◆  ◆  ◆



「じきにフェレスモン領へ入ります」

 何度も“処理”を行い、子供達の目を“砂埃”から守り続けていった先。
 ピーコックモンは少し疲労を感じさせる声で、しかし落ち着きながら言った。

「領地といっても、我々のメトロポリスのように統制されたものではありませんので、どうか気を引き締めて下さい。もし一帯に毒油の汚染が確認された場合は、別の経路を探します」

 案内されるがままに走り続けたガルルモン達は、改めて景色に意識を配る。
 それまでの荒野──礫砂漠と土砂漠の間のような地形の先に、人工的な建築物の影が微かに伺える。デジモンより視力が劣る蒼太と花那には何も見えなかった。

 領地と外部の境界まで辿り着く。遠くに見えた影は、境界を囲う石壁であった。高さはそれほどなく、ガルルモンであれば簡単に飛び越えられるだろう。

「……造りも粗い。俺でも壊せそうだ」
「これはあくまで目印みたいなもんだ。外敵から守る為のものじゃない」
「……メトロポリスにも城壁は無かったね。毒が出る前は、君たちがいたから安全だったのかな」

 そう見上げるコロナモンに、ラプタードラモンは苦笑した。

「都市の付近は治安もそこまで酷くなかったし、何より警備が厳重だった。でも守ってたのは俺たちじゃなくてアンドロモン様さ。
 あの毒まみれの場所……お前たちに渡し橋を出した所な。あそこは元々、外部からの侵入があった時に、アンドロモン様が遠隔で対処を行う場所だったんだ」
「……」

 自分の力で守っていたのか。あの巨大な都市を。

「先に領内の汚染状況を確認してきます」

 ピーコックモンはそう言うと領内へ飛んで行く。青い翼は、あっという間に霧に隠れて見えなくなった。

「……俺がやってたゲームでさ、こういう場所見たよ。途中に村があって、城の周りだけ町になってるんだ」
「大体、当たりだな。俺も領内全部を見た事は無いが──外部に近い辺境ほど廃れて、城に近付くほど栄えてる。領地ってのはそれぞれに特徴があるもんだが、メトロポリス以外の領には共通してるものがあってな。領地がどれだけ広くても、本拠地はあくまで城とその近辺だけ。他は生産用の土地さ」
「えっと、デジモンが農民みたいになってるってこと?」

 花那が首を傾げる。ラプタードラモンは「そんな感じだ」と頷いた。

「領に住めりゃ外より死ぬ確率は下がるが、食い合い自体は無くならない。それでも弱いデジモンは、こういう所で働くしか生きる術が無いんだ」
「……そうなんだ」
「多分さっきのチューモンってやつも同じなんだろう。──それよりピーコックモンの奴、遅いな。何やってるんだ?」

 子供達の表情に不安が宿る。ラプタードラモンは変わらない表情で「いや」と続けた。

「何かあれば分かる。大丈夫だ」

 辺りは風の音さえしない。音を遮る建物も見当たらない。ガルルモンはそれに違和感を覚えた。
 どうしてこんなにも静かなのだろう。誰かいれば、何かしら音が聴こえてくる筈だ。それに、デジモンのにおいも感じない
 ……感覚を澄ませた。デジモンでも毒でもない、何か別のにおいを感じ取る。

「────鉄と、土と……炭……?」

 炭? と、コロナモンが聞き返した時。ラプタードラモンの視線が再び上空へと移った。ピーコックモンが帰ってきたのだ。

「ピーコックモン。どうしてこんなに時間をかけた? 何かあったか?」
「……いえ、何も」
「敵になりそうな奴はいたか?」
「……いませんでした。入っても問題はないかと」
「よし。じゃあついてこい。後ろの奴ら、振り落とされんなよ」

 ピーコックモンとラプタードラモンに続き、言われるがままにガルルモンは壁を飛び越えた。
 いとも容易い。それまでと変わらない地面に着地をする。──少しだけ、歩く。前の二体が何も言わないので、そのまま進む。
 花那がきょろきょろと見回して、不思議そうに言った。

「ここ、何もないね」



◆  ◆  ◆



 よく観察をしてみれば、そこには建物の跡があった。
 焼けた壁が落ちていた。鉄骨のようなものが落ちていた。そんな僅かな瓦礫と、壊れた建物の亡骸が点々と散らばるだけ。
 何も無いから、遠くまで景色が良く見える。生きている建物など何もない。──同じく機能を失った廃工場都市(メトロポリス)とは決定的に異なる何かを、コロナモンとガルルモン感じていた。

 都市が廃墟と化した理由は、毒の汚染によって生息が不可能になった事に因る。加えて汚染個体達との戦闘。あらゆる破壊が重なって、あの有様となった。
 対してこの地域は、むしろ汚染の形跡はほとんど見られない。毒の気配に敏感なコロナモン達ですら何も感じない。

 ──多少なり生活があったであろうこの場所には、花那の言う通り何もない。何一つ、まともに残っていないのだ。

「……多分、この辺で大きな火事があったんだ」

 ガルルモンは再び、スンと鼻を鳴らした。

「でもにおいが薄くなってるから、その後に普通の雨が降ったんだろう。きっと毒のせいじゃない」

 それから、前を飛ぶ二体に視線を向ける。

「どう思う?」
「……どうもこうも。少し遠くまで見てきましたが、ずっとこの景色でした。きっと、城の近くまで同じですよ」

 だからこのまま進んでも大丈夫──と言いたいわけではなさそうだった。

 城まで一帯、何もない焼け野原。城だけが残り、守られている。
 風化には遠い状態の瓦礫。たくさんの何かが焼けた残り香。
 ──ガルルモンは、ようやく気付く。

「……まさか。……先に、殺しておいたのか……?」

 領地に毒が入る前に。広がる前に。本拠地である城に、それが及ぶのを防ぐ為に。
 先に焼いてしまえば、少なくとも領地内で汚染は発生しない。デジモンからデジモンへの汚染だって。

 ────以前はどんな姿をしていたのだろう。もうわからない更地を、薄暗い陽光が雲越しに照らす。


 日は既に昇りきっていた。
 気温が徐々に上がり、焼け跡のわずかなにおいが蒸れて漂う。

 僅かに晴れた霧の向こう。西洋の城のような建物が、姿を現した。






◆  ◆  ◆






 下半身を影絵の様に伸ばして、使い魔の黒猫は飼い主の袖から現れた。

 するり、するり。床を這う。そんな猫を、転がっているブギーモンが睨むように目で追っていく。
 相変わらず塞がれた口でモゴモゴ何かを言ってみる。しかし猫はブギーモンには目もくれず、そのまま奥の襖へと入って行った。

 隙間から忍び込んで、背後からジッと。画面に向かうみちるとワトソンを観察する。

「──みちる。前に聞いた事があるんだ。山で遭難した人の話なんだけど」
「あらやだ遭難なんて危ない話! 自然を舐めたら痛い目見るぜ?」
「普通なら餓死する所だったんだけど、その人、焼肉のタレと川の水だけで何ヶ月も生き延びたって」
「焼肉かー。したことないなー。してみてー! できねー!」
「そりゃそうだ。で、ボクが言いたいのは」
「でも考えてみたまえよワトソンくん」
「何?」
「そんなん持って山行ったってことは山で肉焼くつもりだったんでしょ? 生き残れるわけだよ! タレなんか無くてもきっと平気だったその人!」
「バーベキュー用の肉を山で狩る人、どのくらいいるんだろうね。だからボクが言いたいのはそうじゃなくて、人って意外としぶといんだねって話。だって子供で、成長真っ盛りなのにさ」
「捕まってるキッズの話か! 前振り長いんだからもう! でもウィッちゃん言ってたじゃん? 一応ちょっとは貰えてるみたいだし。乾パンとか? 栄養なさそうだけど、ゼロよりはマシだよねー」

 ケラケラと笑う。笑い事ではないのだが。

「それでも危なそうな子はいるっぽいけど! 平気なのかしらん。ゲート開いても通れなさそー」
「そうなったらとことん大惨事だ。後で全員いるのか確認しないと」
「攫われた人数イコール牢屋の人数にちゃんとなるかねー。ならなかったら悲惨だぜ?」
「あー。……途中で何かあったり? 城に戻る途中で事故とか」
「そしたらもう、どうしようもないよねえ。アタシらじゃどうにもできないし……ん?」

 ふと振り返ると、背後にいた黒猫と目が合った。

「ねこちゃん!」
「猫ちゃん」
「ウィッちゃんの!」
「こっち見てるね」
「いつの間にいたというの! こっちおいで!」

 猫は何度か瞬きをした後、にゃあと鳴いて襖から出て行った。

「逃げられた!」

 そして再び、床に転がるブギーモンの横を這っていく。




 違った。────と、ウィッチモンは思った。


 ウィッチモンは、誠司との電話が繋がった件に関して──この部屋を疑ったのである。
 この二人を、というわけではない。彼らに関しては既に、使い魔が「異常無し」と判断していた。──疑ったのはむしろ、自身が作り上げたこの空間だ。
 成熟期程度の自分が作った空間。デジタルワールドと隔離はされているが、脆い点もあるだろう。この亜空間自体、様々なネットワークに干渉しているのだから。
 空間の網目からこぼれたのだろうか。しかしこの部屋からも奥の小部屋からも、自分が送っている信号以外が往来した形跡はない。

 なら、何故? 何処から?

 コロナモンとガルルモン達がデジタライズした事が、メトロポリスに知られた経緯は?
 今まで繋がらなかった携帯電話。なのに突然、誠司と蒼太が連絡を取ることができた理由は?

 後者は先程疑ったように。この亜空間からの信号のいずれかが──現地の使い魔が城に接近した事で、内部の端末とリンクした可能性が考えられる。
 しかし前者は──仮にデジタライズゲートの発現を確認できたとしても、それだけで「そこに保護対象の人間がいる」とは判断できない筈なのだ。
 もしも最初からブギーモン達の作戦を知っていて、誘拐した子供を横取りするつもりだったなら理解できる。だが、アンドロモン達の言動からもそれは考えにくい。

 そもそも────デジタライズの確認から、ラプタードラモン達を送り出すまでの時間が短すぎる。

「ああ、そうデスわ。ブギーモン」

 口元の拘束が解かれる。ブギーモンがウィッチモンを睨み上げた。

「……何だよ魔女が」
「些細な質問デスよ、悪魔。以前ダークエリアにおける勢力は最低でも五つと仰言いまシタね」
「言ったっけな。ところで水もらっていいか?」
「構いまセンよ。お話し(・・・)の間に使い魔が汲んできマスので」
「…………お前そのうち、そのガキにパートナー切られても知らねえぞ」
「フェレスモンを始め、各領地の長はどのようなデジモンだッタのデスか?」

 台所から、使い魔がわざとらしく水を流す音を立てる。ブギーモンは心底嫌そうに顔を歪めた。

「……俺ら北の領はフェレスモン様。工場都市のアンドロモン。東のレディーデビモン、西のヴァンデモン──南のアスタモン。領主は全員完全体だ。性格までは知らねえよ。俺如きが会える方じゃなかった。
 それに前も言ったが、他の領が今どうなってんのかは知らねぇんだ」
「勢力同士の関係は良好だッタのデスか? どこかの領と協定を結んでイタ、といった事は?」
「別に仲良くねぇけど、勢力争いも無かったな。領同士で衝突した時の損失を考えりゃ当然だ。抗争相手は大抵、お互いの領とは無縁のデジモン達だった。
 何疑ってんのか知らねぇけどよ。そもそも毒が出たって時から、うちの北部領は外と接触しないようにしてたんだぜ」
「……そうデスか。わかりまシタ。また何かあればお聞きしマスわ」

 水を含んで膨らんだ使い魔が、ブギーモンの口に入り込んだ。水は飲めたが顔面がずぶ濡れになったブギーモンを、柚子は気まずそうに見つめている。

「お、お前ふざけんなよ! もうちょっとやり方ってもんがあるだろ!?」
「失礼。手が滑りまシタわ。……あらユズコ、どうしまシタか? ブギーモンの拘束、解いてあげマス?」
「えっ。……じゃ、じゃあ口だけこのまま……」
「ほら見ろ嬢ちゃんは優しいじゃねえか! 見習え!」
「さ、騒ぐならまた塞いじゃうよ! ……ウィッチモンは、どこかから情報が漏れてるって思ってる?」
「……それが、この空間の欠陥に因るものなら良いのデスが。……いえ、それも全然良くないのだけれど」
「ウィッチモンは色んな事いっぱい、考えてくれるから……人やデジモンのこと、たくさん疑わなきゃいけないんだよね。……それは仕方ないんだと思う。でも、あんまりやるとウィッチモンが疲れちゃうよ。……あまり無理しないで欲しい」
「────」

 無垢な目だ。ブギーモン達に未だ敵意を抱きつつも尚、無垢な子供の目だった。

 この瞳を、曇らせてしまうのは心苦しい。
パートナーとして半ば強制的に巻き込んだ以上、自分が彼女を守らなければ。
 しかし自分といる以上、そしてこんな立ち位置にいるからこそ──負担をかけてしまう事もあるだろう。

「……ねえユズコ。ワタクシは貴女を守りマス。あの時、手を取ッテくれた貴女。ワタクシのパートナー。怪我なんて絶対にさせまセン。
 でも──それでも貴女を。貴女の心を、傷つける事になッテしまったら……その時は、ごめんなサイね」

 突然の言葉に、柚子は何度か瞬きをした。けれどすぐに笑顔を浮かべて、「ウィッチモンと一緒なら平気だよ」と、彼女の大きな手を握り締めた。




「あーあ。ねこちゃん触りたかった! どうしたんだろ。おなかすいたのかしら」
「……あれってエサ食べるの?」
「でもねこちゃんだし」
「きっと様子を見に来たんだよ。ボク達ずっと籠ってたし、心配してくれたのかも」
「アタシてっきり『進捗どうデスか?』って言われるかと思ってた! あ、今の似てた?」
「似てないよ。まあ、さっさと終わらせて戻るに越したことはないね」
「リストアップをーアップするぞー。なーんつってなー」

 子供のプロフィールをまとめていく。散らばった個人情報の群れと離れた隅。そっと取り分けられたように──見覚えのある、美しい少女の写真が置かれていた。

「……ずいぶん気に入ってたんだね」
「え? やー、無意識よ。でも無意識ってことは本当の気持ち! やっぱもったいなくってさー。絶対仲良くなれたと思うんだよね」
「珍しい名前だ。名字もなんか、童話みたいというか」
「音楽やってそうな名前だよねー。クラシック聞いてたし!」

「生きてるといいね。あの牢にいるかな。この子だったら、年齢的にも他の子より耐えられそうな気がするけど」
「……んー」
「あれ、苦笑い。期待しないの?」

 ぽりぽりと頭をかく。

「なんていうか、うーん。いない気がすんだよね。勘だけど」
「……そりゃあ、ご愁傷様」
「でも死んじゃった気もしないのよね」
「それも勘?」
「そうさー野生の勘かしら。まぁもし生きてても、あんな怖いのばっかいる場所で生き延びてる気はしないけどね。余程のことがあれば別だけど。残念だなあ」
「なんか奇跡でも起きたらいいけどね」
「起きたらそりゃあ、それこそ御伽話みたいじゃないの」

 王子様が見てみたい。そう言って、みちるは笑った。



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