「い、いえ……人間には、いてもらわないと……それに外は、危ないから。中にいないと、死にますから」
「……そ、うなんだ」
何て言えばいいのか、どんな表情をすればいいのか、蒼太にはわからなかった。
「……その、コクワモン。シェルターの外は危険なんでしょ? なのに、俺たちを迎えに来てくれたんだね」
「…………人間は、大事だって、言われてたので……。……それに、見て、みたかったんです」
「……私たちを?」
「人間の……世界には、色々あるって、聞いてて、そこで生きてるなら、どんな生き物なんだろうって」
段々と、コクワモンの口調から緊張がなくなっていく。人見知りの子供が、僅かに心を開いたように。
「植物も、それでいっぱいの場所も、水だけの場所とか……。で、デジタルワールドにも一応、あるらしいです。けど、ここはずっと、金属とコンクリートしかないから……ぼくらは皆、どれも見たこと、ないです。でも、人間の世界はなんでもあって、全部ぼくらみたいな、データじゃないって」
「……データ?」
花那は傍らのデジモン達に目をやる。
「……データって?」
「……僕たちデジモンもデジタルワールドも、中身は全部データで出来てるんだ」
「でも私、ちゃんとこうして触れるし……」
「体のつくりが違うだけだよ。多分、そうだと思う」
「そっか……データってなんか見えないイメージだったから……」
「で、データじゃないなら、何でできてるんだろうって、思ってたんです。……皆、警戒してるけど……でも本当は、話してたんです。データじゃない世界、どんなとこだろうって。すごく平和なんだって、聞いてます。だって……」
そっちの世界に、毒はないって。
「だから、こんな風にはならないって」
蒼太と花那を見るコクワモンの瞳は、何を訴えていたのか。
やましい気持ちなどない、純粋な言葉が突き刺さる。
「ぜ、全部終わったら、ぼく、いつか行ってみたいんです。それが、夢だから────」
◆ ◆ ◆
去っていったコクワモンは、他のデジモン達に囲まれ何やら色々と聞かれているようだった。
相変わらずおどおどとしていて、どうやら元から臆病な性格のようである。
使い魔の黒猫が欠伸をした。花那の膝に上半身を寝転がす。
「……」
俯きながら首元を撫でる。
「……ねえ。アンドロモンの言うようにすれば、コクワモンや皆のこと、助けられるんだよね?」
ガルルモンとコロナモンが、顔を上げた。
「さっきは、二人とも止めてたけど……でも、助けたくないわけじゃないんでしょ……?」
「「……」」
「ユキアグモンは……? ここのデジモンたち、放っておこうなんて思ってないよね……?」
「おでは、ひどりじゃ何もでぎないがら、何も。だがら任せる。弱いっで、がなしい」
「……そう……」
「むずがしい話。ふだりども、悩んでる。だいへんだね」
「……僕たちは……──ああ、花那の言う通りだよ。助けたくないわけじゃないんだ。でも危険なんだよ。何も安全なことなんてない。これまでの事も、これからも、きっと危険な事だらけだ。──この話だってそうだ。だから簡単に、やっていいなんて言えないんだよ」
「でも……ここのデジモンは、俺たちが何もしなかったら死んじゃうかもしれないけど……俺たちはここを助けたからって、別に死ぬわけじゃ──」
「アンドロモンの条件を飲んで……その後のことをもっとよく考えて……!」
思わず声を上げたガルルモンに、蒼太と花那はびくりと肩を震わせた。
「誰も見殺しになんかしたくない。全員そうだ。当たり前だ。でも全部、拾うなんていうのは簡単なことじゃないんだ……!
君たちには……リアルワールドに元の暮らしがあって、それはかけがえないものじゃないか。守らなきゃいけないものだ。だからこうしてここに来たんじゃないか。危険を冒してでも守りたいものがあったから……!
でもね、アンドロモンの言ったことは……その暮らしだって、下手すれば命だって危険に晒せって、そういうことかもしれないんだよ。事態が収まるまでずっと戦えって、そう願ってるデジモンたちの所に連れて行かれようとしてるんだよ……!」
ガルルモンは悲痛に訴える。蒼太は「でも」と言おうとして、けれど言葉を飲んだ。
「……な、なら……こうはできないのかな。私たちがオッケーして、それで……天使のデジモンたちのところに行ってから、向こうの人たちと話し合うって、できないかな。
だって本当に私たちがずっと帰れないって……二人が心配してることになるかなんて、まだわからないんだし。天使だって言うくらいなんだからきっと、優しいよ! ……そう思わない?」
「……俺だってそう思いたいよ。……本当に、そう思いたいんだ」
「なら、賭けてみよう……? だめだったらその時に考えようよ! もし私たちが何かすることになっても……危険じゃないやり方、あるかもしれないよ……!」
「危なくないなら俺、しばらく帰れなくたって大丈夫だよ……! ……守ってもらってるのに、俺たちすごく、わがまま言ってるってわかってるけどさ……」
戦うのは、デジモン達だ。守るのはデジモン達だ。
だからこれは、とても自分勝手な事だって──蒼太と花那は理解している。
だが、それはコロナモンとガルルモンも同じ事。二人の気持ちはちゃんと分かっている。
「……そう、分かってる。だから僕たちは一緒に、ここまで来たんだ。……わかってるんだ……」
「それでも俺たち、ここを見捨てたくないよ。……それに、俺たちだけ助かれなんて」
「助かるのは……蒼太、花那、守られるのは、悪いことなんかじゃないんだよ。決して負い目を感じることじゃないんだ。……それで救われる存在だっている。
……僕たちだって、できることなら皆を助けたい……死なせたい訳ない……」
まるで戦地へ救助に向かおうとする子を、止めようとする親の姿の様だった。
気持ちは痛い程分かる。子供達の意思がどれだけ立派な事かも、分かっている。──それでもだ。今回の件が終わったら、リアルワールドに帰してあげたかった。
周囲を見渡す。廃工場都市のデジモン達が、何かを訴えるようにこちらを見ていた。
「……、……ああ、……僕たちは、どうしたら……」
『────皆様、よろしいでショウか』
その時、傍らの猫がにゃあと鳴いた。
話し合いに来たのだろう。はち切れそうな空気が、少しだけ紛れた気がした。
「……そっちの意見は決まったの? ……僕らはまだ、お互いが納得できるまでは話せてない」
『ワタクシ達は直接戦闘に関わらないサポートの立場デスので。しかし……』
「……どうした?」
『……人払いをしたいのデスが、シェルターからの外出は禁止されていマスね。ガルルモン、アイスウォールで一旦壁を作って頂けマスか。なるべく厚く』
「……わかった」
ガルルモンは立ち上がり、氷の息を吐きながら前足で強く地面を叩いた。周囲に氷の壁が現れる。シェルターの中はひどくざわついた。
『あまり周りには聞かせるべきでないので……。音量も下げマスから耳を澄ませて。……この都市の事は特に、彼らは敏感でショウから』
傍らの猫がくしゃみをする。
「……あの、ウィッチモン、私たち話し合いするんだよね? 私と蒼太の意見は一応、決まってるの。でもさっきガルルモンが言ったみたいに、お互いにちゃんとは決められてなくて……」
『……カナ。その話し合いには、恐らくあまり意味はありまセン。申し訳ないけれど、方向性は最初から決められたようなもの』
────全員の表情が固まる。
『ワタクシ達が話し合うべきなのは、ここを出てからの作戦。より円滑に、安全に事を進められるかどうか』
『待ってウィッチモン、ちゃんと言わないと……』
「……それは……どういうことか説明して」
コロナモンが睨みつけた。
「ウィッチモン。何を知ったの?」
『……この都市に残された僅かな生産力でも、ワタクシ達の力には充分、なッテもらえる事でショウ。そして今回の件、特に子供達の誘拐に関しテ言えば──彼らは有力な情報を然程持ッテいない。彼らにとッテも未知数な点があまりに多い。
しかし一つ確かな事がありマス。この疲弊しきッタ工場都市は、あらゆる手段を用いてでも地の保存に全力を尽くす。それ故、彼は我々に嘘を吐いた』
だから──そもそもこの話し合いに意味など無かったのだ。ウィッチモンの言葉に、蒼太と花那は「どうして」と言葉を詰まらせた。
『アンドロモンの部屋と繋げた際、通信記録を。……彼は既に「向こう側」と話しを付けている。こちらの快諾がある方が都合が良かッタのか、そこは分かりまセンが……遅かれ早かれ、都市の天使は皆様を迎えに来るでショウ』
コロナモンとガルルモンは、脱力したように息を吐いた。
「……なんだよ……。じゃあ、俺たちがどう考えたところで……どう決めたって、意味は無かったんじゃないか。最初から選択肢なんて無かったなら……」
『ひとまず今日はそちらで過ごし、明日発つのが理想かと提案しマス』
「……」
『……それまでに、ここのデジモン達との交流を深めるのも、良いかもしれまセンね』
「……ウィッチモン、君は……何も思わなかったの? 彼に何も言わないで、わかりましたとしか言わなかった?」
『…………アンドロモンからの通信があり次第、また連絡しマス。では、後程に』
「ウィッチモン……!」
黒猫が静かになった。
氷が溶ける。子供達は戸惑った様子で、コロナモンとガルルモンに目をやる。ユキアグモンが無邪気に首を傾げた。
「だすげるごどになっだ。安心しだ?」
蒼太は体育座りのような姿勢になって、うなだれる。
「……こんな状況で安心できる奴、いると思う?」
◆ ◆ ◆
「いやー、パソコンってのはこうも便利ですかね」
襖越しの狭い亜空間。光る画面をまじまじと覗き込む。
「これ柚子ちゃんたちと連絡とれないかなー」
「出来るんだろうけど、やらせてもらえないと思うよ。それにしても、こんなに外の音が入らないとはね」
「防音の密室……イケない響きだねワトソンくん! ところでパソコンで無料通話って電話代かからないから良いと思います!」
「通信費と電気代はかかるんだけどね」
「請求こわいね」
「まあなんとかしちゃおう。で、そんな事はどうでもいいわけで」
画面には、まるで卒業アルバムのように子供達の顔写真が整列している。
「ハッキングなんてドキドキ! ウィッちゃん凄いねー」
──みちるとワトソンは、亜空間から誘拐被害者の情報を収集していた。
キーワードを入れるだけで情報が手に入る。実に便利だ。しかし──アクセスできるのはリアルワールドのみ。デジタルワールドの情報は、ここからでは“検索”できないようだ。
「けーさつの情報だだもれー。うーん背徳感。これどうやってウィッちゃんに報告する? レポートなんて書いたことないけどアタシ」
「メモ程度でいいんじゃないの」
「うっし」
「それにしても書けるの? パソコンなんてろくにやったことないくせに」
「まかせろい! 打って変換くらいは多分できる! 中学校の技術の時間で触ったっしょ?」
ワトソンを押しのけると、みちるは楽しそうにタイピングを始めた。
「さらわれた場所とー」
「結構、偏ってるよね」
「人数!」
「期間内に行方不明になって、ブギーモンに攫われた可能性があるのは八十五人。ブギーモンは六十体いたんだっけ」
「うわ多っ! 世紀の大事件じゃん大胆すぎない?」
「ノルマ二人らしいから誰か失敗してるね」
「えっと、アタシ襲ってきた奴と、蒼太くん達を襲ったソイツは失敗してるからー、他が全員成功してたら百十六人でー、でも三十一人ずれるからー、十五体くらい失敗してる? アタシもしかして計算の天才では?」
「数学専攻してる人に怒られな。あとは牢屋にいる人数が確認できるといいなあ。この数より減ってたら嫌だけど」
「ねー、名前うつのめんどくさいからこの写真だけでいい? 多すぎてアタシも把握できてない!」
「あいうえお順に並べとこう。とりあえずそれでいいと思うよ」
「りょーかーい。……うわー、ちょっとした経歴とかまで出てきちゃうの。なんの情報よこれ怖!」
ぎこちない手つきで写真を並べていく。どうやら、攫われたのは小学生が中心のようだ。幼稚園児の被害はゼロ。中学生以上の被害もほとんどない。
「ブギーモンって子供趣味なのかもね。ああ、でもこの二人は中学生かな。珍しい」
「──お、」
みちるの手が止まる。
「どうしたの」
「んー? いやね」
「こっちの子が気になる?」
「綺麗な女の子! べっぴんさんだで」
「同感だね」
「実は未来のお友達だったのだよ」
「へえ、そりゃあ」
残念だったね。
ワトソンは淡々とそう言うと、その少女の写真も丁寧に並べた。
◆ ◆ ◆
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