◆  ◆  ◆




 子供達が再度、投獄されて数時間。
 手鞠と誠司が危険な状態に陥るのも時間の問題だろう。──と、チューモンは傍観しながら思っていた。アタリの牢ですら容態の芳しくない者がいる。ハズレなら、尚更だ。

 児童らには傾眠傾向が目立つ。体力の温存という理由だけではない様子だ。極度の餓えとストレスからか、奇声や譫言を発する者も出始めていた。
 加えて衰弱が進行している者が数名。──その全員が、初日にフーガモンの攻撃を受けた者である事をチューモンは知らない。

 あの間引きに、果たして何の意味があるのだろう。
 用がないなら生かしていても意味はない。意味があるから生かすのだ。恐らく二つの牢の人間達は、それぞれ違う理由で生かされている。

「……何かあるとしたら、お偉いさんが帰ってきた後か」

 いつ城主が帰ってくるのかは知らない。しかし時期が近ければ城のデジモン達に動きがある筈だ。……まだ先なのだろうか。

 チューモンは寝静まった地下牢を駆けた。子供達は眠っている。手鞠も誠司も眠っている。周りの子供が寝ている間だけ彼らと話すことができるが、あまり体力を使わせない方がいいだろう。

 普段──いや、今までまともに「会話」というものをしたことがなかったチューモンにとって、彼らとの触れ合いはあまりに新鮮なものだった。
 正直、楽しかったと言ってもいい。そこに変なプライドはない。ただエサをこぼしてくれる存在としか見ていなかった人間にも、興味が沸いた。

 こっそりとアタリの牢に入る。眼下には、すっかりと血色の良くなった子供達。

「重宝されるってことは、城主に渡す?」

 なら、城主に捧げられる事の無い彼らは、ここの手下が使うのだろうか。それならもう少し大事にされてもいいのではないか?
 それとも城の食料難はそこまで深刻だっただろうか。──ハズレの牢の人間を生かしているのは、また違う目的の為なのかもしれない。

 などと考えながら周囲を見回す。
 床は暗闇で塗り潰されているが、自分の目ならよく見える。所々に転がっている食べこぼしを見逃さない。人間にとっては残りカスでも、自分にとってはご馳走だ。
 今までもそうしてきたように、こっそりと頂いていく。そうして腹を満たしてから、「あの二人にも何かに持って行ってやろうか」と、子供達のポケットを入念に覗いてみた。

 残念ながら人間の腹を満たす程の収穫は無かった。チューモンはそっとハズレの牢に戻る。
 ぐったりと眠る誠司と手鞠。その寝顔は、不思議と他の子供より元気そうに見えた。ほんの、僅かだが。

「……お母さん、お父さん……」

 手鞠の寝言に顔を曇らせ、彼女の額に背をもたれる。
 ピリピリと肌に走る刺激感。これが何なのかは分からないままだったが──身を任せていると、不思議と心地良く思えた。




◆  ◆  ◆



 いつぶりになるだろうか。ハズレの牢での食事の時間が訪れた。
 相変わらずの様子で、フーガモンは食事の入った袋を投げ入れる。量は非常に少ない。一つずつ分ければ誰かが食べられなくなる。
 しかし誰も、食糧を争うような体力は残ってない。口がまだ動く者同士で力無く話し合い──容態が特に悪い児童へ優先し与える事とした。

 誰かと会話するという久しぶりの行為。
 それにより──子供達は改めて、自身らの現状を思い知る。

 もう、危ないと。

 何がと言われれば、勿論この状況ではあるのだが。一部の子供の容態が悪化している事には、流石に誰もが危機感を覚え始めた。
 栄養も熱量カロリーも得られず、水分すら満足に摂れていない。脱水と栄養失調は既にその兆候を見せている。
 そうして抵抗力も免疫力も低下していく中、置かれた環境はひどく不衛生だ。便器が落下式である事も相まって、感染源が間近に堆積している状態である。通気口はあっても換気扇が無い空間で、未だ感染症が蔓延していない事は奇跡に近かった。何もかも時間の問題ではあるのだが。
 衰弱していく者。ストレスで頻繁に胃液だけを吐き出す者。一部の子らはフーガモンからのダメージもあり、もう食べ物を飲み込む事すら困難になっていた。

 ────このままじゃ危ない。それに、この子だけじゃない。

「ぼくらもそのうち、こうなるんだ」

 誰かが言った。言わなくても皆、漠然と理解していたというのに。




 食事をしてしばらく。子供達が再び眠りにつくと、チューモンがこっそりとやってくる。

「チューモン」

 手鞠が掠れた声で、ごめんねと謝った。

「……何で謝るのさ」
「チューモンの分……残して、あげられなかったの」
「何が」
「ご飯……」
「宮古さんと俺、別の子にあげちゃったんだ。それで……」
「……ああ」

 なるほど、と思う。

「気にしなくていいよ。ウチお腹いっぱいなんだ」
「そ、そうなの……?」

 アタリの牢でカスを拾って食べていたから、とは言えない。
 もう一方では食べ物を十分に与えられている。それを知らせるのは、きっと残酷だ。

「……蓄えがきくからね」
「そっか、ネズミだもんな」
「ネズミって言うな。それより、よく他の奴にあげる気になったね」
「……」

 二人が口を閉ざす。視線の先には、ぐったりと横たわった子供達。

「……わたしたち、……もう、だめなのかな」
「……」
「…………オレ、まだ諦めたくない」
「──ついこの間まで元気だったのに、いきなりどうしたんだい」
「……あの子たちに……看病も、何もしてあげられないの。どうしたらいいかわかんなくて……わたしたちも、そのうち動けなくなっちゃうんじゃないかって」
「でも宮古さん、他の場所の皆はそんなことなさそうだよ。声も結構聞こえてくるし……」

 それはお腹いっぱいで元気だからだよ、と、チューモンはこぼしそうになる。

「……ていうか。ここの奴ら皆ろくに動けなくなってるのに、なんでお前らは平気なのさ」

 雑談など体力の浪費でしかないと言うのに。そんな行為をしているのはこの二人だけだ。
 多少、衰弱しているのは確かだが、等しく過酷な状況の中で──どうしてこの二人だけが体力を残していられるのか。
 しかし二人は「わからない」という顔をする。まあ、そうだろう。

「悪いね。ウチが何かしてやれればよかったんだけどさ。……そう、せめてなんか騒ぎでも起きてくれれば、どさくさに紛れて鍵を探したりもできるんだけど」
「……で、でも……もしここから出られても、外にまでは出られないんでしょ……?」
「そうなんだよ。手鞠たちがウチくらいの大きさだったら、希望もあったんだけどね」

 仮に奇跡が起きて城の外に出られたところで、危険が待っていることに変わりはないのだが。

「……わたしたちが帰れても、皆が残りっぱなしなのはだめだよ……」
「仮の話さ。アンタら二人を出してやるのだって出来ないんだ」

 自分が大きくて、成熟期だったら。それでいてとても強かったら。きっと助けてあげられたのだろう。  ──なんて夢物語。自分がそんな立派なデジモンなら、そもそもこんな城で残飯を漁ったりしていない。
「…………なあチューモン、その……騒ぎって、起こるとしたらどんな時かな」
「は?」
「……やっぱり諦めたくないんだ。大丈夫って、ちょっとでも思えるなら……」
「それって逃避じゃないの?」
「……って、何?」
「……あー、いいや」
「チューモンはこの城にずっといるから、オレたちより、たくさんのこと知ってる。だから……教えて欲しいんだ。何も知らないままは嫌だよ」

 そこに少しでも、希望があるなら。すがるというよりは信じたかった。
 誠司の瞳は真っ直ぐだ。チューモンは少し考えるように頭を掻くと、注意深く周囲を見渡した。顔を更に近付けるよう促す。

「……そうだね。────もし騒ぎが起きるとしたら、可能性は多分、二つある。
 一つは中で反乱が起きること。でもこれはゼロに近い。だって今、詳しくは知らないけど……ここのヤツらは籠城してる。外に出たくないんだ。内乱なんて起きても誰も得しない」

 あくまで身を潜め生きているチューモンは、外界のことも城内の事情も詳しく知らない。故に毒についての知識は無く、それが原因で城が閉鎖されている事も知らなかった。

「二つ目は──外から、誰かが攻めてくる事が。これはウチが生まれてからも何度か起きた事がある。まあ全部、城のお偉いさんが倒してるけどね」
「……偉い人って? 総理大臣とか?」
「何それ? とりあえず、今はそいつも城にゃいないよ」
「! じゃあさ……じゃあさ! もし今、外から誰か来たら、オレたち助かるかもしれないよな……!?」
「それは保証できないし、言い切れない」
「……そ、そうだよね。それに、外から攻めて来る人がいるなら、外も危ないってことになるんじゃ……」
「ああ手鞠、ウチもそう思うよ。それが助けなら別だけど」

 その一言に、誠司の目が輝いた。

「ちょっと。誰が助けにくるっていうのさ」
「それは……。……例えば、その…………ユキアグモンとか……」
「……そのユキアグモンって、成熟期じゃないだろ」
「せ、成熟……? ううん、小さいから、まだ子供だと思う……」
「……あながち間違ってなくもないけど、まあ、多分成長期か、最悪幼年期か。どっちにしても期待できないね。そもそも、そのユキアグモンだけでどうやってここに来るってんだ。来たところでお前らをどうにかできるわけないし」
「でも……! 警察と来たりとか、あるかもしれないじゃんか……! だってユキアグモン、チューモンみたいに喋れるんだよ。それにあっちに残してきたんだ。オレの家まで帰れてたら、もしかしたら……」

 そこまで言って、はっとする。

「……──そうだ。オレ……ユキアグモンが色んな人に見つかっちゃいけないようにって、思ってたのに……隠してたのに……」
「なあ、なあ誠司。ウチも悪いと思ってるよ。希望ぶち壊すことばっか言って。でも変に期待する方が傷つくんじゃないかって、思ってるんだよウチは」
「……」
「……海棠くん?」
「……母ちゃんとか、もしかしたら、一緒に暮らすの許してくれたんじゃないかなって……。あいつのことちゃんと、言っておけばよかった。メモでも電話でもなんでもいいから言って、父ちゃんと母ちゃんに、あいつのこと守ってもらえば良かった。そうしたらユキアグモンも隠れる必要なかったし、オレがいなくなったことだって、ちゃんと言ってくれたかもしれない……オレがちゃんとしてたら、何か変わったかもしれないのに……!」
「……海棠くんは、ユキアグモンのこと、守ってたんだね」

 ポロポロと、誠司の目から涙が溢れてくる。

「……だって、見た目が恐竜なんだ。本当にティラノサウルスの赤ちゃんみたいで、チューモンみたいに物陰に隠れられる大きさでもなかったし、恐竜なんて絶対に騒ぎになるし、だから────」


 ──────“どうして……! どうして誠司と……!”


「見つかっちゃいけないって、思って…………あれ……?」


 “本当に何でもないからさ! ほら、具合悪くなるからもう帰った方がいいって!”
 “なんでデジモンがそこにいるんだ! リアライズゲート見たのか!?”
 “!? 何わけわかんないこと言ってんの!? とにかくごめん! 今は帰って!”


『誰にも言うな……! 言わないでくれよ! 落ち着いたらお前には話すから! そーちゃんなら大丈夫だろ……!?』



「──あ……」

 思い出した。

「……」

 どうして忘れていたんだろう。
 友達がプリントを届けに来てくれた──あの時に、

「……なんで……なんで! オレ、なんで忘れてたんだよこんなこと……!?」
「海棠くん……?」
「そーちゃん……そーちゃん……! 蒼太が……!」
「おい手鞠、こいつヤバイんじゃないの?」
「……矢車くん、どうかしたの……?」
「知ってたんだ! そーちゃんが!! でもどうして……!」
「え、え!? 何を……」
「ユキアグモンだよ……! だってそーちゃん、オレん家に来て、その時言ったんだ……!
 そーちゃんユキアグモン見て『デジモン』って言ってた……!!」

 ────耳を疑ったのは、手鞠もチューモンも同じだった。
 泣きじゃくる誠司の告白に手鞠は狼狽え、混乱する。一方チューモンは、それが意味する事について必死に考えていた。

 どうしてデジモンを知っている人間がいる? ユキアグモンという種族を見て、それがデジモンだとすぐ判断できた人間がいる?
 誠司は、ユキアグモンがデジモンとは知らなかったのに。そいつはそれさえ知っていた。
 何が起きているのか。何を知っているのか。────わからない。なら、聞くしかない。

 誰に?

「──おい誠司。そのオトモダチ、今どこにいるんだい?」
「…………わからない。でも、多分ここにはいなかった。きっと来てない。……来てないなら、きっと、こっち側にはいないんだ」
「そいつ、絶対に変だ。何か知ってるかもしれない。もしかしたらそいつの仕業だってことも……」
「何言ってんだよ……! なんでそうなるの!? そーちゃんがそんなワケないじゃんか……!」
「だっておかしいじゃないか。人間の世界にいるのにデジモンのこと知ってるなんて」
「そんなのオレだって、ユキアグモンに会ってたよ!」
「ちゅ、チューモン。矢車くんほんとに良い人で、そんなこと絶対……」
「話してみなきゃ。ウチはそいつを知らないから、ちゃんと話してもらわないとわかんないよ。……なんとかそいつと話せないの?」
「……連絡先ならわかるけどさ。電波が……」
「やってみなきゃわかんないだろ」
「だって、今までだって……」
「いいからやってみなって」
「……」
「海棠くん……」
「……ど……どうしたらいいのか、オレもう、わかんない……」
「もう一回だけ、やってみればいいんだよ。それでダメならウチも何も言わない。諦める前に、やれる事はやらないと────この世界じゃ生き残れないよ」
「…………」

 もう一回。
 そうだ。多分、これで最後だ。そんな気がした。──そうだよ。オレだって希望を持ちたい。ここから出られるかもしれないって思っていたし、今も思いたかった。

 手が震える。ひどく震える。うまく力が入らなかった。ポケットから携帯電話を取り出し、落としそうになりながら電源をつける。
 画面が光る。握りしめた本体が、あっという間に手汗で濡れた。

 日付は進んでいた。ほんの少しだけ、進んでいた。最初の日付から二日近くが経っていた。────ああ、やっぱりおかしい。でも


「電波が……」


 その後は、言わなかった。
 ただ、震えながら、電源を落とすことなく指を動かした。

 そして







「そーちゃん」









第十三話  終




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