◆  ◆  ◆



 夜、アンドロモンからの呼び出しを受ける。
 呼ばれたのは蒼太と花那の二人だけだった。

 コクワモンが案内をする。パートナー達も当然、二人に付き添った。

 夜のメトロポリスは恐ろしく静かだ。
 闇に紛れた黒い水の跡が、恐怖心をなで上げる。

 アンドロモンのいる建物の前で、デジモン達は待つように言われた。子供達とコクワモンだけが中に入っていった。
 蒼太と花那は緊張した様子で、アンドロモンを呼ぶコクワモンの背中を見つめる。

 扉が開く。
 中に入る。
 扉が閉まる。

 コクワモンはいなくなっていた。自分達だけが部屋に入った。
 ぞくりと、寒気を感じたのは恐怖心からだろう。

 部屋の中にはモニターの明かり。そして暖色のアルコールランプ。

「……構えなくても良い。座りなさい」

 言われた通りに、座る。

「怖いかね私が。まあ良いだろうそれは……仕方のないことだ。ああ、それに今はパートナーもいない」
「……あの、……俺たちに話って、なんですか」
「そんなに深刻な話ではないさ。城に侵入以降の作戦についてはパートナー達も交え出立時に話そうと思っている。私はただ、君達にこれを渡そうとしたのだよ。──プレゼントだ。戦いに赴く君達に敬意を払って」

 散らかった机に無造作に置かれた、二つの麻袋を手に取った。

「昼のうちに用意できるものは限られてしまってね、しかしこれでも充分役に立つだろう。
 ──まずこれは使い魔につけたまえ。熱源探知の正確性が増す。なにせ城の中は広く狭い。これは非常灯、発煙弾と閃光弾、そして催涙弾。小さいがなかなかに使えるしかし使い方には十分に気をつけることだ。場所と時を、見誤ってはならない。
 そして……これはナイフ。とても強固な、デジタルワールドにしか存在しない素材で作ってある。牢屋の素材によっては傷をつけられるかもしれない。但し手を切らないよう気を付けなさい。きちんと、鞘にしまうことだ」

 引き出しから玩具でも取り出すような仕草で、アンドロモンはそれらを渡していく。元は、ダークエリアで暮らす弱い世代達の為に作られた護身用の道具だという。

「そう、それとだ、どうやら明日発つようだね。ああそれがいい。早い方がフェレスモンとの遭遇も避けられよう。城まで護衛をつけ、作戦についても我らを最大限利用してもらって構わない。なぜなら我々は……」
「あ、あの……。……俺たちが……どうするか、とか、……聞かないんですか」

 アンドロモンの視線が、ギョロリと蒼太に向けられる。

「……あの亜空間の“彼女”が、どうやら気付いたようだからね」

 温かみのない声だった。

「言わなかった事に関しては、謝ろう」

 謝意は、感じられなかった。

「ラプタードラモンとピーコックモンが君達の救出に赴き、無事間に合った。その時点で私は要塞都市にコンタクトを取ったよ。我々がこの部屋で出会った時には既に交渉済みだった。そして君達との会話の後、その記録を要塞都市に提供した。
 ……ああ、悩ませるだけ悩ませておきながら、結果は同じだったとも。余計な苦労をかけさせたが、君達の気持ちを確認するには良かったのではないかね?」

 彼の行動はあまりに身勝手だと、糾弾する者もいただろう。だが──

「……なら、間に合いますか?」
「何がだね?」
「俺たちが、皆を助けにここを出ても……すぐに都市のデジモンたちが来てくれるんですよね? もし何かあっても、ここのデジモンたちは大丈夫なんですよね?」
「……」
「……なあ花那、よかったね。きっと大丈夫だよ」
「うん……!」
「……君達は……」
「……ガルルモンたちは、ああ言ってたけど……本当は、皆のことだって守りたかったんですよ」

 花那の緊張は解けないまま、しかし真っ直ぐにアンドロモンを見る。

「……アンドロモンさんはここを守りたくて、一生懸命で……でも、ガルルモンたちは私たちを守りたくて、一生懸命で。……だから、みんな一緒なんだって、思うんです」

 覚悟なんて大層なものは何も、持てていない自覚はあった。それでも

「それと、コクワモンが……いつかリアルワールドに行ってみたいって言ってたんですよ。だから私たち、これから約束するんです。その時は、私たちが案内してあげるって」
「…………」

 そうか、とだけ言う。アンドロモンはじっと子供達に顔を向けたまま、車椅子を動かし寄ってきた。

「……──この先。君達は目を閉ざしたくなるような凄惨な現実を目の当たりにするかもしれない。だが、その愚かしい程の良心と無垢さを決して濁してはいけないよ。きっと君達よりもこの世界の道理をわきまえた、優しいパートナー達が庇ってくれる事だろう。道を開く事だろう。だか逆も然りだ。どうか精々、心身共に死んでしまわぬように」

 アンドロモンは引き出しから小さな箱を取り出した。オルゴールの様な、宝箱の様な、そんな箱だった。

「──どちらにせよ、要塞都市できちんとしたものを渡されるだろうが。だから渡すつもりはなかったのだがね。一応、引っ張り出しておいてよかった」

 そして、中から二つ、ある物を取り出す。子供達の手のひらに収まるような機械だった。

「ああ、ガラクタでしかない。紛い物でしかない。模倣品なのだ。私がまだ“メタルエンパイア”にいた時代だ。もうだいぶ昔だがね。過去の記録とやらで読んだものを真似て作った」

 アンドロモンはその一つを、蒼太の服に取り付ける。

「──デジヴァイス。これは、デジモンとパートナーとを結びつける媒介だ」

 そして、花那の服にもしっかりと付ける。片手にも関わらず、器用だった。

「……デジモンと人間の中に流れる電気信号は、テクスチャーと皮膚との直接接触により同調する。つまりパートナー同士、触れ合っている状態が互いにとって望ましい。しかし常時そういうわけにはいかないな。デジヴァイスはそれをある程度カバーしてくれるものだ。──ああ、正規品のように聖なる力など無い。恐らく奇跡だって起こせない。それでも今言った最低限の機能だけは、せめて半分ほどは持ち合わせているだろうゼロではない筈だ」

 アンドロモンは子供達から離れる。車椅子を横向きに、もう話は終わるのだと言わんばかりに。
 蒼太と花那はデジヴァイスを眺め、それからアンドロモンの横顔を見つめた。

「……あの、アンドロモン、さん」

 花那が呼びかけると、アンドロモンは振り向くことなく「何かね」とだけ答えた。

「やっぱり、あなたは優しい人……じゃなくて、デジモンだと思います」

 アンドロモンは目を閉じる。

「それはよかった」

 そして、淡々とそう言った。

「……私からは以上だ。何かあればウィッチモンに伝えよう。では、良い夜を。恐らくまともに眠れる最後の夜だ。大事に使いなさい」

 蒼太と花那は荷物をまとめる。扉が開くと、その向こうにはコクワモンと、パートナー達の姿があった。

「「アンドロモンさん、ありがとう」」


 子供達は最後そう告げると、部屋を出ていった。



◆  ◆  ◆





「…………」

 閉め切られた扉を見つめる。

「……静かだ」

 誰に、語りかけるわけでもない。

「ここは、静かだ」

 監視カメラの映像に目をやる。外では子供達が嬉しそうに、デジヴァイスをパートナー達に見せていた。

「────優しい、か。何一つ守れなかったのに」


 閉ざされた暗い部屋で、一人。乾くように笑う。





◆  ◆  ◆



 ──翌朝。パートナー達に起こされ、子供達は屋外に出る。
 空の彼方は僅かに白んでいた。シェルターに籠っていて気付かなかったが、朝と夜の区別はあるらしい。

 途中までコクワモンがついて来た。他にも何体か、昨晩のうちに打ち解け合ったデジモン達が見送りに来た。コクワモンは相変わらずおどおどとして、何を言えばいいかわからないようだった。

「……また会おうね。今度は私たちが、リアルワールドを案内するから」

 花那がそう言うと、少し嬉しそうだった。



 ラプタードラモンに続き、来た道を戻る。
 シェルターを少し離れた途端、ただでさえ声の少ない街は一層の静寂に飲まれた。

「……アンドロモンは来ないのか」

 ガルルモンが問う。ラプタードラモンは、ああ、と短く頷いた。それからは何も話さなかった。
 都市の終わりまで行くと、ピーコックモンが待っていた。どうやら護衛はこの二体らしい。

「……ウィッチモン。聞こえる?」
『ええガルルモン。聞こえていマスよ』
「僕らはいつでも出られる。そっちの準備は──」
『問題ありまセン。ユズコも仮眠から起きていマス』
『アタシらも起きてるよー! おいブギーモン野郎め起きろ!』
『んがっ……!?』
「……大丈夫みたいだね」

『それでは、これより城に到着した後の事を。リアルワールドで計画していた当初とは少々、作戦を変更いたしマス』
「それについては俺から言うさ」

 ラプタードラモンが子供達に顔を向ける。

「いいか、まずそもそもの前提を変えろ。子供たちを差し出す代わりに、取り入って城に入るつもりだったんだってな。ただの野良がそんな事しても、すぐ殺されるぞ。
 お前らは『メトロポリスの遣い』を装え。偽の市民証は用意しておいたし、うちの製品だって持たせてる。怪しまれてどの地域出身か聞かれたら『東部の第百八十三番地区』って答えりゃ満点だ。そうすれば奴らは、お前たちを簡単に殺しはしない」

 メトロポリスは亜空間のブギーモンでさえ壊滅したと思っていた地域だ。そこからの遣いなら、外部の情報を得る為にも無下にはされまい。

「あと、腕輪は取られる可能性があるから見せるなよ。こっそり隠して持たせとけ。──その上で協力体制を申し込むフリをしろ。保護でも恩返しでもなく、あくまで双方の利益の為に。わかったな?
 こっちの腰は低くしておけ。それにアンドロモン様直々の伝言だって言えば、上手くいけばフェレスモンの帰還まで命が保証される」
「! それは駄目だ……フェレスモンに会ったら、俺たちは完全に勝機を無くす……!」
「それは戦おうとしたらの話です。あなたたちはダークエリア上位種との対応を分かっていない。落城させる気だったなら、それは一番愚かな考えですよ。中途半端に逃げるつもりだったとしても同じ」
「部下はともかくフェレスモン本人は理性的だ。感情に任せて襲ってきたりしない。──とにかく相手のルールに乗っかれ。交渉に持ち込めば勝機はあるかもしれないんだ」
「交渉……」
「ネタは全部ウィッチモンに伝えてあるから彼女に喋らせろ。この中で一番交渉が上手い。余計な事はするな、話すな、だ。その頃くらいにはきっと、俺らじゃない誰かが迎えに来てくれる。ミッションクリアってやつだな」
「それは……その交渉の場に、蒼太と花那はいない筈だ。俺たちが城から出られても、この子たちが残ったままじゃ意味がない……!」
「その為のリアライズゲート開放装置です。交渉している間に牢で何かが起きたとして──それにフェレスモンが気付き対処に移るまでには多少なり時間がかかる。ですがその時も、あなたたちはフェレスモンに協力する素振りをしなさい。疑われぬよう子供たちの捕獲に尽力するのです。そこでこの子たちを庇えば、台無しになりますよ」
「……それは」

 難しい。ガルルモンが呟くと、ラプタードラモンが溜め息を吐いた。

「だろうな。お前らは。……安心しろとは言い切れない。だがこっちでもある程度策は練る。要塞都市に協力する以上、フェレスモンの勢力と敵対関係になるのは必然だ」
「そして我々も、あなた方を生きて城から出す必要があります。一人でも欠ければ我々と要塞都市の交渉は決裂する。私たちは領までしか護衛が出来ませんが、メトロポリスはできる限りの助力をします」

 ピーコックモンは高く飛行する。

「ついて来てください。最短のルートで護衛します」


 油のにおいが漂う、生と死の狭間に立つ工場都市。
 どこか遠くから聞こえる工場のような轟音が、子供達とデジモン達を見送った。




◆  ◆  ◆



「早朝は外部のデジモンとの遭遇率が低いんだ。皆、夜中のうちに殺し合うからな」

 ラプタードラモンの声は落ち着いていた。

「しっかりやってくれよ。頼むから」

 念を押すように、そしてもう一度しっかりと、願いをこめるように言う。

「うん。わかってる」

 蒼太の言葉に、ラプタードラモンは少し驚いたようだった。

「皆も助ける。頑張るから。ちゃんとやってみせるよ」

 コロナモンとガルルモンは、あまり浮かない顔をしていた。しかし子供達はしっかりと、服につけられたデジヴァイスに目をやる。

 ──その時だ。蒼太が急に顔を上げた。ポケットの中で、何かが音を立てずに振動し始めたのだ。
 それは携帯電話だった。ずっと圏外だったから、ろくに使ってなどいなかったのだが。

「……蒼太の?」
「うん。俺の……」

 電話なのかメッセージなのか。誰からか、そもそも電波など繋がるのか。可能性としては──……

「……柚子さんから? でも使い魔いるし……」
「……」
「蒼太?」

 花那が顔を覗き込む。蒼太は、答えない。
 目を見開いたままそっと、携帯電話を耳に当てた。






「──────誠司……」






◆  ◆  ◆




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