◆  ◆  ◆



「ウィッチェルニーの民よ。知恵深き魔女よ」

 美しい主聖堂に、大天使の声が響く。
 祭壇の前には、亜空間からデジタルワールドへ降り立ったウィッチモンの姿があった。

「面を上げよ。力を抜き、聖なる光を刮目せよ。亜空間の小島は、さぞ薄暗かったであろう」
「──慈悲深きお言葉、感謝いたしマス」
「亜空間との接続は良好なようだ。パートナーの少女は無事に送り届けたか?」
「はい。今頃は少女達で話に花を咲かせているでショウ」
「ならば良い。彼女にも十分に、休養を取らせるように」

 ──勿論、ホーリーエンジェモンはわざわざ、柚子の状態を聞くためにウィッチモンを呼び出した訳ではない。

「君は観測者であり、また導く者である。彼らを最も客観視し、物事を判断する立場にあるのが君だ。
 私は、諸君のここまでの道程を把握しておきたい。簡潔で構わない。何があって諸君が導かれたのか、私に語ってくれ」

 聞きたかったのは、当事者から語られる事実。如何にして、何が理由で、選ばれし子供達は導かれたのか。

「……故郷ウィッチェルニーを出たワタクシが亜空間を漂ッテいた頃。リアルワールドにて突如、大量のブギーモンがリアライズしまシタ。
 出現範囲が特定の地域に限局した事、そして、リアライズしていた時間が一時間程度であッタ事から、騒ぎはそこまで拡大しまセンでシタが……その間に、百人以上の人間が誘拐されまシタ。実に痛ましい事件デス」
「そして諸君は、その人間達を救うべく立ち上がった。……素晴らしいことだ。出発したのは?」
「事件の約二日後に」

 まるで尋問のようだと、ウィッチモンは乾いた笑みで答えていく。

「デジタライズはどのようにして行ったのだ。ユキアグモンの腕輪を?」
「ブギーモンが保有していた物を用いまシタ。そもそもユキアグモンの腕輪にゲートを開く力が?」
「使用者次第だ。天使型なら開けただろう。
 ……そして君達はデジタルワールドに、ダークエリアに降り立ったと」
「ブギーモンの腕輪の転移設定が、ダークエリアにされていまシタので」
「メトロポリスに向かったのは何故だ。城の攻略の助力を得る為か?」
「結果的にはそうなりまシタ。しかし我々の出会いは偶然。毒に侵されたデジモンと交戦中に、メトロポリスの民が駆け付け援護を」
「そこだ」

 ホーリーエンジェモンの言葉に、ウィッチモンは首をかしげる。

「と、仰いマスと」
「あの広大なダークエリアの地で──メトロポリスが諸君を発見したのは偶然か、否か」
「…………」

 そんな事はわからない。わからないから独自に調べ、答えは結局出ないまま。
 偶然だったなら、ただの幸運だ。彼らに命を救われたのだから。
 では、もしも────偶然でなかったとしたら?

「……ワタクシも、気掛かりでシタ。ええ。しかしアンドロモンがワタクシ達のデジタライズを観測し急遽、救援を送ッタ可能性は否定できまセン」

 それぐらいしか、考えは浮かばなかった。

「何故そう思われルのデス」
「自身の領でもない広大な土地において、デジタライズを逐一測定する。そんなシステムが構築できていたなら────アンドロモンは我々に伝えた筈だ。我々がそれを欲するのは目に見えている。更なる選ばれし民の、発見に役立てるのだから」

 そうすればメトロポリスに、ワープポイント設置以外の利益だって得られたかもしれない。
 だが、そのような交渉は為されなかった。

「……」
「アンドロモンとは何を話した? 何を聞かれ、答え、尋ねたのか」
「……それはアンドロモンとの通信で聞かれたのでは?」
「聞いたとも。しかし君の口から、改めて聞きたいのだ」
「……捕虜としたブギーモンに対し、フェレスモンの城の結界についテを」
「それが、二つ目だ」

 ホーリーエンジェモンは見えざる指を差す。

「あの“雨の日”から、フェレスモンとは連絡が取れなくなっていた。ウイルス種が殆どを占めるダークエリアは、既に全滅したものと思っていたが……」
「……お待ち下サイ。彼と連絡を?」
「ごく稀だ。アレも元は天使であったからな」

 意外だ、とウィッチモンは目を丸くした。要塞都市の天使が、堕天してダークエリアの領主になったとは。……どうりで、エンジェモンに対しても馴れ馴れしかったわけだ。

「さて置き、結界の件だ。アンドロモンが言っていた。奴は城に結界を張っていると」
「……ええ。そのおかげで、彼の臣下は鈍りきッテおりまシタが」
「毒を、弾くのか」
「厳密には毒と、彼の許可が降りていないウィルス種は蒸発する仕組みでシタわ」
「それは」

 ホーリーエンジェモンは苦い顔をする。

「存在する筈のないものだ」
「……作られる事はあり得ないと?」
「我らが要塞都市の結界は、私のデジコアを基盤とし、ワクチン種の天使型、聖獣型、そしてそれらに準ずるデジモン達の命で構成される」

 毒に対する僅かな耐性。
 命を削り、外壁に、空を模した天井に取り込ませる。そうすることで、毒の侵入を防いでいた。

「現状、それが限界だ。これ以上の技術は存在しない」
「……結界を作ッタのは自分ではないと、彼は」
「やはりそうか。では、誰がそんなものを?」

 ホーリーエンジェモンは落ち着いていた。その落ち着きの中に疑問が溢れ出ているのが、ウィッチモンには確かに感じ取れた。

「……君はデジタライズの際、用いたのはブギーモンの腕輪だったと言った。
 デジタライズにおける発現位置の限定は、ある程度の誤差はあれど設定可能だ。しかしリアライズではそうはいかない。それぞれが別のゲートを辿ったなら、全員が同じ地域に出現する可能性など極めて低いだろう。──座標でも無い限りな。それが在ったとは到底、考え難いが。
 それに通常であれば、肉体にはゲート越えの負荷が掛かる。人間を拐って帰還するような体力など残る筈がないのだ」
「…………アンドロモンからは少なくとも、腕輪はメタルエンパイア製のものでは無いと……後に報告がありまシタ」
「……ならば、余計にあり得ないな」

 そんなあり得ないものが、フェレスモンの城には揃っていた。そう、ホーリーエンジェモンは言いたいのだ。

「……ホーリーエンジェモン。要塞都市の長ならば、数多のコミュニティと繋がりもあッタでショウ。フェレスモンと手を組みそうな組織やデジモンに、心当たりは?」
「いいや」

 即答だった。

「そんなものがあるのなら、我々が第一に協力を要請する」
「仰る通りデスわね」
「諸君に関する報告を受ける度、私の中で疑問と疑心が生まれるのだ。
 毒に対する結界などという技術が存在したならば、何故それが伝播されなかった?
 隠す必要など無かった筈だ。こんな状況で、共に生き残る以外の選択肢など無いだろうに」
「……」
 
 ────『哀れなアンドロモン。聖要塞でなく我々に協力すれば、結界の恩恵も受けられただろうに』──。

 フェレスモンの言葉が、問い掛けが、甘い誘いが甦る。
 ……皆、生きることを願っている。だが必ずしも、平等な愛を、恒久の平和を望んでいるわけではない。こんな状況でも損得勘定で動くデジモンだって、確かにいたのだ。

 ウィッチモンはそれを、静かに胸の中へと秘めた。

「君達を発見したと思われる、何者かのデジタライズ観測技術。
 そして、フェレスモンに結界と腕輪を与えた者──おそらくは同一の存在、もしくは組織。
 それらの調査も、諸君には頼みたいと思っている」
「……我々にそれが可能ならば」

 無理だと思うが。
 そちらにも、こちらにも。そんな余裕無いだろうに。ウィッチモンは溜め息をこらえる。

「……後は恐らく、貴方が受けた報告にもあるかと思いマスが……。
 我々はその後、メトロポリスの協力を受け、フェレスモンの城へと侵入し子供達を解放。リアルワールドへと帰還させまシタ。めでたし、めでたしデス」
「欲を言えば、その子供達にも協力を仰ぎたいところでもあった。しかしそんな状況でもなかったのだろうな。先程の子供達のうち二人……ひどい栄養状態だ。可哀想に」
「……死者がでなかッタのは、幸いでシタわ」

 あくまで、城の中では。──失踪者数と帰還者数の齟齬。果たして、そこに含まれる子らが生きているのか否か。それは未だ不透明だ。
 ウィッチモンは、そのことをホーリーエンジェモンに伝えなかった。恐らく伝えたところで、今の彼に、都市に、それを解決する力は無いだろうから。

 都市はただ守るだけだ。守って、支えて、導くだけ。進み戦うことが役目ではない。
 だから、今は伝えない。自分達が改めて、彼らを救出する手段を得るまでは。────現地で戦う子供達にも。

「ワタクシがお伝えできる事は以上デスわ。……そろそろ仲間の元へ戻ッテよろしいでショウか」
「構わない。時間を取らせてすまなかった」

 いいえ。と、愛想笑いを浮かべた。深々と一礼して踵を返す。

「ところで、何故フェレスモンは子供達を誘拐し、そしてわざわざ返したのだろう。そんな結界を持つのならば、奴の全ての行動は不毛だろうに」

 背後から、天使の純粋な疑問が投げられる。

「……ワタクシには分かり兼ねマス。きっと、英雄の真似事でもしたかッタのでショウ」

 背を向けたまま答えると、ウィッチモンは主聖堂を後にした。



◆  ◆  ◆



「コロナモン、ガルルモン、ユキアグモン。お久しぶりデスね」

 ウィッチモンとは、約一週間ぶりの再会となる。
 コロナモンとガルルモンは笑顔で答える。ユキアグモンは嬉しそうに手を上げた。
 対面するのは初となるチューモンは、ウィッチモンの姿をじろじろと見上げている。

「はじめまして、チューモン」

 ウィッチモンは手を差し出す。使い魔による戦闘でボロボロになった指は、手袋ごとテクスチャーが継ぎ接ぎされていた。

「……どーも」

 チューモンは面倒くさそうに、指を掴む。ウィッチモンはにっこりと指を振った。

「ぎぎっ。フーガモンの時、助けでぐれでありがとう」
「ワタクシは大したことなど。無事に脱出できたのは、皆サンが頑張られたからデスよ」

 そう、ユキアグモンの頭を撫でた。ユキアグモンは嬉しそうに喉を鳴らす。

「ウィッチモン。ホーリーエンジェモンと話はできた?」
「ええ、ガルルモン。彼はフェレスモン城の結界にとても興味を示していまシタよ」
「……だろうね」
「セラフィモンの記憶を継いでいるとはいえ、彼も未だ手探りなのでショウ」

 ベッドに腰をかける。隣にユキアグモンが座ってきた。

「あら」
「ぎい」
「ふふ。……まあ、今後のことはまた、彼から話されるでショウから」
「……今後、か」

 コロナモンの表情が曇った。

「地道にやるって言ったって……いつまでやるんだろう」
「ゴールが少しでも見えているなら、気も楽になるのデスが」
「あの子たちにも帰る家があって、家族がいるんだ。いくら時間の流れが違うからって、ずっとデジタルワールドにいさせるわけにもいかないよ」
「せーじたぢが、お家で寝てる間だげ、こっぢに来てもらっだらどう?」

 我ながら名案だ、とユキアグモンは両手を上げて提案した。チューモンが半目で腕を組む。

「そいつぁ良い案だけどさ、寝る時間を削ったら手鞠たち倒れるんじゃないの? ていうか時間の流れ違うの? 知らないんだけどそれ」
「ええ。約五から六倍、コチラの方が時間の流れが早いデスよ」
「なんだいそりゃ。滅茶苦茶な話だね」
「ぞれは言い出ずど大変。滅茶苦茶ばっがりなんだから」
「……あの子達の睡眠時間が約八時間と考えて……コチラでは四十時間以上デスか。それなら睡眠を取りつつ活動もできマスが……問題はあの子達にとっての日中が十六時間。つまりコチラでの約四日間。
 流石に四日に一度の活動は、ホーリーエンジェモンが許さないでショウね」

 ウィッチモンは溜め息をついた。
 しかしそうなると────『英雄』としての活動中は、彼らを家に帰してあげられないという事になる。

「ずっと行方不明の扱い……の方が、都合は良いのでショウが……あまり長期の滞在は、恐らくでなくとも負担となりマスし……」
「せめて僕らだけで、外部の活動ができるならいいんだけど。あの子たちを戦いに巻き込まなくて済むのなら……」
「……パートナーと一緒にいた方が、俺たちの回路も強化されるっていうのは分かる。でも今までだって、ぴったりくっつきながら戦ってきた訳じゃない。何らかの形で皆を隔離して、守ってきたつもりだよ。……それで良いなら……あの子たちだけでも安全圏に置いたって、いいじゃないか」
「それこそウチらが戦って、その間あの天使共が守るとかじゃダメなわけ? それならアイツが戦えばって話だけど」

 実際、子供達を守りながらの戦闘は、デジモン達にとっても負担となる。強さに余裕がない彼らにとって、二足の草鞋を履くのは困難だ。

「……できることなら、もう帰してあげたいんだ。僕は……」
「お前もコロナモンも、ずっとそれ気にしてるよね」
「当たり前じゃないか。君だって、手鞠には傷ついて欲しくないだろう」
「そりゃあね。そもそもウチだって、できればこんな面倒な事したくないさ」
「手鞠と誠司は被害者だし、花那と蒼太だって、僕らが巻き込んだんだ。……これ以上は」
 
 でもさ、と。チューモンはガルルモンの目を見た。

「巻き込みたくない気持ちはわかるけど。関わっちまったものは仕方ないじゃないの」
「……それでも、」
「無事に帰してハッピーエンド。それもアリっちゃアリだろうけどさ。それでウチらが死んだら、結局アイツらは悲しむし後悔するんだ。あいつらなりに、やる気にもなってるんだしさ」
「死なせたら元も子もないんだぞ」
「だからウチらが何とかするしかないんじゃないの。今までガルルモンとコロナモンがやってたように、ウチらが守りきるしかないんだよ」

 ガルルモンはコロナモンと顔を見合わせた。啖呵を切られた気分だ。

「……とは言えワタクシ達、まだ成長期と成熟期デスからねえ……」

 片手を頬に当てて、悩ましい表情。

「……おでだけ成長期……」
「……えっと、ほら、俺だって自由に進化できるわけじゃないし……多分……」
「ぎー……」
「とにかく、完全体以上に変異シタ個体が観測された時点で即座に離脱。──これを徹底するしか無いでショウね」
「君たちのナビゲートに僕らの命がかかってるな」
「責任重大デスわね。もっと精度を上げられルよう努めマス」

 ウィッチモンはにっこりと一笑する。

「ここまで来ても全っ然、現実味がないんだけどさ。正直、ウチらに出来る気しないし」
「うん。俺たちが何か頑張って、どうなる問題とも思えないね……」
「そうそう。それこそ完全体以上の奴らでやってくれよって感じじゃないのさ」
「……ふたりとも段々、愚痴みたいになってるよ。まあ気持ちはわかるけど……」

 ガルルモンは苦笑する。

「……出発までの四日で、僕らも出来ることをやろう」
「特訓ずる!」
「そうだね。僕らは特訓だ。猛特訓だ。まずはコロナモンが、自由に成熟期になれるように」
「うん。それで、皆の安全をいかに守るかをホーリーエンジェモンと相談して……」
「ワタクシは亜空間、もしくは都市からのサポートをより充実できルよう調整しマス。使い魔での戦闘に伴う負荷も、大天使様のお力添えで何とかシテもらおうかしら」
「ああ、そりゃ助かるね。ウチはのんびり過ごすとするかな」

 目先の目標が定まった。
 悩んだままでも仕方ない。あの子達を守る為にも、出来ることはやらなければ。コロナモンとガルルモンは、気持ちを切り替えようと努めた。

「あっ」

 そういえば、と。コロナモンが思い出す。

「あの子たちは? 大丈夫なの?」
「? ああ、ミチルとワトソンのことデスか」
「まだ亜空間にいるんでしょ?」
「ええ。来たくなッタら連絡すると言ッテまシタよ。ワタクシでないと亜空間から接続できまセンから。まあ二人なら大丈夫でショウ」
「…………その、ウィッチモン。柚子との扱いが、なかなか違うというか……」
「ご、誤解デス。そういう事ではなく……あの二人、結構しっかりしていんデスよ。柚子の事も気に掛けてくれてマスし。ワタクシがケアなどしなくても、よくリアルワールドへ出てリフレッシュしてマスから」
「それは……なかなか自由だね」

 確かにその調子なら大丈夫そうだ。コロナモンの脳裏で、ピースサインをする二人の姿が浮かび、思わず笑ってしまった。



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