◆ ◆ ◆
地下室から一階へ戻り、順番に部屋を巡る。
一階には小さな私室が多数。他にも、ダイニングルームや広間が複数存在していた。
いずれも酷い有様だ。城の内部で起きた暴動を想像させるだけで、目立った収穫は得られなかった。
玄関ホールまで辿り着く。崩れて外からは入れなかった──此処が主な避難経路だったのだろう。瓦礫に埋まる扉は、内側から破られた様子だ。
ホールの奥には大階段が広がっていた。絵本や映画で見るような舞踏会のステージそのものだ。けれど白地の段差には、大勢の誰かが転げ落ちた様に黒い跡が塗られている。
「…………」
先程からベルゼブモンが、何やら二階を気にしている。カノンはそれに気付かぬまま大階段を上っていく。
二階も中々の惨状であった。階段を上がると、男はやはり気になるのか──左側の廊下をじっと眺めていた。
けれどカノンは右側へと進む。少女は男の腕を掴んでいた為、ベルゼブモンもそのまま右側の通路へ向かう。
二階には鮮やかな広場──だったものの他、来賓用の居室が多く見受けられた。
来賓用の為、城に仕えるデジモンは普段、それらを利用しない。利用する習慣が無い。……その為だろうか。いずれの部屋も、他の場所に比べると損傷は少なかった。
その中でも比較的、状態の良い部屋を発見する。壁や家具が一部壊れていたものの、大きなソファーやベッドは健在だ。
──少しだけ、休みたい。そう思いながら、カノンは部屋を見つめる。
「……」
「……」
誘惑に負けそうになる。……やる事を先にやらなければ。ベルゼブモンがお腹を空かせてしまう前に。
「……入る、のか」
「……。……ううん。先に色々、探しておかないと」
「……俺は、……さっき、喰った。……」
シーラモンを捕食したから、幾分かタイムリミットまで猶予ができた。男は、そう言いたかったようだ。
「……なら……少しだけ、中に入っていいかしら」
「……構わない」
男の返事に、カノンは、ホテルのスイートルームを前にした子供の様に瞳を輝かせた。すぐ中へ入り、部屋の中を探索する。
部屋にはきちんと浴室までついていて、嬉しさに心が躍った。──そんな年頃の少女をよそに、男は廊下をずっと気にしている。
「どうしたの?」
ベルゼブモンは目線を外に向けたまま、「いいや」と答える。少女には何も伝えずに中へ入り、扉を閉めた。
ソファーに身体を沈ませ、カノンは大きく息を吐く。
列車の椅子よりもずっと、柔らかな座り心地。思わずまた、意識を飛ばしてしまいそうになった。
ただ、どうせ眠るなら──あの大きなベッドがいい。そう思って我慢する。
「……その前に、お風呂も……」
入りたいし、入らないと。ぼんやりと呟いた。
ひとり言の時に限ってベルゼブモンが反応するので、「なんでもない」と苦笑する。
──考えてみれば、具合の悪い男の方がベッドで寝るべきだろう。自分はソファーでも十分に寝られる。
カノンはベルゼブモンを呼んだ。男は扉の前から動こうとしないので、側まで行って腕を引っ張った。
男はやはり外を気にしていたが──促されるまま、ベッドの縁に浅く座る。
「……これ、は」
「今のうちにしっかり寝ないと。せっかくベッドがあるんだから」
「……」
「きっと誰も来ないわ。鍵だってかけてるし……」
自分達はこれまで、いつ誰に出会い、襲われるか分からない状況に在った。こんなに安全な──まだ生き残りがいないとは言い切れないが──場所で休息を取れる機会など、今後そう無いだろう。ベルゼブモンも、少し位は回復するかもしれない。
「私は、そっちで寝るから大丈夫」
何も問題ない。その間にゆっくりとお風呂に入ろう。
──そうと決まれば早いうちに。
「……お前、は、何処に」
「先にお風呂に入るわ。広かったから後であなたも──」
「ひとりで……行く、のか」
「ええ。でも、部屋から出るわけじゃないもの」
「……この、中に……デジモンは、いない。が……」
「────」
カノンは目を丸くする。……それではまるで、自分のことを心配しているみたいじゃないか。
──と、同時に。もしかして同行しようとしているのだろうか?
ベルゼブモンは純粋に──先程のシーラモンの件があったからだろう。目の届かない場所に彼女を行かせるべきではないと、思った故での発言だった。
カノンにはその心理事情まで理解できていなくとも、彼に疚しい気持ちが無いことだけは分かっている。
──ただ、流石に。年頃の少女だ。異なる生き物だとはいえ、男性の形状をしている者の前で肌を出す事には抵抗があった。
「……。……ドアの前までなら。……そこから先は入ったらだめ」
「……そうか」
少女が抱いたもどかしさも羞恥心も、その一切を知ることもなく、ベルゼブモンは「わかった」答えるのであった。
◆ ◆ ◆
浴室の造りはシンプルだった。
簡易的な洗面台。タオルがかかった物干し竿。床を直接くり抜いた形の浅い浴槽。洗い場にシャワーは無かったが、代わりに蛇口の付けられた樽が置かれていた。
セーラー服を脱いで、洗面台にかける。
中に入り、樽の側へ。蛇口を捻って、ぬるま湯を顔へ、体へ、髪へと浴びせていく。
──当たり前のように毎日行っていた習慣が、こんなにも幸せな事だったとは思わなかった。
存分に身体を洗い終えると、浅い水槽に水を張る。少しだけ溜めて、身体を浸す。
ぬるま湯はだいぶ冷めていたが──それでも今の少女にとっては温かく、十分に一息つける空間となった。
「……」
緊張が解けた頭の中。
これまでの事を、考える。
不思議な世界。異形の生物が生きる世界。場所も地名も、自分がいた街との位置関係も、何も分からない。
そして自分や、あのブレザーの少女が連れて来られた理由も──想像すらできない。ただ、此処が自分達人間にとって、命を脅かされる場所だろう事は理解している。
自分がこの先どうなるかは、あまり考えたくない。出来ればもう、怖い思いも痛い思いもしたくないとは、正直に思う。
「……」
──ベルゼブモンのことを、考える。
ピヨモンの話から──ベルゼブモンが吐く黒い液体が、毒と同じものだと察していた。
彼はきっと毒のせいでおかしくなって、同胞であるデジモンを食べるようになったのだろう。
……ただ、それがいつからだったのか。出会った時には既に成り果てていた。彼はずっと食べ続けてきたのだ。
そんな男が見せた変化には──内心、かなり驚いている。
感情を見せず、ずっと無口で。自分という存在など、道端の石ほどにしか認識していなかっただろうに。あの電車で僅かに会話の片鱗を見せたが、それでもだ。──なのに突然、こうして話してくれるようになった。
喜ばしい反面、戸惑いもある。だが、いずれまた無口な彼に戻るのだろう。その後はどんな条件を満たせば、今のように自我を保つ彼へと変わるのか──。
また、自我や感情だけでなく、男の身体面にも変化が見られていた。
最初は一歩を踏み出すのだって辛そうだったのに。少し進むだけでも体力が尽きていたのに。今では、城の散策までできるようになっている。
少しずつ回復しているのだろうか? 分からないが、そうであってほしいと願う。ベルゼブモンが元気になっていくのは、自分も嬉しかったから。
彼が少しずつ回復しているのだとして、そうしたらいつか本当に──デジモンを食べなくても、生きていけるようになるのかもしれない。
────ああ、そうなったら、いいのに。
けれどそうなる頃には、彼の意識はずっと明瞭になっている事だろう。
その時、何の役にも立たない自分を、彼はどう思うだろうか。自分はどうなるのだろう。
そもそも──自分が、家に帰れる日は来るのだろうか。
「……帰った、ところで」
家で待っている人なんて、いないのだけど。
「……」
水槽から立ち上がる。
背中まで伸びた黒髪をタオルで拭きながら、カノンは洗面台の前に立った。
曇った鏡を撫でる。濡れた鏡面に、少女の身体が映る。
人形のような顔立ち。艶めく桃色の唇。
白く澄んだ肌に濡れた黒髪が張り付き、雫を垂らしていた。
曲線を描くようになった腰のくびれ。開いてきた骨盤。膨らんだ乳房。
やや痩せ型の、青年期中期を迎えた少女の身体。
そんな自身の姿を目にして、カノンはひどく違和感を覚えた。
──ああ、どうして。
「変わってない」
顔は多少、疲労でやつれている。そこはいい。……だが、身体の状態が以前と何ら変わらない。全く変わっていない。長い間ろくに飲食していなかったのに、どうして少しも痩せていないのか。
「……」
月経も来ない。もう、とっくに来てもおかしくない時期だ。これに関しては、単なるストレスかもしれないけれど。
……それを含めても、とにかく。自分の体がおかしくなっている自覚はあった。
ベルゼブモンに指摘された通り、まともに食事を摂らなくても生きていけた。私はとっくに、おかしくなっているのだろう。
薄々わかっていたものの──実際に目で見ると、こうにも実感が湧いてしまうものなのか。
どうして、どこが、どうおかしくなったのか。
「────っ」
考えるだけで気分が悪くなる。
これ以上、自身の肉体と向き合うのが怖くなって──カノンは足早に浴室を出た。
◆ ◆ ◆
浴室を出る。ベルゼブモンは、ベッドに腰をかけた状態から動いていなかった。
「……寝てて、よかったのに」
呆然とした男を横目に、ソファーに座る。セーラー服の襟にかけたタオルが、黒い髪から水分を吸っていた。
「……。……──寝る、……のは、……」
「寝るの、嫌なの?」
ベルゼブモンは目を伏せた。
「……夢を……」
目を閉じれば、また夢を繰り返す。
繰り返す度、自分が消えてしまいそうになる。
だから、目を閉じる事さえ嫌なのに──自発的に睡眠を取るなんて、考えられなかった。
「……また、……頭、が……うるさく、なる」
「……」
カノンは、ベルゼブモンの隣に座った。
「──小さい頃、たくさん怖い夢を見たの」
「……」
「おばけに追いかけられたり、ずっと迷子になって誰にも会えなかったり……そんな夢ばかりで。毎日、夜に寝るのが怖かったわ」
そう言いながらカノンは、男を押して横になるよう促す。
ベルゼブモンは少しだけ抵抗した。眠るのは嫌だと、目で訴えていた。
それでも「大丈夫」と──自分は床に膝を付いて、ベッドの縁に肘を乗せて。男の腕を優しく、規則的に叩き始める。
「お母さんがずっと、こうして側にいてくれて」
「…………」
「だから私、そういう日は怖い夢を見なくなった」
「……」
「……誰かの温かさがあると、安心するんだと思うの。だから……」
「……──」
ベルゼブモンは僅かに目を細めた。──そのまま、瞼が重くなる。酷く疲弊した肉体は、寝まいとする男の意識を奪っていく。
程無くして。身体から力が抜けたように、男はベッドへ倒れ込んだ。
眠る事が怖かった。
夢で侵され、起きた時に自分はいない。
眠る間に、消えているかもわからない。
それに──起きたらまた、ひとりになっているかもしれなかったから。
何もかも食べ尽くして、自分だけになっているかもしれなかったから。
だから怖くて、嫌だったのに──。
──ベルゼブモンの呼吸が、一定のリズムを刻み出す。
その様子にカノンは安心した。彼が無事に寝たことを確認しても、ベッドの側から離れなかった。
「……」
じっと、男を見つめる。
……こうして見ると、人間みたい。なんて思う。
顔の仮面、邪魔じゃないのかしら。なんて思う。
苦しくはないだろうか。
痛くはないだろうか。
怖い夢は、見ないでいられているだろうか。
時折、その顔が生きているのか、死んでいるのか、分からなくなるほど安らかになって──少しだけ不安になる。
顔を覗くと、寝息は変わらず整っていた。良かったと、ほっとした。
穏やかな寝顔。なんて無防備なのだろう。毎日あれだけ、命のやり取りをしているとは思えない。
「……」
──男は少女に、何故自分と居るのかを尋ねた。
少女も尋ねたかった。けれど怖くて聞けなかった。どうして自分を拒絶せず、側に置いていてくれるのだろう。
連れていたって、あなたに得は無いでしょう。
戦うには、足手まといでしかないでしょう。
あなたは戦わないと生きられないのに。
私がいなくても、きっと生きられる筈なのに。
いつか毒がなくなった彼は、変わらず自分を、拒まずにいてくれるだろうか。
ひとりでは生きられないからと──そんな身勝手な考えの自分を、置いていてくれるだろうか。
──けれど、あの魚のデジモンの言葉が本当だとしたら。
人間である自分は、彼と一緒に居るべきではないのかもしれない。
「……ベルゼブモン?」
返事はない。気付いている様子もない。怯えている様子もない。
ああ、きちんと眠っているのだ。よかった。
カノンはゆっくりと息を吐く。
溜まっていた空気に、澄んだ声が細く混ざる。
ベルゼブモンは静かに眠っている。腕を、力無く投げ出したまま。
黒いグローブに覆われた手。
いつも何かを殺している手。
たくさんの血に塗れながら、銃を握り続ける手。
──それでも私を守ってくれた。それが結果論だったとしても。
大きくて、力強くて、けれど弱々しい。そんな彼の手──
「……」
そっと、触れてみる。
手のひらを、少しだけ指でなぞってみる。
──そのまま、親指に触れる。
細く白い指を絡めていく。
力を込めてしまわないように、起こしてしまわないように。
「……大丈夫よ。あなたは、……私も、きっと大丈夫。……大丈夫……」
小さく囁いて、カノンは瞼を閉じた。
「……──ベルゼブ」
返事はなかった。
それでいい。だから、おやすみなさい。
親指を握る小さな手が、あたたかな何かに包まれた気がした。
カノンは目を開けなかった。
◆ ◆ ◆
──その夢は、いつもと違った。
黒い海の中じゃない。自分は、灰色の荒野に立っている。
空は暗く曇っていた。荒野はどこまでも続いていた。
あたたかな風が吹いていた。寒さも痛みも、そこには無かった。
重たい足を進めてみても、景色は灰色のまま変わらない。
声を出してみるが、誰にも届かず果てに消えた。
進んで、進んで、それでも進んで────そしてようやく、景色に変化が訪れる。
黒い崖のような、山のような、そんな地形が現れた。
いつか、どこかで見たことがあるような光景だった。
崖の上には何かがあった。
無機物の世界では見る筈のない、しなやかで、か弱い何か。
ひたすらに白くて、美しかった。
────それに手を伸ばして、見つめるだけの夢だった。
◆ ◆ ◆
ベルゼブモンは目を覚ます。
同時に驚愕した。いつもの夢を見なかった事に。
目覚めと共に来る、吐き気が起きなかった事に。
目覚めても尚、自分の意識が鮮明であった事に。
そして──少女が、自分の腕の中で眠っていた事に。
「……」
ベルゼブモンは困惑した。腕を枕にされている為、動くに動けない。
どうしたらいいものか。何度か大きく瞬きながら、取り敢えず少女の寝顔を眺めてみる。
──いつも見下ろしていたからか、それとも視力が回復しているのか。若しくは今、間近で見ているからか。少女の姿がはっきりと瞳に映った。
「……」
彼の短く朧気な記憶の中、少女はいつも必死な様相だった──ように思う。
けれど今は穏やかだ。自分という捕食者がいるのに何故、こんなに安心した顔を浮かべるのだろう──。
「……カ、ノン」
名前を呼んでみる。少女の身体が、もぞもぞと動いた。
「カノン」
もう一度、呼んでみる。
少女はようやく目を覚まして────
「……!!」
そのまま飛び起き、ベッドから滑り落ちるようにして離れた。
結論から言うと、カノンは羽毛布団の誘惑に負けただけだった。最初はもっと端で眠っていたのだ。意図してこの形になったわけではない。──随分と大胆な行動をしてしまったと、カノンは自身に酷く焦る。
そんな彼女の恥じらいを、ベルゼブモンが理解できるわけもない。男は何事もなかったように起き上がり、床に座り込む少女に目をやった。
「なんでもないわ」
問われてもないのにカノンは言った。
「……」
「ごめんなさい。変なことをして」
「……。……いや」
「……」
「……」
「……夢は、大丈夫だった?」
ベルゼブモンは頷く。
「……いつもと、違った」
「……どんな夢だったの?」
「……忘れた……が。大丈夫だ」
「そう」
カノンは微笑んだ。何故だかベルゼブモンの口調が、眠る前よりも少し滑らかになったように感じた。休んで正解だったのだろう。
「よかったわ」
無事に休息を取る事ができた。誰に、何にも妨げられる事なく。
これでまた──城の中の探索を、そしてデジモンを探す道程が始まる。
ひび割れた鏡の前で、カノンは髪を整える。鏡に映る男に目をやると、何やら外を気にしているようだった。
「気になるの?」
「……。……まだ、……聞こえてくる」
「……何の音?」
ベルゼブモンは少しだけ扉を開け、廊下を覗いた。
「声が」
髪を梳かす指が、止まった。
「…………私には、聞こえなかったわ」
……ああ、そういえば。彼は遠くの地下鉄の音にも気付いていた。目が悪い分、耳が良いのだ。
いつから気付いていたのかは分からないが、敢えて隠していたのだろう。
「ここからは、遠い。……ここには、来ないと……思った」
「……でも、デジモンなら……あなた、早く見つけた方がよかったのに」
食べなければいけないのだから。
──だが、ベルゼブモンは首を振った。そうじゃないと言いたげに。
「……いる、のは……きっと」
ベルゼブモンは廊下を見つめ────あまり興味がなさそうに、呟いた。
「俺と、同じだ」
◆ ◆ ◆
部屋を後にし、来た道を戻る。
声の主を確認したいと、言い出したのはカノンだった。
ベルゼブモンと同じ──ならば彼の、彼の毒に関する情報を、何か得られるかもしれないと思ったのだ。
勿論、戦いになる可能性もある。しかし彼女は信じていた。ベルゼブモンは一度だって、他のデジモンに後れを取った事はないのだから。
ほぼ一直線の廊下。両側に並ぶ部屋をひとつずつ確認し、男が聞いた声の在処を探す。
大階段を過ぎて、更に先へ。進むにつれ、廊下に広がる黒い染みは広がっていった。
──この頃になってようやく、カノンの耳にも声が届くようになる。
立ち止まった。耳を澄ませた。
どこかから漏れるように、遠くから聞こえてきたのは──
「……──女の人の声……」
「……」
「……どこから……」
ベルゼブモンは先へと進んでいく。カノンは歩幅を合わせてついて行く。
輪郭がぼやけた女性の声。いくら探しても見つからない。
他の客間も、広間も、食堂だって覗いたのに、扉を開けても声が鮮明にならない。
探して、探して────やがてベルゼブモンが、とある扉の前で立ち止まった。
それは、階の最も奥に位置する部屋。
木製の扉は固く閉ざされている。誰も出られないように、打ち付けられていた。
カノンは恐る恐る近付いて──そっと、扉に耳を当てた。
「……」
泣き声が聞こえる。
女の人の声が聞こえる。
悲哀に満ちた泣き声。何と言っているのかは、わからなかった。
打ち付けられた板を、ベルゼブモンが剥がしていく。
剥がして、剥がして、蹴破って──開いた扉の向こうには、泥にまみれた礼拝堂が広がっていた。
◆ ◆ ◆
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