◆  ◆  ◆



 人間やその周囲の生き物が、致命傷を負えばそのまま命を落とすように。
 データであるデジモンも、一定以上のダメージは核となるデジコアへの損傷に繋がる。

 頭部を──生命維持活動の根幹となる脳を穿たれたフーガモンは、あっけなくその生命を終わらせた。



 フーガモンの体は光を帯び、飛散して消えていく。
 アンドロモンから授かったナイフが、落下して床に突き刺さった。

『…………クロンデジゾイドのナイフ……。
 ……ああ、アンドロモン。まさかこんな物騒な物を子供達に持たせていたなんて……』

 使い魔の猫から憔悴した息が声が漏れる。

「……あー、ウィッチモン。なんていうか、その……殺しちまったよ。どうする? バレたら大騒ぎだ」
『……。……ええ、本当にその通り。……こうする他なかッタとは言えこんな……ピーコックモンからあれほど忠告されていたというのに……』

 ウィッチモンはひどく動揺していた。
 フーガモンが死亡した事に気付かれるのも時間の問題だ。これでフェレスモンとの対話も絶望的になった。このままでは──間違いなく全員、殺される。

『……まず子供達を此処から解放させまショウ。今はそれが最優先デス』
『でも、アタリの子たちは……』
『合流する時間はありまセン。コロナモンとガルルモンが腕輪のスペアを発見シテいるので、あとは機会をつくれば大丈夫。……きっと、デスが』

 ボロボロになった使い魔の猫は、下半身を伸ばし子供達のもとへ戻った。
 途中、ひしゃげた格子から抜け出した誠司がすれ違う。彼は泣きながらユキアグモンのもとへ走っていった。
 チューモンがナイフを拾う。刃先を引き摺り、地面を削りながら檻の中へ。手鞠は安堵からか、それとも恐怖からか、大粒の涙を零していた。
 衰弱した子供達は、一体何が起きたのか、と……怖かった化け物がいつの間にかいなくなっている事も、見知らぬ生き物が増えている事も、よく理解できずにいる。

 ──その一方。蒼太と花那はひどく青い顔をしていた。

 フーガモンを殺した。命を、奪ってしまった。
 ……わかっている。そうしなければ此処にいる全員が殺されていた。
 けれど、それでも。二人は罪悪感で胸が潰れそうになっていた。そもそも騒ぎを起こすなと言われていたのに──コロナモンとガルルモンに何と言えばいい?
 それにこのままでは、もしバレてしまったら、今ブギーモン達といる二人が危ない──

「……わ、私たち……これから、どうしたら……」
『カナ、ソウタ。今すぐ周囲の子供達の誘導を。騒ぎに気付かれる前に』
『急いで! 皆をリアルワールドに帰すよ!』

 亜空間からの指示が、狼狽する二人の心を引き締めた。──忘れてはいけない。自分達が、何の為に此処まで来たのかを。

「「……はい!」」

 花那と蒼太は立ち上がる。一方、手鞠と誠司は「どういうことかわからない」といった様子だ。

『手鞠ちゃんと海棠くんも手伝って! 動けない子たちに手を貸してあげて!』
「……か、花那ちゃん、わたしたち帰れるの……?」
「……そうだよ。手鞠たちは、もうすぐ帰れるからね」
「皆しっかり! 起きれるか!? ……もう大丈夫だ。俺たち助かったんだ!」

 蒼太が叫ぶ。衰弱した子供達は何も理解できず、呆然としたまま動かない。

「ほら、起きて! 帰るんだ! 家に帰るんだよ!!」
「…………か、え……」
「そう! 今すぐだ!」
「……でも、今度はちゃんとできるかな。あの時みたいに、またゲートが開かなかったらどうしよう……」
『その事件アタシも疑問だったんだけどさー。そっち行った時って、どうやって腕輪使ったんだっけ?』
『デジタルゲートの時ですか? それなら確かコロナモンが──』

 柚子がハッと気付く。

『もしかして……デジモンじゃないと使えない……?』
『──成る程。そうであれば、腕輪が蒼太と花那の声に反応しなかッタ事も説明がつく。元々はブギーモン達の道具デスし』
『もしやアタシってばまた名推理しちゃった? うわ流石じゃん褒めて!』
『みちる。調子に乗らないで』
『ねえチューモン、矢車くんの腕輪を使ってゲートを開けて欲しいの。できる?』
「別にいいけど……開けるってどうしたらいいのさ」
『リアライズゲートオープンって言えば、多分……』

 チューモンは、それだけ? と怪訝な顔で腕輪を眺める。

「……わかった。それくらいならやってやるさ。ユキアグモンもボロボロだしね。他は何もいらないの?」
「うん。あとはゲート開いて、誠司と宮古を……皆を帰すだけだから」
「動けない奴は? こいつら全員、運ぶのは無理だろ」
「……それは……」
「おでが……道、凍らせで……滑らぜるよ」

 ユキアグモンが、誠司に抱かれて戻ってきた。

「ずっと、滑っでいげるが、わがらないげど……」
『ゲート自体にはそんなに距離、無いだろうし。何とかなるんじゃないかな。とりあえず出口さえ繋がってれば』
『……そうデスね。リアライズ時の座標は、ある程度こちらで調整を試みマスので』
『ウィッちゃんてば百人力だねえ! というわけで、いつでもオープンしちゃっていいよ!』

 蒼太と花那は頷いた。──黒い腕輪をチューモンに渡す。チューモンはそれを、小さな両手でしっかりと握った。

「……チューモン。……わたしの家で、お菓子たくさん食べようね。今度は隠れないで、一緒に。お母さんもきっと、わかってくれるから……」
「ユキアグモンも、今度はちゃんと母ちゃんに紹介するよ……! 命の恩人だって……!」

 嬉しそうな二人を前に、チューモンは苦笑していた。手鞠にはその理由がわからなかった。


「まあ、とりあえずやってみるか。──『リアライズゲート・オープン』!」



◆  ◆  ◆



 黒い腕輪が光を帯びる。

 この場にいる全員が見覚えのある、鮮やかな光。
 しかし光はオーロラのカーテンではなく、石の壁に大きな円の模様を描いた。デジタルワールドに来た時とは異なる演出だ。

 円の中には光の道が繋がっていた。  元の世界へと、繋がる道が。


「よかった、ちゃんと開いた……!」
「皆、中に入るんだ! 滑りながらでいいから……! 早くしないとまた怖い奴が来る!」

 蒼太は動けない子供を抱え起こそうとする。──臭いに一瞬顔が歪んでしまったが、我慢した。

「……やっぱりだめか。ユキアグモン、こっちにも氷ちょうだい!」

 ユキアグモンは石の床からゲートの中まで、道のように氷を張っていく。少しでも摩擦を減らそうと、水瓶を倒して道を水浸しにした

「花那と宮古はそっちの女子たちを頼む。誠司、デカい奴らは俺らで頑張って押すぞ!」
「お、おう……! この中に入れればいいんだな!? ……え、本当に入れるだけでいいの? あっちまで進めなさそうだよ!?」
『だいじょーぶ! あとはウィッちゃんが何とかしてくれるからね!』
「わ、わかりました! ところで……さっきから声するけど、どなたですか……?」 
『爆裂ミステリアス美少女みちるちゃんです! よろしくね!』
「? ば、ばくれつ……」
「誠司くん、早く!」

 一人ずつ、氷の道を滑らせ、光の道に導いていく。
 まだ自力で動ける児童の一人が、ゲートの入り口で花那に尋ねた。

「……ぼく、たち……、どこ、に……いくの?」
「……お家に帰るんだよ。大丈夫。本当だよ」
「……おかあ、さん……」
「会えるよ。でもその前に病院かもね」
「…………」

 信じられないという表情だった。
 警察どころか大人ですらない、同い年ほどの小学生が、自分達を助けようとしているのだから。

 四人は焦りながら、声をかけながら、子供達をゲートの奥へ押し込んでいく。時間はかかったが、何とか全員を収容させる事ができた。
 寒くて暗い地下牢とは違う、暖かな光の中。

「……さあ、あとは……誠司と宮古だけだ」

 蒼太の一言に、誠司はやっぱりという顔をする。

「そーちゃんは……そーちゃんと村崎は、帰らないの……?」
「……花那ちゃん……」

 蒼太と花那は、もう隠せないと──いっそ清々しい気持ちになり、強く頷いた。

「俺と花那のパートナーがいるんだ。この城の中に、まだ」
「二人を置いてなんて絶対行けない。それに、アタリの子たちも逃がしてあげなきゃ。……後でちゃんと、私たちも帰るから……」
「……そ、そんな……花那ちゃんも一緒に帰ろうよ! 矢車くんだって、こんな所……絶対危ないよ……!!」
「そうだよ! それに、もっと怖くてヤバい奴だっているかもしれないだろ!? そんなのと会ったら……」

「……せーじ」

 ユキアグモンが、誠司の背中を優しく押した。

「……ユキアグモン?」
「そーだ、と、かなは、おでが守るよ」
「……ウチも残る。道案内ならできるし、このナイフがあれば戦力にもなれそうだ。……オトモダチの事はウチらに任せな。だから、安心して帰っていい」
「……! チューモン……」
「その時はこいつらにくっついて、そのリアルワールドとやらに行くさ。手鞠、誠司。待っててくれ」

 ゲートの幅が先程よりも小さくなる。──閉まるのも、時間の問題だ。

 光の向こうには、家がある。家族が待っている。温かいご飯がある。お風呂がある。布団がある。
 そして地下牢には。──地下牢の先にはきっと、更に悲惨な現実が待っているのだろう。

「「……」」


 ────“俺と花那のパートナーがいるんだ。この城の中に、まだ──。”

「……ごめんなユキアグモン。……そーちゃんたちも……」
「謝らないで。誠司も宮古も、……誰も、悪くないんだよ」
「……せっかく助けに来てくれたのに、オレ……──やっぱりユキアグモンと、皆と帰りたいんだ……!」
「──え?」

 そう言うと誠司は振り返り、ユキアグモンを抱きしめる。そのまま光に背を向けて、動かなかった。
 手鞠は涙ぐみながら、スカートの裾を強く握りしめていた。彼女もその場から動こうとしなかった。

 やがて、ゲートは少しずつ小さくなっていく。こちらを見ている子供の何人かと、目が合った。


 ────光が消える。

 誠司と手鞠は大声をあげて泣き出した。
 本当にこれで良かったのか、それは本人達にもわからなかった。仲間達と行く覚悟を抱いた半面、もう二度と帰れないかもしれない──そんな思いが押し寄せて、只々、悲しくなったのだ。




◆  ◆  ◆



 亜空間のモニターには、光の道を彷徨う子供達の姿が写っている。

 本来ならすぐにでも、地下牢の子供達と今後について話し合うべきなのだが──ゲート内の子供達を放置しておくわけにはいかない。

「……腕輪は元々、彼らの街の付近に座標は設定されている筈デスが……。ブギーモン、誤差はどの程度まで?」
「細かいこたぁ知らねえよ。とりあえず全員、あの街のどっかに降りたと思うが……。俺も城で誰が戻ってるのか確認したわけじゃないからな。もしかしたら『はぐれ』もいたかもしれねぇし」
「個人単位での発現誤差が起こるのは避けたいデスね。あの状態の子供が人知れず放置されれば命に関わる」
「街のどこかって言ってもさー、商店街のど真ん中とかに出ちゃったらやばくない? 大騒ぎ不可避だぜ?」
「……人が少なくて、街から離れすぎてない場所……なら私、思い当たる場所あります。みちるさん、さっきワトソンさんと警察のサーバーに入ってたんですよね。そのまま連絡ってできます?」 
「よゆーだね! たぶん!」
「ユズコの想定地域を座標に組み込んでみマス。──腕輪のシステムが複雑なので、正確に、という訳にはいきまセンが……何とか致命的な誤差は避けられる筈。ところでリアルワールドに野生の猛獣とかいまセンよね?」

 ウィッチモンはボロボロになった指で、再びモニターの周囲に光の輪を描く。輪の中では、ゼロとイチの数字の羅列がぐるぐると回っている。

「……ウィッチモン、大丈夫? つらくない?」
「指の感覚が無くなってきまシタ。しかし先程の戦闘よりもずっと楽デスよ。これは弄るだけデスから」

 モニター内のゲートの形状を図式化する。なにやら難しそうな記号や数式が並んでいて、柚子には到底理解できなかった。

「……ある程度は、これで……」

 ──ゲートがリアルワールドへ接続される。
 まともに歩けない子供達であったが、結果的にはゲートの中をほとんど移動することなく済んだ。ゲートは球体となって彼らを包み、リアライズ後、風船のようにその場で消えた。

「……リアライズポイント確認。座標に大きなズレはありまセン。人数も通過前と変化なし……」
「よかった、成功した……! あとは警察に連絡……」
「ボクがやるよ。とりあえず、そこ何処なのか教えてくれる?」

 子供達が転送された先は、とある神社の敷地内。柚子らの居住地域から少し離れた場所に位置している。
 ワトソンは早速、警察に通報の電話をかけた。演技力の欠片も無い声色で、境内から叫び声を聞いたと嘘を吐く。まさか警察も、数日前に誘拐された子供達がそこにいるとは思わないだろう

 彼が善良な市民としての責務を果たすと、ウィッチモンはふうと息を吐いた。安堵と疲労が混ざった深い溜め息だ。
 それから、モニターの表示をリアルワールドから地下牢に切り替えて──。

 床の上に崩れ落ちた。



◆  ◆  ◆



「ウィッチモン!!」

 床に倒れたウィッチモンは、その全身に冷や汗をかいていた。──呼吸も荒い。柚子は慌てて、テクスチャーが剥がれた手を握り締める。。

「……申し訳ございまセン。……先程の戦闘が思ッタ以上の消費で……」
「わ、私は……ウィッチモンに、触る以外で何かできないの……!?」
「残念ながらそれがベストなので……。いえ失礼。残念などではない。ワタクシにとっては必要不可欠……。……それよりも。こんな事をシテいる場合ではありまセン。すぐにコロナモンとガルルモンに伝えて……──ああ、その前に時間稼ぎが必要デスね。ワタクシもユキアグモンもすぐには動けない。ひとまず忌避の結界を張りまショウ。屋内の虫除け程度の効果しかありまセンが、無いよりは……」

 自身に言い聞かせるよう呟きながら、ウィッチモンはモニターの前へ戻ろうとする。

「無理しないで、少し休もうよ……!」
「大丈夫デスよ。というか、休んでいる間にデジタルワールドの皆さんが死にマス」
「でも……!」
「でもウィッちゃんが倒れちゃったら、このお部屋も消えちゃうんじゃなかったっけ? あ、消えはしないのか! 元に戻るだけで」

 みちるはウィッチモンの隣に体育座りして、困ったと眉をひそませた。

「フル稼働して死なれちゃ困るし休憩しようぜ! とりあえず十五分くらい!」
「……いいえ、五分で……」
「じゃあ五分! てかウィッちゃんご飯食べてなくない? いくら柚子ちゃんが食べてるとはいえエネルギーもたなくない?」
「……ワタクシ小食なので……」
「へい! シェフ!」

 みちるが軽快に指を鳴らす。するとワトソンが大きく背伸びし、何やら冷蔵庫に向かった。

「シェフ! 今日のメニューは!」
「えー、過重労働を強いられても志を高く持って頑張るキャリアウーマンへ送るスペシャルディナーです。ボクらも御用達」
「…………それ、ただの栄養ゼリーとドリンクじゃないですか……」
「ドリンクの方はね、柚子ちゃん十五歳になってないから飲んじゃダメだよ」

 ワトソンはウィッチモンの側にしゃがむと、顔の前で栄養剤を揺らして見せた。

「まあ、少しは栄養つけた方がいいよ。ボロボロなんだし。キミの故郷のご飯でもあれば良かったけど」
「……」
「飲んで飲んで。さあもう一息。というかここから山場だ。熱い夜になりそうだから頑張って、ウィッチモン」

 ワトソンはウィッチモンの腕を自身の肩に回し、椅子に座らせる。

「……お気遣い、感謝しマス」
「ボクとみちるはキミのパートナーですらないからね。キミに栄養剤ぶちこむので精一杯なんだ」

 ウィッチモンは渡された栄養剤を飲み干していく。よし、と気合いを入れて、再び光の輪を描いた。

「…………いやいや全然休んでねぇし、想像以上にスパルタじゃねえか。パートナーのお前だけでも優しくて良かったなあ……」
「……あんたに言われても、あんまり嬉しくない……」

 同情の言葉を投げるブギーモンに、柚子は複雑な気持ちになった。




◆  ◆  ◆




 ────リアルワールドにて。

 とある神社の境内を、男性の警察官が二人。懐中電灯を片手に歩いている。
 というのも先程、この付近で叫び声を聞いたと通報があったのだ。

「先輩、またイタズラじゃないんですか」

 まだ二十代前半だろう。若い警察官はあくびをしながら愚痴気味に言った。

「このところ、中学生のイタズラ電話が多かったですから」
「……まあ、イタズラならな。いいんだよ」

 初老の警察官が答える。

「何もないのが一番だ。それか、馬鹿な子供が肝試しや花火でもしてたとかなら」
「事件じゃないだけマシですけど、補導も大変じゃないですか。最近は理不尽な保護者も多くて……」
「……待て。静かに。何だ今の」
「へ?」

 初老の警察官は足を止める。

「何か聞こえるぞ」

 林の方角を睨んだ。
 恐る恐る、懐中電灯で周囲を照らしながら林の中へと向かって行く。若手の警察官は急いで後を追う。

 そして──

「何だ……これ……!?」

 暗闇の林の中。
 ──そこには、ひどく衰弱した子供達が。それも二十人を超える人数が倒れていた。









第十六話  終




 


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