◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆





 この黒い毒は、どこからやってきたのだろうか。

 どれだけ強く在っても。弱く在っても。
 どんなに敬われていても。疎まれていても。
 どれほどの愛を抱いても。憎悪を抱いても。

 皆、等しく飲まれてしまう。
 侵され溶けて、肉体あるいは魂の死を強制される。
 食物連鎖という、世界のルールを逸脱した事態だ。

 世界は恐らく変革の時を迎えているのだろう。
 しかしこれまで、美しい食物連鎖の中で生きてきた我々には、そして彼らには──理不尽な死が降り注ぐ現実はあまりに耐え難く、甘んじて受け入れる事など到底、できなかった。

 溶けて死んでいった彼ら。喰われて狂った彼ら。
 怯えて隠れた彼ら。勇ましく立ち向かった彼ら。
 ──きっと、誰もが。

 世界が救われる事を願い、祈っている。





*The End of Prayers*
第十七話
「真赤な太陽」








◆  ◆  ◆



 子供達がいなくなった地下の牢獄は、しんと静まり返っていた。
 呻き声も、しゃくり上げる声も、咳き込む声も、もう聞こえない。

 その中で残された四人の子供達。これからどうするべきなのか、答えを出せず俯いていた。
 それぞれ案を出してはみるものの、小学生が思い付くものではいまいち現実性に欠ける。ウィッチモンからの連絡も、何故かずっと途絶えたままだ。

 手鞠と誠司が残った事に、チューモンとユキアグモンは罪悪感を抱いていた。自分達が残ると言わなければ、二人はリアルワールドへ帰ったかもしれない。
 この先の危険に巻き込みかねないという懸念。かと言って、蒼太と花那をこのまま地下牢に放置する事はできなかった。彼らもまた、自分達が守るべき恩人なのだから。

 けれど現実。この先の事を考えてみると──自身の置かれた状況には頭を抱えるしかない。

「……ダメだ。ウチのちっぽけな頭じゃ、大した作戦なんて立てられない。巡回の見張りがいない隙を狙って逃げる位しか浮かばないよ」

 チューモンは頭を掻きながら座り込む。

「大体さっきからアイツからの連絡も全然──」
『──皆様。お待たせシテ申し訳ございまセン』

 再生した使い魔から通信が入った。子供達の顔に安堵の色が浮かんだ。

「随分と遅かったじゃないのさ。まさか倒れてた?」
『否定はできまセンが……』
『ウィッチモンが皆をリアルワールドに送ってくれたよ! ワトソンさんも警察に連絡してくれたし……』
『うん。そろそろ見つけてもらえてると思うよ。とりあえず一段落だ。あの子達のことはね』

 それを聞いて、花那と手鞠が「よかったあ」と手を握り合った。
 あの子供達は、ちゃんと家に帰る事ができるのだ。病院にも連れて行ってもらえるだろう。

『──先程コロナモンとガルルモンに使い魔を送り、状況を報告してきまシタ。
 フーガモンの殺害、子供達の解放……これらが発覚すれば皆様の命は保証されない。よってこれ以上の城内滞在は危険と判断しマス。城外に脱出し、領地内にてメトロポリスの迎えを待つべきでショウ』

 ウィッチモンの声は落ち着いていた。彼女の冷静さが、子供達を安心させる。

『脱出にあたり、皆様はコロナモン、ガルルモンと合流していただきマス。城内へ移動する為、これより城内部構造について共有を。使い魔の探索、チューモンとブギーモンの証言より城内マップを作成しまシタ』

 使い魔の目が光り、石壁を照らす。城内の簡易的な間取り図が、プロジェクションマッピングのように写し出された。

 地下二階が収容牢獄。
 地下一階は拷問室。
 地上一階には玄関ホール。そこから直線の廊下が続き、両側に門番の部屋と武器庫、倉庫、低位の従者の私室が並ぶ。突き当りには中央ホール。その先に中庭。
 二階には厨房と図書室、再び低位の従者の私室、部下用の食堂。バルコニーが三ヵ所。
 三階には大広間、それに隣接した礼拝堂。上位の従者達の私室。外側には城壁を一周する長いテラスが聳える。
 四階にはギャラリーと宝物庫、執務室、そしてフェレスモンの私室。

 決して迷宮のような複雑さは無いが、とにかく広く部屋数も多い。地図も無しに歩き回れば間違いなく迷うだろう。

『がっつりお城じゃん! いーなー見てみたかったなあ』
『ちょっと、みちるさん……』
『皆様が今いるのは、地下二階の収容監獄。出口は一ヶ所、城内に直結している訳ではないようデス』

 一階の平面図が拡大される。
 中庭の隅から、地下室に向けて長い階段の存在が記されていた。

「……俺たちが出るにしても、コロナモンとガルルモンが来てくれるにしても、この中庭を通らないとダメなのか……」
『城内に直結させると、ヤバい奴が脱走した時に困るからな』
「おで、来る時ちょっどだげ外に出だ気がする」
『そんで肝心の中庭だが……大広間の奥にある階段から降りるか、一階中央ホールから行く形になる。ちなみにチビどもは三階にいる筈だ。あのブギーは上位の奴だからな』

 しかし三階で合流するにも、中庭で合流するにもリスクがあった。いずれの場合も、他のデジモン達の私室の前を経由する必要があるからだ。
 
『……安全面を考慮するなら、子供達の城内移動は最低限に留めたいデスね。身を隠せそうな場所があれば、そこを合流地点としたいのデスが……』
『ウィッチモン、ここは? 図書館のところのバルコニー、外の壁が入り組んでるし隠れやすそう……!』
『ああ、そこなら確かにな。見張りも普段置かねえし、最悪飛び降りれるだろうさ』
『ボクは飛び降りるの、反対だなぁ。あの子達そんなことしたら骨折しちゃうよ。ユキアグモンに氷の滑り台でも作ってもらうのが良いと思うけど』
『さすがワトソンくん! でも、どのみち二階までは行かなきゃかー』

 無事にいけるかしら? と、みちるは大げさに腕を組んだ。

『ブギーモン。城内の見張りの配置はどのように?』
『メインは城壁と見張り台だ。俺らはあくまで外部からの敵襲を警戒してるから、城内の警備巡回はそこまで多くねえ。玄関ホールと厨房、宝物庫と執務室前を二人体制でローテだ。朝と夜の二回。一度終わったら半日は無いと思っていい』

 重要な敵を収容している場合は、警備も厚くなり、中庭や地下扉にも見張りが付くそうだが──幸い、こちらは「無力な人間の子供達」だと思われている。その為城内の警備は手薄らしい。
 確かに今の情勢ならば、外部からの侵攻に警戒すべきなのだろう。結界を張ってある以上、内部汚染を危惧する必要もない。

『──では、直近の城内巡回が終了後、作戦を開始しまショウ。皆様は地下牢を出た後、二階バルコニーにてコロナモン、ガルルモンとの合流まで待機。出発のタイミングはいつになるか分かりまセンので、すぐ動けるよう準備シテいて下サイ』
「それじゃあ、次は経路の確認といこうか。道案内ならウチに任せな」

 チューモンが平面図を指でなぞる。

「ここがウチらのいる地下室。階段上るだけだから、とりあえず中庭に出るまでは楽勝だ。出たら壁際を歩いて、ここの……中央ホールへの扉を目指す。
 中央ホールの階段を登ればすぐに図書室だ。奥の窓から出てバルコニーに隠れる。ウチらがやるのはそこまででいい──だろう?」
『ええ。コロナモンとガルルモンは三階テラスから飛び降りテいただきまショウ。広間へ出なければならない事に変わりはないデスが……』
『しょーがないよねぇ。ていうかそれ以前にブギー大魔人のお部屋出られるの? そっと寝首かいて殺しちゃった方が安全じゃない?』

 さらりと出たみちるの物騒な言葉に、柚子とブギーモンの表情がひきつった。

『……その件は後程、二人に使い魔を送った際に話し合いまショウ』

 その案を決して否定はしないまま、ウィッチモンが次の作戦について説明を始めた。

『無事に合流シタ後のプランは三つ。
 ひとつ、アタリの子供達を見つける余裕があれば、二人が入手シタ腕輪で子供達をリアルワールドへ帰還させ、皆様は城外に脱出。
 ふたつ、子供達との合流が難しい場合……彼らの救出を諦め、皆様だけで脱出。救出にあたッテは都市の天使に協力を要請し、再度計画を立てる。
 そして、城内からの脱出さえ困難な場合は──合流シタ時点でリアライズゲートを開き、全員をリアルワールドへ脱出させマス』

 勿論、一つ目が上手く行く展開が理想ではあるが──誰にも見つからず事が運ぶとも思えない。恐らく戦闘は避けられないだろう。
 フーガモンとの戦闘でさえ、あれだけ苦戦したのだ。それも一対三という状況で。……残念ながら今の戦力では、自分達以外の誰かを救出する余裕など無い。

「もし私たちがリアルワールドに帰っちゃったら、アンドロモンたちとの約束、破っちゃうことになるんじゃ……」
『皆様の命が最優先デスので』

 ウィッチモンははっきりと言い切った。

『──ワタクシは再度コロナモン達の元へ向かいマス。皆様はそれまで待機を。何かあれば連絡して下サイ』

 そして、使い魔の目から光が消える。そのまま影に溶け、見えなくなった。

「……──だってさ。お前ら、ちゃんと話わかった?」
「「……」」

 子供達は俯きながら頷く。チューモンは「だろうね」と苦笑した。

「まぁ、何とかなるさ。多分ね。──とにかく休憩だ。連絡来るまでウチは寝させてもらうよ」

 チューモンは手鞠の膝の上に乗った。

「ねえ手鞠。ここ、貸してくれよ」
「……うん!」

 手鞠は嬉しそうにスカートを伸ばす。

 ああ、こんな温かい寝床は始めてだ。チューモンは満足げに寝転がり、いびきをかき始めた。



◆  ◆  ◆



 束の間の休息。

 次の作戦も決定し、あとは行動に移すのみ。ウィッチモンからの合図を待つ。

 誠司はユキアグモンを抱きながら横になっていた。早くやわらかい場所で眠りたい。そう思いながら。
 チューモンは相変わらずいびきをかいて眠っている。その小さな手に、手鞠は自身の指を添えていた。

 蒼太と花那は床に座り、呆然と虚無を眺めていた。
 パートナー達が心配で、この先の事が不安で、とても休む気になれなかったのだ。──それに、

「────」

 デジモンが死ぬ所を見たのは、何度目だろう。

 友達を閉じ込めていたフーガモン。名前を知ることのなかったサイクロモン、リアルワールドへ逃げ切れなかったテリアモン。他にも、たくさんいる。
 どれも自分達が直接、手をかけたわけではない。無抵抗の者を殺したわけでもない。強いて言えば、殺さなければ殺されていた──そんな相手だった。

 けれど、それでも。命のやり取りが起きていた事に変わりはない。
 コロナモンとガルルモンは、どんな気持ちでいたのだろう。そしてこれから、どんな気持ちでいるのだろう。

「……誰も……殺したくて、そうしてるわけじゃないのに」

 花那がぽつりとこぼす。

「……自分たちが、死なないために……殺すしかないの、どうしてだろう。……他にやり方ないのかな……」
「……花那……」
「だってこのままじゃ……この後も、これからも、ガルルモンたちは誰かを殺さないといけなくなっちゃうよ。……そうなるんじゃないかって、思っちゃうよ」

『それはねー、難しいことかもしんないねえ』

 みちるの声が、花那の携帯電話から聞こえてきた。

「……ウィッチモンの使い魔は……」
『今はコロちゃんガルくんのお側さ! 柚子ちゃんはウィッちゃんのフォロー中です。いやいやごめんね、聞いてたらお姉さん心配になっちゃって!』
『嘘だよ。「柚子ちゃんのケータイ勝手に使って皆を応援するんだー」って言ってたじゃないか』
『シャラップ! でもエールを送りたいのは本当です!』 

 こほん、と、小さく咳き込む音が聞こえた。

『……花那ちゃんや蒼太くんのお悩みも尤もだと思うけどね。アタシはね? 平和的に話し合いで終わればハッピーだし。でもそれサバンナでも同じこと言えんの? って聞かれたらビミョーじゃない?
 ライオンはシマウマとお話ししないし、ハイエナは死骸を泣きながら食べたりしない。ゾウさんは肉食動物から子供を守る為に戦う。そこに話し合いや譲歩は存在しないでしょ? 皆いつも全力で生きてるんだ! ちなみにカバさんは雑食です』
『ちょっと、最後に話ややこしくしないで』

 ワトソンがみちるから電話を奪い取る。背後で「むきゃー!」と喚く声が聞こえた。

『つまりさ。デジモンは人間より、どちらかといえば動物の生き方に近いんだ。生きる為に食べるしかない。襲われたら逃げるしかない。逃げられないなら戦うしかない。──全部、生きる為だ。そこに正義や悪はないんだよ。死んだら元も子もないから』
「……でも、コロナモンたちは俺たちと、ちゃんと話し合えるし、普通のご飯も食べるし……誰かを一方的に殺そうなんてしてない……」
『まあ、そこはね。言語による意志疎通能力があるから、コミュニケーションの形は人間と変わらない。よく喋って、食べて遊んで、泣いて笑って、良心も悪意もある』
『だからこのブギー野郎みたいな奴が出てくるんだけどね! この! 悪いやつめ!』
『そう、そういう奴もいる。生きる為以外に誰かを殺そうとするのも──人間と同じだ。ボク達皆と変わらないんだ。
 きっとデジモンは、自分や仲間の命が天秤にかけられた時、ひどく動物的になるんだと思う。だからコロナモンもガルルモンも……これからの事で、キミ達ほどは心を痛めたりしないんじゃないかな。仲間を生かす為に、自分が生きる為に、仕方のないことだから』
『だから蒼太くんも花那ちゃんもさ、自分が生き残る為に起きたことは、あんまり気にしなくていいと思うぜ! 元気だして!』

「「…………」」

 理屈では、そう言われても。理解できても。心はすぐに追い付かない。

『大丈夫。きっと、そのうち慣れるよ』

 ワトソンの言葉が胸に刺さった。この人たちは、どうしてそこまで割りきれるのだろう。




◆  ◆  ◆




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