◆  ◆  ◆



 自身から放たれた光が眩しくて、瞼を閉じていた。
 開けてみると手鞠が、そして皆が、何故か驚いた様子でこちらを見ている。

 加えて、自分の目線の高さが今までと明らかに違うことに気付いた。チューモンは混乱しながら、ふと両手を見てみると────

「何これ」

 形が変わっていた。

「何これ!?」
「……チューモンが……」
「この天使野郎! ウチに何したのさ!」
「チューモンが、ネズミさんからネコちゃんになった……」
「は!? ──ちょっと鏡!」
「燭台の反射で代用してくれ」

 金の燭台に映る自分の姿。変わり果てたそれを見て、チューモンは思わず大声を上げた。

「ウチのアイデンティティーが! ふざけんな何してくれてんの!?」

 大天使による光の恩恵。いつかダルクモンが行おうとした洗礼と同義の儀式。それは聖なる力を分け与えることで、毒やウイルス種との戦闘における生存率を上げるものだ。
 その際、体内の構成プログラムが書き替わると同時に──姿を変える者が稀にいるという。

「君の潜在能力、そしてパートナーとの絆の具現だ。────“テイルモン”」
「……その名前……まさかウチ、本当に進化を……」
「ずるい!」

 ユキアグモンが声を上げた。

「ずるい!」

 コロナモンも声を上げた。

「おでもホーリーリングもらっだのに、進化できでない!」
「俺だってずっとなれなくて、あんなに大変だったのに!」

 立ち上がって、指を差して、声を上げて──その様子を、ホーリーエンジェモンは微笑ましそうに眺めていた。

「チューモンに戻りたければリングを外せばいい。だが、都市の外に出る際は必ず身に着けテイルモンに成りなさい。チューモンのままでは、一滴の毒で全てを失うことになる」
「……だからウチにこれを?」

 チューモン────テイルモンはもどかしそうな顔をする。それからすぐにリングを外して、チューモンの姿に戻った。

「……手鞠に持っててもらうよ。こっちの姿の方が気楽なんだ。この中は安全なんだろ?」
「そうだとも。この地は、毒の脅威が及ばない最後の砦だ。程々に自由に生きるといい」
「自由か。実にありがたい言葉だね」

 チューモンはホーリーリングを手鞠の小指にはめさせる。席に戻ると、ユキアグモンとコロナモンが恨めしそうにチューモンを見た。

「ずるいよチューモン」
「ぐるるる」
「ちょっと、ウチなんも悪くないからね」

 チューモンは気まずそうに、しかし座席にふんぞり返った。

「さて、これで全員か。……ここにいるのは」

 仮面の下に隠れた瞳は、じっと虚空を見据えていた。

「君達も、選ばれし子供達だろう」

 語り掛ける。亜空間でその様子を覗き見る、柚子とウィッチモン達に向けて。

「さあ、透明な子供達。その名を私に教えてくれ」
『……山吹柚子です。パートナーは……』
『みちるちゃんです!』
『ワトソンくんです』
『騒がしく申し訳ございまセン。ワタクシはウィッチモン。亜空間の小島より、彼らを導く役目を負っておりマス』
「活気に満ちているのは良い事だ。ウィッチェルニーの民よ」

 ホーリーエンジェモンは改めて子供達を見回す。

「五人の選ばれし子供達。そしてそのパートナー達。私が君達を招いた理由は、概ね察しがついているだろう。しかし、改めて私は懇望しよう。
 ────この都市を、そして世界を守り抜く為に、どうか力を貸して欲しい」



◆  ◆  ◆



「デジモンとのパートナー適正がある子供達。君達が我らに及ぼす影響は計り知れない。
 パートナーと成ったデジモン達は、毒と、侵された同胞達から世界を守る『英雄』と成ることが期待されている」

 廃工場都市(メトロポリス)のアンドロモンが同様の話をしたことを、蒼太と花那は思い出す。
 過去にも起こった黒い水による厄災。毒と、暴走したデジモン達に立ち向かった『英雄』の存在。そしてその英雄を、天使が求めているということを。────話は本当だったようだ。

「英雄達の多くは究極体のデジモンだった。元からそうであった者もいるが──選ばれし子供達の手により、究極体まで成ったデジモンも多かったと聞く」

 人間とデジモンとの回路が繋がり。構成プログラムの変化。個体としての強化。──その可能性は、進化の最終段階である“究極体”にまで、デジモンを導き得ると言う。

かつて英雄であった(・・・・・・・・)私には、パートナーの記憶がない。欠落したのか、そもそも存在していなかったのか……それでも仲間達の、人間との絆をずっと目にしてきた。なんと輝かしかった事か」

 大天使の告白に、一同は驚愕した。

「天使様は英雄だっだの?」
「正確に言えば、私は記憶を受け継いだだけの後身、転生後のデータでしかない」
「昔のごど、たぐさん覚えでる?」
「断片的だ。しかし我が祖たる大天使セラフィモンが、未来の為にと私に遺した」

 ──ホーリーエンジェモンは語る。

 過去、デジタルワールドを襲った毒の厄災。
 原因も出自も不明の毒に、多くのデジモン達が命を散らせた。
 当時のデジタルワールドは、現代より遥かに生存競争が激しい世界だったという。それ故、究極体の個体も数多く生まれていた。

 毒に対し立ち上がったのも、主に究極体のデジモン達だった。毒の特性を命懸けで調べ、対策を講じ続けた。
 しかし体力にも時間にも、人員にだって限りがある。やがて限界が訪れた────そんな時。

「人間の子供達がデジタルワールドに現れた。彼らの手により、パートナーとなったデジモン達は究極体となった。既に究極体だった者は更なる強化を得た。そうして互いに協力し、戦い抜いたのだ」
『……毒はどのように沈静化を? それがわかれば、今後の目標にもなりまショウ』
「残念ながら、その記憶は遺されていない。肝心な部分である事は承知しているが、許せ」

 できれば他の部分はいいから、そこだけでも覚えていて欲しかった。聖堂内の誰もがそう思った。

「私に遺されたのは戦いの記憶。そして毒に関する情報だ。
 この身に刻まれた記録が覚醒した時──私はすぐに、要塞となる都市の建築を考案した。各地に毒の伝承を語り、書物も残した。遠い未来、万が一また毒の厄災が起こっても、世界が立ち向かえるように。その途中で……かつての仲間達を見つける事は叶わず、記憶の補填もできなかったが。
 遠い厄災の後、彼らの多くは姿を消した。デジモン達も、選ばれし子供達もだ。彼らがいつ帰還したのか、その後どうなったのか────それも、私の中には残っていない。
 過去の英雄達がどうなったのかも、多くが不明だ。故郷へ帰った者。転生した者。命を散らせ、生まれてくる者だっているかもしれない。かつての仲間であった女神オファニモンもきっと──」

 ────女神オファニモン。彼の言うその名は──

「……ダルクモン……」

 ガルルモンがこぼした名前を、ホーリーエンジェモンは聞き逃さなかった。

「ダルクモン?」
「……僕らの故郷の……天使です。……遠い昔、英雄だった……」
「……まさか、オファニか?」
「……」
「信じられない……彼女が見つかるとは!」

 ホーリーエンジェモンの声は歓喜に満ちていた。

「彼女は君達の故郷にいるのか。連れてくる事は可能か? 此の厄災、彼女の力が添えられるのなら────」
「……それは……」
「死にました」

 コロナモンが、立ち上がった。

「俺たちを守って、死にました」
「……────何という事だ」
「自分を犠牲にして俺たちを、里を救った。あなたと同じです」

 失われた四肢と翼。
 データの一部を分け与える洗礼。それが都市の規模になれば、必要なデータ量は膨大となる。それでも都市を、民を守り生活させる為、彼は自らの犠牲を厭わない。
 コロナモンとガルルモンは気付いていた。ホーリーエンジェモンのあたたかな光。それと似たものに、覚えがあったからだ。

 ダルクモンの死を受け、ホーリーエンジェモンは落胆する。──が、すぐに凛として、コロナモンとガルルモンを真っ直ぐに見つめた。

「すると君達は、生き残りか」

 コロナモンとガルルモンは、目を伏せた。

「顔を上げよ。胸を張り、誇るがいい。毒から生き延びた事、彼女の恩恵を賜った事を。
 ──我らが同胞、オファニモンの加護を受けしデジモンよ。君達が選ばれし者としてこの地へ足を運んだ事は、運命であり天啓である。
 彼女の使命を継ぐがいい。この地を、世界を、民を一秒でも永く、安寧の元に生き永らえさせる為に」

 次は君達の番だと。それは、ホーリーエンジェモンの心からの激励であった。
 彼女の死を嘆く二人の背を押して、光に導かんとする意思が込められていた。

 大天使の言葉を受け、ガルルモンは一歩、前へ出る。
 ホーリーエンジェモンの前に立ち、深々と頭を下げる。

「……感謝します」

 そして、顔を上げた。

「でも、僕たちは……僕たちはそれよりも、成さなければならない事があります」

 仮面の下の瞳を、まっすぐに見据えて。

「諸君にとって、民の安寧よりも成すべき事とは?」
「この子たちを守ることです」

 今度こそ守ると二人で誓った。
 もう、あんな思いをしない為にも。

「……少なくとも、僕とコロナモンはそうしてきた。
 あなた方が世界を守ろうとしているのは知っています。けれど……もう十分に、この子たちを危険な目に遭わせてしまった」
「その通りです。もうこれ以上は巻き込めません……!」

 コロナモンも後に続いた。畏怖の念を抱きながらも、怖気づくことなく。

「そもそも、俺たちがデジタルワールドに戻ってきたのは……フェレスモンの城から、誘拐された子供たちを救い出す為です。
 本当はあの時、この子たちだけでも帰してあげるつもりだった。……そうすべきだった! でも、できなかった……」
「それは、何故だね」
「アンドロモンとの約束がありました。俺たちを天使に明け渡せば、メトロポリスに天使を送るって……メトロポリスを毒から守るって。だから俺たちは、蒼太と花那は……」
「────天使を送り、守る?」

 ホーリーエンジェモンは、少しだけ首を傾げた。

「彼が、アンドロモンが言ったのか」
「……そう、言いました。言ってました。……まさか……違うんですか?」
「確かに結果としては、あの都市の民を守る形となるだろうが……しかし私はアンドロモンと、ワープポイント設置の約束しか交わしていない」
「…………え……」

 話が食い違っていると、その場に居た誰もが勘付く。
 蒼太と花那は青ざめていた。コロナモンは、言葉を失った。

「……嘘を……?」
「誤解だ。私は実際にアンドロモンと話している。その時の通信記録も、諸君が望むなら提示できる」

 ホーリーエンジェモンは冷静に答えた。
 ならば、アンドロモンが嘘を吐いたということになる。
 何故、そんなことをしたのか。……悪く言えば、子供達の純粋さに、優しさに付け込んだのだ。良心と罪悪感から、身を差し出させる為に。

 初めから要塞都市には、廃工場都市に天使を派遣できる余裕などない。例え一体だけだったとしても、長期の滞在は不可能である。
 そもそも一体送ったところで、せいぜいシェルターひとつ、もしくはアンドロモンの周辺程度しか守ることはできない。都市そのものを守るには、何体もの天使が必要だ。

 アンドロモンは分かっていた。その上で、交渉を持ちかけたのだ。
 それはワープポイントの設置。現実的な提案だ。有事の際、少しでも民が避難できるように。

 しかし、無人の街でエンジェモンが見せたように────聖なる力が無ければワープポイントは稼働しない。要塞都市にコンタクトを取ってからでないと、天使はそれを開かない。
 つまり民を逃がす為には、その状況下、天使への連絡手段が残っていることが必要条件となる。決して天使達が、メトロポリスを普段から警護するわけではないのだ。

 それも全て、分かった上で。

『────アンドロモン。貴方は何て、計算高い……』

 ウィッチモンの乾いた笑いが聞こえてきた。

「……それじゃあ、シェルターにいた皆……どうなるんだよ……」

 蒼太の手が震える。

「放っておけば──いずれは」
「……そんな……そんなのって……!」
「だからこそ」

 ホーリーエンジェモンは、微笑んだ。

「諸君の出番だ」

 ────しまった。
 ガルルモンとコロナモンは息を呑んだ。

「それはメトロポリスも、そしてこの都市だって例外ではない。このままでは、いずれは毒に呑まれて消えるだろう。我々の結界は、残念ながら万能ではないのだ。
 だからせめて、少しでも苦痛が及ばないように。最後の瞬間まで笑っていられるように。私達はこうして都市を守っている。此処が、最後の砦なのだから」

 全ては民の安寧の為に。
 エンジェモンがウイルス種を目の敵にする理由も、そこから来ている。万が一の事があれば、この都市でさえ容易に地獄となりかねない。

「華やかに出迎えた民衆も、心の底では終焉を恐れている。諸君はまさに希望の光であった事だろう。
 私の力が及ばないばかりに、巻き込んでしまう事を許して欲しい。しかしどうか我々デジモンを────君達の手によって僅かでも永く、生き伸びさせてはくれないだろうか」

 また、彼らの良心を利用する気なのか。
 やめてくれ。お願いだからこの子達を

「危険な目には────」
「──コロナモン。聞きたまえ。そして現実を受け入れなさい。彼らはもう、この世界の惨状を目にしてきた当事者だ」
「だからって、巻き込んでいい理由にならない……!」
「我らがデジタルワールドが滅ぶ時、君達はどうするつもりだ。リアルワールドで生き延びるか? それは無理だ。デジタルワールドが消えれば、そこに存在が依存する我々は生きてはいけない」
「俺たちの命は関係ありません! この子たちは人間なんだ! デジタルワールドの都合で、人間の命が──」
「やめてコロナモン……!」

 花那が叫んだ。

「関係なくないよ! 友達なのにそんなこと言わないでよ!」
「……花那……」
「……私たちが何もしないと、メトロポリスの皆も、コロナモンもガルルモンも死んじゃうなら……私、ちゃんとやるから……!」

 目には涙を浮かべていた。それは悲しさからなのか、困惑からなのか、重圧からなのかは、本人にもわからなかった。

「……花那。……そんなこと言わないで。頼むから……」

 コロナモンも、必死になって伝える。良心の呵責なんかで、その身を危険に晒してほしくなかった。

「……君たちは何度も危ない目に遭った。デジモンが死ぬところだって見てきた。
 これからだって! この道を選べば……君たちはデジモンの死を目の当たりにすることになる。俺たちがデジモンを殺していく姿を見続けていく……!」

 少しだけ大きな声に、二人は身を震わせた。コロナモンは悲痛な声で、待ち受けるであろう未来を告げていく。

「ホーリーエンジェモンが、この都市の皆が、世界が、君たちに見せるのは……そういうものだよ。君たちは耐えられるの? 毒にやられたデジモンたちを死なせていくのを!
 それに……フェレスモンの城で、二人で広間に逃げてきた時……怖かっただろう? ブギーモンたちに見つからないか、捕まらないか……殺されないか、怖かったはずだよ」
「「……」」

 ────ああ、コロナモンの言う通りだ。

 怖くないわけがない。命を奪うのも、奪われるのも。
 あまりに理不尽で、綺麗事なんて通用しない。コロナモンとガルルモンが、自分達から遠ざけように必死になっていた現実。

 わかっている。
 わかっているのだ。……それでも

「……それでも……俺は……。……俺が一番、怖かったのは……コロナモンに……槍が、刺さって……死ぬところだったんだ」
「……!」
「俺……ひどいんだ。他のデジモンが死んでいくの、辛いのに、でも……コロナモンが死ぬかもしれなかったことの方が怖くて、辛くて、嫌だったんだ……!
 もう……やめてよ。嫌だよ。見たくないんだ。俺たちだって、コロナモンたちに生きててほしいんだよ!」

 自分達の覚悟が、足りているとは思わない。
 都市の民衆の歓声が怖かった。自分達にそんなものを、押し付けないで欲しいと思った。

 だが、それ以上に。
 生きていて欲しかった。大事な友達だから。
 自分達が退くことで、その命が脅かされるというのなら────それは、あまりにも耐え難いことだったから。

「私たちがいれば、皆が強くなれるなら……生きられる可能性だって、増えるんでしょ? 私たちが放っておいて、デジタルワールドがなくなっちゃったら、ガルルモンたちも死んじゃうんでしょう?
 そんなの嫌だ。二人が私たちに無事でいて欲しいように、私たちだって、皆に無事でいて欲しいんだ!」
「俺たち、一緒にいるよ。ここで帰ったりしない」

 二人の決意は固かった。

「……あ、あの……! わたしも……その」

 手鞠も、おずおずと手を上げる。

「チューモンと一緒に、帰りたいから……」
「ウチはこんな世界どうでもいいけど、無くなったらウチも消えるなんて御免だからね」
「……オレも、フェレスモンの城に閉じ込められてたの、怖かったけどさ。……でも、ここに来る途中で……色んなデジモン、見てきて……ここの皆も、他のデジモンも、あんな悲しい目にあって欲しくないって、思ったんだ。
 オレたちなんて何でもない、ただの小学生だよ。でも、それでも何かできるって言うなら、オレだってこのままじゃ帰れない……!」
「……ぎい!」

 子供達は前を向く。手を震わせながら、意志を固めて。
 世界に求められる『選ばれし子供達』を演じる為に。

「ホーリーエンジェモンさん。俺たち、何をしたらいいの?」

 ホーリーエンジェモンは笑顔だった。彼らの強い意志を、誰よりも祝福した。
 ──選ばれし子供達に、世界の加護がありますようにと。



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