◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
天使は祈る。
「デジタルワールドに光あれ」
死が蔓延る我らが世界。
毒に呑まれた我らが世界。
最早そこに未来はなく、いずれ静寂に満ちる世界よ。
明日を拓く救世主が、現れる保証など無いと言うのなら。
せめて私が希望となろう。
残された命に救いを。
残された空に虹を。
残された土地に豊穣を。
いつか訪れる静寂を、眠りと共に迎えられるように。
この身の全てを以て、私が成し遂げてみせよう。
────偉大なる天使が治める都市。そこは、最後の砦であった。
*The End of Prayers*
第二十話
「聖要塞都市」
◆ ◆ ◆
エンジェモンとペガスモンに連れられ、一行はワープポイントが設置された街へと辿り着く。
そこは、一見すると普通の街であった。
建物に目立った損壊はなく、黒い水の毒に害された形跡もない。
しかし──
「誰も住んでないのか?」
ガルルモンがいくら鼻を利かせても、耳をそばだてても、デジモンの気配を一切感じなかった。
「住民達は既に、我らが都市に避難しています」
ペガスモンは目線だけをガルルモンに向ける。
「ワープポイントを事前に設置していたお陰で、デジタルワールドに黒い水が確認された時点で避難誘導ができたのです」
この街の他にも、各地のデジモン達の事前避難、そして毒で故郷を失ったデジモン達の受け入れ等を、これから目指す都市では行っているとのことだった。
「なので、都市は大変窮屈な状態にはなっていますが……それでも命と活気に溢れているというのは、素晴らしいことですから」
「……メトロポリスの皆は?」
蒼太が、ペガスモンの顔を覗きこむ。
「メトロポリスの皆は、そこへ逃げられないの?」
「…………あの都市の規模ですと、全員を迎えるのは非常に難しい。けれど、彼らへの支援は行います」
「……安全な場所なら……皆のことも入れてあげてよ」
蒼太は乞う。ペガスモンは、答えてくれなかった。
ワープポイントが設置された場所として、一行は小さな教会に案内された。
エンジェモンが、質素な木製の扉に手を当てる。──それに呼応するように、扉の隙間から光が溢れ出した。
「扉の向こうは我らの都市だ」
教会の大扉そのものをゲート化することで、大勢の住民の避難を円滑に行ったのだという。
「反発を覚悟した上で伝えるが────我らが都市では基本、ウイルス種の受け入れを行っていない」
「……」
手鞠の表情が曇る。
「理由はただ一つ。毒を媒介経路がウイルス種だからだ。都市の治安を確実に守るには、毒をもたらし得る存在は排除しなければいけない」
「……チューモンは、中に入れないんですか……?」
彼女が他人に対し、ここまでの不快感を見せることは滅多にない。──が、天使達のチューモンに対する態度を、見過ごすことはできなかった。
そんな手鞠をチューモンが制する。いいんだと言って、ポケットの中から声を上げた。
「つまりウチは、パートナー付きだから特例で入れてやるけど、中では白い目で見られるぞってことだろ?」
「そんな……」
「いいんだよ。要は、顔出さなきゃいい話だ」
「……理解しているならいい。十分、気を付けるように」
エンジェモンは扉を開けた。
光が溢れ出す。不思議と、眩しくはなかった。
「私は最後に入る。ぺガスモン、先に」
「わかりました」
蒼太と誠司達を乗せた、ぺガスモンが光の中へと入っていく。花那と手鞠達を乗せたガルルモンが、その後に続いた。
彼らを導く光の道。リアライズゲートのそれとは異なる光。
デジモン達にとっての希望の光。
だが、子供達はひたすらに不安だった。光の先に待つものは、自分達に何を求めてくるのだろうか。
◆ ◆ ◆
──光の道を抜ける。
見上げると、そこには青空が広がっていた。
たくさんの命が暮らす、そんな匂いが漂っていた。
そして──湧き上がる歓声。花が舞い、紙吹雪が舞う、凱旋のパレードのような光景があった。
「選ばれし子供達だ!」
「天使様が選ばれし子供達を連れてこられた!」
「ユキアグモンが帰ってきた!」
「あの子が選ばれて帰ってきた!」
「ユキアグモンおかえり!」
「これで世界に平和が戻る!」
「ありがとう! ありがとう!」
待ち受けていた歓迎。心からの祝福の言葉に────子供達は青ざめる。
「向かう場所があるなら、急いでくれ」
ガルルモンがぺガスモンに乞う。
「お願いだ。この子たちにこれ以上、彼らの声を聴かせるな」
何故、とぺガスモンは首を傾げた。喜ばしいことなのにと。
しかしガルルモンは譲らない。無理矢理にスピードを上げ、湧き上がる民衆をかき分けていく。
「すぐそこだ。ついて来い」
エンジェモンが先を飛ぶ。都市の中心に聳える壮麗な大聖堂が、子供達を迎え入れた。
押し寄せた民衆をエンジェモンが制止し、子供達を大聖堂の中へ押し込む。ペガスモンとガルルモンから降りて、久しぶりに足を着いた。
歓声と混雑で疲れきった子供達を、デジモン達は気遣う。ようやく顔を出す事を許されたチューモンは、深々と息を吐いていた。
「勘弁してくれ。何だよアレ。ウチらのこと待ち伏せしてたの? ねえユキアグモン、あんたのお友達なんだろ」
「ぎい。みんな、おでたちが帰っで来るの待っででくれだ」
「お前はここの奴らと同じだからそんなポジティブでいられるんだ。誠司を見てみなよ。げっそりだ」
「……ぐぎゃー」
「い、いいんだよユキアグモン。ここがお前の家なんだろ? あんな怖い目にあって、それでも帰ってこれたんだ。嬉しいに決まってる」
「せーじ……」
「それに、ユキアグモンはここのデジモンだけど……チューモンを悪く言ったことなかったよ」
「……そりゃ、ありがたい。仲間にまで差別されたらたまらないからね」
「ぎぃー」
ユキアグモンは手鞠とチューモンをまとめて抱きしめる。チューモンは困り果てた顔で、「わかったわかった」とユキアグモンの頭を軽く叩いた。
その光景を、エンジェモン達は何も言わずに見守っていた。
──現在子供達がいる場所は、民衆に開放された教会部分。エンジェモンが連れて行くのは、その更に奥だ。
聖堂内部には教会の他、礼拝堂、洗礼室、祭室、聖具室に告解部屋──そして天使型デジモンのみが祈りを捧げる「主聖堂」が存在する。
民衆の歓声は、分厚い壁に遮られて聞こえない。子供達は教会の静けさに心を落ち着かせながら、エンジェモンとペガスモンの後に続いた。
翼廊の奥の扉を抜け、硝子細工の螺旋階段を昇る。
ステンドグラスから太陽の光が差し込む。その空間は、目を見張るほどの鮮麗さだった。
階段の先のロビーでは、青銅の大扉が待ち構えていた。
エンジェモンが扉に手をかける。──ゆっくりと開かれた扉の向こうには、荘厳な雰囲気の聖堂が広がっていた。
大理石の長い身廊。側廊に並ぶ天使の彫像。内陣の壁を覆うパイプオルガン。
クリアストリーとバラ窓からは光が差し込み、聖堂内を照らしている。
最も奥に位置するアプスには黄金の祭壇が設けられ、背後には天蓋から垂れる純白のカーテンが凪いでいた。
ペガスモンは中央の交差部まで進むと、跪き頭を垂れた。
エンジェモンは頭を上げたまま、祭壇の向こう側へと呼びかける。
「兄上」
天蓋のカーテンが揺れた。
「選ばれし子供達を連れて参りました」
そして、
「────ああ」
厳かで、穏やかで──そして慈愛に満ちた声が、カーテンの向こう側から聞こえてきた。
◆ ◆ ◆
都市を治める大天使。
偉大なるその天使の名は、ホーリーエンジェモンと云う。
完全体、大天使型のワクチン種。現在のデジタルワールドにおいて、毒への対抗手段を誰より持ち得ているデジモン。
美しく揺れる金色の長髪。高貴な紫色の仮面。穢れのない純白のローブ。聖なる要塞都市の長として、彼は主聖堂に君臨する。
手足と、背に抱くはずの八枚の翼を、失った状態で。
◆ ◆ ◆
「エンジェモン。ペガスモン。彼らをこの地へ無事に導いた事、大儀である」
その言葉に、二体は深々と頭を垂れた。
「道中で何か得たものはあるか。早急に私に報告すべき事は」
「大天使様。道中で汚染された集落を、我らが光によって眠りに導きました」
「それは嘆かわしい事だ。詳細は後に報告するように。──ではペガスモン。他に無ければ下がり、都市の警備へ、そして結界の強化に努めよ」
「かしこまりました」
「エンジェモン。ダークエリアへの旅、苦労をかけたな。お前も下がりなさい」
「……兄上。私はこの場に残るべきかと。彼らの中にはウイルス種も……」
「構わない。私と彼らだけで話をする」
「……は」
二人は深々と頭を下げ、身廊へと踵を返す。エンジェモンは不服そうに、こちらへ目線を向けながら去って行った。
「──すまない。騒がせてしまったな」
するとホーリーエンジェモンは、困ったと言いたげに微笑んだ。
「席はたくさんある。構わず、かけてくれ」
アンドロモンともフェレスモンとも異なる威厳に、子供達は緊張し戸惑っていた。
堂内の光は本当にあたたかくて──目の前のデジモンが、自分達を利用しようとしているだなんて思えない。
しかし、コロナモンとガルルモンは警戒している様子だった。チューモンもポケットから出てこない。ユキアグモンだけが、彼の光に目を輝かせている。
「歓迎しよう、選ばれし子供達。そしてそのパートナーデジモン達。
我が名はホーリーエンジェモン。聖なる要塞都市を治める者である」
四肢と翼を失った大天使は、祭壇の奥の座具にその身を置いていた。
「まずは礼を言う。我らが仲間、ユキアグモンを再びこの地へ導いてくれた事を」
「あのね天使様。せーじが、おでのこと見つけでくれだんだ。皆が、おでを助げでくれだんだ」
ユキアグモンは無邪気に、仲間のことを紹介する。
「そうか。仲間達──何よりパートナーの少年。君がいなければ、彼はリアルワールドで命を散らせていただろう。感謝する」
誠司は目を丸くした。
「そ……そうなん、ですか?」
「そうだとも。ゲート越えによる身体への負荷は、想像以上なのだから」
「? ゲート越え?」
リアルワールドに生き延びても、パートナーと出会えなければ、命はただ散っていく。
蒼太の腕の中で消えたテリアモンのように。亜空間の外にはもう出られないブギーモンのように。
リアライズしたデジモンが生還したという事は、つまり人間のパートナーと出会ったという事と同義だ。ユキアグモンの生存がダークエリアで確認された事実は、都市の民にとって、そして天使達にとって、まさに希望の光となっていた。
そんな事、当の本人は知る由もないのだが。
「さて。……どうか私に、偉大なる諸君の名を聞かせてくれないだろうか」
ホーリーエンジェモンは両肩を広げた。
「選ばれし子供達。そしてそのパートナー達」
「ぎっ!」
「ユキアグモンはしなくて良いぞ」
「ぎぃ」
「パートナーの君は、セイジと云ったか」
「は、はい」
誠司は背筋を伸ばした。
「海棠誠司です。小学五年生です!」
「その学舎の代だと、年齢はいくつになる?」
「え、えっと、十一です!」
その数字を聞いた、ホーリーエンジェモンはにこりと微笑んだ。
「良い数字だ。……君が偽りなく、私と向き合ってくれていることもよくわかる」
「そ、そんなことはないです!」
「謙遜せずとも構わない。……隣の少年は?」
「……矢車、蒼太です。俺たち皆同じ年……だよな?」
「それは素晴らしい。君のパートナーは……ああ、見てわかるとも。そちらの赤い仔だな」
目線を向けられ、コロナモンは思わず畏怖する。
「……コロナモンです」
「成長期か?」
「……今は、そうです」
「そうか。小さい身ながら勇気に満ちた目だ。……二人の瞳はよく似ている。良い関係を結んでいるのだろう」
嫌味やひねりなどなく、純粋に褒められた。蒼太は驚き、少しだけ気恥ずかしくなる。
「では、君は」
「……村崎花那です。私は……ガルルモンもコロナモンも、ずっと友達だけど……パートナーはガルルモンです」
「君は、友人のことを大切に思っているのだね」
「えっ……」
「その二人のことを、先程からずっと気にかけている」
「……それは」
「問うことはしない。誰しも、何かを抱えるものだ」
「……」
聖堂に入ってからずっと、花那は二人の様子が気がかりだった。それは事実だ。
緊張も警戒もしているだろう。だが──それ以上に、二人はどこか寂しそうだったのだ。
「「────」」
美しい教会。
鮮やかなステンドグラス。天使の彫像。その光景に──ダルクモンの笑顔を思い出さずにはいられなかったから。
──もしも、別の未来があったなら。彼女がこの場所で、自分達と共に祈りを捧げる瞬間もあったのだろうか。そんな事さえ──不毛だとわかっているのに、思ってしまう。
指摘された二人はどこか気まずそうだった。けれどホーリーエンジェモンは言及することなく、続けて手鞠に目線を移した。
「怖がらなくていい」
手鞠は一生懸命、チューモンが入ったポケットを見せまいとする。
「君にも、そして君のパートナーにも、私は決して危害を加えない」
「…………あの、……お願いです」
「願いを聞き届けるのは私の役目だ。言いたまえ」
「……偉い人なら、皆に……伝えてください。チューモンのこと、いじめないでって。チューモンは何も悪いことしてないし、毒だって持ってない。わたしたちのこと、たくさん助けてくれて……」
「……エンジェモンの奴か」
ホーリーエンジェモンは溜息をついた。
「あれは都市を守らんと、思考が凝り固まってしまっていけない」
「……」
「謝罪する。君達に不愉快な思いをさせてしまい申し訳なかった。
清らかな心だ。君も、君のパートナーも。どうか愚かな私に、その名を教えてはくれないだろうか」
大天使の深謝に、手鞠は目を丸くする。それから、おずおずと顔を上げた。
「……手鞠です。宮古手鞠です。チューモンは……ずっと、わたしたちを助けてくれました」
「ありがとう。では──謝意を込めて、君のパートナーに我が恩恵を授けよう」
はらりと、ホーリーエンジェモンの髪の毛が一本、祭壇の上へ落ちた。
それは光を放って形を変え、小さな黄金の指輪となる。
「二人とも、私の前へ」
「え……」
「今の私には手が無い為、直接授ける事ができない」
「……は、はい」
手鞠はおずおずと祭壇の前へ。そして、ホーリーリングを手に取る。
「パートナーにそれを、着けてあげなさい」
ホーリーエンジェモンは手鞠を促した。
「……いや、ウイルス種のウチがこんなものつけたら死ぬんじゃ……」
「私が与える力は、その者の心の光に呼応するものだ。
チューモン。君がウイルス種であろうとも──その心は正義の光に満ちている」
チューモンはふんと鼻を鳴らしてみせた。疑り深く天使を睨みつける。
しかし手鞠は、ホーリーエンジェモンがチューモンに悪意を抱いていない事を感じ取り──言われた通り、聖なるリングをチューモンへと向けた。
「ホントに死なない? ウチ溶けたりしない?」
「……た、多分……。……うん。きっと、大丈夫……」
「…………わかったよ。手鞠がそう言うなら」
仕方ない、とチューモンは諦め手を差し出す。けれど肥大化した指にはリングが入らず、手鞠は彼女の尻尾へそれを通した。
「選ばれし君を、我が光が守らんことを」
────チューモンの身体から光が溢れ出す。
全員が目を見張らせた。
それはまさしく、大天使による光の恩恵である。
光がおさまる。チューモンがいた筈の祭壇の上には────大きな耳を持った、白い獣型のデジモンが立っていた。
◆ ◆ ◆
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