◆ ◆  ◆



 穏やかな時間が流れる。

 フェレスモンは子供達に再び紅茶を振る舞った。子供達は初めよりも落ち着いた表情で、もてなしを受け入れている。
 もちろん、ブギーモン達に囲まれた状況だ。緊張感はあったが、──あとはもう、要塞都市の遣いを待つだけ。
 子供達は安心していた。これで終わる。やっと外に出て、都市に行ったら帰ることができる。他の子供達も無事に帰還できた。最初はとても怖かったし、惨劇の光景は目に焼き付いて離れない──が、フェレスモンには最後まで親切にしてもらえた。

「ところで、私への協力の件だが」

 味の薄いクッキーを食べながら、誠司が顔を上げる。

「どうするかね」
「……あ、あの、それって……オレたちもですか? それとも、声だけのお姉さんのこと?」
「君も協力してくれるなら、嬉しいことだな」
「そっかあ。でも、オレも、たぶん宮古さんも、何がどうなってるのかわかんなくて……。そーちゃんたちは知ってるの?」
「……俺たちは、アンドロモンさんから、色々聞いたけど……」
「ふむ」

 フェレスモンは目線をずらして思案する。果たして、理解力に乏しい子供にどう説明すべきか。

「まあ、簡単に言えばだ。我らがデジタルワールドは災害の真っ只中。大変なことになっている」
「それって、地震とか火事とか?」

 誠司の問いに、フェレスモンは「似たようなものだな」と肩をすくめた。

「オレたちとか、捕まった皆とか、お姉さんとかが、そんな大きなことの何に役立つんだろう」
「それは、秘密だ」

 口元に指をあて、微笑む。

「しかし、ウィッチェルニーのお嬢さんの情報収集能力は必要とするところだ。下手に外を動けない我々と異なり、次元を挟んでの環境の視察や他者との接触が可能だからな」
『……ええ。だからこそ、ワタクシは今の任に就いて……』
「だから、協力してくれれば嬉しい。私はね。君の条件も今より良くなると思うのだが」
『……』

 モニターの向こうでは、柚子がウィッチモンの裾を、そっと握っていた。

『……ワタクシは』

 フェレスモンの誘惑は、とても甘くて魅力的だ。
 毒を遮る結界。ブギーモン達が安心しきって熟睡していたことを思い返す。故郷では、いつ毒が次元を超えて溢れ出てくるか──皆恐怖して警備に徹している。
 もし結界が故郷に張られるのだとしたら、それは故郷の救済に繋がることだ。皆が安心して夜を越すことができる、なんとも、理想的な話だった。

 しかし、一抹の不安があるのも事実だ。
 魅力的な話だからこそ、裏側に潜むものが気にかかる。そもそもフェレスモンに対しては、理解しかねる点があまりに多い。
 何かしらの形で子供達を──帰還はさせたものの利用した。何をしたのかは不透明なまま。
 これは直感的なものであったが、今隣にいるパートナーに害が及ぶ可能性も否定できない。それはウィッチモン自身、決して望むことではない。

『…………ワタクシは……ウィッチェルニーを守る為、現在のデジタルワールドを調査し、策を考案する義務がある』
「ああ。だからこそ。我らが恩恵は君の故郷を守り抜くだろう」
『……けれど……ワタクシはまだ何も見極められていない。そして選ばれたパートナーとして、彼女を守り抜く責任もある。これ以上、巻き込みたくはありまセン。……つまり』
「つまり?」
『今はまだ。……というのが、ワタクシの答えデス。フェレスモン公』
「……私が君を待っているだろうという、自信があるのかね」
『ございまセン。貴公が真にワタクシを必要としないのであれば、早かれど遅かれど、ワタクシは切られる運命にある』
「そして、逆も然りと」
『ワタクシが自身の責務を果たし、その上で貴公のお力を賜る必要があったならば、その時は……ワタクシひとりでダークエリアに戻ってまいりマス。その時にワタクシの命をどうするかは、貴公のご判断に委ねまショウ』

 ウィッチモンは、袖をつかむ柚子の手を、覆うように握っている。傷だらけの手が少しだけ震えていたのが、柚子にはわかった。

「君のその判断が、ウィッチェルニーに惨事を招かないことを心から願おう」
『……』

 フェレスモンの言葉は胸へと突き刺さる。
 これで良かったのだろうか、という葛藤は、いつも決断をしてからやってくるものだ。──けれど今は、この手に感じている温もりを守らねばならないと、語りかける心の声に従おう。そう、自分に言い聞かせた。

 場の空気が少しだけ張りつめる。子供達がどのような言動をすべきか悩んでいるところで、サングルゥモンが広間へと戻ってきた。

「フェレス公。要塞都市の遣いが到着しました」

 やっとか、とフェレスモンは苦笑する。

「こちらへ通しますか」
「いや。奴らも此処に長居はしたくないだろう。一階のホールで待たせておけ。すぐに向かう。──さあ諸君」

 フェレスモンは席から立ち上がった。

「名残惜しいが別れの時間だ。天使の元まで、送り届けよう」



◆ ◆  ◆



 一階の玄関ホールへ向かう。

 子供達は不安ながらも胸を躍らせていた。天使とは一体、どのようなデジモンなのだろうか。
 そして蒼太と花那は──これでアンドロモン達との約束が守られると、安心していた。

「メトロポリスは木が全然なかったから……私たちの世界に来れたら、コクワモンきっと驚くだろうね」
「そうだね。木も、森も、いっぱいあるし」
「花那ちゃん。コクワモンって、どんなデジモンなの」
「えっとね……大きいクワガタ……?」
「機械で出来てるクワガタって感じ……」
「すげー! 会ってみたい! そーちゃんたち、色んなデジモンに会ってるんだな。オレたち、ここのデジモンしか会ったことないから……」
「そうだね。色んな奴がいるんだ。俺も、もっとたくさん会ってみたいよ」
「……もしデジタルワールドが平和になったら、俺とガルルモンで、皆を色々な所に連れて行ってあげるよ」

 コロナモンの提案に子供達は喜んだ。コロナモンはガルルモンに、いいだろ? と目線を送る。

「……全員乗せるのは大変だからね。コロナモン、また進化して、二人で連れて行こう」
「もちろんだ。……ああ、いつか、天使の里にも連れていくよ。本当に綺麗な場所だったんだ。全部が終わったら、きっと──……」
「“天使の里”か。これから会う奴にも、その存在を話すと良い。天使の下で暮らしていたと知れば、きっと同胞のように扱ってくれるだろう」

 フェレスモンは口角を上げながら振り向いた。

「奴らは私よりも頭が固いからな。気を付けたまえ」


 子供達が逃げる時に通った中庭を抜ける。
 中央ホールから、直線状の廊下へ。木製の扉を横目に進んでいく。途中、扉から覗くブギーモンの瞳を見た気がした。

 玄関ホールへ近づくと、デジモン達は大きな気配を感じ取る。フェレスモンとは異なる色の気配だ。──その直後、誠司の隣を歩いていたユキアグモンが駆け出した。

「ユキアグモン! 待ってよ!」
「こらこら、廊下は走るもんじゃあない。急がなくても、天使の奴は消えたりしないさ」

 ユキアグモンはホールの扉を開ける。そして、

「天使様!」

 ホールで待っていたデジモンに、泣きながら抱き着いた。



◆ ◆  ◆



 要塞都市からやって来た天使のデジモン。
 煌びやかな風貌、光を纏う翼。──その姿に、コロナモンとガルルモンは、ダルクモンの存在を思い出さずにはいられなかった。

 違いがあるとすれば、そのデジモンは男性寄りの造形をしていた。顔の一部だけではなく、上半分まで全て兜で覆っている。
 そして、二対の翼をもっていたダルクモンに対し──目の前のデジモンは三対、六枚を背に抱いていた。

「ユキアグモン」

 優しい声がホールに響いた。

「よく無事でいてくれた。都市の者も、何より兄上もお喜びになる」
「天使様、おで……」
「……ユキアグモン。その声はどうした。喉が潰れているのか? 一体何が……」

「──恐らく、リアライズゲート越えによる代償だろうな。エンジェモン」

 低い声が遮る。エンジェモンと呼ばれた天使のデジモンは、フェレスモンにあからさまな敵意を見せる。

「……貴様」
「どうした? 私はただ、彼の喉について説明をしただけだが?」
「……兄上はお怒りだ。人間の子供達を誘拐し幽閉した罪は、あまりに重い」
「まあ、手段が手荒だったことは認めよう。こちらも時間がなかったのでね」
「私は今すぐにでも、この城に兵を送り込み……貴様らを全滅させてやりたいと思っている」
「これ以上この城を壊すのはやめて欲しいものだな」

 笑いながらコロナモンに目線を向ける。コロナモンは気まずそうに顔を逸らした。

「──しかし君の至高の兄上は、その判断を下さなかった。無駄に争い互いの戦力を失えば、これ以上の毒の浸食に耐えられないとわかっているからだ。
 そして私も、それを理解しているからこそ──子供達の解放と明け渡しに賛同した」
「堕天した貴様は信用ならない」
「彼らが証人だ」

 フェレスモンは扉の前からずれると、子供達とエンジェモンを対面させた。エンジェモンの表情が、慈愛に満ちたものへと変わる。

「ああ……この子らが……選ばれし子供たち……!」

 駆け寄り、膝をつき、顔をまじまじと見つめる。

「怖かっただろう。可哀想に。もう大丈夫だ。我々が君達の安全を保障しよう。衣食住に困ることもない」
「……え、えっと、その、オレたち……」
「こんなに痩せ細って、可哀想に……」
「う、うん。でも、クッキー食べたし、ていうか……」
「か、海棠くんも、わたしも、もう大丈夫です。それに……他の皆も、ちゃんと家に帰してもらえました」
「本当か? 催眠や魔術にはかけられていないか?」

 手鞠は困惑しながら何度も頷く。

「……フェレスモンの旦那、あんた、全っ然信用されてないのな」
「ああチューモン。その通りだ。まったく耳が痛いな」
「なんだってそんなに仲が悪いのさ。前に何かあった?」
「いやあ、別に言うほどの事は──」
「──何故、神聖な子供にウイルス種が付いているのだ」

 チューモンを目にしたエンジェモンの声色が変わった。

「フェレスモン。貴様の差し金か。ウイルス種をあてがうなど!」
「え……? ち、違います、チューモンはわたしの……」
「よりにもよって毒と同調するウイルス種を! 許される事ではないぞ!」
「まさか。そんな事をする位なら、初めから彼ら全員に我が子を当ててるさ。
 それより自身の発言を猛省しろエンジェモン。そのチューモンは彼女に選ばれたパートナーデジモンだ。貴様よりも、ずっと価値がある」

 手鞠はチューモンを抱いて後ずさる。

「愚かなエンジェモン。だから貴様は兄のように成れぬのだ。子供達の信用を失うような事があれば、それは要塞都市の損害に繋がるぞ」
「貴様……!」
「──エンジェモン、と言ったね」

 ガルルモンが、子供達の前に出た。フェレスモンとエンジェモンから遮るように。

「この子たちが怯えている。喧嘩腰になるのはやめてくれ。……フェレスモン殿も、お願いです。彼を焚き付けないで下さい」
「すまない。天使と悪魔はどうしても折が合わなくてね。すぐ言い争いになってしまう。良くないな。見苦しい所を見せてしまった」
「……それと、ウイルス種だからとチューモンを差別したことは謝ってほしい。彼女は、僕たちの仲間だ」
「そ、そうです! チューモンがいてくれたから、わたしたち……!」
「ウチは気にしてないよ。こういうのは慣れっこだからね」
「慣れててもだめだよ! わたしが嫌だもん!」

 エンジェモンは頭を抱えた。フェレスモンは顔を背け、笑いをこらえている。

「……ああ。申し訳なかった。私が浅はかだった。許してほしい」
「表面上は解決だな。一件落着だ。では、そろそろ本題に入るとしよう」

 フェレスモンは含み笑いのまま手を叩く。エンジェモンは、仮面の下でフェレスモンを睨みつけていた。

「君達はこれから、エンジェモンと共に要塞都市へ向かう。もうここに戻ってくることも、私が干渉をすることもない。君達の今後は天使共に委ねられるが、心配はいらないだろう。
 ……エンジェモンは堅物だが、肝心の長には私からも話をしている。比較的スムーズに事は運ぶだろうさ」
「あ、待ってくれ! ウチは結界が……」
「安心したまえ。結界で焼かれないよう、既にこちらで調整している」
「そ、そっか。よかった……」
「いつか世界が平和になったら、復興したメトロポリスでまたお茶でもしようじゃないか。あそこは機械油ばかりだから、私がちゃんと茶葉を持って行こう」

 フェレスモンはそう冗談を交えながら、子供達ひとりひとりの背を押して、彼らをエンジェモンの前へと立たせた。
 コロナモンとガルルモンは、子供達を守るように傍へと寄る。

「エンジェモン。必ず彼らを都市まで導く事だ。貴様の命と引き換えてでも」
「貴様に言われずとも。守り抜き導くのが私の使命だ」
「──さあ、行っておいで。選ばれし子供たち。私はこのダークエリアから祈ろう。我らが神の加護が、どうか君達にあらんことを」

 そして、エンジェモンに促され、玄関ホールを後にする。
 子供達は振り向いた。フェレスモンはこちらに向けて手を振っていた。

「……さ、さよなら……!」

 誠司と、つられて手鞠が、大きく手を振り返した。フェレスモンは扉が閉まるまで、笑顔だった。




◆ ◆  ◆




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