◆  ◆  ◆



「アンドロモン様。ケンタルモンです」
「入りなさい」

 音を立てて扉が開く。深く一礼をして入ってきたのは、半身半獣の姿をしたデジモンだった。
 上半身が人のような形をしており、下半身が馬のようになっている。

「人間とパートナー達は行きましたか」
「ああ。今さっきだ。ラプタードラモンとピーコックモンを護衛に付けた。彼らなら大丈夫だろう。──それよりもケンタルモン。報告とは何かね」
「要塞都市より連絡が。『迎え』の天使が都市を出発したようです」
「……ああ、やはりか。そうだろう。そうだろうさ」
「随分と速い運びですが、確信がおありでしたか?」
「勿論だ。彼らの言動を知れば、天使があの子供達を欲しがらない訳がない。すぐ動くに決まっている」
「シェルターの中で少々話しましたが……確かに、いかにも彼らが好みそうな子供達でしたね。パートナーとの相性も良い」
「加えて亜空間基地まで持っている。恐らくこれほど準備を整えてデジタルワールドに戻ってきた者達はいないだろうさ。ブギーモンを捕獲しているという点も天使たちにとっては大きい。極め付けはあのユキアグモンだ。一番弱く役に立たなそうだが──」
「──自分も気が付きましたよ。どうりでホーリーリングを着けていたわけだと。……その件についてもですが、自分は彼らに恐ろしささえ感じます。事の運びがどうにも都合が良すぎる」
「それは運が良かったという事にしておきたいものだ」
「しかしその子供達は共にフェレスモンの城へ。最悪のケースもありますが、彼らはうまくやれるでしょうか」
「大丈夫だ」

 アンドロモンは言い切った。

「……珍しい。形の無い根拠など」
「たまには良いだろう」
「ええ。結果さえ良ければ」
「しかし、いくらか気になることがある」
「何がでしょう」
「ブギーモンが持っていたという腕輪だよ。サンプルデータを見たまえ。……実に精巧かつ精密で美しい。一見すると我らが帝国メタルエンパイアで作られた物かと思うが、どうも違う」
「……扱っている素材があまりに特殊な点で言えば、鋼の帝国の物と称してもおかしくはありません。ですがここまでの性能は……いや、しかし……要塞都市との協力の下であれば可能ですか?」
「難しいだろうな。これを使ったのがフェレスモンである時点でもその可能性はなくなる」

 モニターに映された腕輪のデータは、工場都市の彼らにさえ理解不能なものであった。

「リアルワールドでの出現域を限局させたゲートの構築。それには向こう側の位置情報──座標の事前取得が必須となる。到底、天使共にできる事ではないよ」
「しかし帰還時……デジタライズの際の出現位置はバラバラです」
「それでも北領から一定の範囲内に出るよう設定されている。リアライズ時ほど精密でないとしても、やはり不可解だ実に不自然だ。……問題はそれだけではないよケンタルモン。なんでもリアライズしたばかりのブギーモンは空を飛べたそうじゃないか。ゲート越えなんて行為をすれば身体などまともに動かせなくなると言うのに。どれほどダメージが軽減されたとて、飛行などという行為が可能になる筈がないのだよ」

 何より、ウィッチモンらが捕獲しているブギーモンが今日まで生き永らえている事実が、その異常さを証明していた。

「パートナーを得られないまま現界すれば、生存できるのはせいぜい四十分から一時間が限度。以降は電子分解が始まる。今は亜空間という、比較的デジタルワールドに近い環境にいることでダメージが緩和されているとしても──彼はパートナーがいない状態で丸一日近くリアライズしていた事になる」

 アンドロモンの険しい横顔と、異常値を示すモニターとを、ケンタルモンは交互に見つめた。

「つまり、アンドロモン様。問題は“誰がこの腕輪を作ったか”……と?」
「そういう事だ。メタルエンパイアのものでなかったとしたら、これほどの技術を持つ勢力など私には見当もつかないのだよ。……しかし残念なことに我々には、それを調査できるほどの余裕が無い」
「……この情報を要塞都市に伝え、協力を求めますか」
「いや、やめておこう」
「ですが要塞都市の情報網の広さは、今のデジタルワールドでトップクラスです。それに情報の隠蔽は今後の信頼関係に関わる」
「ウィッチモンにのみ伝え、彼女の判断に委ねる事とする。下手に動けば我ら自身が損害を被るからな」
「……あのウィッチェルニーのデジモンに? ……作戦が終了し次第、彼らとの縁を切るものと思いましたが、随分とご心配をされていますね」
「そんな事はないさ」
「そういえば、メタルエンパイアの現状はご存知ですか? 私は耳にしておりませんが」
「ここよりはずっとまともだが被害は確実に広がっている。主要区域は要塞都市の保護を受けて無事なそうだが、他は難しいだろう」
「……あそこの国力が落ちれば大変なことになりますよ」
「その前にデジタルワールドが生き残らねば話にならない。ケンタルモン、順序というものがある」

『────アンドロモン様』

 蓄音機から甲高い声が響く。アンドロモンは振り向くことなく、ふっと顔を上げモニターを見た。

「サーチモン。都市南部の調査結果を」
『こちら第十区画七十五番ゲート上空。お分かりになられますか。“奴”を埋めた筈の場所の穴です』

 大量のモニターの一つに写真が映し出される。

「……やはり、内側から崩したのは間違いないな」
『よくご覧下さいアンドロモン様。穴は、ただ空いているだけなのです』
「どういうことかね」
『仮に、あの時の戦闘でまだ……“奴”が生き延びていたと仮定します。その上で更に、今回の件で逃げ出したと仮定します。しかしその痕跡が穴には無いのです。穴から脱走したにしてはあまりに清潔です。
 周辺区域の毒油は既に凝固しきっています。数日以内で新しく発生した様子がありません。この穴を奴が使ったのなら、それはおかしい』
「……つまりは本当に、“ただ穴を空けただけ”と?」
『火薬の成分が微量に検出されている事からも、そう思われます。──加えて、地下通路にて封鎖した筈の壁がいくつか崩されている事も確認されています』
「……アンドロモン様。奴が逃げ出したとすれば、都市のどこかで何かしらの騒ぎがある筈です。しかし決してそんな事実はなかった。被害報告も来ていません。それに奴を埋めてからの日数を考えれば、もうとっくに衰弱死していてもおかしくないでしょう。きっと自壊しているのです」
「推測は常に最悪のケースを前提に行うべきだケンタルモン。それにこの検証結果を見れば、運が悪くも彼が生きていたと考えるのが妥当だろう」
「一切の騒ぎが無かった事については?」
「例えば──彼が都市内部ではなく外に直接出たとするなら説明ができる。地下通路にはいくつか外部へ繋がるルートがあるからだ。
 問題はその過程だ。どうやって出た? いやそれ以前にどうやって穴を開けた? 忘れてはいないだろうケンタルモン、我らが地下を埋めたあの時の彼の状態をだ。逃げ出すどころか動くことすら出来なかった。そしてサーチモンの言うように、生き延びたにしては異常な日数だ」
「……誰かが逃がした可能性は?」
「…………それは、……──それこそあまりに非現実的だろう」

 毒で理性を失ったウイルス種に近付くなど、自殺行為以外の何物でもない。メリット以前の問題だ。

「……だが、一応の調査はしてみるとしよう。メトロポリスとしては今後彼による害が無いと考えられる以上、それを優先的に行うことは出来ないが……──サーチモン」
『はい、アンドロモン様』
「お前達は今すぐ帰還しなさい。それ以上立ち入る必要は無い。メトロポリス地底部の地図より、第十区画七十五番ゲート地下から外部への脱出経路として考えられるもの全てを洗い出せ。我々は動ける技術者を集めよう。禁止指定範囲を拡大し南部そのものを全面封鎖する」
『了解しました』

 モニターの画面が一つ消え、蓄音機の音も消える。

「……脱出ルートを推定して、どうされるのですか?」
「彼がどの地方へ向かったのだけでも推測できれば警告の余地がある。……役に立つかは別だがね。彼の行動パターンなど、我々に理解できる筈ないのだから」
「せめてこのメトロポリスから要塞都市までの移動間に、“奴”と出会わなければ良いのですが……」
「……それは、祈るしかあるまいよ」
「おや、無神論主義の筈では」
「都合の良い言葉は便利だ」

 アンドロモンは長椅子を見る。
 目を細める。蒼太と花那の言葉がもう一度、彼にだけ聞こえた気がした。


「────選ばれし子供達に、どうか幸あらんことを」





◆  ◆  ◆






 ────ゴーン。ゴーン。

 規則正しい轟音が、どこか遠くから聞こえてくる。
 黒と灰色で彩られた場所。
 金属と重油のにおいが漂う、機械の都市。

 都市の大部分は毒に汚染されていた。シェルター設置区域以外は、足を踏み入れる事すらままならない。
 例えば、ずっと前に壊滅した南部の地区。汚染された上に破壊の限りを尽くされた。瓦礫には至る所に、黒い水がこびりついている。

 そんな南部でも特に、損傷の激しい場所がある。
 かつては第十区画と呼ばれていた地域。そこには大きな穴が空いていた。最近になって出来たものだ。

 被せた天井が落盤したのだろう。
 劣化ではない。決して自然的なものではない。
 崩したのだ。──誰かが。

 地下に広がる空間は、この都市を予定より早く壊滅させた──あるデジモンの墓となる筈の場所だった。
 けれど暗い穴の底。瓦礫に埋もれた床。いくつも咲いた水溜まり。何もかもが壊されて、崩されて。


 ────そこから、壊された壁の向こう側へ。
 黒い泥を踏んだような、二人分の足跡が続く。







第十一話  終






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