◆  ◆  ◆



 子供達はスティングモンに案内され、城の四階へと向かう。
 フェレスモンは、「捉えた者の責務として、彼らに挨拶する必要がある」と先に姿を消していた。

『……私が、言うのも変だけど……。……どうして今になって、皆を帰そうなんて事になるの? フェレスモンが考えてること、全然わからない……』
「それは、用事が済んだからだろう」

 スティングモンが答える。

「フェレスモン様はブギーモン達と違い、理由なき殺傷は好まない。それに用が済んだ後の人間を、わざわざ城に置いておく理由もない」
「……もし、アタリだったら……わたしたちには、どんな“用事”があったんだろう……」
「貴様らが知り及ぶ事ではない」
「…………はい」

 四階は、他の階に比べて豪奢な造りになっていた。大広間の真上からずれた構造であった為、ガルルモンやファイラモンによる損壊は免れたようだった。
 階段を上れば、すぐにギャラリーが広がる。広い空間にも長い廊下にも、石像や絵画が並んでいた。

「準備が整い次第案内する。此処で待て」

 スティングモンはギャラリーに置かれた大きなソファーを指差し、座るよう指示した。
 子供達がおずおずと腰かけると、スティングモンはそのまま姿を消した。

 しばらくの沈黙。はじめに破ったのは、手鞠の服からようやく出てきたチューモンであった。

「……なんか拍子抜けだな。これなら何もしないで待ってた方が良かったんじゃないの?」
「で、でも……まさかこうなるなんて……わたしも、誰も、想像できなかったよ」
「こ、怖いことされなくて良かったじゃん。オレたちのことも、よくわかんないけど歓迎してくれてるし……」
 誠司は引きつった笑顔を浮かべていた。先程見せられた惨劇を忘れようと必死だった。

「そ、それよりさ。フェレスモンってばブギーモンのこと『子供』って言ってたけど……フェレスモンってお父さんなのかな? 奥さんは? ……なんて、ははっ……」
『デジモンに性別はありまセンよ。……いえ、語弊がありマスね。フレームとしての身体構造や、精神面での性別はありマスが……皆様のように雌雄は分類されていない』

 ウィッチモンの解説に、子供達は興味深そうに聞き耳を立てた。そういえば、デジモンの生態系については知らない事が多い。

『我々は有性生殖ではなく、自らのデータをデジタマに変換させる事で個体数を増やしマス。フェレスモンの場合、自身のデータからブギーモン達を産み出しているようデスね。無から新規個体のデジタマが発生するケースも多い』
「……? よくわかんないよ。タマゴから産まれるの?」
『そうデス。だから父親、母親という概念は無いのデスよ。リアルワールドで例えるなら……仕組みは異なりマスが、キノコが近いかと……』
「……きのこ……」
『だから誰でも恋ができるってわけだ!』

 みちるの声がギャラリーに響いた。

『性に捕らわれない恋愛! なんてフリーダムでプラトニックなこと! みんな恋してるかい!?』
『余計なお世話だってさ』
『えー! アタシそういうトーク大好きなのに! 乙女のビタミン剤なのに!
 ……ところで、皆ちょっと緊張とけたんじゃない? さっきやばかったもん。死にそうな顔してたよ』
『フェレスモン達が一時的にいなくなったこともあるでショウ。……ええ、でも、少しだけでも和らいだ方が良い。張りつめたままではいけない』
『あーあ、アタシだったらもっとフェレスモンと和やかムードになれた自信あるのになあ! さっきだってさ、アタシもお話ししたかったのに、ワトソンくんが止めるんだよ! ひどいよね!』
『キミの失言で誰かが死ぬのは見たくないからね』

 相変わらずの賑やかな雰囲気。しかしそれは、彼らなりの子供達への気遣いでもあった。──それを感じ取る。四人の子供達に、少しだけ笑顔が戻っていた。

『それにしてもさ、思った以上にフェレスモンが紳士でびっくりしたわよアタシ。なにあれ、話ちがくない?』
『別にフェレスモン様がやべぇ殺戮マシーンとか一言も言ってねぇだろうが。あの人、普段はああやって優しいんだよ』
「あれが優しいって? ウチらの目の前でブギーモン殺しまくったじゃないのさ」
『そりゃ、あいつらが怒らせる事したからだ』
『ってことはアタシらに協力しまくりのお前さんは、もしや昇進お約束レベルなのでは?』
『いやぁ、任務自体を失敗しちまってるからなぁ。イチかゼロだなぁ。やっぱりリスキーだから帰るのは怖ぇな』
『えー、でもだからと言って、ずっとここにいられても困るんですけどー』
『そしたらお前か坊主のどっちかパートナー契約してくれよ』
『は?』
『いやちょっとボクもお断りかな……』
『ひでえ……嬢ちゃん、やっぱり俺を二人目のパートナーに……』
『回路を接続できるのは先着一名デスよ……』

 会話の様子に、蒼太と花那は顔を見合わせる。自身らを襲ってきたあのブギーモンが、すっかり丸くなっていることに驚いた。

「……なあ柚子さん。そっちのブギーモン……今回の事が終わって、デジタルワールドにも帰らないなら、どうするの?」
『うーん、どうしよう。外には出せないし……』
『終わってみなきゃわかんねぇけどな。まあでも、そっちには戻れねぇし、パートナーも……もらえねぇし……』
「……もしお前が、本当に良い奴になってさ、もう俺たちのこと誘拐したり、悪い事とかもしないなら……きっと、パートナーできると思うよ」
『そいつぁ良い。できれば、権力のある奴の子供とかとパートナーになりてぇな』
「せっかくそーちゃんが良いこと言ったのに……」
「パートナー、ぞんな気持ぢでなっちゃだめ」
「……。……パートナー……」

 コロナモンが、蒼太と花那に目をやる。

「蒼太、花那」

 呼び掛けられ、二人が振り向く。

「あの時はありがとう。……俺を助けてくれて。呼び掛けてくれて」
「……──コロナモン、……でも、俺は」
「私、何もできなかったよ」
「……そんなことは……」
「進化って、よくわからないけど……それでも、蒼太が頑張ってくれたから……。……蒼太が助けてくれたんだよ。私、本当に何もできなかったんだよ」
「……俺がやったんじゃない。進化しろって言って、コロナモンが大きくなったんじゃない。俺は……花那も……二人を助けたかったのに、どうしたらいいかわからなかったんだ」

 蒼太はデジヴァイスを取り出し、見つめる。
 突然、七色の光を放った小さな機械。どうしてそれが起こったのかは、わからない。

「……これが、たまたま光って、何とかしてくれたから……コロナモンは進化できて、助かったんだ。……でも俺、これの使い方わからないよ。またコロナモンが怪我した時に……どうやって使えばコロナモンを助けられるのか、わからないよ……」
「……蒼太……」

「────それは、パートナーたる人間の感情に依存すると言われている」

 低い声が、背後から聞こえた。

「具体的には、人間の感情の昂りによる──回路を伝う電流の励起。人間とデジモンの繋がりが強まるとはそういう事だ。……君は、パートナーを助けたい一心で祈ったのだろう」

 フェレスモンは蒼太に微笑みかける。

「特にそのデジヴァイスは、人間とデジモンとの接続を媒介する上、回路の感度を増幅する役割がある。便利なデヴァイスだ。それは模造品のようだが……まあ、本物は天使共に貰えるさ」

 そしてフェレスモンは背を向けると、歩んできた通路を引き返す。

「ついて来なさい。子供達の帰還を、その目で確かめたいだろう」



◆  ◆  ◆



 執務室に案内される。
 ベルベットの絨毯に、樫の木で作られた壁と家具。落ち着いた雰囲気の空間だ。

 部屋の中にはもうひとつ、奥へと続く扉があった。

「この奥だけダクトが独立してるから、君は知らなかったかもしれないが」

 隠れるチューモンに、語りかけた。

「子供達は、ここに居る」

 扉が開かれる。
 暗い廊下が続く。
 また、扉が現れる。
 扉の隙間からは光が漏れている。

 フェレスモンが、扉を開いた。

 ──果たして、其処は本当に城の中なのか。
 目の前には、体育館ほどの面積を有した空間が在った。

 中の様子は、例えるなら大食堂だ。大きな長いテーブルが中央に置かれ、部屋の隅には人数分の毛布が用意されていた。床も清潔で、排泄の場所もきちんと仕切られている。
 そして──ハズレの子供達に比べて肉付きがしっかりした、たくさんのアタリの子供達が、目を丸くしてこちらを見ていた。

 いいなあ。と、誠司は思わず声を漏らす。

「本当なら、君達もこちらで過ごす筈だった」
「…………わたしたち、テストに合格できなかったんです」
「選定のことかね? ……そうか。選定前にパートナーが出来てしまっては、確かに反応は鈍かっただろう。契約済みの子供が来る事は想定していなかった」
「……、……でも……花那ちゃんたち、来てくれたから……。……皆も、きちんと帰れたし……」
「君は純真な子だな」

 フェレスモンは手鞠の頭を軽く撫でた。手鞠は驚いてフェレスモンを見上げる。優しい笑みが、そこにはあった。

 そして、子供達に語りかける。

「さあ、────子供達」

 子供達は何故か怯えている。身を寄せ合いながら、フェレスモンの顔を見上げていた。

「そう怖がらなくて良い。家に帰る時間だ。もうここには居なくて良いんだ」

 フェレスモンは両手を広げて微笑んだ。
 子供達はその言葉の意味を理解すると、歓声を上げた。泣きながら抱き合い、帰還できることを喜んでいる。
 ある程度の生活が送られていたとはいえ──見知らぬ閉鎖空間での軟禁は、精神的に辛いものがあったのだろう。

 そしてフェレスモンは、何もない空間に掌を向け──

「ゲート・オープン。彼等をリアルワールドへ送りたまえ」

 腕輪を使うこともなく、光の扉を具現させた。

「順番に並びなさい。扉の中に入ったら、そのまま真っ直ぐ進むように」

 子供達は我先にと走ってくる。扉の前に来ると、言われた通り順番に並んだ。

「走る必要はないとも。全員が入るまで扉は開いている。安心しなさい」

 すぐに全員が列を作ると、フェレスモンは笑顔で彼らを促した。
 子供達は進んで行く。蒼太達は、安心した顔でその光景を見届けていた。

『……』
『……みちるさん? どうしたんですか?』
『眉間にしわ寄せたい気分なんだと思うよ。それよりあのゲート、座標ってどうなってるの?』
『え、フェレスモンは皆のこと、家に帰してあげるって……』
『家に帰るまでが遠足だよ柚子ちゃん。それに、リアルワールドでも彼らが帰れるよう、見届けるのがボクらの役目だからね』
『座標を確認しまシタ。彼らの街からは少し離れていマスが……問題はないでショウ。貴方はまた警察に連絡をお願いしマス』
『任せて。さっきも中々の演技力だったんだ』

 全員がゲートに入り終え、リアルワールドへ続く道を進んで行く。そのゲートを閉じる前に──フェレスモンは振り向いた。

「君達はどうする」

 問いかけの意味が理解できず、子供達は戸惑う。

「今このゲートを潜れば、君達は元の世界へ帰ることができる。もちろん、腕輪は無いからこちらに戻ることはできないが……パートナー達も連れていけば、リアルワールドで穏やかに共生することもできるだろう。
 デジタルワールドはこの有様だが、だからと言って君達が無理をして、この場に留まらないといけない訳ではないよ」

 あの廃墟での暮らしをもう一度。
 あるいは、母親が録画したドラマを二人で楽しむ生活を。
 あるいは、隠れて潜んで、残飯の屑を必死に探す必要のない生活を。

 彼らはそれを手に入れる資格がある。穏やかに暮らしていく権利がある。
 フェレスモンの言葉は甘い誘惑であるが、同時に、言われて然るべき事でもあるのだ。

 答えに戸惑う子供達に、フェレスモンは「すまない」と謝罪する。

「少々、意地悪だったな。今のは。急かすような真似をした。別にこれが、リアルワールドへ帰るラストチャンス……という事でもないんだ」
「天使様も、ゲート開げる」
「そうとも。頼めば奴が開いてくれるさ。そしてその時、君達は今と同じ問い掛けをされるだろう。今のは予行演習だったと思ってくれれば良い。
 ──ああ、だが、私の同志の恩恵を受けるか否かだけ考えておいてくれ。特にウィッチェルニーのお嬢さんは」

 笑いながら、フェレスモンはゲートを閉じた。

「これで君達のミッションは終了だ。一件落着だな。
 ……さて、天使が到着するまでもう少しある。それまで、また広間でお茶でもしていよう」

 そう言って、フェレスモンはアタリの部屋を後にする。子供達は慌てて追いかけていく。

 ──フェレスモンの、アタリの子供達に対する「用事」が何だったのかは、最後まで分からなかった。



◆ ◆  ◆



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