◆  ◆  ◆



 大広間に到着したブギーモン達は、間も無く子供達の存在を確認する。
 ──しかしその様子を見て、「今すぐ捕獲する必要はない」と判断した。故に放置し、彼らの矛先は未だ抗うデジモン達へ向けられた。

 最早ブギーモン達の相手にされることもなく、氷の壁の中、子供達はひたすらに泣き叫んでいる。

「ぁ──ぁあああ……あああああっ!! コロナモン! コロナモン!! どうして!? 何で、こんな……!!」 「蒼太っ……蒼太……!! コロナモンが……っ、来たら、こうなってて……! ねえ、ねえ!! 刺さってるの取れないの! このままじゃ死んじゃう……!!」
「だ、誰か……そうだ、救急車……! 早く救急車!!」
「繋がらないよ!! 何で!? 手鞠たちと電話できたのに何で出来ないの!?」

 ヒステリックに叫ぶ。電池がほとんど残ってない画面には、“圏外”の二文字が無情に表示されていた。

「何で! 何でよ! 誰かコロナモンを助けてよ!! お願いだから……っ!
 ……──ガルルモン!! ガルルモン助けて! ガルルモン!!」
「コロナモンが死んじゃう! ガルルモン!!」
「……ガルルモン、ねえ……!!」

 ガルルモンは戦っている。
 何体ものブギーモンを相手に戦っている。
 爪で裂き、牙で砕き、喉を噛み、何体も殺して。
 ミノタルモンの砲撃を必死に避けながら、炎を吐き、氷の壁を作り、攻めて守って、傷だらけになって。

 ガルルモンは視線だけをこちらに寄越した。
 目が真っ赤に腫れていたのは、決して、攻撃を受けたからなどではないのだろう。

 ──目の前でコロナモンが貫かれて。
 けれど戦いの中、辛うじてガルルモンに出来たのは────せめて瓦礫や攻撃から守る為、この小さな体を氷の壁で覆うこと。
 最初は止血も試みた。しかし、迫り来る数多の攻撃に、断念せざるを得なかった。

 ウィッチモンの使い魔はガルルモンを必死に守っていた。何度も潰れて、何度も再生して、襤褸切れのようになっていた。

「…………誰も……」

 蒼太は、絶望する。

「誰も……いない、のか……」

 ここに、コロナモンを助けてくれる誰かはいない。
 ここには、誰もいない。


「…………た……」

 ────その時。
 槍が刺さったままの身体が、僅かに動いた。

「!? コロナモン! 私だよ! わかる!?」

 花那は咄嗟にコロナモンの手を握り締める。

「……ま、た……。……これ……か……」
「……え……?」
「お……れ…………──モン……を……」

 言葉と共に、乾いた空気と血が溢れ、零れていく。

「や、やだ……! やだ……!」
「喋っちゃだめだ! コロナモン!!」

 もう一方の手を、蒼太は強く握り締めた。──肌を伝う電気の感覚が、いつもよりも強く思えた。

「……──そ……た……?」
「……ッ! うん、俺だよ! 俺たちここにいるよ……!」
「迎えに来たんだよ! 一緒に帰ろうよ!」

 体温を失いつつある手。蒼太と花那は必死に握る。コロナモンは虚ろな表情だったが、それでも二人に微笑もうとしていた。

「……あ──が……。…………お──、は、いい……。……がる……、……──け、て」

 “ありがとう。俺はいいからガルルモンと逃げて。”

「……何、言ってるんだよ……」

 蒼太には、そう言ったのだと分かった。

「そんなことできるわけないよ!」
「こ、コロナモン、何て言ったの……? 蒼太……!」
「置いて行くなんて嫌だ! 絶対嫌だ!!」

 コロナモンから手を離し、立ち上がる。

「ちくしょう……!! ちくしょう!! よくもコロナモンを……!」

 叫びながら、ポーチの中身をがむしゃらに投げ飛ばした。
 周囲にあらゆる煙が立ち込める。ガルルモンの周囲を、ウィッチモンの使い魔が風で覆う。

『二人とも逃げなサイ!』

 風と煙に声が混ざる。

『早く! 走ッテ!!』

 蒼太は聞かなかった。泣きながら、叫びながら──ありったけの武器を投げつけていく。

「あのガキィ……!!」

 ブギーモンの一体が蒼太に矛先を変える。──その背後から、ガルルモンが首筋を噛み砕く。
 蒼太は自分のポーチの中身も、花那から剥ぎ取ったそれの中身も、全て辺りに投げ尽くした。

「……ああっ……あ……もう……なくなっちゃった……」

 膝が崩れる。最後にナイフが手に残る。

「……もう、これしか……。……──俺が……」
「…………そ、うた」

 その後ろ姿を、今にも閉じそうな瞳で見守っていた、コロナモンが呼び掛けた。

「ど……して……。……」
「だ、大丈夫。大丈夫だから。待っててコロナモン。俺が……俺が、コロナモン守って、連れて帰るよ。だって、これ凄いんだ、あの時だって……フーガモン、こ、殺して……」
「……き……み、が……?」
「……ち、ちがう、それはチューモンが……」
「…………よ、か……た……」

 よかった。
 殺したのが、君じゃなくてよかった。

「────」

 コロナモンの途切れた言葉を汲み取って、蒼太は言葉を失った。コロナモンはこの状況でさえ、自分達に誰かを殺めさせたくなかったのだ。

「どうして……。……コロナモン……。…………どうして!!」

 手の力が抜け、ナイフを落とす。
 カラン、と。音は空しく、氷の壁に反響した。

「……わかったよ。もう、こんなこと、しないから……。だから帰ろうよ……。誠司も、宮古も、ふたりに、会いたいって……」
「……っ! ──ねえ! 謝るから! 逃げたの謝るから……! ガルルモンにもう酷いことしないで! 攻撃しないで!! お願い……もう、やめて……!」
「コロナモン……。……お願いだよ……」

 蒼太は振り向いた。ふらつきながら呆然と、コロナモンのもとへ戻ろうとした。

 ──途中、足元で乾いた音が鳴った。
 虚ろな目で床を見る。何かを、落としたらしい。

「……」

 服に付けていたものだ。アンドロモンがくれた最後の何か。手のひらに収まりそうな大きさの機械。

「……──あ、……」

 これは、何だった?
 アンドロモンは、何と言っていた?

「……これ、は……」


 ───『これは、デジヴァイス。デジモンとパートナーとを結びつける……』────


「……」

 ────ああ、それなら。
 お願いだから、自分とパートナーを結んでくれ。
 お腹が空いても、パートナーが食べていれば死なないと言うのなら……今だって似たようなものじゃないか。

「コロナモン」

 横たわるコロナモンの手を取る。
 落としたデジヴァイスを握らせる。
 その上から、自身の手を覆い被せ──離れないように、しっかりと握り締めて。

「……お願いだから……」

 お願いだから、神様。

 自分と彼を結び付けてくれ。
 命を結びつけてくれ。

 どんなことでもするから。彼の言うことだって、これからもっとちゃんと聞くから。だから、どうか彼を死なせないで。
 小さな体で戦った、守り抜こうとしてくれた、この勇敢な友達を──

「コロナモンを……助けてよ!!」


 ────声が響いた。


 蒼太の指の隙間から、七色の光が放たれた。




◆  ◆  ◆




 蒼太の全身に衝撃が走る。

 それは、初めて出会ったあの時のような。
 けれど、あの時よりもずっと強い。
 熱くて、痛くて、胸が苦しくなって。

 何が起きたのかわからない。
 眩しくてたまらない。目が開けられない。
 握っていた手の感覚が無い。

 熱をもった瞼。涙でぼやけた視界。
 コロナモンがいない。どこにも彼の姿はない。

 けれど、何故だか哀しみは湧かなくて。
 ────涙を拭いて、立ち上がる。


 そして一面の光の中。
 少年は瞳に、空を翔ける誰かの姿を見た。




◆  ◆  ◆




 小さな体の自分が嫌いだった。
 弱かったから嫌いだった。

 いつも庇われて。助けられて。
 守りたいものひとつ守れない。

 せめて力があったならば。
 せめて君と同じくらいに。

 そうすればきっと、いつの日か。
 いつかのように肩を並べて。


 今度こそ、大事な誰かを。




◆  ◆  ◆



 ────灰色の空を獅子が翔ける。

 朱色の毛並み。黄金の鬣。燃えるような翼。
 その姿は、夜明けの太陽を思わせた。

 獅子は咆哮を上げる。全身に炎を纏い、ガルルモンを襲う悪魔へ急降下する。
 炸裂する炎と衝撃。槍を構えたまま、ブギーモン達が瓦礫と共にのたうち回る。
 放たれた炎は敵を寄せ付けない。燃ゆる獅子は、広間を焼き尽くさんばかりに暴れていた。

 蒼太は目を離せなかった。
 初めて見る獅子の姿に。その眩しさに。

「……ねえ、蒼太……。……火事になってる……」
「……うん……」
「コロナモン……どこ行ったの……?」

 周囲を炎の壁が包む。氷の壁が溶けていく。
 それは二人を守るように、円を描いて燃え上がった。不思議と熱さは感じなかった。

 すると突然、ブギーモン達が攻撃の手を止めた。
 このままでは城が焼失しかねないと、消火活動にあたり始めたのだ。

 とは言え、自分達を生かして帰すつもりもないらしい。数分もせず再び襲ってくるだろう。獅子は急いで降下し──ガルルモンの前に降り立った。

「……」

 彼をじっと見つめる、獅子の顔には不安の色が浮かんでいた。それ以上近付くのを躊躇っていた。
 しかしガルルモンは──躊躇わず駆け寄って来る。自身より少しだけ小さな、獅子の頬に鼻先を寄せて、

「……ありがとう。生きていてくれて」

「……──どうして。……、……なんで、俺だって」
「分かるよ。どんな姿になったって、お前のことは」
「……──っ、……」

 獅子は目を見開いた。瞳を濡らし、瞼を伏せる。

「……なあ、今の名前は?」
「…………ファイラ……ファイラモンだ……」
「ファイラモン。……頼む。退路を作ってくれ。皆で此処を出る為に、今、お前にしかできない事だ」
「……!!」

 戦闘で、ここまで背中を預けてもらえた事は──初めてだったか、覚えていないほど過去の事だったか。

「……──ああ、わかった……!」

 嬉しさを胸に、ファイラモンは翼を羽ばたかせる。
 ガルルモンと二人、蒼太と花那の元へ急いだ。大切な、守るべき彼らの元へ。



 先程までコロナモンがいた、血溜まりは黒く錆びている。
 刺さっていた槍は砕け、大事に持っていた筈の腕輪も床に転がっていた。

「……」

 今、自分達の前には見知らぬ獅子がいる。赤い太陽のような獅子がいる。
 蒼太は獅子と目線を交わした。怖くはなかったが、ひどく困惑した。
 コロナモンはどこに行ったのか。何故、この獅子は自分達の元へと来たのか。

「二人とも……!」

 獅子と一緒にガルルモンが戻って来た。傷だらけの鼻先で、蒼太と花那の頬を撫でる。

「ごめん……。すぐに助けに行けなくてごめん。怖かったよね。本当に……無事でよかった……!」


「ごめん。すぐに助けに行けなくてごめん。怖かったよね。本当に……無事でよかった……」
「……ねえガルルモン。コロナモンが……さっきまでいたのに、いないの……」
「……花那、それは……」
「そのデジモンは……? コロナモン、どこに行ったの……?」

「もう、大丈夫だよ」

 獅子から、聞き覚えのある声が漏れた。

「助けてくれてありがとう。花那、……──蒼太」

 ──名前を呼ばれた瞬間。二人は目の前の獅子が、あの小さな友人である事を理解する。
 どうして姿が変わったのかは分からない。──だが、生きている。生きていてくれた。生きて、名前を呼んでくれたのだ。

 堰を切ったように、二人の目から涙が溢れた。花那は床に膝をつき、そのまま声を上げて泣いた。
 そして蒼太は────嗚咽しながら、デジヴァイスを手に、朱色の獅子へ駆け寄っていく。

「……コロナモン……!!」




◆  ◆  ◆



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