◆  ◆  ◆



 ────走る。

 見つからないように、音を立てないように。自身が埃と同等だと思わせるように、チューモンはひたすら駆け巡る。

 城内の雑音に紛れながら、ダクトを渡り地下牢を目指す。出口へ差し掛かると一度足を止め、息を潜めて周囲の様子を伺った。
 そしてフーガモンの不在を確認すると、冷たい石の床へ飛び降りる。

「……ちょっと! 二人とも起きてる!?」

 その声に手鞠と誠司は驚いて顔を上げる。

「……おかえりなさい! ずっといなかったから、どこに行ったのかなって……」
「宮古さん、そんな大声出したら……」
「バレた所で、こいつらもう騒ぐ気力もないさ。それよりウチのいない間にフーガモン来た?」
「来てないけど……。何かあったの?」
「よし。よし。じゃあ今のうちだな。手鞠、あの四角いやつ貸してくれ」
「う、うん……!」

 通話ボタンを押し、チューモンに渡す。壁に立てかけ、相手が出るのを待った。

「出ろ出ろ早く……! おい!」
『──繋がっていマスよ。ええ。むしろこちらから差し上げようと思ッテいた所でシタ。鍵は見つかりまシテ?』
「そんなん後回しだ。それより……さっき“新顔”が来た。アンタ、何か知ってるんじゃないかと思って」
『勿論、わかッテいマスとも。デスから貴女には以前のお願いを……特にその二人には、決して彼ら・・の名前を言わせないように。関係性がある事を勘付かれてはいけまセンので』
「……わかった。なんとかさせる」
『お願いしマスね。また落ち着いたらご連絡を』

 通話が切れる。明かりの切れた画面を睨みながら、チューモンは大きく呼吸を整えた。

「な、なあチューモン……今、何話してたの?」
「静かに。……いいかい誠司、手鞠。これから──」

 ────金属の軋む音が、かすかに聞こえた。

「……これからウチが良いって言うまで、絶対に何も喋るな。誰が来ても、誰を見ても何も言うな。……死にたくなかったらね」

 そう言うと、チューモンは手鞠の服の中へ身を隠す。
 どういう事か分からないが、きっと食事の時間が来たのだろう。そう、手鞠と誠司は思っていた。

 ──しかし、すぐに違和感を覚える。いつもなら聞こえる筈の、金属が引き摺られるような音がしない。
 足音だって普段と違う。手鞠は咄嗟にチューモンの名を呼ぼうとして、けれど足をつねられた。チューモンは小声で、「いいから絶対に何も言うな」と念を押した。

 やがて姿を見せたのは、食事番の彼ではなかった。
 以前、自分達に「握手」を強要した──あの赤い化け物だ。

 そして

「……!」

 その後ろを────とてもよく知っている子が、歩いている。

「……! かな……」
「シッ!」

 チューモンが再び手鞠をつねった。

「──あーあ、せっかく連れて来たってのによ。両方ともハズレってどういうことだよ? なあ? そう思わねえか?」

 化け物(ブギーモン)は、子供達の後ろを歩く──まるでライオンの子供ような二足歩行の──生き物にそう言った。

「……は、はい」

 傷だらけの子ライオンは目を伏せながら答える。化け物が顔を逸らすと目線を上げ、前を歩く二人の子供を心配そうに見つめていた。
 連れて来られた子供達は、何も言わない。緊張に顔を強張らせ、けれど嫌がる素振りも見せず──指示されるがまま、牢の中へと入って来た。

「あの、……この子の荷物は、入れないんですか」
「いらねえだろ。かさばるし。後でお前が処分しとけよ」
「……はい」
「戻るぞ。早くしろ」
「……」

 鉄格子の鍵を閉められ、化け物は引き返す。
 足音が遠のいていく。下卑た笑い声が響く。

 目の前まで来た「二人」の手は震えていた。
 呼吸はひどく浅かった。それでも必死に息を潜めて、あの化け物が完全にいなくなるのを待っているようだった。

 ────大きな金属音が響く。
 扉の閉まる音。地下牢を包む張り詰めた静寂。

「……。……もう平気だ。喋っていい」

 それを破るかのようなチューモンの一声。
 途端、堰を切ったように子供達の感情が溢れた。手鞠が花那へ、誠司が蒼太へ。泣きながら、抱き着いた。



◆  ◆  ◆




 ──地下牢は想像以上の有様だった。

 空間を包む程の異臭を放つ子供達は、蹲って、横たわって、ある者は譫言を呟いて、「新参者」に見向きもしない。気付いているのかさえ分からない。
 自分達を迎えたのは、級友である二人だけ。痩せてやつれた青い顔で、泣き腫らした赤い瞳で。
 ──なんて事だろう。あまりの惨状に、蒼太と花那は言葉を失った。誠司と手鞠との念願の再会を、感動の涙と共に迎えることができなかった。



「助けに来た奴にそんな顔されると、こっちも気が滅入るんだけどね」

 それが、「はじめまして」よりも先に出たチューモンの第一声だった。

「っていうか、そもそも助けに来たってことであってる? ただ捕まりましたってことはないよね?」

 訝し気な彼女に、花那が「違うよ!」と声を被せる。牢の中の誰よりも元気な声だった。

「私たち、本当に手鞠を……皆を助けに来たんだよ! ……でも、こんな酷いことになってるなんて、全然思わなくて……」
「……そ、そうだ。俺たちさ、食べるもの持って来てるんだよ。少ししかないけど、よかったら……」

 蒼太は思い出したように、服の下に隠していた荷物を取り出した。
 幸い「そういう体形」だと見逃されたウエストポーチ。その中から食べ物──割れてしまったクッキーや、溶けかけたチョコレートに飴玉を出していく。どれもリアルワールドから持って来た非常食(おやつ)だ。
 誠司と手鞠は目を輝かせた。この地下牢で与えられたどんな食べ物よりも、それは魅力的だった。

「!! そーちゃん、命の恩人だ……! ……で、でも、本当にもらっちゃっていいの?」
「そ、そうだよ……矢車くんも花那ちゃんも、これから食べられなくなっちゃうのに……」

 きっとすぐに、二人も自分達と同じようになってしまう。空腹の日々を過ごすことになってしまう。
 それなら大事に取っておくべきだ。手鞠は葛藤しながらも拒否したが、チューモンが彼女の背中を叩いた。

「アンタたち、貰っときなよ。こいつらまだピンピンしてるんだし」
「……わたしたちだけ、食べていいの? 他の子たちは……もっと、具合の悪い子……」
「言い出したらキリがないだろ。どうせ全員分は無いんだ。……それに多分、動ける奴が多い方が良い」

 蒼太と花那がここに来た。子供達を救出する為に「何か」が動いている証拠だ。
 ──もし脱走すると言うなら、逃げられるだけの体力を、手鞠と誠司に付けさせておかないと。

「負い目を感じて食べたくないって言うなら、遠慮なくウチが食べるけど」
「ま、待って。……ねえ手鞠……私もチューモンと同じ意見なの。詳しくは後で話すけど……二人には少しでも、動ける状態でいて欲しいんだ。だからお願い、これは二人が食べて」

 花那は半ば強引に食べ物を二人へ渡す。周囲からの目線と呻き声で、心がどうにかなりそうだったが──誠司と手鞠は菓子を受け取った。

「「……!!」」

  ──口に含んだ瞬間。砂糖の甘さが舌いっぱいに広がっていく。思わず涙が溢れて、止まらない。

 現実世界では数日しか経っていなくとも、実際、こちらの世界では二週間以上が経過している。
 久しぶりのご馳走だった。泣きながら味を噛みしめる姿に、蒼太と花那は胸が締め付けられた。

「それで、アンタたち」

 二人を見つめる蒼太の肩に、チューモンが飛び乗る。

「これからどうするのさ。合流できたって言っても、一緒に揃って檻の中じゃ意味がないだろ?」
「……皆が帰る方法はあるんだ。この腕輪を使えば、俺たちのすぐ側にゲートが出てくる筈だから……」

 蒼太は隠し通した腕輪を見せた。一応の計画が立っていた事に、チューモンは「へえ」と感心する。

「そーちゃん、ゲートって何……?」
「えっと……誠司や宮古が見た、オーロラみたいなやつ。あれ、この世界との出入り口だったんだ。……この腕輪で同じ奴が出せる。そこを通れば、帰れるんだ」
「……ユキアグモンも……それを通って、オレの所に来たんだね」

 蒼太は頷く。誠司の目に再び、涙が浮かんだ。

「オレ……あの時ユキアグモンのこと、置いてきちゃったんだ。落として置いてきちゃったんだ。そーちゃん、あれからユキアグモンのこと見なかった……? オレの家に来たとき会ったよね!?」
「誠司……」
「なあ、蒼太……そーちゃんはどうしてあの時、ユキアグモンがデジモンって知ってたんだよ……!?」
「……。……俺たちは……少し、早かっただけなんだ。誠司たちより少しだけ、皆と早く会えた。……それだけなんだよ」

 本当にそれだけで、特別なことなんて何もない。目の前の彼らと変わらない。知識だってそれほど無いし、力なんて欠片も無い。
 だからずっと守られて──自分達だけでは何も出来ない。そう思っていた。その現実は、きっとこれからも変わらないのだろう。

 それでも、ここに来たのだ。仲間を救う為、自分達に出来る数少ない事を、精一杯やり遂げる為に。

「──なあ、聞いて誠司。ユキアグモンは大丈夫だ。俺たちと、一緒に来てる」
「! え……!?」
「ユキアグモンあれから、お前のことずっと探してたんだよ。助けたいって、また会いたいって」
「ほ……本当に? 本当に!? ユキアグモンが!? ……ッ、来て、くれてるの……!?」

 誠司は声を詰まらせて、咄嗟に周囲を見回した。蒼太の両肩を掴んで、「ユキアグモンはどこ!?」と揺さぶった。

「──そ、それが……本当は俺たちと、ここにいる予定……だったんだけど……」
「……失敗しちゃったね。さすがにリュックはダメだったね……」
「リュックってさっきの……? あの中にいたの!?」
「う、うん。……花那、どうする?」
「……とにかく、柚子さんたちに連絡しよう。手鞠と誠司くんにも会えたんだし、そのことも伝えないと」

 花那はそう言うと、しっかりと充電がされた携帯電話を取り出した。



◆  ◆  ◆



『──手鞠ちゃん!!』

 石造りの空間に、柚子の声が大きく響く。
 子供達の何人かが、驚いて目線だけを動かした。

『大丈夫!? どこも怪我してない!?』
「柚子さん……! はい、はい……! わたし、大丈夫です……! 柚子さん!」

 手鞠は何度も柚子の名を呼び、柚子は何度も「ごめんね」と謝った。
 あの時、自分が図書室を出なければ。もっと早くに教師を呼びに行っていれば──彼女はこんな目に遭わなかったかもしれないのに。

『ユズコ。今はとにかく、彼女達を救う事だけを考えまショウ。謝るのはその後デス。  ──ソウタ、カナ。お二人も無事に合流できて良かッタ。怪しまれている様子はありませんでシタか?』
「た、多分……。でも、ユキアグモンは俺たちとは来れなかったんだ。コロナモンが連れて帰ったけど、それからどうなったかはわからなくて……」
『……そうデスか。彼には子供達への水分の確保と、有事の際の護衛を任せたかッタのデスが……仕方ありまセンね』

 荷物として放置されていれば良いのだが。どうにかブギーモン達に、中身を見られていない事を祈るしかない。

「オレ、早くユキアグモンに会いたいよ……」
『もう少し辛抱してくだサイね。大丈夫、いずれにせよ近いうちに会えマスよ』
「……うん」
『でも、手鞠ちゃんも海棠くんも、少しは元気があるみたいで良かった。倒れちゃってたらどうしようって思ってたから……』
「……柚子さん、そのことなんですけど……ずっと気になってたんです。どうしてわたしと海棠くんだけ、皆より元気なんだろうって。わたし、別に体が強いわけじゃないのに……」

 立って動くことは当然、言葉すらも発しなくなった子供達。
 動かなくなったのは、最低限の生命機能を維持する為なのか。今はもう、食事が来ても誠司と手鞠が配り歩くような状態となっている。

 誠司と手鞠だけが動ける理由に、ウィッチモンは心当たりがあった。

『それはきっと、お二人がデジモンとパートナー関係にあるからでショウね』

 馴染みの無い単語に、誠司と手鞠は首を傾げた。

『卵から孵った雛鳥が親を認識するように、初めて触れあった人間とデジモンは「パートナー」として繋がりを持つ。繋がッタ事で同調し、互いの体力などが影響し合うと言われていマス。
 例えば片方が食事を摂れなくとも、もう片方が多少なり摂取できているなら──それは飢えたパートナーへの恩恵となるのデス。餓死することはない』

 人間の神経回路を巡る信号が、電子生命体であるデジモンと同調する行為。パートナーの絆とは心理的なものであり、同時に物理的なものでもある。

『ユキアグモンはメトロポリスでご飯が貰えてたし、チューモンも……食べられてた……のかな?』
「そりゃあもう、たんまりガキ共からくすねてたさ。よかったね手鞠、アンタが動けるのは、ウチがつまみ食いしてたおかげなんだと」
『ちなみに、同調は接触する事でより強固なものとなりマスので、皆様パートナーとは肉体的によく触れ合うことをオススメしマスよ』

 ウィッチモンは柚子の頭を撫でる。その様子を、部屋の奥に転がるブギーモンが恨めしそうに見つめていた。

『……さて、話が少し脱線しまシタね。情報を共有しまショウ。チューモン、これまでに気付いた点や状況の変化はありまシタか?』
「変わった事って言っても、あの仕分け? の後はフーガモンの様子も変わらないし……鍵も探してたけど、別に城の奴らにも変な動きはなかったし……」

 他に変わった事と言えば────やはり、蒼太と花那が来た事くらいだろう。
 あの時は肝が冷えた。誠司と手鞠がうっかり口を滑らすのではないかとヒヤヒヤしていた。
 しかし、思ったより騒ぎにならなかったなと思う。フーガモンはもう見慣れたものだろうが、ブギーモンに対しては怖がる子供も多い。

 こちら側の子供達にはそんな元気も無いだろうが、アタリの牢は騒ぎ立ててもおかしくは──

「……ん?」

 ふと、嫌な予感がした。
 チューモンは、ハッとしてアタリの牢に目をやる。……そういえば、どうして。アタリの牢がやたらと静かだ。

「……──!! しまった……! 鍵探すのに気取られてて気付かなかった!」

 そのまま慌てた様子で駆け出す。彼女の焦燥ぶりに、子供達も思わず息を呑む。

「な、なあ。チューモンってばどうしたんだ?」
「多分、あっちの牢屋を見に行ったんだ。ここからじゃ見えないけど……」
「!? 俺も花那もこっち入っちゃったよ!?」

 牢が二つに分かれているなら、分散して入るべきだった。これではいざ逃げられる状態になっても、子供達の統率が取れなくなる。

『問題ありまセン。分かれテ入るのはそもそも無理だッタので。──パートナー適正の程度を判別する儀式が、既に一度行われテいマス。適正なしとされた二人はアタリの牢へ入れない』
「で、でも、わたしも海棠くんもパートナーがいるけど、ハズレだって……」
『パートナーとは唯一無二、一対一の関係デス。誰かと繋がれば、それ以外の誰かとは繋がれない。他の子供達は元々の素質故でショウが……既にパートナーを持つ貴女達は、必然的に適正が無いと判断される』

 なるほど、と手鞠は納得した。あの時ブギーモンの手袋の宝石が光らなかったのは、自分達が「契約済み」だったからか。

「というかチューモン、鍵まで探してくれてたの? オレら逃がす為に頑張ってくれてたなんて……」
『私たちが頼んだの。鍵があれば、どっちの牢の子たちも元の世界に帰れるし……矢車くんと村崎さんも城から脱出できるから』
「……? わたしたちは帰れる……でも、花那ちゃんたちは脱出って……」

「ああ、やっぱりだ! やっぱりいなくなってる!」

 チューモンの声が響いた。小さな足音を立て、息を切らしながら戻って来る。

『……タイミングは、わかりまセンよね』
「少なくとも昨日まではいたんだよ。……まさか一人もいなくなってるなんて、あんな人数どこに……」
『では、鍵のついでに子供達の行方も探してきてくれマスか? 大人数が収容できるような場所なんて、限られているでショウし……』
「お前ほんっと命令ばっかだな! この“声だけウィッチモン”、いつか会ったら噛みついてやるから!」」
『ワタクシも無事に、貴女に会える事を願っていマスよ。……フェレスモンの帰還まで時間がありまセン。なるべく早めにお願いしマス』
「くっそ! ……おい新顔。二人のこと頼んだよ」
「ま……まかせて! 手鞠たちはちゃんと守るから!」

 チューモンは足早に去っていく。手鞠と誠司は、呆気にとられた顔でその姿を見つめていた。

「……。……オレ、いまいち状況、読めてないかも……」
「そんなの最初からだろ。大丈夫だよ。俺も花那も正直、わからないことばっかりなんだ」
「……いやそれ、大丈夫じゃねーじゃん……」

 誠司は苦笑いをしながら、力が抜けたように壁にもたれかかった。



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