◆  ◆  ◆



 スティングモンが、まずはフェレスモンの前に、そして子供達とデジモン達の前にカップを並べる。

「私の分はいい」
「よろしいのですか?」
「茶葉の無駄だ。彼らの分さえあれば良い。──食器が残っていて良かった。お茶さえ出せないのではと心配していたんだ。……おや、カップが一つ足りないようだが?」
「申し訳ございません。ガルルモンの大きさに合う物が見つからず……」
「……ガルルモン君。すまない。君だけ仲間外れのようになってしまって」
「い、いや……」

 ガルルモンは冷静さを装うとしたが、思わず声が上擦ってしまう。

「……僕の、分は……結構……です、ので」
「ああ、ありがとう」

 フェレスモンは脚を組み、両手を組んで膝に置く。

 城主の両脇にはコロナモンとユキアグモンが。真正面には蒼太と花那が。その脇に誠司と手鞠が座っている。チューモンは、手鞠の洋服のポケットに隠れていた。
 皆、青い顔をしている。そもそもどうして、自分達がこのような待遇を受けているのかが理解できなかった。

「まずは、詫びなければ」

 語り出した言葉も、理解ができない。

「客人に対し失礼な事をしてしまった。この場所での乱闘以前の話だ」

 ガルルモンに視線を送る。

「君の体に刻まれているのは鞭による傷痕だろう。コロナモン君のそれは、進化によって消えたようだが……」

 そういえば、と。蒼太と花那は、コロナモンを穿った傷が、すっかり消えていることに気が付いた。

「デジモンと人間との接触……いや、接続による傷の回復。他者をロードする必要のないプログラム強化。そして──種族としての進化。いずれも想像以上だ。我々デジモンが、人間から受ける恩恵は数多い」
「……それは……じゃあ、俺が助かって、進化できたのは……」
「パートナーによる影響が大きいだろう。正統な進化は──しかし永続的なものではない。だから君は時間の経過により退化し、元に戻った。
 さて、進化の奇跡が起きた点で言えば、実に素晴らしい事ではあるのだが……。────そもそも、どうして、誰が、君達にその傷を負わせたのか、という所に話を戻したい」

 フェレスモンは、瓦礫の撤去作業に追われるブギーモン達に目を向ける。

「お前達の中で、以前から彼らに危害を与えていた者は?」

 決して大きな声を出したわけではないのに、フェレスモンの声は広間に響き渡る。
 ブギーモン達は、気まずそうに顔を見合わせていた。

「お、お、お、恐れながら!」

 一体が叫ぶ。

「メトロポリスから来たと、言った二体を、そいつが、部屋で……!」

 指を差されたブギーモン──コロナモンとガルルモンに自室で暴行を加えていた──は、いつの間にか救出されていたらしい。痣だらけの顔が、ひどく青ざめていた。

「────六十八番目の我が子。私の側に来たまえ」
「……は、は……!」

 恐怖で顔を歪めながら、全身に汗を垂らしながら、そのブギーモンは言われた通りフェレスモンの側に立つ。

「彼らはメトロポリスから来たのかね」
「……は、はい」
「目的は何だと」
「…………外の、情報と……引き換えに、け、結界の、作り方を……」
「城に迎え入れた時点で彼らは客人だ。メトロポリスの遣いなら尚更。その客人に対し無礼を働いた事は、事実か?」
「そ、それは、だって、こいつらが、雑魚のくせにフェレスモン様に会おうだなんて、生意気だしそれに、俺の言うこと何でも聞くって……」
「そうか」

 フェレスモンは溜め息を吐く。ブギーモンには、一瞥もくれなかった。

「……本当に申し訳ないことをした。
 詫びと言っては難だが、せめて……」

 コロナモンとガルルモンに目線を向けたまま──側に立つブギーモンの顔を、大きな手で掴む。

「これで許してやってくれないか」

 ──鈍い音がした。
 掴まれた頭部が、いとも容易く握り潰された。

 血液データが飛散する。子供達の悲鳴が上がる。コロナモン達はその一瞬の出来事に身動きひとつとれず、子供達の目を塞ぐ事さえできない。
 ブギーモンは血痕もろとも光の粒子となり、フェレスモンの中へと吸い込まれていった。

「それと……今、彼のことを教えてくれた、三十二番目の我が子よ」
「は、はいっ!!」
「お前は、知っていて止めなかったね?」
「……っそ、それ、それは! フェレスモン様が帰ってこられたら、伝えようと!」

 フェレスモンは、怯えるブギーモンに向かって指をさす。

「お前も私の中へ還るといい。それをもって贖罪としよう」
「────ひっ」

 ブギーモンはフェレスモンに背を向けて逃げ出す。
 フェレスモンは指先で銃を打つ真似をした。──スティングモンが目で追えない早さで飛び、腕のスパイクでブギーモンの背中を貫いた。

 光の粒子が散り、フェレスモンの元へ。

 子供達は涙を浮かべ震えている。ユキアグモンは目をテーブルに伏せ、コロナモンとガルルモンは言葉を失っていた。
 その様子に、フェレスモンは少し不思議そうな表情を浮かべる。

「怖いかね? おかしい。君達だって今までやってきたことだろうに」
「……!」

 違う。と、コロナモンは言おうとして──けれど言葉に出すことはできなかった。

「そういえば」

 思い出した、と。フェレスモンは目を丸くさせた。

「牢の番を任せていたフーガモンはどうした? 先程から見当たらないが」

 ユキアグモンが身を固まらせた。そんな彼へ、フェレスモンは一瞬だけ目線を向ける。

「いや、酷い有り様だと思ってね。──特にそこの二人、栄養状態も衛生状態も酷いものだ」

 けれど彼の目線はすぐに、誠司と手鞠へと向けられた。

「私は部下や我が子に『最低限の尊厳ある暮らしをさせるように』と言ってあったのだが……まさか、選ばれし子供たちにこんな扱いをしていたとは……。もちろん私の責任だが、まずは彼に直接“謝罪”させよう。フーガモンはどこかね?」

 ──沈黙が流れる。子供達は恐怖で冷や汗をかき、震える手を必死に握り締めていた。
 手下のデジモン達も青い顔をしていたが、彼らは実際知らないので、答えたくても答えられずにいる。

「……おや。誰も彼の所在を知らないのか」
『────フーガモンなら、我々が殺しまシタ』

 どこからともなく聞こえてきた声に、フェレスモンは視線だけを周囲に向ける。

「小屋にいた影絵の主か。お嬢さん、君の名前を聞いても?」
『……ウィッチモン、と』
「ほう。ウィッチェルニーの民が仲間に付いているのか。面白いな」

 姿の見えないウィッチモンの居所を、追究しようとはしなかった。

「いつ殺したのかね」
『彼らを脱出させる際に』
「そうだったか。では彼は、与えるべき者に罰せられたのだな」
『……。……フェレスモン殿。貴公はどうして、彼らを迎え入れたのデスか』
「当然だろう。君達は客人なのだから」
『……城に入り獲物を逃がし、部屋を破壊し仲間を殺した我々を、貴公は……』 
「私が怒る理由など」

 フェレスモンは小さく笑う。

「まあ、確かに疑問ではあるかもしれない。『選ばれし子供たち』という理由だけで、私からの厚待遇を受けている事に。つまるところ君達は、自身の価値をわかっていないのだ」
「……僕らの、価値……」
「そしてもうひとつ」

 スティングモンが、誠司の分の紅茶をつぎ足した。

「私は嬉しくもある。この理不尽な現状の世界で……君達は我々の本来あるべき形で戦い、生き残った。
 我々の根本は等しく弱肉強食だ。死んだ我が子や部下は君達よりも弱かった。それだけの事だよ」

 生きる為には、生存競争に勝たねばならない。
 力や知恵、もしくは運のある者が生き残り、ヒエラルキーの上位に立つ。群れを成して土地を得る。ダークエリアは、それが他の場所よりも激しいだけだ。
 ──傷害行為自体を楽しむ個体が多いのは、そんな土地柄が理由でもあるのだが。

 だから、弱い者がいつどこで死のうが、それが例え身内であろうが、フェレスモンにとっては特別憤る理由にはならない。

「もちろん、私は私が生み出した我が子を心から愛しているとも。悲しみがないわけではないさ。
 まあ、城の破壊に関しては……そうだな……屋内に雨風が当たるとカビの原因になるから……少しは怒ってもいいのだが……」

 少し照れ臭そうに、人差し指で頭を掻く。

「完全体にもなると、不思議と落ち着きというものが出てくるらしい。──メトロポリスから来たと言ったね。アンドロモンも大分、落ち着いていただろう」
『……、……ええ』
「彼は今どうしている?」

 昔の友人を、懐かしむような笑顔だった。

『……都市は壊滅的でシタが、生きておりマスわ』
「それはよかった。もう、友人達の多くは毒で死んでしまっているから」

 まったく悲しいことだと、表情を変えずにフェレスモンは口にする。

「いくら強者で在っても、気高く在っても、この毒の前では等しく無力だ。生存競争のルールから逸脱している。……この事態を何とかしなければ、と……ずっと思っているのだがね」
「……お……オレたちの、こと……誘拐したのって……その……」
「全ては世界の救済の為に。──ああ、そうだとも。手段は選ばなかった。君達を連れて来る以前からだ。私は私の保身の為、世界の救済の為、そこに至る研鑽の為、あらゆる手段を選ばなかった。
 人間の子供達には申し訳なかったとは思うが……。……いや、君達は別なのかな? メトロポリスから、一時的に城で過ごしていたのだったか」
『いいえ。弱っている二人は、ブギーモンによって連れ去られた子供達デス。……ワタクシ達は彼らという友人を、そして捉えられた子供達を救出する為に、ここまで来た』
「それは、なんと素晴らしい」

 フェレスモンは静かに手を叩いた。娯楽を前にした観客のようであった。

「全員ともかく、君達は友人を救い出すことができた。ああ、本当に誇るべき事だ」
『…………ひとつ、お伺いシテも?』
「構わないとも」
『……現状への打開策として、貴公が人間を集めた……という事は理解できまシタ。しかし具体的に何を? 回路の適性を持つ者の選定までされて……』
「確かに。君達は自身らが拐われた理由を知る権利があるな。────その前に私からも尋ねよう。アンドロモンは君達を使って何をしたかったのだね? 私に結界の作り方を聞くだけであれば、わざわざ君達を寄越す必要はなかったろうに」
『……それは』

 ウィッチモンは、リアルワールドで起きたブギーモンによる誘拐事件から、メトロポリスでの出来事、そして城への侵入に至るまでの経緯を説明した。

 嘘と偽りは通用しない。……その確信があった。だから、正直に話した。
 彼女の話を聞いた後、フェレスモンは手を膝の上に組んだまま──目を閉じ、思案する。そして重々しく口を開いた。

「……結局……考える事は皆、同じようなものか。私もアンドロモンも天使共も、そして『彼ら』も。
 しかし聖要塞に君達を売るなら、わざわざ私のいない間に君達を寄越さなくてもな……。まあ、私がいれば勝算はないと踏んだのだろう。そこは間違ってはいないのだが……」

 悩ましいと言わんばかりに眉間に皺を寄せる。

「……と言うより、君達自身もそうであったがね。彼もまた、君達という存在の重大さに気付いてなかったのだろう。それを理解できていれば、いくつか避けられた事態もあったろうに」

 フェレスモンは子供達を、慈しむような瞳で眺める。

「人間の回路が持ち得る可能性を考えれば……天使にとっても悪魔にとっても、『選ばれし子供たち』 は庇護すべき存在だ。こんな場所で、わざわざ殺すような真似はしない」

 アンドロモンの話を、思い出す。
 彼の語った夢物語。世界を救う為に君達の力が必要だと。

「……アンドロモンは……」

 コロナモンが、記憶を辿る。

「……天使は、英雄の存在を求めていて……あなたは英雄になること、求めてるって……」
「おや。彼はそんなことを言ったのか」

 意外だ、と小さく笑った。

「……ああ、なれるものなら私も、英雄とやらになりたいものだ」
「……パートナーを持つ為に、子供達を拐ったんですか? 人間と繋がれば、デジモンは強くなれるから……」
「そういうわけではない。……私もあの中から一人くらい、パートナーをもらってもいいかもしれない──とは、思わなくもないがね。
 まあ、やらないさ。彼らが抱くであろう私への恐怖心を考えると、良い関係は築けないだろうから」

 自業自得だよ、と肩をすくめて見せる。

「哀れなアンドロモン。聖要塞でなく我々に協力すれば、結界の恩恵も受けられただろうに」

 フェレスモンは残念そうに、再び腕を組んだ。

「回路の保有者の選定については、答えられる部分と、そうでない部分があるな」
『……我々には、言えない?』
「我らが同志となった者以外に伝えてはならない。……と、いう事になっている。
 故に、私から言える事は二つ。より良質かつ多くの回路を持つ人間が必要であった事。そしてこの城の結界を、毒を拒絶する奇跡の膜を──作り上げたのは、私ではないという事」

 だから、自身でなく要塞のデジモンに付いてしまったアンドロモンに、それを教える事はできないのだ。

「彼を哀れとは思うが、愚かだとは思わない。ただ、我々とは今の世界を生き抜こうとする術が違った。それだけの事だ」
『……』

 同志──という言葉が、ウィッチモンの中で引っ掛かる。ウィッチモンだけではない。その場にいた誰もが。
 けれど、聞いても答えてはくれないのだろう。そう、確信に近いものがあった。

『……手鞠ちゃんたちは……来たくて来たんじゃないのに……』

 話を聞いていた柚子は子供達の中で唯一、フェレスモンに怒りを向けていた。

『……無理矢理ひどいこと、したくせに……それを正論みたいに、世界を救うからなんて言って……納得できない……!』
「ウィッチモンのパートナーか。……ああ、言いたい事なら理解するとも。心情も少しは。
 しかし先程も言ったがね、手段は違えど根本は変わらないぞ。私も、アンドロモンも、そして天使共も」
「……ぢがう。天使様は、同じじゃない。ひどいごど、しない」
「同じさ。君達という存在を利用する点においては。いずれは誰かが似たような事をしただろう。
 そして私は信じている。私の行動が……過程はどうあれ、いつか世界に平穏をもたらす一端となると。その対価として、私は自身とこの城に、偉大なる結界の恩恵を受けたのだ」

 崩れた壁から、上空を覆う結界を臨む。
 ゆらめいて、煌めいて。城が壊れても尚、毒から民を守り抜く薄膜。

「──君達はどうする。選ばれし子供たちとそのパートナー。この世界の現状を目の当たりにして、今後どう在りたいと願う?
 その理想が、そして利害が我々と一致するのであれば……」
『……貴公に協力を?』
「もちろん強制はしない。また全員である必要もない。体裁など捨てて、君達の利益を考えた上で判断すればいい」

 彼の発言に一行は困惑する。すぐに拒絶の意思を示したのは、ユキアグモンだけであった。

「……急に聞かれても困るだろう。天使の奴が来るまでに考えておきたまえ」
『……要塞都市の遣いが来ることは、いつからご存知だッタのデス』
「昨日の夜だったか。それも含めて迎えよと城に伝達はしたが、まさかこんなことになっていたとは」
「恐れながらフェレス公。情報の伝達に齟齬が生じたものかと。貴公の子らは残念ながら頭が回らない」
「ああ、いや、サングルゥモン。私が悪かったのだ。はっきり言わなければ通じない我が子らなのに、私の伝え方が甘かった。その結果がこれだ。良くも悪くもな」

 フェレスモンは改めて、子供達に謝罪をする。背後で復旧作業をするブギーモン達は、気まずそうに目をそらした。
 そして、

「……そういえば、忘れていた。君達の当初の目的は、私の子らが攫った人間達の救出だったね」

 次の瞬間、信じられない一言を口にする。

「帰してあげよう。彼らを、リアルワールドに」



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