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焼けるように渇く。
焼けるように痛む。
────寒い。
沈みかけた意識は何度も、それらによって呼び起こされる。
ただひたすらに繰り返される。
ぐるぐると回る。
吐き気がする。
流れていくようだ。
ゆらゆらと浮かんでいるようだ。
水の底は深い。
水の底は暗い。
黒い。
身体の内側から有刺鉄線が飛び出す感覚。
それは生きているのだ。
隅から隅まで蠢いているのだ。
「×××」
耳の奥で囁く。本能への誘惑は決して贅沢なことではない。
意識の底から訴えかけるのは、あくまでも生理的な欲求でしかない。
本来ならば、それはごく普通のありふれた欲求であった。
そして彼に始まったことではなく、世界中のあらゆる“友人”に対して平等に行われる誘惑である。
この身体の痛みも、何もかもがそうだ。皆に平等に与えられる。誰もが味わい、味わった感覚だ。
しかし、彼のように『恩恵』を受けたものに限る。
さて、しかし彼の、それらを理解する為に必要な彼の意識というものは、酷くぼやけて曖昧だった。
思考するにはあまりに霧が深い。ただ肉体に受ける感覚のみに身を任せている。
いつからだったろう。そんな疑問さえ、もう抱けない。
だが事実のみを言えば、もうずっと長い間、そんな状態が続いている。
それが『彼』だった。
ある壊滅した都市の地下。
空気は薄く、蒸し暑く、地上から規則的な轟音が響き渡る。
鐘の音。
鐘の音というのは、いつ鳴るものであっただろうか。
そんなことはともかく、『彼』が今辛うじて存在している空間には、何もない。
やけに広いその場所は、ただ瓦礫で埋まっていた。瓦礫はかつて天井だったものであるが──その天井も出入口も、今では厳重に封鎖されている。
外部と繋がっている所があるとすれば、それは彼の体格では、到底通ることの出来ない通気孔だけだろう。
それが唯一の穴。せめて壁ごと壊して崩してしまえれば、脱出の可能性はあったのだが。
しかし、そんな事ができようか。彼にはもう、目を開ける力さえないのだから。
呼吸をするだけでも激痛が走るのだ。その激痛に呻くことすらできない。衰弱しきった身体は、いつだって崩壊を受け入れられる。
だが、まだ生きている。
それでも生きているのだ。ずっと、そんな状態であるにも関わらず生きている。死の淵を往来しながら、なんとその期間は一ヶ月にも及ぶ。
理由は単純だった。彼が“生前”に捕食したあまりに大量のデジモン達のデータが、冬眠前に蓄えられた栄養のように彼の中に残っていた。
奇跡的ではあるが、不思議な力や運命などといったものではない。
しかし悲しいかな。それももう底を尽きる。
身体を襲うあらゆる感覚は牙を剥き、彼の中に深く突き刺さる。
肉体の分解が始まるのにそう時間はいらない。
なんということはない。
彼もまた恩恵を受けた“友人”の一人であるのならば──彼らと同じように散っていくだけのこと。
その過程において、本能的、生理的欲求の満たしがあったか否かというだけのこと。
それだけのことだ。
窒息しそうな程に吐き出した血液は、まるでコールタールのよう。垂れ流れ、瓦礫を黒く染めていく。
「…………」
────黒い毒の水に侵され、尚。
それまでの自分を、人生を、全てを失っても尚。
歪に進化を遂げてまで力を得たのは、それだけ生に執着していた証だというのに。
その力を向ける矛先はいない。渇きを満たしてくれる存在はどこにもない。自分を生かしてくれるものは何一つない。この場所には、彼しかいなかった。
当然だ。周りにいた筈の存在は既に喰い尽くした。残った存在はなんとか彼を隔離し逃げていった。
だがそんなことなど微塵も、最初に喰った友人の姿形さえ、彼はもう思い出せない。
どうして生きたかったのかも、もう思い出せない。
とにかくどうしようもなく、彼は一人であったのだ。
「────……」
ゆるやかに。
たった一人、彼は死を待ち続ける。
◆ ◆ ◆
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