◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆





 夜と朝の境界。
 生物の活動が一度終わり、再び始まるまでの静かな時間。

 穏やかな静寂を掻き消すように、聴き慣れた電子音が不自然に鳴り響く。
 それが合図。白み出した空に夜が飲まれるように、離れていた時間が重なった。





*The End of Prayers*

第十四話
「Daybreak」






◆  ◆  ◆



 その声が聞こえた時。

 ──いや、その前に、電話の音を聞いた時。
 蒼太の鼓動は早く、響き渡る電子音に混ざって高鳴っていた。
 コロナモン達もまた、息を飲む。しかし驚きながらも感心するような眼差しを、使い魔の黒猫に向けていた。

「──」

 ウィッチモンは何も言えなかった。

 デジタルワールドと亜空間とでの交信は、確かに行っていた。蒼太と花那の持つ端末と常に通信できるように。
 でも、それだけだ。
 あの子達以外の──ましてや遠く離れた場所の誰かと繋げられるようなものなんて、作っていない。

 自分じゃない。



◆  ◆  ◆



『そーちゃん』


 その声は、震えていた。
 掠れていた。か細かった。よく知った明るさを微塵も感じさせない程に小さくて、自分の心臓の音で消されてしまいそうだった。

「誠司……」

 どうして電話が繋がったのだろう。さっきまで圏外だったのに。
 もしかしたら城に近づいている証拠なのかもしれない──そう思って、胸に小さな安堵が宿る。

「……」

 しかしそれから、蒼太は一歩、会話を始める為の言葉を見つけられなかった。
 どう声を出せばいいのか。何から話せばいいのか。自分は何を聞けばいいのか。電話の向こうで誠司が泣いている。

「誠司……。……なあ、今……」

 どこにいるの?
 ────聞こうとするが、自分はその答えを知っているじゃないか。

 どこにいるのか? それは知っている。
 何があったのか? それも知っている。
 なら今、彼に何を聞くべきなのだろう。

『そーちゃん!』

 大きな声で呼ばれ、蒼太は我に返った。

『ねえ今どこいるの!? 家!?』
「……ち、違う。家じゃなくて、でも……」
『警察……! すぐ電話して! ケータイ全然使えなくて、皆のもダメで、ほんとにこれが初めてで、いつ使えなくなっちゃうかわかんなくて……!』
「……警察……」

 ──だめだ。そんなことをしたって、きっと何にもならないんだ。蒼太は胸の中で呟く。
 大人達は騒ぐだけ。何も出来やしない。柚子さんがそれを証明してくれた。仮に何か出来たところで、きっとここには来られない。

『そーちゃん?』
「あ、ご、ごめん。えっと……、……そのさ、大丈夫……?」
『え?』
「ほ、ほら、いきなりいなくなったから……。……皆、心配してる」
『……なんて言ったらいいかわかんない。大丈夫だけど、全然大丈夫じゃない……!』
「……うん」
『オレ、自分がどこにいるかもわかんないし、今そっちがどうなってるとかもわかんなくて……。……そうだ! オレらのこと、ちゃんとニュースになってる!?』
「……うん。ちゃんとやってた。皆がいなくなったって……誠司たちがいなくなった次の日に、学校も皆も大騒ぎで……」
『ほんと!? よかった……!』
『──ちょっと! いい加減に静かにしな。でかい声出したら騒ぎになるじゃないか』

 聞こえてきた見知らぬ声に、蒼太は目を丸くさせた。

「誠司、誰の声? そこ、皆いるの?」
『皆? 皆ってどこまで……えっと、ここにはオレと宮古さんが……』
「宮古が……!?」
『そ、そう! お前のこと知ってるって言ってたよ! オレ、宮古さんと一緒にいて……。なあチューモン(・・・・・)、どこから話せばいい……?』
「……手鞠」

 花那が蒼太の腕を掴み、寄せた。

「手鞠!!」

 そして叫ぶように、電話の向こう側に届くように、はっきりと呼んだ。

『……花那ちゃん?』

 少しの間を置いて、よく知った声が耳に響く。花那の目に涙が滲んだ。

「そうだよ! ここにいるんだよ! 大丈夫なの!?」
『どうして……!? 花那ちゃん……!』
「……よかった……!」

 電話越しの再会を喜ぶ姿、映画であれば感動的な場面となった事だろう。
 しかしその様子を、コロナモン達はどこか喜びきれない表情で眺めていた。誠司と手鞠の生存が確認できた事は、デジモン達にとっても喜ばしい事ではあるのだが──。

 その時。ウィッチモンの使い魔が、花那の腕へと這い上がる。

『──ワタクシと代わって下サイ』

 ひどく落ち着いた声。蒼太と花那に、再び緊張の糸が走った。

「……蒼太、電話を」

 コロナモンがこちらを見ている。代わってあげてと、申し訳なさそうな顔で。

「…………ごめん誠司。ちょっと、電話代わる」
『え!? ……あ、村崎と宮古さん?』
「違くて、その……」

 ──伝えたい事も聞きたい事も、たくさんあるだろう。それを話させてあげる事はおろか、再会を喜ぶ時間もろくに与えてやれない。
 コロナモンとガルルモンは、自分達の無慈悲さに嫌気が差した。ユキアグモンだって誠司と話したそうに、ぴょんぴょんと跳ねまわっているのに。

 影のように伸びた黒猫が、携帯電話に巻き付いた。

『初めまシテ。あなたは、カイドウセイジ?」

 地下牢で誠司は目を丸くする。
 知らない人が電話に出てきた。蒼太と一緒にいるのだろうか? 外国籍の女性に話しかけられているような感覚だった。

「……え……? えっと、どちら様……」
『ワタクシは協力者デス。──安心シテ下サイ。ソウタから話は聞いておりマスので』
「は、はい……」
『それと、警察は既に事件を把握シテいマス。捜査も着実に進められているかと』
「本当!? ……でもお姉さん、ここ、普通の場所じゃないんだ! 来てもらえるのかな……」
『大丈夫デスよ。助けに行けるよう、しっかり準備もされていマス。だから、もう少しだけ辛抱シテ下サイね』
「……! はい……!」

 助けが来ると分かり、誠司の声には活気が戻っていた。

『しかしまだ、こちらが得た情報は多くはありまセン。けれど幸運にもこうシテあなたと話が出来た。少しだけ、伺ッテも宜しいでショウか?』
「もちろん! オレでよかったら……!」
「……おい、友達と話してんじゃなかったの」
「そーちゃん、大人の人と一緒にいるみたいなんだ!」
「お、大人の人……? 警察の人ってこと……?」
「わかんない……。でも、オレたちのこともわかってるみたい!」
『モシモシ?』
「は、はい!」

 まだ牢の中にいるというのに、まるでもう救出されたかのような気分だ。もう、希望なんて持てないと思っていたのに。

『まずはそちらの状況を教えて下サイ。牢屋の中には貴方とミヤコテマリを除いて、どれだけの子供達が収容されているのデスか?』
「ま、待ってて下さい。えっと……──二十六人です。オレたち以外が。でも向こうの牢屋は、もっとたくさんいるから……」
『わかる範囲で構いまセンよ。具合や体調は? 皆、無事デスか?』
「……わ、わかりません。でも全然、良くないです。最初に怪我させられた奴とかもいたし、腹へって倒れてる奴とかも、いっぱいいて……」
『──怪我をさせられた? 誰に』
「…………信じてもらえないかもしれないけど……鬼みたいな奴がいるんです。肌が真っ赤で、なんかそれっぽいパンツはいてて、黄色と黒の縞々の……」
『牢番デスか。……今でも牢にいるのデスか?』
「う、ううん。今はいないです。ご飯の時だけ来ます。最近は何もしてこないけど……オレたちが喋ると怒ります」
『──そのご飯は、きちんともらえていマスか』
「…………」
『……最後に食事を摂ッタのは?』
「……日にちとかの感覚、わかんなくなっちゃって。もう、どれくらいとか……」
『先程、倒れている子供もいると言いまシタね』
「は、はい。……皆ずっと寝てるんです。あんまり動かなくなっちゃった。オレたちはまだ、マシだけど……ずっと、頭がボーッとする……」
『……わかりまシタ。こちらも急ぎマスので、どうかもう少しだけ頑張ッテ。大丈夫デスから』
「…………はい」
『ところで、そこにはミヤコテマリともう一人、いらっしゃいマスね?』
「え? え、えっと、チューモンは、その……そう、違うんです! これ、えっと、あだ名っていうか、なんていうか」
『その子にも話を伺いたいので、代わッテ頂けマスか?』
「…………わかりました」

 そのまま携帯電話をチューモンの前に置いた。

「……なにこれ」
「チューモンにだって」
「は? 何で?」
「お姉さんが話したいって……」
「こんなでかいの持ちながら話せないよ」
「スピーカーもできるけど……」
「でも海棠くん、そうしちゃうと、色んな子に聞こえちゃう」
「いいよ。そこの壁使うから。ちょっと待ってな」

 電話を担いで、隅へ。壁に立てかけ、少々的外れな位置に耳をくっつけながら問う。

「──誰なのさ。悪いけどウチ、子供じゃないから。話してもあんま意味ないよ」

『だから伺うのデス。チューモン。アナタという個体は存じまセンが、その種族については存じていマス』

 種族、と。電話の向こうの女は言った。まるで自分が、人間でない事を知っているような────

「……お前、誰?」

 電話越しに相手を睨む。その相手は決して無駄に勿体ぶらせることなく、淡々と言い放った。

『ウィッチモンと申しマス。初めまシテ、小さな同胞』



 亜空間の中で、柚子は緊張しながらその様子を見守っていた。
 ウィッチモンの表情は、穏やかな口調の反面、海棠誠司からの着信があった時から変わらない。強張ったような、しかし慎重で真剣な顔。

「余計な混乱を招く訳にはいかなかッタので。子供達には、自身がデジモンである旨を控えさせて頂きまシタ」
『……。……これは誠司が仲間にかけた電話だろ。なんでアンタが、その仲間と一緒にいるんだ』

 幸運な事に、チューモンは空気を読めるタイプのようだった。こちらがデジモンである事を控えたまま話を続ける。

「それは、子供達の為に」
『は?』
「こちらの子は、ひどくセイジとテマリを心配をシテいる。友の現状を把握し、一刻も早く安心をさせテあげたいのデス。是非、貴女からのお話も伺いたく」
『……はあ』

 ──最初に誠司がチューモンの名を出した瞬間、ウィッチモン達はすぐに、彼らが現地のデジモンと行動を共にしている事を理解した。
 ここで疑問が生まれてくるのだ。──尤も、先程自分や蒼太が話した相手が『本物の海棠誠司』たることを前提としているのだが。

「そこの二人とは仲が良いのデスか?」
『……別に、普通だけど』

 こちら側のブギーモンによる推測──子供達の誘拐が、彼らを城主もしくは家臣のパートナーとする事を目的とするならば。城のデジモンがこうして子供達と共にいる事自体おかしいだろう
 一方が拒絶していない限り、接触すればその人間とデジモンはパートナーとして繋がってしまう。領主を差し置いて、そんなフライング行為が許されるとは思えない。

「そうデスか。しかし安心しまシタ。貴女という新たな友人が出来て。子供達だけではあまりに心細いでショウから──」
『待ちな。ウチの質問への答えが曖昧だ。いくら誠司の仲間って言ってもさ、デジモンと関わってるなんて普通は有り得ないじゃないのさ。……アンタら、どうやってそっち・・・に行ったんだい』
「…………我々は、そう、偶然の出会いなのデス。簡単に言ってしまえば。ワタクシも皆、それぞれが別にリアライズして──彼らと出会い、親しくなった。それだけの事」
『リアライズ?』
「人間の世界へと行く事デスよ。ご存知ありまセンでシタか?」
『悪いけど学が無いんだ』

 城のデジモンにも関わらず、リアライズの事を知らないのは意外だった。それとも、作戦に関する事項は一部の者にしか伝えられていないのだろうか?
 しかしフライングの危険性を孕む以上、無知の兵を地下牢に送るとも考えにくい。無知を装った見張りの可能性もあるが、それにしては二人と距離が近すぎる。

「……でもウィッチモン。このデジモン、二人のこと凄く心配してそうだよ」
「……」

 ──正直に気持ちを述べるならば、自分も柚子同様、そう思いたかった。
 いや、むしろそうでなければまずい。敵であった場合、こちらが迂闊に動けなくなってしまう。

『まあ、とにかくわかったよ。ウチの奴らもそのナントカをやった訳か。案外どのデジモンでも出来るんだな』
「そのようデスね。……改めテ伺いマスが、子供達には食事はどれ程与えられテいたのデスか」
『カスの塊みたいなやつが、一日一回ありゃいい方だ。ウチにとっちゃ贅沢だけどね。水もあるよ。汚いけど』
「……貴女から見て、子供達の様子は?」
『さっき言われた通りさ。そんで二人はマシな方。喋れるし、起き上がってる』
「他の子供は違うのデスね。具体的に、例えば嘔吐や意識の消失といったものは」
『そんなずっと見てるわけじゃないから知らないね。寝てる奴は多いけど、死んじゃいないと思うよ』
「わかりまシタ。そちらに関してはまた後程、そちらのお二人から伺うことにしマス。……チューモン、貴女がいて良かッタ。助かりマス」
『おもりじゃないよウチは』

 チューモンは電話越しに苦笑した。

「ところで、貴女は彼らとどう出会ッタのデスか?」
『……大したもんじゃないさ。食い物探してた流れだよ。人間に興味があったわけじゃない』
「貴女はそこで暮らすデジモンなのに、食料が無いのデスか? 意外と城は厳しい状態なのデスね」
『そうじゃない。ここで生まれたってだけで別に仲間じゃないんだ。こんな汚い奴にわざわざ飯なんかやらないよ』

 引き出した発言に、ウィッチモンは「なるほど」と顎を触った。

「……城の外に逃げようとは思わなかったのデスか?」
『ウチみたいな成長期が外に出たら一時間も生きてけないよ。だったらここで隠れてた方がまだ安全ってもんさ。
 領地だなんて言っても無法地帯だ。窓から眺めるだけでも分かる』
「……ワタクシ達の知らない世界も多いという事デスね。しかし一方で、貴女の知らない世界もある。リアルワールドもその一つデスが……」

 畳み掛ける。案の定、チューモンは「何が言いたい?」と食いついて来た。

「平和な世界がある、という事デスよ。貴女の傍にいる二人の世界は、そちらと違って美しい」
『……。……アンタは今、そのキレイな所にいるって言うの?』
「現状、ワタクシ達の所在についてはお話でき兼ねマス」
『なんだよそれ』
「こちらの事情デス。……ああ、チューモン。申し訳ありまセンがワタクシ、一度こちらを離れなくてはなりまセン」
『は!?』
「別件がございまシテ。ま連絡を取らせて頂きたい」
『いや、ていうか……。……まあいいや。無理にしてくる必要ないけど。遅くなってこいつらどうなっても知らないよ』
「その件に関しては、厚かましいことを承知でお願いをさせて頂きマスが──連絡はそちらからかけて頂けまセンか?」
『いつ繋がんのかわかんないのに?』
「こちらから連絡を取った際、万が一見張りが来ていたら子供達にとって命取りとなりマス。少し時間を置いて、貴女から電話をして欲しいのデス」
『…………チッ。わかったよ。でも、少しってどんくらい』
「貴女が周囲の安全を確信シタ時に。では、後程」



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