◆ ◆  ◆



 城の外にはもう一体、美しい翼をもったデジモンが待っていた。
 黄金の仮面と艶やかな毛並みの、馬のような形をしたデジモンだ。

「ペガスモンです。よろしく、選ばれし子供たち。そしてそのパートナーデジモン」

 そう言って、ぺガスモンは深く頭部を下げた。

「本当は空から送りたかったのだが、ガルルモンは彼に乗れないな」
「気にしないで。僕は後ろを走るから」
「なら、自分も大地を共に駆けましょう。エンジェモンが護衛を務めてくれます。自分もエンジェモンも、このダークエリア……何より毒には耐性がある」
「……それは、俺たちも知ってます」
「なら話が早い。では、ユキアグモンとそのパートナー、そして小さくて赤い君とパートナーは、自分の背にお乗りください」

 手鞠が少しだけ苦い顔をする。先程のやり取りから、チューモンを避けられたような気持になったのだ。花那は手鞠の背中をさすって、ガルルモンへと促した。

 エンジェモンは何やら呪文のようなものを唱える。ぺガスモンとガルルモンの周囲を、球場のオーラが纏った。聞くと、細やかな毒除けなのだと言う。
 続いて、ウィッチモンからもデジモン除けのテクスチャを与えられる。これで一行は、デジモンとの邂逅を極力避けられる状態になった。

「それでは参りましょう。長い道のりですが、どうか頑張って」

 蒼太と誠司たちを乗せ、ペガスモンは駆け出した。ガルルモンも後に続いた。




 ダークエリアの荒野を、再び駆ける。

「ここから都市まではどのくらいあるんだ?」

 ガルルモンがペガスモンに尋ねた。

「距離はかなりありますが、都市まで直接向かうわけではありません。途中の街にワープポイントを設置しているので、そこまでです」
『──ご連絡しマス。五時方向に二体。及び十時方向に一体、熱源の反応を探知しまシタ。前方の一体はこちらに向かっているので遭遇する確率は高いでショウ。振り切るか、迎え撃つか』

 ウィッチモンの声に、上空のエンジェモンが答えた。

「振り切れるようなら戦闘は避ける。選ばれし子供たちの安全が第一だ。戦闘で足止めされている間に挟み撃ちに合っても困るからな。──だが」

 エンジェモンの拳に、光が宿った。

「毒に喰われた者に関しては、話が別だ」

 ウイルス種、とりわけ毒の気配に敏感であったエンジェモンは己の直感を信じ、スピードを上げ、ガルルモン達よりも遥か前方へ進む。
 そして──地面を這うヘドロのようなデジモンと邂逅する。

「……レアモン……成れの果てか」

 ヘドロのようなデジモンは、毒による液状化が進んでいた。

「……お前達は……毒によって意思が奪われ、ただ喰らうだけの──もはやデジモンとさえ呼べない化け物だ。我ら天使が与える“死”こそが慈悲であり、救済である」

 エンジェモンは輝く拳を振り上げる。

「──ヘブンズナックル!!」

 撃ち放たれた光がレアモンを焼き尽くす。レアモンは叫び声一つ上げることなく、光を受け入れて消えていった。

 レアモンのデータの粒子が舞う中、ガルルモンとペガスモンが追いついた。

「加勢は無用だ。もう済んだ。──ところで、毒に侵されたウイルス種に出会ったことは?」

 コロナモンとガルルモンは頷く。

「……そこにいるチューモンも、毒に触れれば分別なく周囲を襲う化け物となる。パートナーの衣服から決して外に出すな」
「……何でウチが化け物に?」
「貴様、知らないのか?」
「城の外の事なんて知らないね」
「フェレスモンの部下にはろくに知識も備わっていないのか」
「住み着いてただけで部下じゃない。ウチはむしろ駆除対象だ」
「……とにかくだ。毒はどこから湧いて降ってくるかわからない。私の結界だって気休めだ。いいから絶対にそれ以上顔を出すな。パートナーを傷つけたくないなら」

 エンジェモンは何度もしつこく注意した。チューモンも、手鞠も誠司も、それを煩わしく感じていたが──コロナモンとガルルモン達は、エンジェモンが何を危惧しているのか痛いほどわかる。
 蒼太と花那も理解していた。廃墟で、ダークエリアで、二人は実際に出会ってきたからだ。

「……詳しく話してやりたいところだが、護衛に集中したい。それにデジタルワールドの現状は……説明をするより、その目で見た方が早いだろう。
 君達もだ。君達がこれから救うであろうデジタルワールドの現状を、どうか目を逸らさずに認識して欲しい」

 ──なんて残酷なことを言うのだろう。そう、コロナモンとガルルモンは思う。
 デジモン同士の生存競争も、毒による異形化も、殺し合いも。この子達に見せろというのか。今まで自分達が、何としてでも見せまいと努めてきた事を。

「……これは、俺たちデジモンの世界の問題だよ。この子たちが関係ないって、言いたいわけじゃないけど、でも……巻き込んでいいことじゃない。そんなのはデジモンの勝手な都合じゃないか」
「何を言っているんだ。選ばれし子供たちとそのパートナーは、世界を救うために存在する。それが世界の現状を受け入れずしてどうする」

 さも、当然のように告げられる。
 呆然とするコロナモンには目もくれず、エンジェモンは護衛に徹した。

 ──どうして。
 この子達を巻き込むことを前提に、君は話を進めているんだ?

 そう問いたくても、言葉が届く距離に彼はいない。
 コロナモンはガルルモンに視線を送る。ガルルモンはひどく苛立っている様子だった。……当然だ。自分達は、この子達を巻き込みたくて、この世界に戻って来たんじゃない。今度こそ守り抜くと誓ったのに。
 果たして、自分達の選択は正しかったのだろうか。城で全員が合流できたあの時──アンドロモンとの約束を破ってでも、アタリの子供達を置いてでも、彼らをリアルワールドに帰すべきだったのではないか。

 フェレスモンの城からも離れ、ダークエリアのど真ん中。引き返すことも、降りて立ち止まることも出来ない。もう、選択を選び直すことはできない。
 今はただ、ひたすらに進むしかない。──その現状がもどかしくて仕方がなかった。




◆ ◆  ◆




 城を出てから何時間、経過しただろう。

 ダークエリアを走り続けた。
 向かってくる者はエンジェモンによって狩られた。実際、護衛として遣わされたエンジェモンの戦闘能力はとても高かった。洗練された容赦のない拳は、なんとも心強い。

 その姿に、子供達──もとい誠司は、目を輝かせていた。

「誠司。……やめなよ。そんな顔すんの」
「え?」

 蒼太は苦い顔で、友人に振り向いた。

「さっきのもデジモンなんだよ。それが、死んでってるんだよ」
「……それは、わかってるけど……」
「……お前、牢屋でフーガモン殺した時……どう思ってたんだよ」
「あ、あれは、だって……でも、牢屋から出れたし、ユキアグモンだって、助かったし……その……。
 ……そーちゃん、オレは、別にデジモンが死んで嬉しいとか、そういうことじゃ……」

 ブギーモンが目の前で殺された時は確かに怖かった。しかしエンジェモンの「救済」でそうならないのは──単純に、流血の有無が理由である。
 エンジェモンの光の拳は、一滴の血液データも垂らすことなく、相手を蒸発させるようにして消滅させる。誠司にはそれが綺麗に見えたのだ。そこには決して、悪意などなかった。

「彼の反応は良い傾向です。選ばれし子供たち。エンジェモンの偉業に目を輝かせ、倒されるべき相手が消えても嘆かず、前を見る。戦士には必要な素質ですよ」
「……俺たちは……ただの、小学生だよ」

 煌びやかな天使達。助けに来てくれて、アンドロモン達も救ってくれるはずの天使達。
 ……でも、何かが違う。蒼太の中で違和感ばかりが膨らんでいった。





 間も無くして、一行はようやくダークエリアを越えた。
 蒼太と花那も初めて見るデジタルワールドの姿。ダークエリア以外の土地。命の気配のない荒野に、植物の姿が見られるようになった。

 まず、目を丸くしたのはチューモンだった。城の窓からしか外を見たことがない彼女にとって、生きた植物は初めて見る存在だった。

「……これが……ダークエリアの外……」
「……チューモン。どう? わたしたちの世界にも、こんな風に草やお花が生えてるんだよ」
「……手鞠たちの世界は、綺麗なんだね」

 手鞠は笑顔になる。ポケットから覗くチューモンと微笑み合う。一緒に帰れたらピクニックに行こう。そう、夢を見る。

「ねえ、あれ何?」

 誠司が声を上げた

 指差す方向の光景。エンジェモンとペガスモンは、特に驚きはしなかった。
 コロナモンとガルルモンは表情を歪ませた。
 蒼太と花那は、その様子に見覚えがあった。

 黒い液体にまみれたデジモンがいる。元の姿は何なのか、わからない。

「ねえそーちゃん。あれ、なんてデジモン? ドロドロモン?」
「……違うよ。あれは、そんな風に、言っちゃだめだ……」
「……そーちゃん、……こっちで会ってから、いつものそーちゃんじゃない。何でそんな暗くなっちゃったの?」
「……。ねえ誠司くん。あのデジモン、よく見て」

 蒼太と花那は思い出す。
 あの日公園で見つけた、黒い血を吐いていたツカイモンを。ダークエリアで襲い掛かってきた、黒い液体を垂れ流すタスクモンを。

「元から……あんな姿だったんじゃない。あのドロドロの下に、別の体みたいのがあるの……誠司くんわからない?」
「……誠司。あのデジモン、苦しんでるんだよ」
「え──……」

 毒に溶けたデジモンは、自分達とは別の方向に駆け出す。
 その先には、また別のデジモンがいた。仲間と思われるデジモンは、溶けかけたデジモンに必死に呼びかけている。

 元に戻って。友達だったのにどうして。こっちに来ないで。元に戻って。お願い神様。あの子を返してください。ぼくの友達がどうしてこんなことに。お願い目を覚まして。ぼくのことがわからないの?

 ──そして、悲鳴が上がった。
 毒で自我を失ったデジモンは、友人であっただろうデジモンに襲い掛かった。
 しかしその牙が、爪が、彼に突き刺さるよりも先に──エンジェモンが放った光線が、毒に溶けたデジモンを焼き尽くす。

 手鞠はその光景に、思わず口元を手でおおった。誠司は目を丸くしていた。

 そして草むらには、襲い掛かられたデジモンがひとり。
 エンジェモンが傍に舞い降り、手を伸ばした。

「君はフローラモンだね。怪我はないか? 毒は……」
「あああああっ!!」

 フローラモンは、さっきまで友人がいたはずの場所へ走る。

「ベタモン! ベタモン!! な、なんで、さっきまでここに……」
「……残念ながら君の友人は、毒に汚染されていた。あのままでは」
「殺したな!」

 フローラモンはエンジェモンにつかみかかった。エンジェモンは、抵抗しなかった。

「ぼくの友達を殺したな!!」
「──そうだとも。あれ以上、苦しませたくなかった。君の友人はもう助からなかった。
「どうして!? まだ生きてたじゃないか! 生きてたんだ! 生きてたのに!!」
「あのままでは、君は友人の毒で死んでいた」
「そんなの嘘だ! だって……さっきまで、一緒に遊んで……!」
「それが、毒だ。この世界に無差別に降り注ぐ、抗いようのない毒だ。さっきまで笑いあっていた友の自我を殺し、そして目の前の友に襲い掛かる呪いだ」
「……なんで……なんで、なんで……!」

 フローラモンとエンジェモンの様子を、ペガスモンは敢えて見せるかのように、二人の近くで立ち止まる。

「君の居住地はどこだ。そこまで送ろう」

 フローラモンは大泣きしながら、それでもエンジェモンを連れていく。

「皆さん。寄り道をしても?」
「……俺たちは、構わないよ」

 ペガスモンと共にエンジェモンを追う。
 しかしその途中──フローラモンの叫び声を聞いた。

「……ねえガルルモン、今の声、さっきのデジモンじゃ……」
「……花那。……エンジェモンが戦う音、僕には聞こえてこないんだ」
「……それって、どういう……」
「…………きっと……あのフローラモンたちが、遊んでいる間だったんだろう」

 それは、自分とダルクモンが、里を離れていた間に起こっていた事と同じように。

 ガルルモンの予想通り。
 フローラモンの故郷は──彼らが遊んでいる間に、毒に飲まれて全滅していた。
 それを目にして泣き叫び、中に入ろうとするのをエンジェモンが制止している。

「離して!!」
「毒に触れれば、成長期の君はデータを壊され死んでしまう!」
「まだ生きてる仲間がいるかもしれないんだ!」
「もう誰も生きていまい。毒に耐えられるデジモンは、ごく一部しかいないのだから」
「そんなことない! 離して!! 探しに行くんだ!」
「それよりも恐ろしいのは……君の友人のようなウイルス種デジモンがいた場合だ。奴らは死ぬことなく毒に食われ、毒を生み、その範囲を広げるぞ!」

 ──ああ、見ていられない。

 ガルルモンが震えているのを、コロナモンは見逃さない。
 手を、伸ばそうとした。触れようと。肩を叩こうと。──だが、ペガスモンの上からでは届かない。

「──ぼくは……皆を……!」
「! おい!!」

 フローラモンがエンジェモンの制止を振り切った。
 駆け出す。毒に飲まれた故郷へと。

「……! 待って! 僕らも……」

 仲間を探すのを手伝うよ。
 その言葉を伝えきれないまま──フローラモンが、毒の中へと飛び込んだ。

 ──だが、成熟期ですらないフローラモンは、広がる毒に耐えきれない。
 足が焼ける。叫び、倒れる。毒の水溜りに沈む。
 ペガスモンが駆け付けようとしたが──エンジェモンは、彼を止めた。

「……もう助からない」

 エンジェモンは、唇を噛みしめる。

「私が制止しきれなかったせいだ。責任は全て私にある」
「まだ間に合う! 僕らだって、あの状態から助かった!」
「……それは自力でか?」
「……!」

 助かったのは、ダルクモンが自身のデータをすべて使って、自分達に分け与えたからだ。
 ああ、でも、目の前の天使達はそうしない。そうはできない。だから──

「──せめて、私達で楽にしてやらねば」
「……楽……?」

 そして、エンジェモンは拳に光を宿していった。

「……自分も手伝いましょう」

 ぺガスモンも、額に光を集める。

 何をする気だ。コロナモンはペガスモンの髪を掴んで、ガルルモンはエンジェモンに駆け寄って止めようとした。──しかし、その行動は既に遅く。

「ヘブンズナックル!」
「シルバーブレイズ!」

 光が放たれる。

 フローラモンを苦痛から解放し、故郷を毒から解放し、残っている可能性があるウイルス種のデジモン達も全て、消し去った。

 子供達は言葉を失っていた。目の前の出来事が、あまりにも受け入れ難かったからだ。
 誠司の瞳は、もう、輝いてはいなかった。

「────どうして!」

 コロナモンは叫ぶ。

「どうして見捨てた!!」
「……エンジェモンは、手遅れだと判断したのです。自分もこの結果は残念に……」
「止める時……俺たちが探すと! もっと早くに伝えれば! 彼女だって飛び出さなかったよ!
 自分の故郷がこんなことになって、駆け出さない奴がどこにいるんだ! 仲間を、家族を探そうとしない奴が!」

 コロナモンがここまで声を上げて、怒りを露わにしたことなどあっただろうか。
 蒼太は前に座るコロナモンに、何と声を掛けたら良いかわからなかった。
 花那は何故だか涙をこぼした。フローラモンの件が悲しかったこともあるが、それだけではない。

 かつて廃墟で話した事を思い出す。
 最初に二人は言った。自分達はデジタルワールドから「逃げてきた」のだと。
 その時は、「強い成熟期たち」から逃げてきたと言っていたが──やはり違ったのだろう。彼らの表情を見れば、嫌でもわかる。

「……ガルルモンと、コロナモンも……こうだったの?」
「……、花那……」

 ガルルモンは、燃えていくフローラモンの故郷から、空を見上げて目を閉じる。

「……ああ、そうだよ。でもね、僕たちは──……ダルクモンは、最後まで命を諦めなかったよ……」

 やがて辺りが焼け野原になると、エンジェモンは何も言わずに本来の進路へと戻る。
 コロナモンもガルルモンも、もう、あれ以上は何も言わなかった。

 子供達の耳には、フローラモンの叫びがこびりつく。
 ただ、ひたすらに胸が苦しい。




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