◆  ◆  ◆



『進行方向に熱源反応を確認』

 黒猫が久しぶりに口を開く。
 戦闘の可能性を示すアナウンスだ。一行に緊張が走った。

『距離は約三キロ。……ここまで進んで初めての遭遇デスね』
「やっとお出ましかい。今日はウチの出番なしかと思ったよ。進化段階は?」
『えっと……成長期のウイルス種! 動きはなさそうだけど……毒の反応があるから、気を付けて』

 汚染体なら一層、油断はできない。デジモン達は戦闘に備え、子供達にワゴンから出ないよう告げた。

『……あれ? どうしたんだろう。反応が消えちゃった……』
「……消えた? でも、そのデジモンって……僕らの先にいるアイツじゃないのか?」
 ガルルモンの目には、僅かではあるがデジモンの影が見えていた。

「でもガルルモン、俺たちがここまで近付いてるのに……動く様子がないよ。気付いてない……?」
『対象の反応は確かにロストしまシタ。……──まさかとは思いマスが』
「……、……そうか。わかった。このまま進むよ」

 ガルルモンは馬車を進ませる。無防備に進む理由が分からない、とテイルモンは異議を唱えた。ひとりワゴンから飛び出し、ナイフを手に接近していくが──

「……何これ」

 彼女の目の前には、ただ黒い液体だけが広がっていた。
 テイルモンに反応したのか、毒は僅かに移動を始める。テイルモンは慌てて距離を取った。

「危なっ! ウチのナイフじゃ無理だ、炎で頼むよ。ていうかデジモンはどこ行ったのさ。さっきまでいたんだろう?」

 広がる毒の状態は、今まで見てきたものとは若干、異なっていた。
 これまで見た毒を、粘性と流動性を兼ねた油に例えるなら──目の前のこれは、冷える前のアスファルトに近い。
 毒によって命を落としたデジモンは、その外皮テクスチャだけがゼリー状の物質となって残される事があるが──それとも形状が異なった。

『──きっと成れの果てでショウね。毒に侵されたウイルス種の』

 こんなことがあるなんて、と。ウィッチモンは声を詰まらせた。

『……この子が誰だッタのか、我々にはもう、分かりまセンが……楽にしてあげないと』

 コロナモンは地面に降りて、かつてデジモンであった物の傍へ。
 炎を吐き、辺りの毒ごと焼いていく。
 子供達はワゴンの布地から顔を覗かせ、その光景を目に焼きつける。

 誠司は思わず手を合わせる。花那と手鞠は手を繋ぎ、そのデジモンが安らかに眠れることを祈った。蒼太は震える手で、胸のペンダントを握りしめた。



◆  ◆  ◆



 夜になる。

 一行はとある湖畔へと辿り着いた。
 草むらとわずかな森に囲まれ、土地は比較的なだらか。休息を取るには良い場所だ。
 周囲にデジモンの反応がない事を確認すると、ガルルモンは足を止めた。今日の活動はここまでだ。

 コロナモンはガルルモンの背から降りると、目に見えて疲弊している彼を気遣った。

「ありがとう。……疲れただろ。ずっと運んでもらって、ごめんな」
「僕が走ってた分、コロナモンたちがずっと頑張ってくれてたんだ。お互い様さ。でも……そうだね。流石に疲れたな。このままゆっくり休めるといいんだけど」
「せめて二日に一度のペースで都市に戻れれば、体力的にも無理なく進めそうなんだけどね……」

 日中ほぼ休まずに進んだが、結局ノルマは達成できなかった。
 野営のリスクを憂慮したウィッチモン達は、天使達に都市への帰還を交渉してくれたが──今の彼らの周辺には、ワープポイントを設置できる場所が無いという。

「最初に、どんな場所なら設置できるのか教えてくれればよかったのにね」

 コロナモンは苦笑しながら、ガルルモンのハーネスを外していく。

「……『全員が入ることのできる建築物か、それに準ずる扉があるもの』か。僕がもっと小さければ、この乗り物をゲートにできたんだけど」
『体格の大小は仕方のないことデス。……と言うより、ワタクシの確認不足でシタ。申し訳ありまセン』

 ワゴンの中から、使い魔を通してウィッチモンが謝罪する。

「まあ、今日はそんなもの見つけられなかったんだから、知っててもウチらは帰れなかったよ。どちらにせよね。これで途中に見つけてたらブチギレたけど」

 テイルモンがあくびをしながら降りてきた。
 子供達も後に続く。座り続けて固まった体を、各々よく伸ばしていた。

「ぎぎ。今日は野宿。ぎぎ」
『そうデスね。夜中に下手に移動するより、水が確保できるこの場所に留まる方が良いかもしれまセン。夜の間も観測は継続しマスので』
「ぎぎ。おねがい。おねがい」
「何言ってんだいウチらも交代で見張りだよ。前の二人は休ませないとね」
「俺たちだけ休むわけにも……」
「いいんだよ。ウチらは日中も後ろで寝られるからさ。……もっとも明日、戦闘にならなければだけどね」
「……」

 そんなデジモン達の心配を余所に、子供達は各々で湖の周辺を散策し始めていた。それは。彼らなりの気分転換でもあった。

「わあ、ねえ見て花那ちゃん。あれ電話ボックじゃない?」
「本当だ。なんでこんな場所にあるんだろう」

 今ではほとんど数を見なくなった電話ボックス。それも丹頂型の骨董品。そんなものが、畔の草むらから顔を覗かせていた。
 少女達は興味本位で近付いて行く。「離れないように」と、ガルルモンが注意しながら二人の後を追った。

「この電話、誰かに繋がるのかなあ……」
「えっ! やだ、怖いこと言わないでよー」
「そ、その、お化けとかじゃなくて……ほかのデジモンのお家とかに……」

 手鞠は受話器を上げて、耳に当ててみる。

「……なにも聞こえない」
「お金ないと使えないのかもよ?」
「そっか、お金は持ってないや……」
「こら二人とも。危ないから戻っておいで」
「あっガルルモン! ねーこれ知ってる?」

 湖の側では蒼太と誠司が、散らばっている木の枝を集めていた。

「そーだ、なにしでるの?」
「野宿するなら焚き火もするでしょ」

 そう、焚火は野宿の定番だ。明かりにもなるし調理にも使える。暖を取ることもできるし、何より野生動物に対する威嚇にもなる。
 もっとも、蒼太にそこまでの考えは無かったのだが。ただ「林間学校でもここまでやらなかった」なんて思いながら枝を拾っていた。

「そーちゃんオレ、キャンプファイヤーしたい」
「えー、流石に無理だよ。薪がたくさんないと」
「お米とカレー持ってくればよかった!」
「確かになー。そういえば夕飯どうすんだろ」
「非常食じゃ味気ないし、何か探すか」

 誠司は水際に近付き、湖面を覗いた。
 暗い水の中、ゆらゆらと動く生き物の姿。

「……魚だ」

 それも、食卓で見覚えがある魚だ。そんなものがデジタルワールドにもいるのかと、驚く。しかしこれで今日の夕飯が決定した。
 魚が生息していることを伝えると、テイルモンがナイフとロープを手に寄って来た。ロープを結びつけたナイフを銛のように湖面へ投げる。──狙いは命中。もう泳ぐことは出来なくなった魚が、陸の上へと引きずり出された。

 自分が刺されたことに気付かぬまま、魚は一生懸命に跳ねる。
 命が消える瞬間も、それを自覚することはないのだろう。

 テイルモンは魚から乱暴にナイフを抜くと、またそれを水中に投げ付けた。人数分の魚を集めるにはまだまだかかりそうだ。テイルモンの漁を、蒼太と誠司は目を輝かせながら見守っていた。

「フェレスモンの城じゃ、糸と針金でブギーモンの飯を盗んだものさ」

 と、テイルモンは誇らしげに語った。

 蒼太と誠司が集めた枝に、コロナモンが火を点す。皆で焚き火を囲み、焼いた魚と非常食で腹を満たした。
 今日の無事を喜び、明日の道程を話し合う。──それも終えて、休息の時間へ。

「綺麗だねえ」

 空を見上げた手鞠が声を上げる。
 満天の星空だ。湖面にも反射し、辺りは美しく照らされている。

「……ガルルモンと旅していた時も、こんな空を見たよ」

 コロナモンは懐かしそうに呟いた。

「よかった。空だけは、昔と同じままだ」

 地上も、デジモンも、あまりに変わってしまったけれど。
 それでも、変わらないものがあることに安心する。

「私たちがデジタルワールドを綺麗にできたらさ、ここでまたキャンプしたいね」
「そうだね、花那ちゃん。今度は柚子さんたち皆も一緒に……テントとかも張って……」
「次はお米とカレー持ってきてな! あとキャンプファイヤー」
「誠司とみちるさん、キャンプファイヤー凄く似合いそうだよな」
『確かに、ふたりとも周りで踊ってそう。……考えたら楽しみになってきたなあ』

 子供達の他愛ない談笑。────これが命懸けの旅でなく、ただ胸をときめかせる冒険であったなら、どんなに良かったことだろう。

 コロナモンとガルルモンは、今日も仲間が無事であった事に安堵する。
 今日も生きていられた。
 今日、彼らを守ることができた。

 どうか明日も今日のように、仲間が無事でいてくれますように。



◆  ◆  ◆



「ユズコ。貴女もそろそろ休みなサイ。明日も早いのだから」

 現地の仲間が寝静まった頃。デスクの側に布団を敷いて、ウィッチモンは柚子を急かす。
 柚子は自分だけが眠ることに抵抗を感じているのか、重い瞼を擦りながらも起きようとしていた。

「ユキアグモンとテイルモンは交代で見張るんでしょう? 私もやるよ。ウィッチモンにずっと起きてもらわけにもいかないし」
「ワタクシは大丈夫。きっと明日には都市で休めるでショウし……」
「……ウィッチモンに無理して欲しくない。明日も帰れるかわからないんだから」

 柚子は決してワガママをいっているわけではない。……それはウィッチモンにもわかっている。実際、二人で交代しながら見張る方が効率が良いのだろう。
 どちらかと言えば、柚子にちゃんと寝て欲しいというウィッチモンのエゴでもある。しかしパートナーに心配をかけ続けるのも良くない。──まだ、彼女の心は落ち着ききっていないのだから。

「……自動観測もできるから大丈夫。その設定を終えたらワタクシも寝マスよ。貴女の隣で一緒に。だから、貴女もきちんと眠ッテくだサイ」
「……ウィッチモンもちゃんと休めるの?」
「ええ、勿論。さあユズコ、布団に入ッテ。また明日も貴女には頑張ッテもらうのだから。……そうデスね。ワタクシの使い魔、貴女にも少し操れるように練習してみまショウ。ホーリーエンジェモンとの特訓で、向こうに送れる数が増えたんデスよ」

 その言葉に、柚子の目が輝いた。

「本当!? 私にもやれること、増えるんだ……!」
「ええ。無理をかけさせるかもしれまセンが、お願いしマスね」

 もし、自分に何かあったとしても。
 例えば自分のデジコアに、気付かぬうちに何か細工をされたとしても。動けなくなって、戦えなくなったとしても。────命さえあるならば。
 その時、パートナーに全てを託せるように。時間をかけてでも、教えておこうと思ったのだ。

 ウィッチモンの言葉に柚子は安心をしたのか、大人しく寝る支度をして布団に入った。

「おやすみウィッチモン」

 気を張って疲れていたのだろう。布団にもぐると、すぐに寝息を立て始める。
 ウィッチモンは、そんな柚子の髪をそっと撫でた。

「おやすみユズコ。良い夢を」

 そして額にキスをした。たくさんの願いをこめて。

 そんな彼女の姿を、押し入れの中からみちるが笑顔で眺めていた。
 気付いたウィッチモンは、敵意を隠さず睨みつけた。
 彼女らの様子を見ていたワトソンが、みちるの頭をコツンと叩く。

「バラしたでしょ」

 ワトソンは深く深く溜め息をつくと、頭を抱えて押し入れの奥へと身を隠した。



◆  ◆  ◆



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