◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆





 腰布につけたままの鍵が、歩く度に音を立ててうるさい。
 落とさないよう普段は部屋に置いておけと言われていたが、一度忘れて面倒だったのでずっと持ち歩くようにしている。

 ──そういえば、最近は“アタリ”の方にしか行っていなかった。地下牢に下りるのが手間で、ついサボってしまうのだ。あそこの人間達はまだ生きているだろうか。

 ……死んでしまったら、フェレスモン様に怒られるかもしれない。
 しかしアタリはともかく、ハズレには回路としての価値がない訳で──そんな価値のない者に、自分達の限られた食料を渡すのは惜しかった。物資もそうだ。無限にあるわけじゃないのだから。

 一体いつまで、この籠城生活を続けられるだろう。
 食料を探しに外へ出た者達は皆、あの毒に飲まれてしまった。フェレスモン様の遠征で、状況に変化があるといいのだが。
 そろそろ帰還の日程のはずだ。お迎えしたらまずはアタリの人間を見せ、ブギーモン共々お褒めの言葉を賜ろう。

 しかし、やはりハズレが全滅してしまっているのはマズいだろうか?

「よし、飯は今日で最後にしよう」

 閃いた。そうしよう。まともな食事の痕跡を残しておけば、もし全滅していてもそこまで咎められないだろう。最後の晩餐というやつだ。
 フーガモンは意気揚々と厨房へ向かった。……そういえば、ハズレの人間は何人いたんだっけ?





*The End of Prayers*

第十六話
「古城の夜は激しく」






◆  ◆  ◆





 フーガモンが地下牢へやって来たのは、およそ二日ぶりだった。

 蒼太と花那は初めて出会う。城の外で見たミノタルモンとはまた違った異様な風貌に、思わず息を飲んだ。
 ──檻の中でじっとしていれば、危害は加えられないと聞いている。それを信じて、事が終わるのを待つ。

 事務作業のように、フーガモンは無言で食事を置いていく。新入りの蒼太と花那には特に反応を示さなかった。人間の顔など、いちいち覚えていないのだ。

「……あれ?」

 誠司が思わず声を漏らした。フーガモンが持ってきた食器が、何故かいつもより大きい。それに食事の量も多かったのだ。
 いつもは乾いたパンが人数分も無いのに──今日は数も十分、加えて具の無いスープまで付いている。

「あ、あの」
「…………あ?」
「ご、ごめんなさい。でも……いっぱい、ご飯があるから、びっくりして……」
「なんだ。まだ声出せる奴もいるんじゃねえか」

 噛み合わない返答に、誠司は困惑する。

「でも結構ダメになってんなあ。あー。まあ仕方ねえか。お前があと二日くらいその状態でいてくれりゃ助かるんだけどな」

 フーガモンは笑いながら鍵を閉めた。

「最後だからゆっくり食えよ。じゃあな」

 いつもよりどこか優しい、その言葉の意味を理解できないまま──目の前に置かれた豪華な食事に、子供達はただ目を丸くさせるだけだった。



『最後って……どういうこと……?』

 その光景は、使い魔を通して異空間の柚子達にも見えていた。

『今日は随分と豪華デスね。栄養価は問題だらけデスが』
『栄養どころじゃない……今までだって全然もらえてなかったのに、これが最後なんて「餓死しろ」って言ってるようなもんだよ……!』
『……良くも悪くも、デスが。フェレスモンの帰城まで時間がありまセン。それまでに子供達を帰還させなければ。子供達が飢えて死ぬより、その時が来る方がずっと早い筈。
 ──ああ、皆様。ワタクシ達のことは気にせず、まずは召し上がって下さいね。けれどもソウタとカナ以外は飢餓状態にありマスので、一気に食べると逆に危険デス。スープは動けない子供に優先して与えてくだサイ』
「俺、パン半分だけでいいよ。あとは二人にあげる」
「私も。皆に配って来るから、先に食べててね」

 その言葉に、誠司と手鞠は「ありがとう」と声を震わせる。温くなったスープは、薄い塩と豆の味がした。


『ウィッちゃーん、蒼太くんたち着いたんだって?』

 最後の食事を堪能していると、雰囲気に合わない陽気な声が聞こえてきた。
 今度は誰? と、画面越しに誠司と手鞠の視線を浴びる。

『やっほーハローハロー蒼太くん花那ちゃん! 生きてた?』 
「……みちるさん。……なんだか、久しぶり……ですか?」
『おうよ蒼太くん! 最近ずっと隣に引きこもりで寂しかったよ!』

 襖を開けて出てきたみちるは、興味津々といった様子でモニターを覗く。

『それより丁度よかったー。二人ともさ、今ご飯あげてる子達の顔、猫ちゃんに見せてくれない? そこに誰がいるか確認したいんだよね』

 言われた通りに使い魔の視界が変わる。みちるは誘拐被害に遭ったとされる子供達の情報と、実際に収容された子供の顔を照らし合わせていく。

『進捗、如何デスか?』
『バッチリさ! 少なくともちゃんと情報があった子はね! それ以外はダメです』
『まあそれは、仕方の無い事デスので』
『おっ、キッズたち思ったより良いモーニング食べてるじゃん。水しかもらえてないかと思ってた! 結構、気前がよろしいの? ここの人たち』

 ニヤニヤと画面を眺めるみちるに、柚子は少しだけ不愉快な気持ちになった。
 そんな楽観的な状況じゃないことは、目で見てわかるはずなのに。

『……このご飯も二日ぶりなんですよ。もうこれで最後みたいだし……』
『どうりで皆げっそりしてるわけだ! ──ところでさ、キッズの数が情報と全然合わないんですけども?』
『そういえばお伝えしていまセンでシタね。残りの子供達は別の場所にいるようデス』
『えー! じゃあ帰れるの半分もいないじゃん!』
『そこが現状の課題デス。合流しないとゲートは開けない。何せ腕輪が使えるのはあと一回デスから

『──ん? ここブギーモンのおうちなんでしょ? 他の奴がつけてた腕輪、見つけて使えばいいじゃん』

 きょとんとするみちるに、ウィッチモンも柚子も、ブギーモンでさえ呆気に取られていた。

『そ、そっか……そうだ! その手があった……!』
『おやおや! 灯台もと暗しってやつかい! みちるちゃんナイスアイディアってやつかい!』
『コロナモンとガルルモンがブギーモンと接触シテいる筈。二人の現在地を探し使い魔を向かわせマス』
『なるべく隠れて探した方がいいよね。手鞠ちゃん、チューモンはどうやって城の中を移動してるの?』
「えっと……たしか、換気扇の穴みたいな所から行ってるって……」
『わかりまシタ。使い魔も同様に走らせまショウ。運が良ければチューモンと会えるかもしれまセン。
 ──それとミチル、ありがとうございマス。その案はワタクシも盲点でシタわ』

 どこからともなく現れた黒猫が、胴体を影のように伸ばしていく。

『但し彼らと合流出来ても、使い魔が腕輪を手に戻る事は難しいでショウ。ダクト内の幅の関係もありマスが、そもそも物質の運搬には不向きなので……。本体のワタクシがそちら側にいれば、出来る事も多かッタのデスが……』

 魔女や魔法使い、魔導師などをモチーフに生まれたデジモンは──そのモチーフ通り、魔法や呪文、使い魔といったものを使役することができる。

 しかし本体と末端の距離が離れている状態では、その能力が一部制限される。遠隔操作そのものが、術者にとって大きな負担となる為だ。
 特に、末端を別の空間に存在させている今回のような場合──本体であるウィッチモンへの負荷は非常に重い。過度に使役すれば、生命の核たるデジコアへの影響も免れないだろう。
 故に、使い魔の黒猫は、ウィッチモン本人と同等に活動できない。探知と探索、通信、ちょっとした雑務が行動の限界だった。

「……ウィッチモン。俺、二人が心配だよ。コロナモンが……あの時、傷だらけだったんだ。ひどいことされてるのかもしれない」
『ありゃあ厄介なブギーに当たっちまったなぁ。俺も他の奴のことは言えねえが、アイツは自分より下だと思った奴は死ぬまで甚振る奴だよ。単純に趣味だけで言うなら、フェレスモン様が一番まともなんだぜ』
『それは良い事を聞きまシタ。まともな思考をお持ちならば、むしろ安心シテ交渉が行えそうデスね』
『とりあえず、あの白いデカブツは成熟期だからともかくとして……チビの方はキツいだろうなあ』
「そんな……!」

 蒼太の顔が青ざめた。

「早く……コロナモンたちを助けないと……!」
『行って助けられるかは別デスが、急ぎまショウ』
『ハハッ。急ぎすぎてバレねぇようになあ』
「……や、矢車くん……。さっきから聞こえる、この声……誰の……?」

 およそ仲間とは思えないいやらしい声に、手鞠は怪訝な表情を浮かべる。

「あ……えっと、何というか、これは……」
『ブギーモンの声デスよ。一体だけ、捕獲に成功しまシテ』
「え、え……!?」
『お互い囚われの身ってやつだなあ! 不憫同士、仲良くしようぜ』
『聞いての通り、喋る元気だけはあるようデスが──大丈夫。ワタクシ達がしっかりと拘束、監視シテいマスので。彼は何もできまセンよ』

 宥める声の背後では、汚い笑い声が響いていた。

「……そーちゃんたち、凄いことしてるんだな……」
「凄いというか……俺たちも、こうなるなんて思わなかったよ。……でも、全部コロナモンとガルルモンのおかげなんだ。俺と花那は……ずっと、助けてもらってばっかりだから」
「そ、そんなことない……! 花那ちゃんも矢車くんもここまで助けに来てくれて……本当にすごいよ!」
「そうだよ! オレたちのヒーローだよ!」

 蒼太は思わず苦笑する。────本当に、そんな凄いものじゃないのに。

「だから……! ……だから、一緒に帰ろう。そーちゃんも、村崎も……」

 真っ直ぐな瞳の中に見える不安。これは誠司の直感的なものであったが──二人の友人は、このまま一緒に帰ってくれないのではないか。そう感じていた。

 蒼太と花那は、申し訳なさそうに目を伏せることしかできなかった。



◆  ◆  ◆



 異空間の部屋で、ウィッチモンは険しい表情でパソコンの画面を凝視していた。

「──コロナモンたち、見つかりそう?」

 熱源探知により、仲間のおおまかな位置は把握できていた。しかし城のデジモン達から身を隠す為、使い魔は迷路の様な天井裏を走らなくてはならない。
 天井裏はまるで迷路のようだ。どの方向に進むべきか──ゴールは分かっているのに、空気とにおいの流れを頼るしかなかった。

「見つけるだけなら既に。しかし構造が複雑で、いつ合流できるか……。……チューモンともすれ違いまセン。出会えれば道案内を頼みたかッタのデスが」
「……ウィッチモン、汗が凄いよ。顔色も……」
「……恥ずかしながら、想定以上の体力の消耗デス。今までカナの連絡機器を一時的な媒介にシテいましたが、それを離れテの移動がこんなに大変とは……」
「村崎さんのケータイにくっついてたの!?」
「ええ。ガルルモンが主な移動手段なら、そのパートナーの側にいるのが良いと考えまシテ。
 ……ワタクシが出来る事は限られていマス。せめてこの程度はやらなければ、命を懸けている彼らに申し訳が立たない」
「……。……私にも……できること、何かある?」
「……そうデスね……」

 ウィッチモンは目線をパソコンに向けたまま、柚子に手を差し出した。

「では、手を握ッテくだサイ。いえ、手でなくとも、服などでも良いのデスが。……貴女との接触が、ワタクシの支えとなる」
「それだけでいいの?」

 柚子は手を握る。ピリピリとした感触が伝わる。……これがデジモンとの絆を、力を強くさせていくのだとウィッチモンは言っていた。
 ──自分は、彼女に触れることしか出来ないのだろうか。他には、何も出来ないのだろうか。

「……残酷なことかもしれまセンが、ユズコ。人間には、出来る事があまりに限られている」
「……え?」
「貴女も、ソウタもカナも、デジモン達に比べて出来る事が少ないのは当然。──例えば貴女が子供でなく、筋骨隆々の格闘家だッタとしまショウか」
「……想像したくないなあ」
「うふふ。ワタクシもデス。……さて、格闘家である貴女は、デジモンを相手に何が出来るでショウ。牙も鋭く、炎やら光線やらを出してくるモンスター達に。
 ──どんなに強くとも、人間である以上デジモンと対等に戦えはしない。デジモンと渡り合うのは、同じくデジモンでなければ」
「……じゃあ……私ができるのは、こうやってウィッチモンに触ることだけ? それだけなの?」
「ユズコ。こうしてパートナーを強化していく事こそ、そして戦うデジモン達の心身を支えていく事こそが──貴女の、人間の、とても大切な役割なのデスよ」
「……でも、その、もし格闘家とかじゃなくてもさ、とっても凄いプログラマーだったり、頭が良くて作戦とかもすぐ浮かんだりしたら……」
「まあ! それはやめて頂きたい。ワタクシの役割が取られてしまいマス!」

 ウィッチモンのオーバーなリアクションに、柚子は思わず笑ってしまった。ウィッチモンも微笑んでいた。
 しかし、すぐに真剣な表情に戻る。

「────察知する匂いが強くなりまシタ。……だいぶ近いデスね」
「……チューモンとは、結局会わなかったね」
「後で地下牢に戻ッテいるか確認しまショウ」

 直後。使い魔の視界──亜空間のモニターに、ブギーモンの私室が映り込む。

「「……!!」」

 暗い部屋の奥に横たわる、コロナモンとガルルモンの姿。──二人とも、酷く傷だらけだった。

「……ひどい……」
「付近に熱源……ブギーモンはいまセンね。──コロナモン、ガルルモン、聞こえマスか?」

 ガルルモンの耳が動く。直後、目を丸くさせ上体を起こした。

『ウィッチモンか……!?』
「ええ。お二人にお伝えしたい事が。……しかし……コロナモンの傷が深いデスね。まず止血を──」
『……だ、大丈夫。ウィッチモン。見た目より、深くない……。それより、蒼太と花那は……』
「ご安心を。彼らも問題ありまセン。では──ブギーモンがいない今のうちに、室内の探索をお願いできマスか?」
「もしかしたら、その部屋にブギーモンの腕輪があるかもしれないの!」

 ガルルモンとコロナモンは状況を察したようだ。「わかった」と、使い魔を通して声が届く。

「時間もありまセンので、早急に。三人で探せば流石に──」

 言いかけて、ウィッチモンは画面を凝視した。
 ────リュックサックが空いている。けれど、部屋にいるのは二体だけ。

「…………これは、どういう」
「ウィッチモン! ユキアグモンが……」
「ええ、ええユズコ。見てわかりマス。ユキアグモンが」
「ユキアグモンが地下牢に着いたって、手鞠ちゃんから連絡が……」

 画面の二体は気まずそうな顔をしていた。ウィッチモンの顔が一瞬でやつれていくのを見て、柚子は思わず彼女の手を握りしめた。




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