◆ ◆  ◆



 来客によって壊された城の修理が進む。
 フェレスモンは広間で一人、優雅に腰を掛けていた。時折ブギーモン達の進捗を確認しながら、ティーポットに残った紅茶を嗜んでいる。

「前も言ったが、取り敢えず雨風だけ凌げれば良いぞ。完璧に戻す必要はない。
 ……まあ、ここにはもう毒以外、雨など降らないだろうがね」

 スティングモンが紅茶を継ぎ足そうとする。大丈夫だ、と片手をあげると、フェレスモンは立ち上がった。

「そろそろ時間だ。私の代わりに、彼らの進捗を見守ってくれたまえ」

 そう言い残し、スティングモンの肩に手を置いて、広間を後にする。
 ──広間を出ると、フェレスモンの表情が変わった。緊張をその目に宿しながら、足早に城の四階を目指す。

 そして、アタリの子供達を収容していた部屋へ。

「……」

 何も無い空間に手を添える。リアライズゲートを開いた時と同じように。

「──我らが同志のもとへ」

 空間が歪み、現れたのはリアライズゲートではなかった。

 それはもうひとつの扉。
 美しい硝子細工。鏡面のようにフェレスモンを映す。
 彼は自身の顔を確認する。顔の筋肉を動かして、にっこりと笑顔を作った。

「失礼いたします」

 ──フェレスモンともあろう者が、へりくだった言葉を用いる。
 そして彼は部屋に入るなり、なんと膝をついて頭を垂れた。

 そこは白い空間であった。
 床も、壁も、天井も、全てが透き通るように白い。
 部屋の中央には、アンティーク調の鏡のようなものが置かれている。

 フェレスモンは鏡に語りかけた。まるで、童話に登場する女王のように。

「同志よ」

 すると、鏡に反射する光が一瞬、揺れる。童話のように、鏡から声が帰ってくる。

『嗚呼。我が同志』

 低く、厳かで、穏やかな声だった。

『ダークエリアの遠征をしたと聞いた』
「ええ。しばらく城を空けました」
『不在の間、結界はうまく働いていただろうか。毒の侵入は、なかっただろうか』
「加護たる結界は城を守り、毒の一滴も浸ることはありませんでした。
 しかし遠征で得られたものは……世界の現状を思い知らされる事ばかり。我が同胞も、我らが同志となる事はありませんでした」
『危険を侵してまで、遠征などせずとも良かっただろうに。貴公の安寧は約束されていたのだから』
「しかし、それでも。私には救いたい友が在ったのです」
『そうか。嗚呼、我が同志。貴公の感情は、苦しさは理解できる。
 ならばこそ私は願おう。貴公の同胞が生きていたなら、その命にどうか、我らが神の御加護があらんことを』
「感謝いたします。同志よ。……ところで」

 フェレスモンは顔を上げる。鏡には、誰も映ってはいない。

「我々がご用意した人間の子供達は」
『既に測定は完了した。嗚呼、上質な回路だ。回収した者、選別した者、そして先の間に収容した者。それぞれに褒美でも授けると良い』
「安心いたしました。時間が無かった故に残した者達と、来客した者達は帰してしまいましたが……必要なら再び連れて参りましょう」
『契約済みの回路は、余程の質でない限り我々が必要とするものではない。反応の低い回路も同様である。それらは要塞都市がうまく活用するだろう。……それで良い。我らが世界に生きる子らは、いつだってそうしてきた』

 それを聞いたフェレスモンの顔に、若干の安堵が宿る。

「……我が同志よ。安寧が約束されるなら、私はいつでも貴方の命を受けましょう」
『我々が欲する回路は既に、我らの手に収まっている。此れより処置を施し、精練し、“器”に宿し──世界を救う鍵と成る』
「……ひとつ、後悔があるとすれば」
『悔いる事が?』
「ええ。我が子らの一部が、帰還しないまま命を落としております。その子らが連れていた人間が、より良い回路を持っていた可能性を考えると──胸が痛むのです」
『仕方のない事だ。貴公の子らも、同じく命を落とした人間も、それが運命だったのだろう。
 だから貴公が悔いる事はない。──しかし、もし貴公や我らが、生き残った彼らと奇跡によって巡り合うことがあったならば……』
「……その時は、我らが同志の元へと」
『送り届けよう。デジタルワールドの救済の為に』

 フェレスモンは、胸に手を当てながら立ち上がる。

「──では、同志よ。私からの報告は以上でございます」
『フェレスモン。我らが同志。貴公の働きは世界の救済に繋がるものである。城の結界は、この先も揺らぐ事なく貴公らを守るだろう。我が命が続く限りは。
 ──願いを叶えたまえ。気高き北の悪魔。そして穏やかに救済の日を迎えると良い』

 鏡の声は消えていく。
 白い部屋も、霧が晴れるようにして消えていく。部屋が消え去るまで、フェレスモンは頭を下げ続けた。

「……」

 城の中へ戻ると、すぐに窓から外を眺めた。
 結界に変化はない。それを確認して、もう一度安堵する。肩の荷が下りた。そう感じ、大きく息を吐く。

「──フェレス公」

 執務室の外ではサングルゥモンが待っていた。フェレスモンは自然と笑みを浮かべ、「待っていてくれるとは」

「スティングモンは?」
「大広間にて。選定に携わった御身の子らの報告を」
「あの二人には褒美をやらないとな。子供達をこの部屋に隔離した後も、回路の計測を怠らなかった」
「彼らもさぞ喜ぶでしょう。──それより」

 サングルゥモンは、じっと城主の顔を見上げる。

「終わったのですか。フェレス公」 
「……。……──ああ。終わったとも」
「我らは、生き延びられるのですね」
「そうだな。我々の働きが同志らの糧となり──彼の言う『救済』とやらが、無事に成功すればだが」
「……万が一。過去と同じ道を辿れば──」
「我ら全員、世界の礎となる他ない。その時は申し訳ないが覚悟を決めてくれ」
「救済は必ずや訪れましょう」
「だと良いがな。……あとは、信じるのみだ」

 フェレスモンは笑顔で、サングルゥモンの頭を撫でる。

「恐れ多い事を」
「いいや、いいや。……すまない、サングルゥモン。我が友アスタモンを……君の主を救えなかった事を、どうか許してくれ」
「フェレス公。……我が主のことは、我々が一番理解しております。かの生き様を、在り方を、尊重するのであれば当然の結果だった。
 だからこそ私は、生き延びよと命を受けた私は、貴公の元についたのです」
「そうか。──ならば誇りたまえ。君は主の命を守ったのだから」

 サングルゥモンはその言葉に、深く、深く、頭を垂れた。

「我々が礎となるか、あるいは救済とやらを迎えるか……いずれにせよ、我々は生き抜かねばならない。生きて結末を見届ける義務がある。
 ああ、悪魔の我々が地獄を恐れるなど! なんとも……愚かな話では、あるのだが」

 ──それでも。
 全てを天秤にかけてでも、一歩違えば全てを失うとしても。
 可能性があるならすがりたいと、生きていきたいと願ったのだ。

 フェレスモンは広間へと戻る。
 ブギーモン達は、フェレスモンが先程したやり取りなど知ることもなく、ひたすら復旧に励んでいる。
 スティングモンは、フェレスモンとサングルゥモンの表情から、自分達の作戦が成功したことを察した。

「フェレスモン様……。……紅茶を、飲まれますか」
「ありがとう。少し礼拝堂に寄ったら頂こう。せっかくだ。新しい茶葉を蒸らしておいてくれ」

 何故、礼拝堂に? スティングモンは問う。特に大きな意味はないと、フェレスモンは苦笑した。

 広間に隣接する礼拝堂。──ここは静かだ。修理の音も、少しだけ遠く聞こえる。けれど孤独ではない空間。
 フェレスモンは落ち着いた気持ちになりながら、祭壇の前で手を組んだ。

「────」

 彼は祈る。
 失った仲間。救い出せなかった友。自らに還した我が子。自らが手にかけた者達。地獄と化した愛すべき世界。
 その全てに祈りを捧げる。命が、また繰り返すように。

「──そして、選ばれし子供達よ。理不尽に世界が選びし哀れな子らよ。
 どうか君達に神の加護を。我らのデジタルワールドに救済を。私は、最後まで祈り続けよう」

 同志の元へと送った子供達の顔が浮かぶ。自らを恐れる子供達の顔が浮かぶ。
 最後に、自身に手を振り返してきた子供達の顔が、浮かんだ。


 ──夜が明ける。

 斯くして。フェレスモンによる、子供達の誘拐事件は幕を閉じた。
 もはや彼の城には一人の人間もおらず、今後はもう、彼の城を訪ねる者もいない。

 彼らを守る結界の輝きは消えることなく。
 世界が結末を迎えるまでの間、穏やかな暮らしを手に入れたのであった。




◆ ◆  ◆






第十八話  終






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