◆  ◆  ◆



『なんて軽率な!』

 地下牢にウィッチモンの声が響く。
 チューモンは耳を塞いでいた。

「なんだい! お前らの仲間連れて来てやったってのに、何でそんな声出されなきゃいけないのさ!」
『貴女にではありまセン。ワタクシはユキアグモンに言ッテいるのデス』

 ユキアグモンは、誠司と感動の再会を果たしていた所だった。誠司は泣きながら、鉄柵越しにユキアグモンを抱きしめている。

『ま、まあウィッチモン、そのくらいで……。それよりユキアグモン、どうして檻の外にいるの? チューモンと来たのに……』
「こいつの大きさじゃダクトは抜けられない。だから別のルートで来たんだ。フーガモンが来た時は、奥の角にでも隠れてりゃバレないさ」

 ユキアグモン気まずそうに、そして頑なに使い魔から目を逸らしていた。

『……ユキアグモン。ワタクシの、使い魔の目を見て』
「……ぎー」
「ゆ、ユキアグモンを怒らないで……! オレを探しに来てくれたんだ! 何も悪くないよ!」
『運良くチューモンと出会えたから良かッタものの、一歩違えば城のデジモンに見つかッテいたかもしれない。
 そうすればユキアグモン、貴方の命が危なかッタ!!』

 ウィッチモンは作戦への影響に対してではなく、彼が自身を軽率に扱った事を怒っていたのだ。……ユキアグモンは、そっと使い魔の方を向く。

「こいつなりに考えがあるみたいだよ。ダメ元でやらせてやろうじゃないのさ。どうせろくに打開策も無いんだ」
「……」

 ウィッチモンは数秒沈黙し、それから深く息を吐く。感情が、少しだけ落ち着いた。

『……その考えとは?』
「! お、おでの……氷で、型をどるの」

 つまりは氷の合鍵だ。成功すれば、確かに牢は開くだろう。

「ゲート開ぐだげなら、中でもいいげど……そーだとかなは、出なぎゃいげないでしょ?」
「……ねえ、それって……やっぱり花那ちゃんと矢車くんは──」
『──確かに』

 手鞠の言葉を、ウィッチモンの声が遮る

『鍵を開けて子供達を、二人を外に出さないといけまセン』
「だから、やっでみるよ。見でで」

 ユキアグモンは誠司から離れた。鍵穴に爪を入れ、内部を奥から凍らせていく。
 パキパキと音を立てて、やがて南京錠は凍りついた。鍵穴もすっかり氷で埋まっている。

「ぎい。あど少し」

 ユキアグモンは爪を立てて、丁寧に。まずは鍵穴周囲の氷を剥ぎ落とした。
 それから埋まった氷を取り出そうとする。実に地道な作業だ。

 ──しかし。何度試しても、中の氷が取り出せない。

「……ぎ……」

 爪でつついて、隙間に差し込んで、やがて氷はへこむように削れてしまい、とうとう取り出せない状態になってしまった。

 ユキアグモンは呆然と、もうどうしようもなくなってしまった鍵穴を見つめた。
 やがてその場に座りこみ、ひどく落ち込む。こんなはずじゃなかったのに──と。

「ぎー……」
「……ゆ、ユキアグモン」

 誠司は慰めるように声をかける。

「だ、大丈夫だよ! 氷なんてそのうち溶けるし、また後でやってみよう! もしかしたら今度はできるかもしれないよ……!」
「……ぐぎゃー」

 ユキアグモンは申し訳なさそうに使い魔に目をやる。ウィッチモンは、ユキアグモンを責めはしない。

『大丈夫。氷の外し方、ワタクシ達もどうするか考えておきまショウ。成功すれば当たりの子供達の牢も開けられマス。
 ひとまずフーガモンはすぐには来ないでショウから……ユキアグモン、焦らずに』
「……ぎぎー。怒らない?」
『ウィッチモンが怒ったのは、ユキアグモンを心配したからだよ』
「ぎぃ」
『あ、いいコト思い付いた! ねー、中に油ぬったらヌルヌルで外れるんじゃない?』
『それは……どこから油持って来るんですか……?』
『むー。じゃあ鉛筆の芯を削って入れる!』
『どこから鉛筆持ってくるんですか!』
『へいへい誰か筆箱もってないー?』

 亜空間の賑やかな様子に、ユキアグモンは胸を撫で下ろす。誠司が鉄格子から腕を伸ばし、「良かったなあ」と白い頭を優しく撫でた。
 ウィッチモンは困ったように──しかし微笑みながら、その光景を眺めていた。



◆  ◆  ◆



 ────城内、ブギーモンの部屋。

 ウィッチモンとのコンタクトを取ってから一日。
 その短い期間で、コロナモンの傷は更に深くなっていた。──ブギーモンから水や食事は与えられず、手当ても当然、してもらえない。

「……、……ユキアグモンが……ウィッチモンも、言ってたっけ……? 俺……気になる事が、あって」

 天井を見上げながら、ガルルモンに語りかける。

「パートナーがいると、強くなれるって……。……もしかして、怪我とかも……治ったりするのかな、なんて」
「……どうだろう。……でも、確かに僕らは……リアルワールドに来て、あの子達に……不思議なくらい助けられた」
「……なんか……こう言うとさ、二人を道具みたいに思ってるようで、嫌なんだけど……。……ごめん。ただ、思っただけなんだ。……特に、意味は無くて」
「大丈夫。……大丈夫だ。ちゃんと、わかってるから」
「……ウィッチモンが、使い魔……送って、くれるから……皆の様子がわかるのは、安心する」

 あれ以降、使い魔による定時連絡によって──もちろん、ブギーモンのいない隙を狙ってではあるが──地下牢の状況はある程度把握できていた。
 蒼太と花那はお腹を空かせているが無事だという事。しかし食事はもう与えられない事。戻ったユキアグモンが、氷の鍵を作る事に何度も挑戦しているという事。

 一方で、コロナモン達の傷の様子は子供達に報告されなかった。余計な心配をかけたくなかったのだ。
  とは言え、停滞した状況に焦燥を抱かずにはいられないのだが──しかしその中で、子供達を安堵させる朗報もある。

「あとは、僕たちがうまくこの部屋から抜け出して……──あの腕輪を渡せれば」

 ガルルモンが目を向けるのは、ブギーモンの部屋の奥。乱雑に積まれた荷物の山の裏に、リアライズゲートを開く為の腕輪が放置されている。
 ──まさかこんなに堂々と置かれているとは。おかげで部屋の探索を始めてから、腕輪を見つけるまでには十分とかからなかった。

 役目を終えた腕輪を、ブギーモンは重要視していないらしい。加えて自分が虐げているデジモン達が、その価値を知っているとは考えもしないのだろう。

「……ガルルモン、それにしても……ブギーモン、帰ってこないし……ウィッチモンの連絡もないね」
「何もないのなら一番だし、奴は帰ってこない方がいいよ。少し休憩しよう。……ああ、もう外がすっかり暗いな」

 窓から差し込む僅かな光は消えていた。辺りは少しずつ、暗闇へ溶けていく。
 彼らにとって、二度目の夜がやって来た。



◆  ◆  ◆



 アタリの牢の食事は実に充実している。

 ──と言っても、ハズレの者達へ最後に与えた食事内容とあまり変わらないのだが。
 適正者、もといアタリの子供達はフーガモンに怯える様子もなく、むしろ機嫌を取れば生きられると笑顔を浮かべている。自分達が何故囚われているか、なんて疑問に回す思考は残っていない。

 フーガモンはそんな子供達の様子を、いよいよ気がふれたのだろうと思っていた。
 しかし子供達のメンタルケアも彼の仕事だ。食事の度、「今はこんな扱いだが、城主が戻ればより良い環境に身を置ける」と伝え──子供達が絶望しきらないよう努めていた。

「実際、死なれると困るしな」

「──いや、いやいやーでもさ?? こんなに人数必要? と思わねえ?」

 隣で聞こえる耳障りな──野太さが裏返った気味の悪い声。ブギーモンの一人が、宝石で飾られた手袋を指で揺らしている。
 水晶のような宝石は、以前の「選定」で使われたものと同じものだ。

 アタリの牢では食事の度に選定が行われていた。回路の反応が消えた者はハズレに移す予定であったが、幸い全員がその危機を逃れていた。
 そして反応がより強く出た者に対しては、食事が一品だけ多く与えられた。

「確かに数は多いけどよ、減らせねえだろ。そんなことしたらマジで俺らが殺されるって」
「あとさ、逆にさ、ハズレがアタリに変わったりとかもあるんじゃねぇ? って、俺様は思ってみるんだが」
「流石にそりゃねえだろ。適性アリなら初めからそう出るだろうさ」
「やってみたらどうだ? もし、もしだ、フェレスモン様が帰ってきて、ハズレにアタリがいて、死んでたらまずいたろ?」
「もう行きたくねえよ。あの場所、臭えし」
「これ貸してあげるからさ、な、ほら、行ってみて、やってみよろ、な? な? やらないなら俺様、もしハズレにアタリがいても、お前のせいにするから」

 フーガモンは心底不愉快そうな顔で舌打ちする。
 ブギーモンから手袋を奪い取り、苛立ちを露にしながら地下牢へ向かった。



◆  ◆  ◆




 ────それは、あまりに想定外の出来事だった。
 もう、「奴ら」は此処には来ないと──誰もが思っていたからだ。

 フーガモンの気配に最初に気付いたのはウィッチモンであった。使い魔の熱源探知能力が、巨体から発せられる体温を感知した。

『ユキアグモン、すぐに移動を。通路の奥──その角の裏に身を潜めテ』
「おいおい。この前の飯が最後だった筈だろ? 今更デザートでもくれるっていうの?」
「チューモン、わたしの服に隠れてて……!」

 ユキアグモンは急いで走ると、言われた通りに身を隠す。誠司は心配そうに見守っていた。チューモンは手鞠の服の中に隠れ、いつものように息を潜める。

『まだフェレスモンは帰還していない筈……。下手に動かなければ危害は加えられない──と、思いマスが……。
 こちらの音声は一度落としマス。我々の声が漏れないように』

 使い魔の猫からの音声が途絶える。子供達は怯えながら、身を守るように壁際へ寄った。

 ──金属の扉が開く音がした。
 金棒が石を叩く音が響く。段々と大きくなる。

 戻ってきたフーガモンは、ため息をつきながら牢の中を見回した。
 片手には金棒、もう片手には、何かの宝石が飾られた手袋──見覚えのあるものだ。

「……ああ、流石に飯はもう無えか。まあいい。器とカスさえあればな。
 ところで──今からここを開けるが、前と同じだ。逃げようとしたり俺より前に出たら……足、潰すからな」

 誠司と手鞠は、その言動が以前に聞いたものと同じだと気付く。牢の場所を移動させられた、あの時だ。
 手鞠は花那と蒼太に、そして花那の背後に隠れる使い魔に耳打ちした。

「……多分、前にわたしたちの部屋が変わった時と同じ……言われた通りにちゃんとしてれば、大丈夫。怒られないよ」

 一瞬、手鞠や誠司と離れる可能性を危惧したが──全員にパートナーが存在している以上、少なくともこの四人の結果は変わらないだろう。
 子供達は、速やかに選定のやり直しが終わることを切に願った。

 フーガモンは鍵を取り出す。腰を落とし、鍵穴に差し込もうと────



「────何で、こんなに濡れてるんだ?」



 鍵穴には、ユキアグモンが何度も、鍵を作ろうとした跡が

「……これ、氷か?」

 爪で削り取っても剥がれずに、こびりついてしまった氷が、穴をふさいで鍵が入らない。

「────」

 子供達の顔が青ざめる。

 どうしよう。聞かれたら何て言えばいい。言い訳が思い付かない。言い訳しようにも声が出ない。
 鼓動が早くなり、指先が震える。貴重な水分は冷や汗となって垂れていく。

「……誰か……いたのか? ……いや、……いるのか? ……おい。
 ────おいッ!!」

 金棒で鉄格子を殴る。

 格子がひしゃげた。子供が通れるくらいの隙間が空いた。皮肉なことに、もう、鍵は必要なくなったのだ。

 牢の子供達は──衰弱した者でさえ、その怒声と金属音に気付き恐怖する。
 怖い鬼が怒っている。どうしてなのか、飢餓により思考することができなくなった子供達には理解できない。

「……蒼太……」
「……ッ」

 蒼太と花那はひたすら、コロナモンとガルルモンのことを考えていた。
 ──助けに来てほしいと、思った。また頼ってしまうなどと思う前に、あまりの絶望的な状況に命の危険を感じていた。

 フーガモンは周囲を睨んだ。何かに気付いたのか、地下室の奥に目を向ける。
 散らばった氷が溶けた雫。それは足跡のように、ユキアグモンへの道標となっていた。

 誠司がそれに気付く。何かを言おうとして、蒼太が止める。
 フーガモンは二人の様子に目もくれず奥へ進んだ。そして────

「───お前か?」

 ただ、一言。
 隠れていたユキアグモンに、言い放った。

「なあ。なあ。どうやって、忍び込んだ」

 ユキアグモンは答えられなかった。声を出せなかった。
 フーガモンは、犯人が成長期であった事に拍子抜けした様子だったが──すぐに瞳へ殺意を宿す。

「まあ、いいか。聞かなくても。どんな目的でも関係ねえ。──侵入者は殺してやる」

 静まり返った地下牢に声が響く。誠司が暴れ、蒼太を振りきろうとした。

「や、やだ。やめて。オレのユキアグモン……」

 這って牢から出ようとする誠司を、蒼太は泣きながら、彼の服を掴んで止める。

「い、いま、行ったら……誠司、殺される……」
「でも、でも、でもユキアグモン、ユキアグモンが、あのままじゃ、あいつが死んじゃう」

 目の前に立ちはだかる巨体。恐ろしい眼差しを前にして、ユキアグモンは逃げる事が出来なかった。逃げても追い付かれると分かっていた。
 勇気を胸に戦ってたとしても──自分では到底敵わない事だって、理解していた。

 それでも辛うじて出来た、彼の唯一の“抵抗”は──

「…………ぎ、ぎい……」

 輝く腕輪をはめた、片腕を掲げること。

「──て……」
「!? ホーリーリング……!? どうしてお前が……」
「てんし、さま……」

 腕は震えていた。腕輪は鈍く光っている。 

「これ、つけでれば……守っで、ぐれる……」

 声も震えていた。その発言に、フーガモンは目を見開く。

「…………は?」
「てんし、さまが……守っで、ぐれるっで、言ってだ……」

 その発言の意味を理解するまで時間がかかったのだろう。──少ししてから、意図に気付いたフーガモンは堪えるように笑い出す。

「おい……おいおい。おいおいおいおい……。ハハッ! マジかよ! おい! 本気で言ってんのか!?
 俺がウイルス種だからか!? だから言ってんのか!? 信じらんねえ本当にそれで助かると思ってんのかよ! そもそも……お前みたいな種族がそんなもん持って、ろくに使えるわけねえだろうが!! なあ!!」
「ぎゃっ!」

 笑いながら、金棒でユキアグモンを薙ぎ払う。小さな体は勢いよく鉄格子に打ちつけられた。

「はー。腹いてぇ。ほら見ろ、その大事な腕輪は何もしてくれねえぞ。それか残念ながら偽物なんだろうさ。
 ──もっとも、初めからそんな物を頼りにしてる時点でよ。なんて言うか、もう、アウトだろ。お前」

 ユキアグモンはそれでも起き上がり、震えながら腕輪を掲げている。
 フーガモンは再び笑った。ひとしきり笑った後で、ユキアグモンの頭上に、金棒を振り上げる。

「お祈りとやらは済んだかよ。それじゃあ──望み通り、『天使様』の所に帰んな」

 ───ユキアグモンの瞳に、腕輪越しの金棒が焼き付く。
 時間が止まったような感覚に襲われた。それでもユキアグモンは、最後まで腕輪を掲げていた。



◆  ◆  ◆




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