◆ ◆  ◆



 誰に予告することもなく、ウィッチモンは使い魔との通信を切断する。
 ウィッチモンの表情は重く、何かに怒っているようにも思えた。柚子は声をかけようとして──どんな言葉を選ぶべきか、戸惑う。

「……ウィッチモン。……皆へのナビゲート、いいの?」
「一応モニタリングは続けマスが……エンジェモンがいれば心配ないでショウ。
 ──それよりユズコ。貴女、ずっと気を張り詰めていて疲れまシタよね? 今のうちに休んだ方が良いデスよ」
「……ウィッチモンは?」
「大丈夫。ワタクシも休みマスから」
「……うん。でもどうしよう。眠くもないし、することもないし……」
「じゃあ柚子ちゃん。ボクと外の空気でも吸いに行こうか」

 ワトソンの提案に、柚子は思わず「えっ」と声を上げた。

「ずっと部屋に缶詰めだったから、 ボクそろそろ外に出たいって思ってたんだよね。せっかくだし一緒に行こう」
「柚子ちゃんびっくりしてるよー。ワトソンくんとじゃ嫌だって!」
「い、いえ、そういうわけじゃ……。外に出たら、皆と時間ずれちゃうんじゃないですか?」
「それはまぁ、大丈夫だよ。皆も時間かかると思うし」
「そーそー! こんなボロボロ狭小ルームに閉じこもってないで、パフェとか食べてきな! おつかいもついでに頼んだ!」
「ワタクシも賛成デス。リフレッシュは大切デスよ」
「……わ、わかったよ。皆そう言うなら……いってきます」

 柚子は半ば追い出されるような形で、ワトソンと部屋を出ていった。

 ギィ、と音を鳴らしながら、錆び付いたドアを閉める。
 日の当たらない狭い廊下から、階段を下りていく。日差しが一気に柚子を照らした。

 久しぶりの太陽の光は眩しくて、目を細める。

「──さて、どこ行こうか。行きたい所ある?」
「い、いえ……特には」
「そうだ。コンビニに行ってもいいかな」
「は、はい」

 結局、休憩時間のプランはワトソンが全て決めた。柚子も異論はなかった。
 湿った空気と、アスファルトからの輻射熱で汗が滲む。まだ夏本番ではないというのに、外はすっかり暑くなっていた。

「……人、あまりいないですね」
「平日だからね」
「……オーロラの日から、どれくらい経ったんでしょう」
「あれ、ケータイは?」
「置いてきちゃって……」
「そっか。急がせちゃったもんね」

 通りがかりにコンビニを見つける。
 中は冷房が効いていて涼しい。お決まりのBGMが、なんだか久しぶりに感じた。

 ワトソンは新聞コーナーで立ち止まる。見てごらん、と柚子を呼んだ。

「四日は経ってるみたいだ」

 リアルワールドでは、子供達の発見からそれほど時間は経っていない。新聞の記事は誘拐事件のことで持ちきりだった。

「……『未だ児童の捜索が続けられている』……私たちのことかな」
「多分ね」
「……いつになったら、皆、帰れるんでしょう」
「うーん。いつになるんだろう」

 ワトソンはそのままコンビニを出てしまった。柚子は慌てて追いかける。

「もういいんですか?」
「また帰りに寄ろう。冷凍食品とか、今買っても溶けちゃうから」
「あ、おつかい?」
「そう、それ。じゃあ次はファミレスに行こう」

 駅の方まで向かう。時折、垂れてくる汗を腕で拭った。
 段々と人通りが増えてきたが──誰も、柚子が未発見の児童のひとりだとは気付かない。それはレストランの中でも同様だった。

「顔まで公開されてるわけじゃないからね」
「……クラスの子の、お母さんとかに会わないか心配です」
「そしたら走って逃げればいいよ。──あ、すみません。バニラアイスください。柚子ちゃんは?」
「えっ。えっと……」
「戻ったらちゃんとしたの食べられなくなるから、今のうちに食べておきな」
「……じゃあ、ランチの、ハンバーグのやつで……」
「いいね。以上でお願いします」

 かしこまりました、と──店員の女性はこちらを訝しむ事も無く去って行く。柚子は胸を撫で下ろした。

「……あの、アイスだけでいいんですか?」
「少食なんだ。あと夏バテ。あんま外に出ないから」
「みちるさんもワトソンさんも、いつもあんまり食べないですよね。ゼリーとか、ジュースばっかり」
「あの子も少食だからね。ボクら、揃って胃腸が弱いんだよ。お肉とか生クリームとか苦手でさ」

 柚子は意外そうに目を丸くさせる。彼女の事だから、てっきり巨大パフェを一人で完食するだろう──なんて思っていたのに。

「そういえば、ふたりって兄妹なんですか?」
「お、踏み込むね」
「あ……いや、話したくないことだったら全然。すみません」
「家族なのは本当だよ。元々ボクたち、養護施設にいたんだけど」
「……え、そうなんですか!?」

 思わず声が大きくなりそうになった。

「うん。だって、全然似てないじゃない」
「確かに……」
「一緒に暮らしてて、義務教育が終わって、施設を出て、また一緒に暮らしたんだ。……あ、でも書類上は兄妹なんだっけ」
「そっか、養子みたいな感じで」
「そうそう。血は繋がってないけど、って感じ。いやボクらもよく分かってないんだけどね」
「……大人じゃないのに、二人で暮らしてるから……不思議だなーって思ってはいましたよ」
「この年頃だしね。……ちなみにこの『ワトソン』って変なあだ名だけど、みちるが好きだった本から取ったんだって」
「シャーロック・ホームズですね。そうかなとは思ってました」
「昔はちゃんと、はるかって呼んでくれてたのになあ」
「はるか……ああ、最初に言ってましたね。名前」
「いつの間にか改名されてたんだよね。まあ、施設の皆は普通に呼んでくれてたけど」
「なんかニックネームでいるのって、捜査員みたいですね」
「どちらかって言えば軍隊みたいだ。ウルフとか、ダックスとか、呼んでそうじゃない」

「──お待たせ致しました。ハンバーグのランチセットとバニラアイスでございます」

 甲高い声と共に、良い匂いのする鉄板が置かれた。
 柚子は目を輝かせた。こういうご飯は、久しぶりに食べる気がする。

「おいしそうだね」
「……はい。……」
「あれ。食べないの?」
「……手鞠ちゃんたちは……こういうの、食べてないなって思って。……こんな風にゆっくり、できないだろうなって……」
「罪悪感?」

 柚子は小さく頷く。

「部屋でもご飯、遠慮がちだったもんね。でも、食べられる子はちゃんと食べないとだめだよ」
「……」
「例えば──そんなこと言ったら、ボクらは世界の貧困な子供達を慮って断食しなきゃいけなくなる」
「……それは……」
「極論だけどね。でも不謹慎だって変に萎縮すると、それは別の面で影響が出ちゃうんだ。
 君が倒れたらウィッチモンは悲しむし、パートナーとしての力も貰えない。それ以前に君が体壊したら、逆にパートナーのウィッチモンからエネルギーが回されちゃうよ。そしたら皆のサポートができなくなる」
「えっ!?」
「ウィッチモン言ってたでしょ。お互いの体調とかが影響し合うって。流石に、リスクも無しに互いの元気を分け合うことはないと思うんだ。一方の飢えを満たすのに、何もない所からエネルギーが湧くなんておかしいからね。
 ──だから君は、ちゃんと食べて。いいね?」
「…………はい」
「キミの役目は、ちゃんと元気になって、ウィッチモンも元気にさせてあげることだよ。で、面白半分に首つっこんだボクらの役目は、そんな君達を応援することだ」
「……」
「あと、キミが食べないと、ボクはキミの目の前で延々とバニラアイスを食べ続けることになる」
「ええー……」
「嘘だよ。そんなに食べれない。……ほら、冷める前に食べな。いただきますは?」
「……い、いただきます」
「うん。その調子だ」
「……」

 ワトソンは表情をあまり変えないが、声色は優しい。そういえば、ゆっくり話したのはこれが初めてかもしれない。
 普段、何を考えているのか分からない二人に対し、苦手意識を持っていたが──柚子の中で、少しずつ二人への壁がなくなっていく。
 何より、久しぶりに楽しい気持ちになった。気付けばランチセットを綺麗に平らげていた。

 そして、また蒸し暑い外に出る。

「あの、ごちそうさまでした……」
「全然いいよ。じゃあ、引きこもり用の食べ物を買って、帰ろうか」
「……はい!」

 そう答えた柚子の表情は、部屋を出たときよりも、ずっと明るかった。



◆ ◆  ◆



「ウィッちゃん、強引だったねぇ」
「あら、何の話デスか?」

 そう、ウィッチモンはとぼけてみせた。
 みちるは玄関を眺めながら、「白々しい!」と笑う。

「天使ちゃんズとのぶらり旅、柚子ちゃんには見せたくないよねえ」
「否定はしまセン。あれが現実と言われれば、確かにその通りではあるのデスけど」

 ──不公平だろうか、と思う。現場の子供達は世界の現状を目の前で見せられているのにと。
 しかしこれが、閉鎖的な空間でパートナーの精神を守る為の、彼女なりの方法だった。

「まあ、無理矢理にでも休ませないとねえ。アタシたちもねー!」

 亜空間の部屋の中。みちるは大の字に転がっている。

「こうしてみると広いなあ!」
「流石に、このワンルームに三人と二体はキツいデスよね」
「いいじゃん! アタシとワトソンくん押し入れ別室で我慢してるじゃーん!」
「それは感謝してマスが……」
「ところでさ!」

 みちるは飛び起きる。

「──子供の数、結局全然合わないんだけど」

 ウィッチモンは少しだけ目を丸くすると、深く深くため息をついた。

「やはりデスか」
「ええ。やはりですわマダム。ゲート入りの時に、アタシってばちゃーんと数えてたんだけど」
「結論から聞きまショウ。何人デス」
「二十はこえてるぜ!」
「…………はぁ……」
「曖昧なのはさ、あの城にいる人数で全部じゃないからだよ」
「……だ、そうデス。ブギーモン」

 隅に転がるブギーモンは、気まずそうに目をそらしている。

「たまには貴方の意見も聞きたいデスわね」
「おうおう、てめぇの親玉さんは一体どういうご了見だい!」
「……まあ、多少のズレは……城に着く前に“失敗”したんだろうさ」
「確かに。ゲートを短時間で二度も越えれば、腕輪があるとはいえ身体への負荷は無視できないでショウ。他のデジモンに襲われた可能性もありマスが」
「でも、他は知らねえよ。そもそもフェレスモン様が何もせず、ただ『はいどうぞ』ってガキ共を返すわけがねぇ。それくらいアンタならわかるだろ」
「……ええ。それでも、ここまでズレがあるとは思いませんでシタが」
「なあ……本当に、誘拐以外のことはろくに教えられちゃいねえんだ。分かってくれよ」
「……それも、分かッテいマスよ。ええ。ごめんなさいねブギーモン。これは八つ当たりに近いものがある。
 しかし、貴方には共に考えて頂きたい。フェレスモンの子の一人として、彼の真意を」

 そう、想定はしていたのだ。フェレスモンが無条件で子供達を解放するとは思えない。フェレスモンでなくとも、理由あって誘拐した子供達を、何もせずに手放すことはしないだろう。

「そ、それよりだ。ガキの数が合わねえなんて、大事なことなんじゃねぇのか。なんで嬢ちゃんや向こうのガキ共に言わねぇんだよ」
「そんなことしたら皆『城に戻るんだー!』ってなっちゃうじゃん!」
「ええ。天使達が今度こそ悪魔を滅ぼさんと躍起になるかもしれまセン。最悪な全面戦争デス。かと言ッテ仮に城内でその事を指摘すれば──それは形だけでも友好の意を示シタ彼の顔に泥を塗る行為となる。結局の所最悪デスよ」
「エンジェモンとやらがさー、フェレスモン様に勝てるとは思えないんだよねぇ。ボスのが一枚上手って感じするじゃん?」
「そりゃそうだ。いくら天使とはいえ成熟期のエンジェモンじゃあ、完全体のフェレスモン様にゃ敵わねぇ」
「だから余計にダメなのよ。おわかりいただけただろうか!」
「……でもそれじゃあ、フェレスモン様が連れてったかもしんねぇガキ共はどうすんだよ。このままってワケにもいかねえだろ?」
「え、何アンタ。最後まで協力的? 改心イベじゃん!」
「うるせえ!」
「……ガルルモンも言ッテいたように……要塞都市に救援を頼む手段は、あって良いと考えていまシタ。到着次第報告して、都市の長に力添えをと……。……しかし」

 ウィッチモンの懸念は二つ。
 ひとつは、エンジェモン達の思考や言動から、都市の者達が心からの信頼に値するか──確信が持てないという事。
 そして、それでも都市にとって子供達は庇護の対象であるが──果たしてフェレスモンによって“用済み”となった子供達を、彼らが危険を侵してまで欲するか、という事だ。

「……いずれにせよ現状は、未発見の子供達への対処は難しいかと」
「そうなっちゃうかあ。本当さー、フェレスモンは子供を使って何をしようってんだろうね」
「……まったくデスね」

 ウィッチモンは溜め息を吐きながら眉間に指を当てる。そんな彼女の両肩に、みちるは手を置いた。

「肩もみチケット五分で千円!」
「高いデス。お気持ちだけ頂きマス」
「ちぇっ!」
「……」
「なんだいブギーモンめ。お前にゃやらんぞ!」
「いらねえよ。いや……フェレスモン様は、儀式に使うから人間を連れてこいって言ってたんだがよ」
「あ、それね。前に話してくれたやつ」
「そういえばその時、『回路が必要だ』って言ってたんだ。……お前らのやりとり見てて気になったんだけどよ。フェレスモン様は、ガキというよりも『回路』そのものが欲しかったんじゃないかって」
「……より上質な回路を持つ、子供達の選定……。彼は、あくまでも中身が必要だと?」
「予想だけどな」
「……」

 アタリの間で怯えていた子供達。
 衣食住は以前よりも改善されているのに、何故あんなにも恐怖を感じていたのか。

「……彼らは、フェレスモンに何をされたのでショウ」
「わかんねぇよ。でも、『回路』ってガキの中にあるんだろ? それだけ取り出して使うんだとしても、どうやるのかもわかんねぇしな……」
「取り出す……デスか。……そんな事……」

 目から鱗が落ちる思いだった。ブギーモンの発想はあまりに残酷で、ウィッチモンには抱けないものであったからだ。

「……ただ回路のみを必要とし、子供達はその為の器でしかなく……中身をどうにかして手に入れたなら……だからフェレスモンは子供達を帰した? しかし彼が帰城シテから子供達の解放のまでにそれが可能とは……」

 ウィッチモンの頭の中を、幾つもの考えが過っていく。

「……あの子供達を執務室に連れて行ッタのは、上位のブギーモンだと仮定シテ……しかし、その先は……?」
「おい、あくまで予想だって! 真に受けるなよな」
「……いえ、完全に否定はできまセン。ワタクシも回路について全てを知ッテいるわけではない。……回路に関しては、都市の長にも相談してみるしかないデスね」
「じゃ、じゃあ、その……良いアイデア出したのに免じてさ、そろそろ俺のこと、この鎖とか、色々解放して欲しいんだけど……ガキ共も帰したんだし……」
「…………ええ、いいでショウ」
「えーマジで!? ウィッちゃん優しー!」
「この状況で、もう我々に何かすることも無いでショウし」

 まだ子供達が城に残されているとは言え、当初の目的である手鞠と誠司の解放、大部分の子供達の帰還は完了している。ブギーモンがすべき事はもうない。

「……ああ、久しぶりに身体、動かせたな」

 解放されたブギーモンは大きく身体を伸ばす。固まった関節がボキボキと音を立てた。

「それで、どうしマスか?」
「何を」
「出ていくも良し。残るも良し。我々に害のない範囲でなら、貴方は自由に選択ができる」
「何も考えてねぇや。というより、ここから出られねえかもなあ」
「──それは」

「多分さ、俺のデジコアもう、ゲート越えに耐えらんねぇよ」

 ウィッチモンが所有する亜空間は、デジタルワールドとリアルワールドの狭間に存在する空間である。
 どちらにも行き来は可能だ。そして、中にいる間はゲート越えの干渉も受けない。

「俺が最初にリアライズして、パートナー無しでも生き残れたのはフェレスモン様の腕輪のお陰だ。もうその効果もないし、というか、あのチビとデカいのに散々やられたしなぁ」
「この空間から出れば……貴方のデジコアは、これまでのダメージに耐えきれず砕けると」
「流石にパートナー無しはキツいな。ここまで回復できねぇとは思わなかった」
「そりゃ難儀なお話だあ……せめてこれからは前より優しくしてあげるね……」
「ここまで言ってもパートナーにゃなってくれねえのか! この鬼! 悪魔かよ!」
「まー、どうせしばらくこの部屋いるんだし、その間に気が変わったらなってあげてよくってよ! なーんつってなー」

 ブギーモンは本気で涙目になっている。その光景に、ウィッチモンは苦笑していた。

「いやあ、でも本当、残った子供達はどうなっちゃってるのかしらね。
 キミ、仮にも当事者なんだ。せっかくだから最期まで見届けていきなよ」

 ケラケラと笑いながら、みちるはブギーモンの肩を叩く。ブギーモンは驚いてみちるを見たが、その後、何事もなかったかのように手を振り払った。



◆ ◆  ◆



 → Next Story