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 西洋の古城によく似た建造物。
 まるでベールを被せたかの様に、その全体を薄い半透明の膜が覆っていた。

 蒼太はその光景に既視感を抱く。暗闇に敵の本拠地が聳えている様子は、ゲームに出てくる典型的なシーンの一つのように思えた。
 それ故だろうか。目の前に広がるのは間違いなく現実なのに、どこか非日常的に思えてしまう。強いて言うなら、テーマパークや観光地の建造物を眺める感覚に近い。

 一方で、花那はすっかり顔色を青く染めていた。
 お城は少女にとってロマンなのだろうが、生憎とそれを夢見る年頃は終わっている。彼女にとって目の前の城は、ただのおばけ屋敷にしか見えなかった。

 ──また、怖い建物に忍び込むのか。手鞠のランドセルを探す為、蒼太と廃墟に行った日を思い出す。
 ついこの間のことのはずなのに、なんだかとても遠い日のように感じてしまった。






*The End of Prayers*

第十五話
「古城の朝は静かに」






◆  ◆  ◆



「あんなもの、今まで無かった」

 そう、ラプタードラモンは怪訝な表情を浮かべた。城を覆う膜のことを言っているのだろう。ガルルモンが背中の使い魔に目をやる。

「ウィッチモン。何だと思う?」
『何ってそりゃお前、魔除けだよ』

 ブギーモンの濁った声が返ってきた。

『結界って言う方がいいか。俺らブギーモンとフェレスモン様、それとフェレスモン様が許可した以外のウイルス種は蒸発するんだと』
「随分と物騒だな」
『そうでもしねえと全滅しちまうだろ? 要は他のウィルス種どもは城に入らなきゃいいし、出なきゃいいんだ』

 単純な話だ。ウイルス種が毒で死なずに暴走するなら、初めから彼らを入れなければ良いだけの事。

「確かにそうだね。僕らの中にウイルス種がいなくて良かったよ。……土地も焼き払ったのもそれが理由か」
『そういえばそんな事もしたっけな。けど、道理にゃ適ってるだろ』
『じゃあ、城のブギーモンが毒にやられちゃったら? 元々は自由に出入りできるんでしょ?』
『そりゃ嬢ちゃん、もちろん溶けるさ。毒にやられた奴は許可されてようが関係ねえんだ。じゃなきゃ結界の意味がねえからな』

 それを聞いたガルルモンの表情が歪む。──自身とコロナモンは、既に毒を受けている。
 しかし、それを伝えればブギーモンは揚げ足を取ってくるだろう。そう思うと、口には出せなかった。

「……ガルルモン。俺たちは……きっと大丈夫だよ」

 白銀の背を撫でる。自らに言い聞かせるように。

『では、そちらに問題はありまセンね?』
「……俺たちは平気だよ。今のうちに何かしておくことはある?」
「メトロポリスの市民証は持ったな? なら大丈夫だ。
 ……いいか、例え近くに捕まった人間がいるってわかっても、絶対に焦って変な行動はするな。迎えがあるまで落ち着いて行動してくれ」
「あの……作戦のこととか、色々わかってるなら……二人のどっちかでも私たちといた方が、そっちも安心なんじゃないかって……思うんだけど……」

 花那が恐る恐る提案をする。ラプタードラモンは「まったくだ」と首を縦に振った。

「でも、悪いが俺たちは中までは入れない。何せデカいからな」

 冗談交じりに笑う。花那もつられて笑顔になった。

「……それに、ここまでの護衛ってことになってるんだ。それがアンドロモン様のご命令だ。……今だって避難地区の外で、毒を受けたデジモンが生まれてる。その状況で、ただでさえ少ない戦力を減らすわけにはいかないんだ」
「そ、そうだよね。……ごめん」
「謝ることじゃない。……まあ、城に入るところまでは手伝うさ。出だしを挫いたら厄介だ。
 ──そろそろ感知されるぞ。お前たちは、ここからが演技だ。しくじるなよ」

 視界の中、段々と城が大きくなっていく。外観が鮮明に見えてきた頃、誰かの野太い怒声が響いてきた。
 上部テラスに見えた人影。その姿を例えるなら────大砲を肉体に埋め込んだような、牛の頭をした男。

 蒼太と花那は息を呑んだ。牛頭はとても怖い形相で、こちらを警戒していることが此処からでもわかる。
 けれどラプタードラモンとピーコックモンは恐れる様子もなく、「少し待っていろ」と飛んで行ってしまった。どうやら牛頭のデジモンと面識があるらしい。

「……何て名前のデジモン?」

 蒼太が尋ねると、コロナモンは苦い顔で答える。

「ミノタルモンだ。確か、成熟期だった」
「……似た名前のモンスター、ゲームにいたよ。……強いのかな」
「遠距離からも攻撃できそうだし、俺やガルルモンとの相性は悪そうだな。……ラプタードラモンたちの言う通りだ。出来るだけ、戦いは避けた方がいいのかもしれない」

 しばらくして、ミノタルモンと話し込んでいたラプタードラモン達が戻ってきた。

「一つ目の交渉は成立だ。中に入れる」
「僕らのことは何て?」
「協力の件もだが、とりあえずメトロポリスから手土産持って来たって言っておいた。……ちょっと怪しんでたけどな。まあ、なんとか誤魔化した。中で話聞いてくれるってよ」
「そうか……よかった」
「こういう時、今まで築いてきた関係ってのが役に立つもんだな。それに向こうは、早々に外部と隔離したもんだから外の情報が入って来ない。情報提供しつつペコペコしてりゃ、少なくとも襲ってきたりはしないだろうさ。こちらの準備が整うまで作戦通りに粘ってくれ。──あとは頼む」

 ピーコックモンが一度、ガルルモンの傍へ。ガルルモンと、乗っている全員の目を一度見る。

「何度も言います。決して、戦おうとはしないでください。時間を稼いでください。今の我々ではフェレスモンと話し合う以外手段が無い。だから、ゆっくりと時間をかけてください」

 ──仮にコロナモン達が失敗したとして、フェレスモン達が外部との接触を絶っている以上、メトロポリスに直接の害は及ばないだろう。
 しかし迎え得る結果は変わらない。失敗すれば救援は得られず、アンドロモン達がどれだけ都市を守ろうと、いずれ毒で死滅してしまう。──彼らにとって、この作戦はあまりに重要だ。

「頼みます。どうか」
「わかってる。やれるだけやるよ。僕らも死ぬわけにはいかないからね」
「“迎え”は既にこちらに向かっている筈。道中で亡くなっていなければですが」
「……それは安心だ。なるべく早く着いてくれることを願うよ。──それと、ありがとう」
「護衛に対しての謝意は結構です。私たちも命令なので」
「それだけじゃなくて、……アンドロモンや君たちにはああ言ったけど、おかげで僕たちは多分、死に急がなくて済む」
「……。……そうですか」
「まあ、うまくやろうぜ。お互い。無事に双方の利益になるように」

 そして、ピーコックモンとラプタードラモンは高度を上げた。

「あ、あの、コクワモンに……」

 花那が声を掛ける。……だが、言葉に詰まった。よろしくと言えばいいのか、待っててと言えばいいのか。
 すると、ラプタードラモンが目を合わせてきた。しっかりと頷いてくれた。そのまま来た方向へと去って行く。

「あ……」

 二人はあっという間に見えなくなった。花那は、ありがとうと言うことができなかった。



◆  ◆  ◆



「──メトロポリスには案外、お前らみたいなフサフサした奴もいるもんだな。ゴツいのばっかだと思ってたよ」

 応接室に通されたコロナモン達を待っていたのは、予想通り「ブギーモン」であった。もちろん、亜空間に捕獲しているものとは別個体である。
 冗談めいた前置きにすら殺意を感じる程、ブギーモンの表情は冷たい。

「ミノタルモンの奴から大体は聞いてるけどよ。その前に質問だ。
 俺らは毒油の存在をダークエリアで確認してから、すぐにこの城を封鎖した。今回の作戦の情報は外部には知らせてねえ。どうしてお前らは……人間を捕まえた経緯はさて置き、ここに連れてこようと思った?」

 コロナモンとガルルモンの表情は強張っていた。そんな二人の後ろには、手首を縛られた状態の蒼太と花那が怯えた様子で立っている。──幸か不幸か、その様子は演技ではない。

「それにしても、こいつらミノタルモンみてえな腹してんな。これならしばらく飯なくても平気そうだ」

 声を上げて笑う。二人がウエストポーチを服に隠している事には、幸い気付かれていない様子だ。
 ポーチの中には、メトロポリスから持ってきた僅かな荷物が。加えて蒼太のポーチには、ゲート開放用の腕輪が隠されている。……もし奪われれば、牢の子供達をリアルワールドに送れなくなる。悟られないよう、二人は必死で息を潜めた。

「こ、この生き物は、人間っていうんですね」

 コロナモンの口調はたどたどしい。彼も、ひどく緊張しているのだろう。

「都市の近くで見つけたんです。側にブギーモンが倒れてて……」

 もちろん、嘘である。事前に話し合った設定だ。

「……そのブギーモンはどんな奴だったよ?」
「……尻尾が鈎状で……角が片方、欠けてました。声は少し嗄れてて……」

 それは、捕獲しているブギーモンの特徴だった。

「翼に怪我をして、飛べなくなったんだと思います。会話ができたから、多分、毒にはやられてなかった」
「…………はあー。なるほどな。大体どの奴か分かった。で、死んだのか?」
「……」

 二人は気まずそうに顔を伏せる。勿論、元気だ。

「じゃあお前らは、そのブギーが連れてたからこの場所にって思ったわけだ」
「は、はい。アンドロモン……様と話して、連れて行こうと。俺たちが見つけたから、俺たちが行くのがいいだろうって」
「その縄は?」
「……逃げようとしてたから。多分、捕まえるつもりだったんだろうって思って……逃げないように」
「ふーん。……そのでっかい荷物は?」

 ブギーモンが指差したのは、蒼太が背負うリュックサック。不格好なそれの中には、布を被ったユキアグモンが潜んでいるのだが──

「こ、これは……」
「衣服でした。僕らが持っていても仕方がないので、そのままに……邪魔ならこちらで預かります」
「…………俺らの事については聞いてねえんだな?」
「僕たちは何も。こんな生き物を捕まえるくらいだから、目的はあるんだと思いますが」
「まあ、お前らが知る必要はないよな」

 ブギーモンはうんうんと頷く。

「で、そのブギーのやつを連れて来たのと……あとは情報と資材提供だっけか? その見返りに協力してほしいって? 本題はそっちなんだろ」
「……はい」

 コロナモンは手に汗を握った。

「……ここの城が……毒の件があってから、外との交流を断った事は知ってます。被害が全然ないって噂も。……でも、メトロポリスはそうじゃない。もう、ほとんど機能してないんです。生き残ったデジモンたちが避難して……」
「長えよ! もっと掻い摘んで話せ」
「つまり僕たちの街に、この城と同じものを作って頂けないか……もしくは作り方を教えてもらえないか。それで協力をお願いしたいんです」
「あー、そういうこと。ふうん」

 ブギーモンは納得したように天井を仰ぐ。それから、眼球だけを、二人に向けてぎょろりと回した。

「……ところでだ。そのお願いっていうのは、俺らのブギーを見つけてから考えたのか? それとも、見つける前から考えてたのか?」
「……それは、どういう……」

 ガルルモンは言葉に詰まった。ブギーモンの発言の意図を理解するまでに、時間がかかった。

「だからよ。俺らを利用する為に、まさか殺したりしてねえよな?」
「────」

 問題ない、ピンピンしている。……と言いたいところだが、そんな冗談を思い浮かべる余裕はなかった。ブギーモンの表情は、一瞬にしてその敵意を倍増させている。

「……元々……僕たちメトロポリスは……この件で、そちらに協力を頼みに行く予定でした」

 打ち合わせにない言葉を、捻り出す。

「わざわざ殺すわけがない。だって生きてくれていた方が、僕たちにだって都合は良いんだ。……か、介抱もしたけど、駄目でした。だからせめて、この子……人間たちを」
「お、俺たちをそんなに疑わないで。メトロポリスは、必死なんだ」

 嘘を嘘でないように、取り繕う。嘘を吐くのは向こうの方が慣れているだろう。見破られていない事を、切に願った。

「……まあどっちにしろよ、この結界はフェレスモン様じゃないと作れねえし、作るオッケーを出すのも俺じゃねえしな。悪いが俺に決定権はねえんだ」
「……」

 コロナモンとガルルモンは、息をのんだ。

「……その、フェレスモン、様は、いつ帰ってきますか。俺たち、それまで待ちますから」
「は?」
「だから……せめて、話だけでも」
「おいおいおい……アンドロモンが直々に頭下げるってんならともかく、お前らみてえな雑魚を相手にフェレスモン様を出せって?」
「……アンドロモン様は、メトロポリスを出られない。彼がいなくなったらメトロポリスはすぐに全滅する……します。だから俺たちみたい奴しか外には行けない。
 人間も渡したし、外の情報だって、わかることは全部教えるし、だから……」

 声が、指が震える。嘘をついているからか、交渉決裂の可能性を感じるからか、それとも純粋な恐怖か。
 ──歯を食いしばる。ここで食い下がることが出来なければ、水の泡どころか最悪の結末を迎えるのだから。

 緊迫した空気。速まる鼓動。──コロナモンはふと、アンドロモンの言葉を思い出した。

 ────“求められるのは屍の上に敷かれた利益と均衡なのだよ。”
 ────“なればこそ力ある者に手を貸し手を借り、我々メトロポリスは今日まで生きてきた。利益の下に我々は動こう。”

「……」

 そうだ。ここのデジモンは皆、利益の為に動いている。自己の利益の為に。

「……そ、それだけで、会わせてもらおうなんて……思ってない」

 ならば、自分達も──その価値観を利用すれば。

「他にも、何かやります。俺たち何でもやります。だから……待たせて欲しい、です。お願いします。何でも、言う事聞きますから」

 ──すると。その言葉を聞いて、ブギーモンの表情ががらりと変わった。
 いやらしい、汚い笑みを浮かべながら。

「……あー、……どうせアレだろ? 何の手柄も無しに帰ればお前らだってヤバいんだろ? はあぁ、可哀想になあ。でもお前ら、客人対応したのが俺で助かったなあ。他の奴じゃこうはいかなかった。そんなに言うなら仕方ねえ。俺が直々に“歓迎”しながら、フェレスモン様のご帰還を待たせてやるよ」

 突然、ブギーモンが饒舌になった。
 時間稼ぎができると確信し、安堵した一方。生理的嫌悪感にも似た悪い予感が、胸を走った。



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