◆  ◆  ◆



「ただいまー!」

 アパートの狭い部屋に元気な声が響く。
 遅れて接続された家主達。まるで、旅行から帰宅した家族のような振る舞いを見せる。

「やはり我が家は落ち着きますなー。 狭っ!」

 その狭い部屋の中で大きく背伸びをして、みちるは早速パソコンの画面を覗いてきた。

「お、皆だ! 状況ど−です? なんかすごくRPGって感じだねー! BGM歌っててよい?」
「お断りしマス。──現状は特に問題無さそうデス。デジモンの熱源も無いデスし。
 それより二人とも、迎えが遅くなッテごめんなサイね」
「いーよいーよ! アタシらものんびりできたからね!」
「…………み……みちるさん」
「ん! なあに?」
「……あの。……いや、何でも……」
「柚子ちゃん」

 どこかぎこちない様子の柚子に、ワトソンが声をかけた。

「顔色、良くないよ」
「……いえ。そんなことないです。大丈夫です」
「あら! せっかく都市で休めたのに! どうしちゃった? 緊張?」
「……その……」
「今まだ皆もへーきそうだし、少し休んだら?」
「……」

 柚子は俯く。ワトソンはウィッチモンに視線を向け、自身と柚子、そして玄関を指差してみせた。
 ウィッチモンは頷く。ブギーモンが今まで居た場所に目線を送り、ワトソンへ訴えた。

「柚子ちゃん。早速で悪いんだけど、またコンビニに付き合ってくれる?」
「え……でも、皆のことは」
「すぐ戻るから大丈夫だよ。ねえウィッチモン」
「仕方ないデスね。良いでショウ」

 少しわざとらしく溜め息をついてみせ、ウィッチモンは柚子の背中を押した。

「ウィッチモン……」
「……ユズコ。少し、外の空気を」
「……」
「ワタクシは貴女に、笑ッテいて欲しいから」
「…………うん」

 若干心ならずも、柚子はワトソンと共に部屋を後にした。



 リアルワールドは相変わらずの真夏日だ。
 静かで、葉擦れの音と蝉の声だけが響いている。

 扉たった一枚で隔てられた、日常と非日常の空間。柚子は錆びた鉄骨階段から、ぼんやりと辺りを眺めた。

 ……なんだか自分が情けない。あんなに休んだのに、戦いにも出てないのに、こんな様で。

「外は暑いね」

 ワトソンは柚子をコンビニへ──促すことなく、そのまま扉の前に腰かける。

「ワトソンさん?」
「ん」
「コンビニ、行かないんですか」
「ああ。ごめんね。あれ嘘なんだ」
「え?」
「キミと話がしたくて」
「……」
「まあ、座りなよ」

 ワトソンはひょいと手招く。柚子は言われるがまま、彼の隣にしゃがんだ。目線をじっと自身の膝に向ける。

「……あの、話って」
「いやほら、柚子ちゃん元気ないから」
「……」
「理由、ブギーモンのこと?」

 ハッと、柚子は顔を上げてワトソンを見る。
 
「……気付いてたんですか?」
「気付くよ。いなくなってるんだもの」
「……」

 また目線を落とし、俯く。

「……みちるさんが……。……『ブギーモンが許してって言ってた』って、私に……」
「そんなことも言ってたね」
「ブギーモン……最期に、私に……。……」
「許してあげられた?」
「……」
「ブギーモンのこと」
「…………多分。きっと」
「なら、よかった」

 微笑むワトソンの瞳には、夏の空が映っていた。

「きっと彼も満足だと思うよ」
「…………デジモンが……目の前で、死ぬのは……初めてで。……いつも画面越しだったから」
「ショックだったんだね」
「……」

 頷く。

「まあ、人もデジモンも、目の前でいなくなったらショックだよね」
「……それにブギーモン、これからもよろしくって……なったところだったのに」
「残念だね」 
「……ウィッチモンに、また心配かけちゃいました」
「気にしなくていいと思うよ。柚子ちゃんが悪いわけじゃないんだから」
「……」

 ワトソンは優しさを含ませながらも、淡々と答えていく。

「人に出来ることは限られてる」

 空を仰いで、目を閉じた。

「だからボクらは、ボクらにできることをやればいい」

 柚子はその横顔を、じっと見つめていた。

「……私たちにできることって、何だと思いますか」
「そうだね。ウィッチモンの力の源になるのはキミなんだから、とにかく元気でいることじゃないかな」
「……そうですか」
「うん。だからキミはそれを努めればいい。それ以外は、あまり気にしないことだよ」
「……」

 柚子はまた目線を膝に戻し、「ありがとうございます」と言った。

「ボクにできることはあんまりないけど、まあ、皆の応援くらいしか」

 ワトソンは目を開けて立ち上がる。両手を空に向けて、背を伸ばした。

「というわけで、応援してみたわけだけど。元気出た?」
「……少し、落ち着けました」
「よし。ボクの役目もちゃんと果たせてる。
 そうしたら戻ろうか。皆、キミのナビゲートを待ってるよ」
「…………はい」

 柚子も立ち上がる。まだ少し無理をしている様子だが、それでも前を向いて玄関を開ける。

 非日常へと戻って行く彼女の背中を見つめながら、青年は

「ごめんね」

 と、届かない声で呟いた。



◆  ◆  ◆




「ごめんなサイね。また気遣ッテいただいテ」
「いいってことよー。柚子ちゃんには元気になってもらわないとね!」

 みちるは腰に両手を当て、胸を張る。
 そして部屋の隅に目をやった。誰もいなくなったその場所は、かつて居た者の体液で少し汚れている。

「いやあ、それにしても消えちゃったかブギーモンの奴め。
 柚子ちゃん、ショックだったんだねえ。アタシらが行く前は生きてたんだけどねー」
「ワタクシも想定外でシタ。まさか予兆も無く、この短期間で急変するとは……」
「しょうがないよ。元々ギリギリだったんでしょ? むしろここまでピンピンしてこれたのが凄かったんだよ。ウィっちゃんも柚子ちゃんも、早く元気出してちょーだいね」
「……ありがとうございマス。……ワタクシ個人、あまり彼を好んでいまセンでしたが──我々に溶け込んでいく様には、やはりどこか情があッタのでショウ。彼を、平和なデジタルワールドに帰してあげられなくテ残念デス」
「それは確かに、残念だったねえ」

 みちるはウィッチモンの肩を軽く叩いて励ました。

「まぁでも、ブギーモンもちゃんと願いを叶えられた(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)んだしさ、良かったんじゃない?」
「ええ。そうデスね。きっと……。……」

 ────ごく自然と放たれた言葉。
 ウィッチモンは、一抹の違和感を覚えた。

「…………“願い”?」

 ブギーモンの願い。
 そんなものは知らない。

「……」

 仮に、知っていたとして。

「……ミチル」

 何故、それが叶えられたと言い切れるのか。

 彼女にはブギーモンの死のタイミングも、その様子も伝えていない。
 それはウィッチモンですら知らない事だからだ。彼の今際を見届けたのは柚子だけ。

 ────だから何も、教えていないのに。

「…………ブギーモンの願いは、何だッタのかしらね」
「ああ、ブギーモンはね、柚子ちゃんに許して欲しかったんだよ。だからアタシ、あっちで柚子ちゃんに言っておいたの! アタシ優しいわね!」

 それを都市で伝えていたとして。柚子が彼を本当に許したかなど、彼女には知る術が無い。
 ──胸を張って自画自賛する少女に、ウィッチモンは微笑んでみせた。

「……そうデスか。それなら」

 違和感が膨らんでいく。
 ウィッチモンは微笑んだまま、静かに、自然に、机の上に手を置いた。

「ブギーモンはきっと幸せだッタのでショウ」

 そして、瞬時に。

 魔女は観測し演算する。
 自身が作った亜空間の情報を。通信履歴を。データログの解析を。

「……ところでミチル。貴女はどうして……それが叶えられたのだと、思ッタのデスか?」
「え?」

 それは空間の管理者としての権限。
 ────突き止める。この数日間の中で起きた、空間の異変を。

「どうしてって、そんなの」

 …………ああ。

 ああ、これは。

「叶ってた方が嬉しいからだよ」

 そう言ったみちるの笑顔が、眩しくて。
 それが切なくて、悲しくて、何よりも────悔しくて。

「……ミチル……」

 そして────今ここで、自身が対処せねばならないと。
 ウィッチモンは、ひどく冷静に判断した。

「────観測モード、オート。
 我が使い魔よ。ワタクシの代わりにどうか、彼らの運命を導いて」

 そう、言い残す。
 ウィッチモンは黒いマントを翻し、モニターに背を向けた。

 片手を上げる。亜空間の部屋に一瞬だけノイズがかかる。

「えっ。ウィッちゃん、どしたの?」

 ウィッチモンはゆっくりと、みちるへ迫る。

「えーっ!?」

 壁際に追い詰める。自身よりもずっと小さな少女を、睨み付ける。

「……ねえミチル」
「やだー! いきなり何なに!? そんな怖い顔しないでよう」
「……貴女は……」
「ウィッちゃん、パソコン放置しちゃだめだよ。皆のこと見ててあげなきゃ」

「貴女は、誰」

 ──部屋の中に竜巻が生まれる。

「アタシはみちるだよ。ウィッちゃん、どうしたの?」

 ウィッチモンの足元から、影絵の猫が無数に産まれる。

「あ、猫ちゃんがいっぱい!」
「……今……此の空間は絶海の孤島。リアルワールドとの接続も切断していマス」
「むっ! じゃあ外に出られなくなっちゃったの?」
「ええ。だから貴女は、ワタクシの問いから逃げることはできない」
「やだあ。そんなことしたって、この麗しガールからは何も出てこないんだからん」
「…………この数日間の、亜空間の“履歴”は……」
「もー、ウィッちゃん」
「ブギーモンが死に至る前後での、彼のデータの変異は……」
「ねえ、ウィッちゃんったらー」
「……これが……我がシステム上で、行われる筈がない……!」
「聞いてってば、もー」
「貴女か彼のどちらかが……意図的に彼の電脳核に細工しない限り!!」
「ウィッちゃん」
「ブギーモンを」

 みちるの顔の側で、無数の猫が牙を剥いた。


「殺したわね。人間の筈の貴女が」


 ウィッチモンは告げる。

 みちるは笑顔だった。
 いつもの笑顔だった。
 いつものように舌を出して、拳をこつんと額に当てて、


 ────当てた手をウィッチモンに伸ばして、彼女のマントの襟首を鷲掴んだ。


「だったら何?」

 凍るような笑顔だった。
 狩人のような瞳だった。
 ウィッチモンは、少女の豹変に言葉が出せない。

「なーんちゃって!」

 みちるはウィンクをして、ウィッチモンから手を離す。群れる使い魔を払いのけ、パソコンの前の椅子に堂々と座った。
 ──その様子を、ウィッチモンは目で追うことしかできなかった。

「まあ、別にさ」

 くるりと椅子を回して、こちらを向いて。

「キミにとって、大事な奴だったってわけでもないんだから」

 退屈そうに言った。
 くるくると椅子を回す。
 椅子と共に、くるくる、くるくる回る。

 そんな異様な光景。

「キミが気にする事でもないでしょ」
「…………貴女は……ッ!」

 ウィッチモンの中に、混乱と怒りとが沸いて混ざる。
 ああ、どうにかなってしまいそうだ。震える手を握り締め、壁に叩き付けた。

「……ッ」

 感情と理性がぶつかり合う。
 抑えなければ。抑えなければ。抑えなければ。ここで冷静さを失えば最後だ。

「……。……何が、目的で……ワタクシ達に……ソウタとカナに接近を……」

 絞り出す。冷静を装え。判断力を鈍らせるな。

「いやだなぁ」

 そんなウィッチモンの必死な姿を、みちるは笑って流すのだった。

「キミが、アタシを見誤っただけだろうに」
「……!」
「自分のミスだろ。そんなに狼狽えちゃって」
「…………煽るな……!」

 使い魔で見張っていたのだ。
 ずっと。ずっとだ。押入れの向こうで、拐われた子供達を調べる二人を。亜空間での異変の有無を。

 それなのに。

 それなのに!!

「…………もし彼等に……ユズコに、害を与えかねないなら──彼等を騙してきた貴女を、この空間ごと消滅させることだッテ、ワタクシにはできる」
「あらやだ、物騒ね!」
「答えなサイ。貴女は何者なのか。何が目的で、彼等に近付いたのか」
「はははっ」

 みちるは椅子の背もたれに、あざとく頬を乗せてみせた。
 
「そう怒らないでよ。キミらを取って喰おうつもりはないんだから」
「……正体を隠してまで、接触する理由はあッタでショウ!」
「正体も何も、ねえ」

 椅子から華麗に飛び降りた。使い魔の一匹を、掴んで握り締めた。
 
「アタシはみちる。春風みちる。アタシを調べたけりゃ好きにすればいい。けれどキミは、それでも必ずアタシを見誤る」

 掴まれた使い魔は、そのまま潰れて消えていく。

「アタシ達は仲良くしたいだけだよ。ただキミ達を、見守りたい」

 その言葉が本心なのか嘘なのか。ウィッチモンにはもう、判断することができなかった。
 しかし現在において、その判断は不要である。必要なのは少女が取ったあらゆる行動の理由と目的。それを追究すべく、ウィッチモンは冷静であることに徹する。
 
「……何か目的があるなら、せめて……最後まで隠し通せば良かッタものを。どうしテ今更」
「うーん、そうねー、そろそろアタシ達も動きたかったからねえ」

 はにかみ、笑う。

「奴を死なせた時点で、空間の管理者であるキミにはバレると思ってたさ。流石に空間内での処理は隠蔽できない」
「ブギーモンは……! ……放っておいても、死んだでショウに」
「アイツがうっかり、現地の皆に何を言い出すか分からないじゃないの」

 白々しく、眉間にシワを寄せて見せた。

「通信手段はキミしか持っていないから」

 だから、キミが不在の間に。
 みちるはそう言って、かつて彼が居た部屋の隅に目を向けた。

「……っ」

 ──彼女の言葉から、ウィッチモンは憶測を巡らせる。

 ブギーモンに対する彼女の動機は、自身の『嘘』をデジタルワールドの子らに知られたくなかったから。ブギーモンが下手なことを言い出す前の口封じだ。

 では、ブギーモンはいつ、彼女らの嘘に勘付いたのか?
 恐らく、自分達がいない間。そこで彼女達が何か行動を起こしたから。しかしその場にはブギーモンが居た。そこで彼の命運が決まったのだろう。

 柚子を部屋の外に出したのは、会話を聞かれたくなかったからか。それとも偶然、彼女が不在の時にみちるが失言したのか。……その結論までは導き出せない。
 では、何故。そこまでして隠そうとしたのなら、何故あの時に自分達と亜空間へと戻らなかったのか。わざわざブギーモンに会わせたのか────?

 ああ、わからないことが、多すぎる。

「…………どうやって彼を」
「企業秘密さ!」
「貴女、人間じゃないでショウ」
「ちゃんとした人間の体だよ。その猫ちゃんで調べてみなよ」
「……人間に、デジコアの時限式破壊など……」
「そこはラッキーだったってことで」

 みちるはにっこり。ウィッチモンは、唇を噛み締めた。

「分かってくれてるとは思うけど、皆には内緒にしてよね」
「……」
「もちろん柚子ちゃんにもね。あの子、隠し事は苦手だと思うから」
「…………もし、仮に」
「皆に言ったら」

 出された人差し指。ウィッチモンに向けて、パソコンに向けて。そして今度は、親指を出して床に向けた。

「きっと世界は救えなくなる。『それでは皆さんさようなら』だ。ウィッチモン」

 キミならわかる筈だと。みちるは、獲物を狩る眼で訴えた。

「…………」

 ウィッチモンは考える。考えて、考えて、考えて──現状の打開策は浮かばず──他者への告白も不可能であり──そして何より、子供達の身の安全を考慮し────。

 そして玄関の、扉が開く音が聞こえてきて。

「ただいま、ウィッチモン」

 愛らしい声が聞こえてきて。

「────あら、おかえりなサイ。ユズコ」

 何事も無かったかのように微笑んで、ウィッチモンはパートナーを出迎えた。



◆  ◆  ◆




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