◆  ◆  ◆



 一行は、ホーリーエンジェモン達が設定した町へ辿り着く。
 大聖堂に比べると幾分も古びた、木造の教会。その内部へと転送された。

「うへぇ、埃っぽい」

 誠司が鼻をつまんだ。

「外、どうなってるんだろう」

 手鞠がテイルモンと窓を覗き、町の様子を伺う。

「誰もいないじゃないのさ」
「ごごの皆も、おでの街に逃げだんだ」
「へえ。じゃあもし誰かいたら、そりゃ敵ってことだね」

 冗談めかして言うが、テイルモンの目は真剣だった。
 此処はもう安全な都市の中ではない。結界もどの範囲まで張られているかわからない。そこで出会う誰かは敵か毒。運が良ければ無害な難民だ。

 デジモン達はそれぞれ、窓際で周囲を警戒していた。子供達は教会の中央部で待機していた。まだウィッチモン達のナビゲートが始まらない状態で、不用意に外に出るわけにはいかなかった。

 しばらくすると、花那の足元から使い魔の猫が現れた。帰還したウィッチモンが、一行との接続に成功したのだ。

『皆様、状況は……』

 ウィッチモンの声は、ノイズがかかっているのか──いつもより少し揺れて聞こえた。

「繋がって良かった。ウィッチモンたちは大丈夫? ……俺たちはまだ教会の中だよ。多分、外には誰もいない」
『いえ……大丈夫。こちらは問題ございまセン。遅くなッテごめんなサイ。
 早速デスが、まずは皆様を乗せる荷台を見つけまショウ。エンジェモン達が用意してくれている筈デスから。教会の周囲、一キロは結界の範囲内デス。熱源の反応もございまセンので、そのまま移動を』

 観測も順調に行われているようだ。一行は安堵しながらウィッチモンの指示に従い、教会の外へ出た。

 周囲を散策すると、エンジェモン達が用意してくれた幌馬車を発見した。
 西部劇で目にするような木製の馬車。白い布で覆われたワゴンの中は広くもなく、狭くもなく。なんとか全員座ることができるといった程度だ。中にはささやかなクッションが備え付けられていた。
 コロナモンはガルルモンの胴体にハーネスを取り付ける。すぐに戦えるよう、あくまでも簡易的に。
 子供達はワゴンの中へと入り込んだ。テイルモンとユキアグモンも、彼らを守るように後部で備える。


 ガルルモンの背にコロナモンが乗り、手綱を持った。
 幌馬車はゆっくりと動き出す。結界に守られた区域を抜け、毒が蔓延る外の世界へ。



◆  ◆  ◆



 ────選ばれし子供達の行進。
 それは、ただ世界に広がる毒を、焼き消していくだけの旅路。

 荒れた道に、枯れた泉に、死滅した町に点在する毒の水。あるいは、かつては命だったもの。
 そのひとつひとつを、焼いていくのだ。

 何度も、何度も、焦げる臭いが鼻を突く。
 意思など無いはずの毒は、一行と出会うと静かな波の様に迫ってきた。氷で堰き止め、炎で焼いて────しかし一度の攻撃では到底、毒を消すことなどできず、一ヶ所の毒を消し去るまでには多くの時間と体力を消耗する。対処しきれないと判断すれば、命を優先し逃亡した。

 追って、追われて、燃やして、焼いて、逃げて。

 毒を焼ききれば──その土地はまた、天使が治める管轄にできるのだという。それを繰り返せばデジモン達の生活圏が増え、より多くの難民を受け入れることができるのだという。
 いずれはメトロポリスの民も。……蒼太と花那は、そう信じた。

 そんな命懸けの偉業。
 実情を知る者は、当事者以外存在しない。当然、どんなに頑張ったところで褒めてくれる者などいない。ただ唯一、画面越しに見守るウィッチモンと柚子達だけが、彼らの行為を見届ける。

 幸い、一行の誰一人、それを気にする者はいなかった。
 彼らは決して、評価や喝采欲しさに身を危険に晒しているわけではない。──という理由もあるが、それ以前に目の前のことでいっぱいいっぱいだったのだ。

 特に子供達は深刻な問題に当たっていた。
 ……乗り物酔いである。

「うええぇ」

 舗装されていない道中、乗り心地は決して良いものではない。ガルルモンも気を付けてくれてはいるが、それでも限界がある。激しい揺れが一日中続き、誠司は一生懸命に口元を押さえていた。

「誠司、誠司。大丈夫?」
「そーちゃんもう無理おろして」
「ガルルモン、誠司がそろそろやばいよ。どこか止まれない?」
「止まれるけど、降りるのはだめだ。砂嵐で視界が悪い。外に出たら危ないよ」

 蒼太は閉じた布から外を覗く。荒原には、砂交じりの強い風が吹いていた。

「……俺たち、今どこにいるんだろう」

 ダークエリアにも似た景色だが、所々に見られる植物の存在がそうでないことを示している。
 地図もなく、目的地も無い。時間の経過もわからず、ただ決められた距離の中を移動していく。

「どのくらい進めたのかな」
「……蒼太。申し訳ないけど、多分そこまで進めてない」

 コロナモンがワゴンの中へ顔を見せた。

「直線じゃなくて、円を描いての移動だ。俺たちは出発地点のあの町から、渦を巻くような形で進んでる」
「なんていうか、途方もない話じゃないのさ。もう陽がだいぶ傾いてるよ。今日中に回りきるのは無理じゃないの?」

 テイルモンは苦い顔をしながら、誠司の背中をさすっている。ユキアグモンは酔い止め代わりに氷を作って、子供達に舐めさせていた。

「……うん。多分、今日中には無理だ。僕の足がもっと速ければ……」
「そこはアンタが責任感じることじゃないよ。むしろ全力疾走なんてされたら、ウチらが振り回されて死んじゃうからね。こんな無理なノルマにしたアイツらが悪い!」
「ガルルモンばかりに無理はさせられないし、俺たちも夜通し毒を焼く体力はない。とりあえず今日は行ける場所まで行こう。身を隠せる場所を見つけて、そこで夜を明かすしかないよ」
「ぎぎ。のじゅく」
「あーあ。これじゃあ世界とやらを救うのに、どれだけ時間かかるのかねえ」

 ふてくされるテイルモンを手鞠がなだめる。誠司は馬車の外に顔を出していた。

「そ、そんなに急がなくても、きっと大丈夫だよ。それに、わたしたちまだ……デジモンたちと、戦いになってないんだよ。安全に進めるなんて良いことだよ」

 ────手鞠の言う通り。出発してから長い時間が経過しているにも関わらず、汚染されたウイルス種どころか、デジモンと一体も遭遇していない。こんな事があるのかと不審に思ってしまう程に。

「ぎー。なんだが、怖いぐらい静が」

 ウィッチモン達も、先程からずっと静かだ。使い魔の猫も反応していない。──だが、視線は常に周囲を見回しているので、観測自体は続けられているのだろう。

「逆に嫌な予感するよなー」

 顔を上げて座り直した誠司は、どこかスッキリした顔をしていた。

「ちょっと誠司くん、変なこと言わないでよ。柚子さんたち何も言わないってことは、きっと安全ってことなんだから」
「ごめんって。なんか不安になっちゃって」
「ぜーじ元気になっだ。ガルルモン、出発しでいいよ」

 ガルルモンは再び馬車を走らせる。
 ワゴンの布の向こうで、荒廃した景色が揺れながら流れていく。

 静けさの中で、車輪と地面が摩擦する音だけが響いている。

「……なんだか、変な感じ。デジタルワールドに私たちしかいないみたい」

 要塞都市にもメトロポリスにも、残してきたデジモン達はいるはずなのに。何故だかそんな錯覚をした。



◆  ◆  ◆




 数日ぶりの亜空間。
 都市でのスイートルームの後では、古いアパートの部屋はとても狭く感じられる。

 それでも、此処が自分達の本拠地だ。帰還して早々に、柚子は気合いを入れパソコンを開く。ウィッチモンも、仲間の観測を行う為準備に取り掛かっていた。

「なあ」

 ふと、背後から呼び掛けられる。
 すっかり自由になったブギーモンが、何やら虚ろな瞳でこちらを見ていた。

「……な、何よ」
「お前ら、だけなのか?」
「そうだよ。今はね」
「ふうん。じゃあ、アレか。お前らで言う『おかえり』ってやつだな」
「……う、うん。まあ。……ただいま……?」

 ブギーモンの様子がいつもと違う。なんとなく、そんな気がした。

「嬢ちゃん、ちょっといいか?」

 改まってそんなことを言われ、柚子は驚く。ブギーモンが自分に何の用だろう。
 ウィッチモンに思わず助け船を出そうとしたが──彼女は準備に集中している。邪魔するわけにもいかないと、重い腰を上げて部屋の隅へ。

「……何の用か知らないけど、早くしてよねー」
「心配ねぇ。すぐに終わるさ」

 そう言って、ブギーモンは手を伸ばす。

「……何これ」
「握手だ」
「えーっ」
「ほら、もうフェレスモン様からガキ共も救えたんだし。これからは手を取り合っていこうじゃねぇかってな」

 にちゃりと笑う。
 ……ブギーモンと出会った日のことを思い出すと、どうも気は進まないが──。

「……むむ……」
「とは言え、嬢ちゃんの応援くらいしかできないけどな。ははっ」
「……なんかいつもと違うじゃない。どうしちゃったの急に」
「心変わりさ。良い方のだ」
「……本当に?」
「今回ばかりはな。何、嬢ちゃん達がいねぇ間に、今後についてきちんと考えてみたってだけさ」
「……」

 そういえば、「ブギーモンが許してって言ってた」と、みちるが昨日の夜に言っていた。……やはり気は進まないが、みちるも、ブギーモン本人もこう言っているのだ。
 それに自分はもう、ウィッチモンとパートナーになっている。彼に触れた所で、何が起こるわけでもないのだし。

「……わかった。よろしくねブギーモン。でも、あんまり野次は飛ばさないでよ?」

 伸ばされた手を掴んだ。
 少しだけぶっきらぼうに、握った手を揺らしてみせた。

 ブギーモンは目を丸くして────初めて、嬉しそうに笑って


「ははっ。……良かった。これで仲直りだ」


 ふと。

 柚子の手の中から、掴んでいた手の感触が無くなった。

「────え?」

 思わず手を見る。
 そこには何もない。

 目の前を見る。

 ブギーモンの姿は無かった。





◆  ◆  ◆



 使い魔を経由し、子供達の位置を把握する。
 要塞都市との接続も確認。良好。
 子供達の周囲の状況を観測。位置情報。周囲の熱源反応。熱源の存在解析。こちらも問題なし。
 以前より鮮明に正確に。これなら彼らを守りきれるだろう。

 ……そう信じている。
 ウィッチモンは深呼吸をした。いよいよ外での活動だ。彼らの命運の一端は自分達にかかっている。
 何より、パートナーと共に『知識』と『運命』の紋章に選ばれたのだ。デジモンとして、ウィッチェルニーの民として、これほど誇るべきことはない。より一層、気を引き締めていかなければ。

「────モン……」

 いつまで続くかわからない旅だ。自分やパートナーの体力の配分も重要となる。もし帰還できずに活動が長期に渡るなら、心身のケアやリアルワールドへの対策も────

「ウィッチモン!!」

 ────目の前に集中されすぎた意識が途切れ、ウィッチモンはようやくパートナーの異変に気が付く。

 部屋の隅で柚子が立ち尽くしていた。
 顔色がひどく悪い。どうしたのだろう。都市で休息は取れた筈なのに。

 一瞬だけ悩んで──ウィッチモンはすぐに、室内に漂う違和感に気が付いた。

「……ユズコ……ブギーモンは?」

 そしてパートナーの表情から、ウィッチモンはある程度の事態を察した。慌てて立ち上がり──子供達が天使の結界内にいることを確認して、こちらの音声を切って、柚子のもとへ。

「ユズコ」
「……ここで今、話してたの……」
「……」
「話してたの……!」
「…………彼のデジコアが限界だッタのデスよ」
「まだ……ずっと、生きてると、思ったから……こんなことならもっと早く……」
「……貴女は気負わないで。ねえ、大丈夫。彼はきっと、ユズコと最後に話せて良かッタと思いマスよ」

 ブギーモンの真意など知らぬまま、無責任な言葉を並べた。

 それでも、慰める。狼狽えるパートナーの肩を抱き、自らの胸に寄せる。
 ウィッチモンは改めて深呼吸をした。柚子の頭を撫でながら、自身の揺らぎを落ち着かせた。

「……厳しい事を言うようデスが……皆が、もう到着していマス。顔を上げて、前を向いて。ワタクシは彼らを観測していかねばなりまセン。貴女も」
「…………うん……」
「デスが……落ち着くまでは、ワタクシの側に」

 ウィッチモンは柚子の手を取り、パソコンの前へ。椅子に座らせる。柚子は、さっきまでブギーモンがいた場所を見つめていた。

「……観測を再開しマス。皆様、状況は……」

 ……何てことだ。
 まさか、このタイミングとは。

 ブギーモンのデジコアが、亜空間の外では維持できない状態である事はわかっていた。
 しかし数日前の状態から、ここまで急に変化してしまったのは想定外だ。目を離した自分に責任がある。

「……いえ、大丈夫。こちらは問題ございまセン。遅くなッテごめんなサイ。
 まずは皆サマを乗せる荷台を見つけまショウ。エンジェモン達が、用意してくれている筈デスから……」

 もちろん、彼の死は悼むべき事だと認識している。最初は敵だったとしても、悪態をついていたとしても、自分達に協力し、打ち解けてきていた存在だ。

 だからこそ、そんな彼の死と旅立ちが重なったことが──自分のパートナーや子供達へ与える影響を、ウィッチモンは危惧せざるを得なかった。

「……ええ。教会の周囲、一キロは結界の範囲内デス。熱源の反応もございまセンので、そのまま移動を……」

 彼らにはまだ言えない。
 動揺させてはいけない。

 ウィッチモンは柚子の手を握る。優しく、強く、励ますように。自身の唇を噛みしめながら。



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