◆  ◆  ◆



 ────時は遡り、ウィッチモンと柚子が、要塞都市へと向かった直後。


 主が不在の亜空間の部屋。
 残されたのは本来の家主。もとい世帯主。そしてブギーモンだ。

「ウィッちゃん達、行っちゃったねえ」

 部屋がなんだか広く感じる。元の広さに戻っただけなのだが。
 みちるは足を投げ出して座る。そのまま足をバタつかせ、埃を立てた。

「いいなー! きっとVIP待遇されてるんだろうなー!」
「おいしいご飯、もらえてるだろうね」
「いいないいなー。アタシらなんてゼリー飲料ばっかなのに!」
「文句言わないでよ。それしか食べられないんだから」
「いやだってさ、向こうには豪華な流動食とか、あるかもしれないじゃんよ! いいなー。もっと元気な胃腸があればなー!」
「……」

 そんな二人の様子を、ブギーモンはじっと眺めていた。
 ウィッチモンにより拘束を解かれ、すっかり自由の身ではあるのだが──それでも部屋の端で大人しくしている。らしくない行動だ。みちるが怪訝な顔で、ブギーモンへと近寄った。

「なんでい、ウィッちゃんいなくなったからイタズラでもしてくるのかと思ったけど、大人しいじゃないのよ。お腹痛いの?」
「痛くねえよ。……そうじゃねえ。此処で俺が何かしたって良いことがねえんだ。大人しくもするさ」
「あらまぁ成長したのね! 感動だわ!」

 大袈裟に両手を上げてみる。

「嘘つけよ」
「てへっ!」

 こつん、と、拳をこめかみに当ててみる。それを見たブギーモンは深々と溜め息を吐いた。

「あーあ。てめぇらのどっちかでも契約してくれりゃなあ。壊れかけのデジコアも復活して生き残れるのになぁ」
「そりゃできない相談だ! ごめんねー」
「生き残ったら、何かしたいことでもあるの?」

 ワトソンの問いかけに、「はあ?」と呆れた顔をする。

「何言ってんだよ。何かしたいから生きてぇんじゃなくて、生きたいから生きるんだろうが」

 もちろん、理由があるから生き残りたい者もいるだろう。だが生きてさえいれば、それだって、他のことだって、何でもできる。死んだら何もできない。
 だから──少しでも長く生きていたい。
 ブギーモンはそう思う故に、ウィッチモンが不在となっても何もせず、大人しくしていた。

「生きたいから生きる! なんか真理って感じ! 学んでしまったわね」
「うん。確かに言う通りだ」
「この部屋でしか生きられねえけどな。あとどんだけ体もつんだろうなぁ」

 今のところは、不調もなくピンピンしている。この空間から出さえしなければ、まだしばらくは生き残れるのだろう。
 リアルワールドでもデジタルワールドでもない、曖昧な空間だからこそ──彼のデジコアのリミットも曖昧となっているのだ。

「パートナー契約以外で、ボクらにできる事ならしてあげるけど」
「なんだ急に。同情か?」
「うん」
「即答かよ」
「食べたいものとかしか用意できないけどね」
「いらねえよ。今までので充分だ」
「そう。ならいいけど」
「なんたって生まれてからずっと、フェレスモン様の城で良い生活してたからよ!」
「えー、なにコイツ急にマウント取ってきたんですけど。どーせここは激安アパートですよーだ!」

 舌を出して怒る素振り。ブギーモンはニヤニヤと笑っていた。

「えーんワトソンくーん。ブギーモンがいじわるするよー」
「ぎゃはは」

 嘘泣きの素振り。お互いに冗談であることは理解している。
 この亜空間に籠ってから一週間。始めは敵同士ではあったが、だいぶ打ち解けてきた。……そう、ブギーモンは思っていた。柚子はまだ自分を警戒しているが、もうこちら側に敵意はない。
 
「ていうか、てめぇらは行かなくてよかったのか?」
「んん?」
「デジタルワールドだよ。いけ好かねぇ天使の所になんか行きたくねぇって事なら、気持ちはわかるけどな!」
「もちろん行くとも! コロちゃんガルちゃん会いたいし」
「? それならウィッチモンと一緒に行けばよかったじゃねえか」
「ほら、先にチーム小学生で涙の再会すべきじゃない? っていう、みちるちゃんなりの配慮なのだよ! ねえワトソンくん?」

 うんうん、と、ワトソンは黙って頷いた。

「それに、ボクらは用事もあるからね」
「用事?」

 ブギーモンは首を傾げた。空間の主は不在、リアルワールドへは出られない筈だが──合鍵でも貰っているのだろうか?

「ふーん。まあ、買い出し出るなら気を付けろよ。早くしねぇとガキ共が出発しちまうからな」
「きゃー! 優しい気遣い! すっかり丸くなっちゃって!」
「人って変わるものだね。人じゃなくてデジモンだけど」
「でも買い出しじゃないよん。それはワトソンくんが行ってくれたからね! アタシちょっぴりお出かけしたいの! 女の子はお出かけが大好き!」

 みちるは両手でピースサイン。少しポージングも決めてみた。

「どのタイミングにしよっかなーって思ってたけど! そっかあ。特に食べたいのとかないなら、アタシ行っちゃおうかな」
「いいんじゃない? 行っておいでよ」
「行っちまえ行っちまえ。たまには静かに過ごさせてくれ」
「おっけおっけー。じゃあ行ってくるね!」

 みちるは大きく両手を上げて背を伸ばす。「んー」と言いながら、玄関とは別の方向へ進み、

「いやあ、ドキドキだわ。うまく出来るかしらん」

 窓を開けた。
 外には赤紫色の霧。ネットの海が広がっている。

「! 何してんだ!? 開けたら危ねぇだろうが!」
「へへっ」

 また、こつんと拳を頭に当ててみる。舌を出してウィンクをする。

 そのままサッシに乗り出した。
 それを見たブギーモンは咄嗟に立ち上がり、止めようとして

「じゃあねブギーモン」

 手を振られた。

「────は?」

 そのまま、笑顔で


「ばいばい」


 みちるは、ネットの海に落ちて行った。



◆  ◆  ◆



 拘縮した筋肉を無理に動かす。
 ブギーモンは必死に窓まで駆け、外を覗いた。

 みちるの姿は見えない。窓の向こうには、赤黒い霧だけが広がっている。

「…………!?」

 どうしてこんな事を。
 外に出たら帰ってこれないと、始めにウィッチモンから言われていたのに。

 少女の行為を理解できるわけもなく、動揺しながらワトソンに視線を向ける。

「……な、何が……」

 ワトソンはいつもの表情で、ただ、こちらを向いていた。

「あいつ、落ちたぞ……いいのかよ……!?」
「え、どうして?」
「は!? ……いや、だってよ、窓の外は……リアルワールドじゃ、ねぇんだぞ……」
「そりゃあ、そうだよ」
「……何で……そんな、お前」
「というかウィッチモンいないんだから、そもそもリアルワールドに出られないじゃん。この部屋」
「……!? ……──な、……」

 ブギーモンは狼狽する。ワトソンがゆっくりと、窓際へ近付いてくる。いつもの、澄ました顔のまま。
 ブギーモンは思わず身構えた。────人間を相手に身構えるなんて。自分で自分を笑ってしまいそうになる。

 だが、ワトソンはブギーモンに指一本触れなかった。
 みちるが開け放した窓を閉めた、それだけだった。

「……何で、だよ……」
「? さっきからキミ、どうしたんだい」
「……いや、だってよ、アイツ……」
「ああ、みちるの心配をしてくれてるの?」
「……というか、普通にあれはやべえって……」
「確かにね。でもほら、言ったろう? 今はウィッチモンがいないから」
「え……? あ……ああ」
「今のうちじゃないと。出かけられないんだよ」
「…………それって、どこに……」
「どこだろうね。あの子、気まぐれだからな」

 しばらく窓の外を見つめて、ワトソンは踵を返す。ブギーモンとの距離が開いていく。ブギーモンは、胸を撫で下ろした。

「ところで」

 思い出したように立ち止まって、振り向き。


「キミさ。何かやり残したり、言い残した事とかって、あったりする?」


 表情の一切を変えることなく、青年は告げた。

「………………」

 その言葉は、何を意味するのか。
 どうして今、それを告げたのか。

 何だ。何だ。何が起きている。
 考える余裕がない。考えたところで自分に利益などない。
 いずれにしたって余命は長くないのだ。それがデジコアの寿命だとしても、そうでなかったとしても。

 そんなことより、コイツらは一体、

「……」

 だが、恐らく。……自分がそれを知る事はないのだろうと悟る。
 仮に知ったところで、伝える機会は与えられないのだと、悟る。
 ブギーモンは考えた。必死に考えた。今ここで何を発言すべきか。何を問うべきか。

 ────どうせ消えるなら、せめて後悔の無いように。

「……。……き、聞きたい、事と……。……頼みが……」

 ワトソンは興味深そうに、普段より少しだけ目を開く。

「聞きたい事って?」 
「…………お前らは……。……味方、なんだよな……?」

 これだけは、聞いておかなければ。
 彼が選んだ唯一の問いに、ワトソンは「もちろん」とだけ頷いた。

「……ははっ……」

 それが、本当なのかはさて置き。
 その言葉が聞けて満足だ。ブギーモンは乾いた笑いをこぼしながら、力なく座り込んだ。

「それで、頼み事の方は? ボクにできることかなあ」
「…………嬢ちゃんに……」
「柚子ちゃんに?」
「……お、……俺のこと……。……許して、やってくれって……。……伝えといてくれ……」

 彼の顔を直視できないまま、言葉に詰まりながら、ブギーモンは願いを伝える。

「うん。わかったよ」

 答えはすぐに帰ってきた。ブギーモンは思わず顔を上げた。
 ワトソンは既に彼に背を向け、玄関へ。

 ガチャリと金属音が響く。それから、彼は戻ってこなかった。


 亜空間の部屋に、ブギーモンだけがひとり、残される。


「……は……はは……」

 静かになった部屋の中。ブギーモンは大の字に転がる。

「ははは……っ!」

 目を見開いて、天井を見つめて、大声で笑った。

「ははは! はははははは!! はははははっ!! なんだ! なんだよこれ!! なあ! ぎゃははははははは!!」


 その声は、誰にも届かない。





◆  ◆  ◆




 そして、最後の安寧の夜は更けていく。

 訪れる朝日が、聖なる都市を美しく照らしていった。




◆  ◆  ◆







第二十話  終







 → Next Story