◆  ◆  ◆



 ────二時間後。

 影絵の猫が活動を開始した。
 安堵からか熟睡していた誠司と、うたた寝をしていた手鞠を起こす。
 体育座りをしたまま、寝ているのかわからない蒼太と花那を起こす。

 じっと見つめてくる影絵の猫。花那は「大丈夫だよ」と頭を撫でた。

『──現在時刻は午前六時二十分。約三十分前に城内の巡回が終了。巡回担当他、多くのデジモン達が眠りに就きまシタ。フーガモンの不在も、まだ問題にはなッテいないようデス』

 タイミングは今しかない。──それを聞いた、子供達の顔に緊張が走る。

『偵察用の使い魔は三階ダクトにて待機。皆様がバルコニーへ到着した時点で行動を開始させマス。……ところで、ユキアグモンとチューモンは回復できまシタか?』
「ウチは元々そんなに消耗してなかったからね。ピンピンしてるよ」
「おでも、せーじのおかげで、大丈夫。すごし、痛いげど」
『無理はなさらず、しかし彼らの護衛をしっかり頼みマス。──それでは今から、皆様にもデジモン除けの結界を。あくまでお守り程度、あまり期待はできまセンが……』

 すると使い魔の猫が蛇の様に伸び、仲間達の体を這い始めた。

『少し不快かもしれまセンが、我慢してくだサイね』
「え、ウチこれ食われない? 大丈夫?」

 やがて黒猫は全員の体を這い終えると、再び影に消えていく。

『道程はチューモンの案内に任せ、デジモンの反応はワタクシがモニターしマス』
『皆、気をつけてね……!』

 柚子の応援に背中を押されながら、四人は「はい」返事をする。

 城の潜伏から二日、そして、オーロラを見たあの日から二週間以上が経過した夜。
 蒼太と花那は、誠司と手鞠(ともだち)の脱獄を決行した。



◆  ◆  ◆




 湾曲した鉄格子を抜け、石畳の通路を進む。

 地下の牢獄は薄暗いが、周囲の様子がわかる程度の明かりはあった。
 自分達が連れてこられた道を戻る。フーガモンの金棒の音を響かせていた階段が姿を見せた。

 長い石の階段。その先に見える鉄製の扉。一行は静かに登りきると、蒼太とユキアグモンが恐る恐る扉を押す。……重たくて開かない。誠司が加わったが、それでも開かない。結局全員で、力を合わせて何とか押し開けた。

 扉の先は地下一階だ。
 地下牢よりもずっと暗い。足元もよく見えない。

「うええ、なんだここ。サビの臭いがする」

 誠司が小声で鼻をつまんだ。

「牢屋も臭かったけど、ここもひどいや。早く出よう」
「急ぐんじゃないよ誠司。暗いし危ないからね。……ちょっと、誰か明かりを持ってない?」
「それなら私のケータイで……」
「ああ花那、助かるよ。足元だけ照らしてくれ。床だけだ。いいね?」
「? うん」

 チューモンの言葉の意味を理解できないまま、花那が携帯電話のライトを付けた。──正面を向いたまま。

「バカ、明かり下げて! 照らすのは足元だけでいいんだよ!」
「ご、ごめ────」

 照らされた僅かな時間。僅かな空間。
 それを視認した途端────子供達は、息を飲んだ。

 石の床がやたらと赤黒い。
 石の壁もやたらと赤黒い。
 周囲には、何かがこびりついた刃物が羅列していた。

「ひっ……!?」

 地下一階は拷問部屋である。
 子供達が叫び声をあげるより先に、チューモンが「叫ぶな」と制した。

「だから言ったのに」

 暗闇を手探りで移動しようものなら、羅列した刃物や器具で怪我をしかねない。
 ユキアグモンが周囲を凍らせた。床以外を氷で包み、子供達を守る。

「ここの奴等はこういう奴だよ。ウチが逃げ回ってたのも理解できるだろ」
「ぎぃー。ここ嫌い。早ぐ行ごう」

 花那と手鞠は足がすくんで動けなかった。ユキアグモンが二人の手を引っ張って、進ませた。

 錆びの臭い。鉄の臭い。それが何かを悟って、誠司はひどく気持ち悪そうに俯いた。その背中を、同じく青い顔をした蒼太がさする。
 周囲の拷問器具で怪我をすることもなく、やがて外へと続く階段に辿り着く。誠司が我先にと階段を上がった。

「そして──扉を開ける。  灰色の明かりと共に、生温い風が吹き込んだ。

 久しぶりに吸った外の空気。どこか泥臭く、決して綺麗なものではなかったが、地下牢で過ごした彼らにはとても済んでいるように思えた。──特に、誠司と手鞠にとっては。

「……。……なあ、宮古さん」
「────」
「……オレたち、出られたんだ。本当に外に出れた……!」
「……うん、……うん……っ! 出られたね……!」

 涙を浮かべて外の空気を噛み締める。そんな二人の肩を、チューモンが「悪いけど」と軽く叩いた。

「またすぐ屋内だ。喜ぶのは最後に取っておきな。──ウィッチモン、近くに誰かいる?」
『……いいえ。こちらに気付かれる範囲にはまだ。反対側に見える扉まで走ッテ下サイ。広がると目立つので、なるべく縦に二列ずつ並んで』

 案内役であるチューモンは先頭が良いだろうと、手鞠と蒼太が先を走った。その後ろを花那と誠司が、そんな子供達を守るように、最後尾をユキアグモンが走る。
 芝生が広がる中庭は決して狭くはない。古びた噴水や井戸があり──その影に隠れるように、ジグザグに進まなければいけなかった。

「……宮古、すごく息上がってるけど大丈夫?」
「……だ、だいじょ……うぶ……──」

 距離も時間もさほど進んでいないのに、手鞠の呼吸がやけに荒い。誠司も大粒の汗をかいている。
 ──座位と臥位ばかりの日々、そして何より栄養不良により、二人の筋力は著しく低下していたのだ。

「……。……花那、後ろにいる方が怖くないよな?」
「え? う、うん。まあ……」
「よし。俺が先頭に回るから、花那は誠司を押してやってくれ。宮古、……嫌かもだけど俺に掴まってて。チューモンの道案内が無いと進めないから……」

 手鞠と誠司は大きく呼吸しながら頷く。
 蒼太と花那は仲間達の手を肩に回し、支えながら中庭を走った。

 城内へ続く扉に辿り着く。使い魔が周囲に反応が無い事を確認すると、一行は息を潜めて城の中へ。

 中庭と繋がる中央ホールは、西洋の古城を思わせる造りだった。立派ではあるが、ノイシュヴァンシュタイン城やベルサイユ宮殿の様な絢爛さは見られない。
 ……これが社会科見学であれば、きっととても楽しかったろう。しかし生憎、此処は敵の巣窟だ。二階へ続く螺旋階段を、子供達は張り詰めた表情で上っていく。相変わらず、デジモンの反応は無いようだ。

『……本当に静かだね。ダークエリアのデジモン、夜は活動的って聞いてたけど……寝てるのかな』
『……皆様ぐっすり眠れて、良いご身分デスこと』

 ウィッチモンが画面越しに皮肉を零す。
 今のデジタルワールドの状況下で、それも侵入者に気付く事なく眠れている。それほどフェレスモンが張った結界は強力で、安心できるのか。
 ──なんて羨ましく幸せな事だろう。そう思った。

「まあ、ウチらとしては寝てくれてた方がありがたいけどね」
「ぎぃぎぃ。ぐっすり」

 階段を抜け、広い通路に出る。
 真っ直ぐな廊下。左右に並ぶ扉。

「あぞごに道がある」
「そっちが図書室だ。……手鞠、誠司。もうひと走りできるね?」
『接近する熱源は依然、確認されまセン。今のうちに急ぎまショウ』

 合流地点である図書室へ侵入する。
 室内は広く、古い紙と埃の臭いが漂っていた。中央に長いテーブルが一つ。周囲には本棚が立ち並ぶ。

『そのままバルコニーへ向かッテ下サイ』

 本棚の間を一列になって通り抜ける。様々な本が、人間には分からない文字で書かれていた。
 部屋の奥にバルコニーへの扉を見つける。木製の小さな扉に鍵はついていない。周囲を確認しながら、ユキアグモンが慎重に開けた。

 ──再び外の空気を浴びる。
 バルコニーは、入り組んだ城壁に隠れるよう設けられていた。そこから見下ろす地面は芝生らしき植物で覆われており、仮に飛び降りても問題ないように思える。その際は念の為、ユキアグモンが氷で避難路を作る予定だが。

 子供達は空を見上げた。視界の先には、城を囲う外壁が聳えている。
 高い高い守りの外壁。ガルルモンでさえ、これを飛び越えられるか分からない。

 扉を閉める。子供達とユキアグモンは、手摺壁に張り付くように身を隠す。
 周囲に動きは無い。柚子は、胸を撫で下ろした。

『結構、広いんだね。……椅子があるけど、ここで本でも読んでたの?』
『本好きの奴はそうしてたさ。けど大体は見張りの時のサボり用だ』
『え……じゃあ、見張り中に誰か来るんじゃ……』
『今は巡回経路じゃないからな。多分来ねえよ。そもそも担当場所でもなきゃ、自分から屋外になんか出る訳ねえ。結界があっても毒は怖いんだ』
『……なら、いいけど……』

 ブギーモンはそう言うが、柚子から不安の色は抜けない。フーガモンが突然やって来たように、イレギュラーな事態はいつでも起こり得るからだ。

『──皆様はその場で暫く待機。万が一図書室に誰かが来たら、隅に移動し身を隠すように。ワタクシは、二人に行動開始の合図を』
「早く合流しろって言っといて。さすがに夜明けまではきついからね」
『同感デスね。勿論、お任せ下サイ』

 ──通信が切れる。
 風が城壁を抜ける音が、ごうごうと大きくなる。
 子供達は緊張した面持ちのまま、けれど目的地へ到着した事に安堵した。

「そーちゃんと村崎さんのパートナー、早く来れるといいなぁ。どんなデジモンなのかなぁ」
「……コロナモンたちは……ふたりとも強くて、凄く、優しいんだ」

 蒼太は城壁を見上げる。
 三階部分の窓に明かりは見えない。コロナモンとガルルモンが今、どの部屋で何をしているのだろう。──ただひたすら、彼らの無事を祈るしかなかった。



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