◆  ◆  ◆



 光の中から突如として現れた獅子。
 その姿に驚愕したのは、城のデジモン達だけではなかった。

『なんて……なんて事……! 嗚呼! そんな……まさか!』

 ウィッチモンは思わず応戦する手を止め、モニターに顔を寄せる。

『信じられない! ……これが……パートナーによる正当な進化……!!』

 襤褸切れの使い魔を獅子の元へ走らせる。数体のブギーモンがその後を追った。案の定ではあるが、消化班と追撃班に分かれたようだ。

「──蒼太。腕輪を持って俺の背中に」
「花那はこっちへ。しっかり掴まって、絶対に手を離さないで」
「ま、待ってガルルモン! 二階に手鞠たちが……!」
「大丈夫、その子たちも迎えに行く!」
「ウィッチモン! 俺たちはいいから、チューモンとユキアグモンのフォローを頼む!」
『……──どうか健闘を!』

 使い魔は軌道を変え、ブギーモン達の視界を遮りながら消えていく。

 ファイラモンは蒼太を背に乗せ飛び上がった。ブギーモンの飛行より高く、どこまでも高く空を翔けた。
 ブギーモンの翼では空の獅子に届かない。ファイラモンは上空から火炎弾を落としていく。花那を乗せたガルルモンが、瓦礫を足場にして続いた。

「逃がさねえ! 絶対に殺す! 殺してやる! よくも燃やしやがったな!!」

 ブギーモンの一体が空に槍を投擲する。ファイラモンは火炎を噴き上げ迎え撃った。
 正面から炎を浴びたブギーモンが燃えながら落下し──蒼太は、その光景に思わず目を背ける。

「……わ、わかった!」
 ガルルモンが花那と共にテラスへ飛び出した。彼が壁を駆け下りる姿を見届け、獅子も急降下する。
 その凄まじい浮遊感に蒼太は叫んだ。さながら安全装置の無いフリーフォールの様だった。
 突然の浮遊感に蒼太は叫んだ。獅子の急降下は、さながら安全装置の無いフリーフォールの様だった。

 三階のテラスを下り、二階、図書館のバルコニーへと向かう。

 先に仲間達の前へ姿を見せたのはファイラモンだった。
 だが、迫り来る獅子の姿にユキアグモンが驚愕し──慌てて二人を逃がそうとする。

「ユキアグモン待って! 俺だよ! 蒼太だ!」
「ぎぎっ!?」

 馴染みある声に動きが止まる。見上げた誠司が蒼太に気付き、両手を降って呼び掛けた。

「そーちゃん! ここだよ!!」
「……誠司!? 何で……」
「すげえ……あれがそーちゃんのパートナー……!?」
「随分と立派じゃないのさ。何だかウチらが情けなくなっちまうね、ユキアグモン」
「……ぎー。……ゴロナモン、進化しだ……」

 ファイラモンがバルコニーへ降り立つ。蒼太は目を丸くさせ、誠司と手鞠に駆け寄った。

「誠司、宮古……! 先に逃げてって言ったのに!」
「オレたちだけで行けるわけないよ! 村崎は!?」
「大丈夫、すぐ来る!」

 その言葉通り。程無くしてガルルモンが到着した。

「花那ちゃん……!」
「──手鞠! 誠司くんも無事でよかった!」
「お、おう! ……ライオンの次はでっかいオオカミ……!」
「花那、そのまま降りないで。──すぐ出発しよう。ユキアグモンはパートナーと僕に乗って。チューモンたちは彼の背中に」

 突然現れた大型のデジモン達に戸惑いながら、誠司と手鞠はガルルモンとファイラモンに乗る。
 バルコニーから飛び降りる。──直後、図書館の扉が蹴破られる音がした。子供達を探す怒声が去り際に聞こえてきた。

「うわぁ! ブギーモンめっちゃいるじゃん! 村崎よく無事だったな……この狼も……」
「ま、まあね。……あんまり無事じゃなかったけど。それより狼じゃなくて、ガルルモンとコロナモン!」
「よ、よろしくね……! ……ところで、えっと……わたしたち、これからどこに行くの……?」

 不安そうな手鞠の声に、ファイラモンが振り向いた。

「──とにかく、城の外だ。俺たちは外壁を越えて、ガルルモンたちは正門から外に出る」
「でも後ろ……あんなにいっぱい来てるよ。……それとも、お城の外に出たら、もう大丈夫なの……?」
「……そう思ってる。城の結界さえ越えれば、ブギーモン達は簡単に追って来られないからね」
「結界なんてあったのかい? まあいいけど。それで、どうして奴らが追って来ないなんて言えるのさ」
「結界の外は毒だらけだ。それに……フェレスモンが許可した以外のウイルス種は、結界を通ると死ぬらしい。城には許可が出てないデジモンもいる筈──」
『……ん? いえ、待ッテ下サイ。そういえばチューモンは……』
「ちょ──ちょっと! ふざけんじゃないよ!」

 チューモンが慌ててファイラモンの毛を引き抜いた。

「止まれって! 今すぐ!」
「い、痛い……」
『彼女、ウイルス種でシタね。失念シテいまシタ……』
「ウチがフェレスモンの許可なんてもらってるわけないだろ! 危うく死ぬ所だった!」
「え!? ……ごめん! わかった、わかったよ。大丈夫だから手を離して。──チューモンとパートナーは別の方法で戻ろう。腕輪でリアルワールドに帰るんだ。パートナーと一緒なら、君も無事に抜けられる」
「あーあ、地下室で意気揚々と残ったのが恥ずかしくなってきたよ。手鞠と帰っときゃ良かった」
「──そういう訳で、ガルルモン。俺たちは二人を送ってから行くよ」
「わかった。領地のどこかで合流しよう。……蒼太と手鞠を守ってあげてくれ」

 もちろんだ、とファイラモンは頷いた。それから再び高度を上げ、ガルルモンから離れていく。

「……手鞠!」
「……花那ちゃん……」
「……──また、学校で……! 私もすぐ帰るから……!」
「宮古さん、チューモン! 気を付けてな!」
「……っ、うん!」

 ガルルモンが走り出す。手鞠の姿が小さく、やがて見えなくなっていく。
 花那は安堵と一抹の不安を胸に、前を向いた。



◆  ◆  ◆




「──コロナモン、ブギーモンたちだ!」


 図書室の窓が破壊され、バルコニーからブギーモン達が溢れてくる。
 ──その一方。大広間で倒し損ねたミノタルモンは監視塔へ戻り、ファイラモンを打ち落とさんと照準を向けていた。

「……すぐにゲートを開くのは難しそうだ。城の壁を崩して足止めするか……いや、ミノタルモンを先に倒して城の上で……! ──二人ともしっかり掴まって。特にチューモンは振り落とされないように!」
「!! ……み、宮古! ジェットコースター平気!?」
「えっ!? あ、あんまり……」
「こ、これ、レバーとか付いてないから! コロナモンのたてがみ、絶対離さないで!」
「えっ……え、待って……──」

 二人の叫び声を連れ、ファイラモンは飛び上がる。
 ブギーモンの翼も槍も届かない高さまで。彼らが追って来られない高みまで。──だが、

「──!!」

 空気の振動を察知し身を翻した。今の瞬間まで獅子がいた場所を、砲撃が駆け抜ける────

「──ミノタルモン……!」

 ファイラモンは監視塔を見下ろした。ミノタルモンもまた、獅子を見据える。
 悪魔の追撃を逃れるだけでは意味がない。城の上空は、全て彼の射程圏内なのだから。

「ダークサイドクエイク!!」

 腕に纏う装甲から放たれた衝撃波がファイラモンを狙う。
 本来は地面を揺らし大地震を起こす技だが──それを凝縮して空に放つ事で、彼という存在はさながら大砲そのものとなった。
 砲撃は完全に躱さなくてはならない。掠っただけでも十分、衝撃は背中の仲間達を襲うだろう。

「──ファイラボム!!」

 放たれた火炎弾が砲撃を相殺する。巻き起こる煙に紛れ、ミノタルモンの照準を眩ませた。

「二人ともちゃんといる!? チューモンもいる!?」
「ウチは手鞠が落ちなきゃ大丈夫だ!」
「ふ、浮遊感きもちわるい……! ……み、みやこ、宮古の顔やばいよ! 倒れて飛んでいきそう!」
「……ッ蒼太、その子の後ろに回って!」
「ここで!?」
「一度あそこに降りるから!」

 ファイラモンは鋸壁の裏に回り身を屈めた。十数秒なら、恐らく身を潜められるだろう。

「蒼太、今のうちに!」
「あ、足が震えて……」
「急いで! この高さじゃブギーモンたちにも追い付かれる!」

 蒼太はよろめきながら背中を降りる。それから、今にも気を失いそうな手鞠をファイラモンの後頭部へ。蒼太はその後ろに座り、彼女を抱えるようにファイラモンの鬣を掴んだ。

「……よし。これでその子が気を失っても大丈夫だ。蒼太、しっかり押さえつけててね」
「……コロナモン、次は安全ベルト付けたいよ……」
「次なんて無いのが一番だ。……それとチューモン。ひとつ頼みたいことがあるんだけど……」
「は? 何──」

 ──煙は完全に消え、ミノタルモンの照準が向けられる。
 雄叫びが空気を震わせ、ファイラモンは臨戦態勢に戻った。

「……二人共伏せてて。絶対に頭を上げないで。死ぬかもしれない」

 ファイラモンは体勢を、低く、低く。四本の脚の筋肉を震わせる。
 牙を剥く。後肢が石にめり込む。力を込める。

 ────蹴り出す。
 ボンッ、という重たい音が聞こえた。蒼太は、自分達が猛スピードで飛び出したのだと気付く。

 直進していく。新幹線に乗っている時のような感覚だった。

「……は!? 何だぁアイツら……!」

 ミノタルモンは理解できなかった。
 一直線にこちらを目指す敵の姿。正面衝突でもするつもりなのか──しかしそれでは確実に、本体が無事でも背中の人間が巻き込まれて死ぬ。

 相手の意図を汲み取れぬまま、ミノタルモンはそれでも砲撃を続けた。
 ファイラモンも火炎弾で迎撃し、周囲は再び爆炎に包まれる。

「くそ、くそ! 照準が合わねえ! あいつらどこにいる!?」

 ミノタルモンは全方位を警戒するが、何故か火炎弾は正面から撃ち続けられた。
 視界を遮る程の煙なら、軌道を変えても良い筈なのに──真っ直ぐ向かって来るなんて。

「どういうこっだ……!? まさが、本気でガキ死なせるつもりか!?」

 獅子との距離が縮んでいく。煙も広がっていく。しかし、火炎弾はやはり正面から飛んで来る。

(──いや、これは罠だ!)

 ミノタルモンは思考する。相手はギリギリまで直進し、直後に軌道を変え自分を狙ってくるだろう。そうしなければ人間が死ぬからだ。

「んだども下から来れば人間が丸出しだ! ……──上か!」

 下方向にも注意を払いながら、照準をやや上に向けた。
 深くなる煙を凝視する。動きを狙う。

「……!」

 先程の敵の位置──その上方に、新たな煙が立ち上がった。
 煙の立ち上がり方からして、明らかな炎の爆発だ。

「やっぱりだ!」

 煙は上方向で何度も巻き上がる。ミノタルモン自身も煙に巻かれ、もう視界の照準は当てにならない。
 ミノタルモンは照準を上方に固定し、砲撃の手を休めなかった。これだけ撃てば、直前に起動を変える事など出来はしない──!

「ぜってぇ逃がさねえぞ! ダークサイド──」

 ──その時だった。
 自身の頬を掠めるように──目線の下から、何かが、

「…………は?」

 じゃあ、あそこで巻き上がっていた煙は?


「────良いだろ、“チーズ爆弾(ボム)”。次はそのデカい口で食ってみるかい?」


 すれ違い様、耳元で声が聞こえた。
 過ぎる影から投げられたのは小さな“チーズ”。
 それはミノタルモンの眼球の前で──爆発した。

「──っ──ぎゃああぁぁあっ!!」

 影は背後で動きを止め、ミノタルモンに狙いを定める。
 ──両手で目を押さえているミノタルモンは、気付く事ができなかった。

 ファイラモンの額に、牙に、前肢に炎が集まる。
 空を蹴って、今度こそ一直線にミノタルモンへ。

「……フレイムダイブ!!」

 それはまるで炎の砲弾。
 正面から受けたミノタルモンは、監視塔から突き飛ばされて宙を舞った。

 重力のままに落下していく。けれどファイラモンが追撃する。炎の爪を振り翳し────

「ファイラクロー!!」

 深く深く、その背中を焼き切った。

「────がっ」
 
 短い呻き声。背中から噴き出す血液。
 闇に飲まれて見えなくなる巨体。
 けれど直後、何かが激しくぶつかる音がして──、見覚えのある光の粒子が舞い上がる。


「…………」

 煙と共に流れていく光。
 ファイラモンはそれを、静かに見送った。



◆  ◆  ◆



 蒼太と手鞠が城壁に降ろされる。
 座り込む二人。その顔は、地下牢にいた頃よりも憔悴していた。

「二人とも、大丈夫……?」
「……も、もう、きついよコロナモン……」

 浮遊感で胃が飛び出しそうだ。加えて煙に巻かれるという追い打ち。ファイラモンの指示通り、顔を上げる事はしなかったが──目の前でミノタルモンの絶叫を聞いた、精神的な疲弊もある。

「ごめん。でも、置いて行くわけにも行かなかったんだ」
「……うん、……大丈夫。それはわかってるよ」
「それよりウチの! ウチのおかげだぞ!! さっきの! さっきからウチばっか活躍してるんだけど! もっと待遇良くてもいいんじゃない!?」

 チューモンは興奮状態のまま、ファイラモンの鬣を引っ張っている。勢いで何本か引きちぎられた。

「痛っ!? ……あ、ああ、本当に──君のおかげだよチューモン。君のチーズ爆弾(ボム)がなかったら、ミノタルモンの注意を引けなかった」
「ウチもあのチーズがまともに使えると思わなかった! ていうか成熟期ならもっとこう、うまくやれって! もう疲れた! もう嫌だこんな場所! 帰る!!」

 一体どこに帰るつもりなのか。チューモンはとにかく喚きながら、ぐったりとする手鞠の肩に飛び乗った。

「手鞠。ちょっと、アンタ大丈夫かい?」
「……た……たぶん……」
「だいぶキツそうじゃないのさ。まあ乗り心地が最悪だったからね! 仕方ないけどさ!」
「ご……ごめんってば……。でも、此処でゆっくりはできないんだ。休むならリアライズゲートの中で……。チューモンもリアルワールドに行けば、今までよりもたくさんご飯が食べられるし、──きっともう、命を狙われる事も無いよ」
「前にも聞かされたけど、本当、ありがたい話さね。でもゲート入った途端に吐かれちゃ困るんだ。手鞠は少し休ませてもらうよ。残りのブギーモンはアンタが頑張って追い払ってくれ」
「チューモン、流石にコロナモンもあの数は……──って、あれ?」

 蒼太がまじまじと城の様子を伺う。

「……なあコロナモン。ブギーモンたち、もうこっち来ないの?」
「え?」
「ほら見てよ。なんか持って……──バケツリレー? ……そっか。城が燃えちゃったから、皆で水かけてるんだ。消火器とか無さそうだもんな……」
「丁度良いじゃん休憩だ。手鞠も立てないし歩けないってさ」
「……す、少しだけ……。……ごめんね……」

 手鞠は本当に腰を抜かしているようだった。確かにこのままではゲートを越えられない。
 ファイラモンはもう一度、城に目をやる。蒼太の言った通り、ブギーモン達は消火活動に勤しんでいた。──やはり、こちらはもう襲って来ないのだろうか?

「……わかった。少し休もう。もし途中でブギーモンが来ても、あと数体ならまだ戦える。……でも、その時はすぐゲートを開くんだよ」

 チューモンは「わかったわかった」と手を振り答える。手鞠は座ったまま、ファイラモンに礼を言った。
 蒼太はよろよろと立ち上がり──少し離れた場所へと急ぐ。そして静かに嘔吐した。



◆  ◆  ◆


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