◆  ◆  ◆



 脳裏に浮かんだのは、清らかで美しい故郷の風景。

 外の世界で死にそうになっていた自分を、助けてくれたデジモン達。
 部外者の自分を迎え入れ、同胞の一人として扱ってくれたデジモン達。優しくて清らかな世界
。  聖なる力を持った友は、「お守りだ」とこの腕輪を渡してくれた。自分達には天使様の加護があるのだと言ってくれた。

 もう一度彼らに会いたかった。
 こんな自分にもパートナーができたんだと伝えたかった。誉めてもらいたかった。


 そして最後にもう一度。
 誠司と彼の部屋で、穏やかな時間を過ごしたかった────。


 ───。

 ─────。


 ────────?


 いつまでも自分の頭が潰されないことに、ユキアグモンは疑問を抱く。

 フーガモンは金棒を振り下ろしていない。かざしたまま動かない。
 その表情は固まっていた。フーガモン自身も何が起きたか分かっていなかったのだ。──どうして、金棒が振り下ろせないのだろう。

「……は?」

 そしてフーガモンは、自らの腕が固定されていることに気付く。黒い、縄のようだった。

「……何だ……? この……黒いのは何だ……!? どこから湧いてんだ!?」

 黒く、細長く、柔軟な何か。
 それは子供達の檻から伸びていた。まるで、黒い影絵の猫の様で──。

『────バルルーナゲイル……!!』

 地下室に風が舞う。旋風となりフーガモンを襲った。巨体を影に絡めたまま鉄格子に押し付け、暴風で金棒を強引に引き剥がす。

「!? クソが……!」
『ユキアグモン早く! 広い場所へ走ッテ!!』

 今までに聞いたことのないようなウィッチモンの声色。蒼太も花那も、隣にいる柚子さえ驚愕した。

『足止めならば! 僅かな間なら! 同じ成熟期のワタクシが……!!』
「クソがぁ!! 成熟期だ!? どこにいやがる! どこからやりやがった!!」
『ユキアグモン! 早くしなサイ!!』

 その声に、言葉に、ユキアグモンの鼓動が早くなった。下がっていた体温が上昇した。……だが、まだ恐怖が上回り体を動かせないでいる。

「──イビルハリケーン!!」

 フーガモンは拾い上げた金棒を回転させる。ウィッチモンの風に引けを取らない竜巻が、使い魔とユキアグモンを薙ぎ払った。

『ぐっ……』
『ウィッチモン!』

 ──それは亜空間から次元を越えて、観察と通信をするだけの使役とは違う。長距離の移動とも異なる。
 物に触れる為に実体化し、あろうことか自身の代わりに戦闘させる行為は──本体であるウィッチモンに大きな負荷をかけていた。

 ウィッチモンはモニターの周囲に複雑な光の輪を描き、両腕で操っている。負荷によって、指先の皮膚──テクスチャーが剥がれ落ちていた。
腕の、首の、額の、眼球の血管を浮き立たせ、歯を食いしばり、本人にしかわからない動きで光の輪を浮かべては動かし、動かしては改変する。

『……ウィッチモン! 指が……!』
『なんて……情けない事!! この場所からでは演算が追いつかナイ魔力も足りナイ不完全何モカモ! 嗚呼もし此処がウィッチェルニーであればこんな事には……!!』
『ウィッチモン! ユキアグモンが出口の方に行ったよ!』

 その間。竜巻によって運良く通路側に飛ばされたユキアグモンは、よろめきながらも走り出していた。
 ひしゃげた格子の隙間を誠司が抜けようとする。蒼太と花那は、まだ駄目だと引き留める。

 誠司の代わりに駆け寄ったのは、ウィッチモンの使い魔であった。

『広い場所なら……! ユキアグモン、ワタクシの指示で動くように! 幸い貴方の能力とワタクシの魔法は相性が良い!』
「ぎ……でも……」
『ここで殺されればセイジも死にマスよ! 使い魔の水の魔法を貴方の息吹で凍らせテ。奴の四肢……せめて腱を切り落とせば!!』

 フーガモンが金棒を振り上げ走ってくる。彼の周囲には電気を帯びた黒い球体が浮かんでいた。

『アクエリープレッシャー!!』
「リトルブリザード!!」

 使い魔の口から高圧の水が発射される。その水はユキアグモンの息吹で凍りつき、氷柱の矢となりフーガモンに襲いかかる。
 フーガモンは金棒でその氷柱を砕き落とした。浮かべていた電気の球体が、ユキアグモンめがけて放たれた。

「ダンプ……クラウド!!」
『!! 使い魔を狙うのは非効率的と判断シタ……けれど!』

 旋風が球体を巻き込む。水分と空気と電気が混ざり合い、風の中は嵐のようになった。
 フーガモンは怯む様子など見せずに嵐の中を突進する。自身の電流を帯びた巨体でユキアグモンを蹴飛ばし──使い魔の猫を捕らえた。その胴体を潰さんと握り締める。

『ぐっ、ぁ……!』
「ぎいぃッ!」
「クソ! クソ!! やっぱりだ! 本体と全然繋がってねえ! どこに──」
『……ッ! アクエリープレッシャー!!』
「──いやがる!!」

 発射された水はフーガモンの頬を切り裂いた。使い魔は握り潰されたまま。
 フーガモンは、使い魔を食いちぎった。

『……ッああぁ!!』

 ウィッチモンはすぐさま使い魔の再生をはかる。テクスチャーが剥がれた指先からは、なにやら焦げ臭い煙が漂っていた。 

『ちょっとウィッちゃん指こげてない!?』
『問題ありまセン!!』

 ちぎれた使い魔の口から様々な声が聞こえてくる事をフーガモンは不審に思った。同時に、このよくわからない──影のような生き物を扱うデジモンが、一体だけではないことを察する。
 見えない所に、まだ複数の敵、ないし侵入者がいる。

 だが、何故だ? こんな大人数、どこからどうやって侵入した?
 いや、そもそも……

「……なんで、この地下牢に侵入した?」

 牢の中の子供達に目をやる。

「まさかとは思うが……お前ら……誰かつるんでやがるな!?」

 ────まずい。
 まずい。非常にまずい。子供達は直感した。疑いが自分達にかけられた事に気が付いた。敵意が、殺意が向けられた事を。

 ユキアグモンは目の色を変える。氷の塊を投げつけ、フーガモンの注意を引く。
 振り向いたフーガモンの足をめがけて吹雪を吐き、足元を凍らせる。

 フーガモンはすぐに金棒で足元の氷を砕く。ユキアグモンは、誠司達がいる牢へ行かせまいと必死だった。
 ちぎれた使い魔は再生しきっていないが、それでも応戦する。圧が落ちた水を放ち、フーガモンの行く手を阻む。
 フーガモンの竜巻と、ウィッチモンの水と風がぶつかり合い、周囲は暴風雨に飲まれたような状態になった。

 牢の中からは、パートナーのものではない叫び声が聞こえてくる。
 状況が理解できていない子供達が、それでも恐ろしい状態にあると察したのだ。地下牢全体が恐怖に包まれた。

 パニック状態の中。唯一、状況を把握している四人は──呆然としていた。

「……わ、わたしたち……どうしたら……」

 手鞠は服に隠れたチューモンに目線を送る。──チューモンはじっと動かないまま、申し訳なさそうに目を伏せた。

「……ウチが出て、勝てると思う?」

 こんな小さな体で、息を潜めて生きていたような自分が。
 出来る事があったとしても、小さな爆弾で気を逸らす程度だ。それだって投げてから爆発までにラグがある。──絶対に避けられるし、その前に踏み潰されるのがオチだろう。

「……戦局は……最悪だ。ユキアグモンじゃ勝てない。ウチも無理だ。接近戦型のフーガモンにチーズ爆弾(ボム)は通用しない。……頼みのウィッチモンも、ちゃんと力、出せてないみたいだし……」
「……わたしたち、死んじゃうの……?」
「…………。……大丈夫さ。いざとなったら、ウチが焚き付けたことにすればいい」
「そんな……それは、だめだよ……!」
「ユキアグモンはまだ負けてない! なあ、諦めないでよ!」
「……気持ちはわかるけどさ。こんなのどう見ても絶望的だ。──見なよ。もう中も外も収拾がつかなくなってる」

「「……」」

 言い合う友人らを横目に、蒼太は必死に思考を巡らせていた。……自分達はどうすればいい?
 このままじゃ全滅だ。コロナモンもガルルモンも助けに来られない状況で、何が出来ると言うのか。

 花那は恐怖から、胸に抱いていたウエストポーチを抱き締める。──その硬い感触に、ある事を思い出した。

「……! そっ、そうだ、武器……何か武器! アンドロモンさんがくれたやつ!」

 メトロポリスを発つ前夜、アンドロモンから受け取った二つの麻袋。

「! そうか!!」

 その存在を蒼太も思い出した。二人共、急いでポーチの中を漁る。

「えっと、えっと……!」

 蒼太の袋の中には、ゴロゴロとした黒いボールのようなものがいくつも入っていた。どれも少しずつ、形が異なっている。

 ────“ これは非常灯、発煙弾と閃光弾と催涙弾だ。小さいがなかなかに使えるしかし使い方には十分に気をつけることだ。場所と時を、見誤ってはならない。
 それと────……

「……灯りは、今いらないし……煙は目隠しに使えるかもしれないけど……」
「ちょっと、こんな狭い場所で使ったらウチらも巻き添えだ!」
「わかってる! これは使えない……! ……なあ、花那のは!? 何が入ってる!?」
「わ、私のは……」

 ────“ そしてこれは……×××。とても強固な、デジタルワールドにしか存在しない素材で作ってある。
 但し手を切らないよう気を付けなさい。きちんと、鞘にしまうことだ────”

「……──ナイフが……」

 恐る恐る鞘から抜く。
 短い刃渡り。藍色に反射する鈍い光が、ひどく不気味だった。

 こんなものを使って、一体何を、誰を、どうしろと言うのだろう。

「……。……それ、今言ったアンドロモンって奴がよこしたの?」
「そ、そうだけど、私、こんなの……こんなの、どうやって」
「……」

 チューモンは鈍く光る刃先を睨む。

「……貸しな」
「え……?」
「え? じゃない。早く貸せ! そのサイズなら持てる!」
「でも、これで何を……」
「いいから! もう、やってみるしかないんだよ!!」

 チューモンは花那からナイフを奪い取る。

「あと何か紐!」
「紐……!? く、靴紐で良ければ……」
「袋のやつ取るから待って! ……これでいいか!?」


 蒼太は麻袋の口から紐を抜き取り、チューモンへ渡す。チューモンは、自身の背中とナイフを紐で固定した。

「……やらかすなよウチ。失敗すんなよウチ……! 一度限りだ!!」
 ────走り出す。

 ユキアグモンが張った氷の上を滑るように、フーガモンの足元へ向かっていく。
 全身の至る所が焦げたユキアグモンは、チューモンがやってくる事に気が付いた。

「……お、おでを! 見ろ! フーガモン!」

 叫んだ。注意を、自分に向けさせる為に。

「散々ダンプクラウドぶち当てたのに、まだ生きてやがんのか! ……クソ、この氷のせいか……!!」

 床や壁一面に広がる、不純物をいくらか含んだ氷。それに少なからずフーガモンの電気が分散され、威力が減少していた。
 それは再生する影の生き物に対しても同様だと気付く。やはり雷撃だけでなく物理的に、奴らを確実に殺さなくては。ならば──

「今度こそ潰してやる!!」

 ゴルフクラブのように金棒を構え、ユキアグモンの頭に標準を合わせた──その時だった。


 足に衝撃が走る。


「…………あ?」

 フーガモンは、自身の股の間を何かがすり抜けていくのを見た。
 そして

「……!? ああああぁぁ!? 痛えええぇええ!!!!」

 足首が────深く切り裂かれている事に、気が付いた。

「よし! よし!! 成功だ!!」

 チューモンは身体を傾け、ナイフの刃先を氷に引っ掻け静止する。

「しかしやけに滑りやすいな! ありがたいけどさ!」

 フーガモンの電流と氷の抵抗が相まって、僅かに溶けた表面はひどく滑りやすい。それがチューモンの作戦に功を奏した。
 チューモンは滑りながら素早く距離を取る。ひしゃげた使い魔と目が合った。

「ウィッチモン聞こえる!?」
『ええチューモン! 聞こえて……マスとも!』
「囮になってくれ! 動きは察しろ!」
『勿論デス! 後で貴方を称賛しマス!』
「生き残れたらね!」

 チューモンはフーガモンの足元めがけて滑走する。今度は、反対の足を狙う。

「ゴミがァ!!」

 フーガモンは金棒で薙ぎ払おうとした──が、使い魔の猫が視界を遮る。金棒は空を切り、その足元をチューモンが滑りゆく。

 チューモンは再び身体を傾けた。
 足首を切った側とは反対の足を狙う。勢いのまま切っ先で────指を、切り落とした。

「ぎゃああぁあああ!!」

 ──恐ろしい刃物だ。チューモンも、ウィッチモンもそう思った。ナイフの先は、フーガモンの身体をいとも簡単に切り裂いていく。

 フーガモンは膝を着いた。もうこれで自由には動けない。
 その姿に──チューモンがある事を思い付く。

「ウィッチモン! ウチの位置をしっかり見ておきな! 奴の近く……というより真上だ! そこまで行ったらユキアグモン合図してくれ!」
『……い、いでショウ! なるべく急いでくだサイ。ワタクシの力にも限界が……もうあまり彼をサポートできナイ……!』

 言葉が終わる前にチューモンは駆け出した。氷を滑り、まだ凍っていない壁へと向かった。
 そしてナイフを背負ったまま、いとも簡単に石の壁を登っていく。

「…………」

 登る。登る。フーガモンの位置が上から確認できる位置まで、登る。
 フーガモンは足を押さえながら、必死にチューモンを探していた。しかし彼女が、天井近くまで壁を登っている事に気付かない。

「……よし」

 ────息を潜める。
 今、あの竜巻を起こされたら終わりだ。流石に振り落とされる。──急がなければ。

 少しずつ距離を詰めていく。
 静かに、決して存在を気付かれないように。

 それは、今までずっと殺されない為に培ってきた技術だ。
 同じように城に隠れて生きていたデジモン達。彼らが次々と見つかっては殺されていく中で、自分だけが生き延びる為の卑怯な技術だった。──けれど、

『ユキアグモン、奴の腕と足元を狙ッテ。少しでいい。完全に動きを止めマス!』
「ぎぃっ……」
『……今デス! アクエリープレッシャー!!』
「リトルブリザード!!」
「膝が……ッ! 足止めか!? こんな氷なんかすぐに──」

 ──今は、仲間と生き残る為に。

 チューモンは飛び出す。
 刃先が下に向くよう身体を傾け、重力に身を委ねながら────フーガモンの脳天めがけて落下した。




◆  ◆  ◆




 ──何が起きたのか、理解できなかった。

 ただ、自分の顔の上に、見たことのない汚いネズミがいることだけはわかった。

「……」

 声は出なかった。
 汚いネズミがいなくなる。眼球が動かせないから、どこに行ったのかはわからない。

「…………ぉぁ」

 ──ああ、やっと声が出た。良かった。






 ─────────ぁぁ。




◆  ◆  ◆




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