◆  ◆  ◆



 ファイラモンは空を翔る。
 上空からゲソモンを狙い、触手を躱して、切り裂こうと爪を立てる。

「……っくそ! 皮膚の粘液が邪魔だ……!」
「もっと近付きな! ナイフが届かない!」
「魚を獲るのに使ってたロープは!?」
「置いてきた! 使うと思わないじゃないのさ!」

 誠司は捕らわれ、ユキアグモンも見当たらない。
 ──焦りが生じる。二人とも早く助けなければ。巻き付いた触腕に強く力が込められたら、誠司の身体が潰れてしまう。
 氷で足場を作りながら、ガルルモンも接近する。爪と牙とで応戦するが、粘液と襲い来る触手が邪魔をして、誠司を掴む触腕まで届かない。
 ゲソモンは彼らの攻撃の方向にわざと誠司を掲げてくる。挑発しているのか、これを見せれば攻撃できないと思っているのか。

 誠司はひたすら、助けとユキアグモンの名を叫んでいた。

「せめて俺とガルルモンの炎が使えれば……!」
「誠司を巻き込んでローストする気? 不味そうだからお断りだよ! というかユキアグモンは無事なの!?」
「彼とウィッチモンを信じるしかない……! ファイラモン、テイルモン。僕の氷で足場と壁を作る! 上手く隠れながら近付けば──」

「ぎいいいっ!?」

 ────、湖畔にゲソモンの絶叫が響き渡る。

「あああぐぅぅぅうっ!」

 白い巨体が悶えて暴れる。
 周囲の水が赤く染まる。

「手がぁ!! 俺の腕ぇ!! や、めっ……放せ! 放せぇえ!」

 一行はひたすら困惑した。自分達はゲソモンに何もしていない。
 だが──それを考えている場合でもない。暴走するゲソモンは、誠司を捕らえたまま触腕を振り回し始めたのだ。
 放り投げられたら、氷が混ざる湖に叩き付けられたら、彼の小さな身体は只では済まない。

 振り上げられた触腕にガルルモンがしがみついた。ファイラモンも空から触腕を掴む。
 他の触手は────もう、彼らの相手をする余裕など無くなっていた。

「何が起きたってのさ!?」
「知らないよ! それより今のうちに外さないと! ……くそっ……吸盤が身体にくっついて取れない!
 誠司! 誠司しっかり! 今助けるから!」
「テイルモン! 僕らが押さえてる間に巻き付いた足をなんとかしてくれ!」

「ぎいいいいいい!!!!!」

 ゲソモンの身体が僅かに沈む。まるで、下から何者かに引っ張られているように。

「!? ちょっとちょっとちょっと……下に誰かいるのかい!?」
「……! ガルルモン離れて! お前まで引きずり込まれる!
 ウィッチモン! ウィッチモン!! 水の中に何が……」

 白い身体は更に沈む。
 湖はみるみる赤くなる。
 一度、ゲソモンの動きが止まる。

 そして、あまりにも不自然な動きで浮上する。

「「「────ッ!?」」」

 浮上したゲソモンの身体は────その触手の殆どが食いちぎられていた。

 巨大な海蛇のようなデジモンが、ゲソモンに全身を巻き付けていた。



◆  ◆  ◆



 大海蛇は静かに、ただ静かに、ゲソモンを破裂させんとばかりに巻き付いていく。

「放せ! ぎぃぃっ……は、放せよぉ!」

 力を込めて締め上げていく。

「放してくれッ……“シードラモン”……!!」

 シードラモン。……そう呼ばれたデジモンはゲソモンのみに殺意を示し、目の前のファイラモン達には一切の手出しをしなかった。

 ゲソモンが暴れる。暴れる度に締め付けられる。身体の中から墨のような液体が漏れた。
 シードラモンはそのまま首を伸ばして、誠司に巻き付く触腕に噛み付いた。ゲソモンが抵抗しても、離さずに力を込めて────そのまま食い破る。
 肉片ごと落下する誠司を、ファイラモンとテイルモンが受け止めた。

「…………」

 先程ひどく振り回されたせいか、誠司は軽く脳震盪を起こしていた。
 不明瞭な視界の中、シードラモンのことをずっと見つめていた。

 人質を失ったゲソモンに、シードラモンの口から氷の矢が放たれる。
 ゲソモンは残された二本の触腕で身を庇う。しかし直後、触腕はシードラモンの冷気によって凍らされた。
 シードラモンは凍結した腕を噛み砕いた。守りを失ったゲソモンは水中へと逃げるが、シードラモンもすぐに後を追う。

 ゲソモンは必死に泳いで逃げていく。しかし、身体の構造が歪になってしまった彼のスピードでは、美しい流線型のシードラモンに敵わない。

「ま、待ってくれ! 頼む! もうお前らに関わらないから!」

 命乞いを始めた。

「だから、頼むよ! もう魚も諦めるから!」
「……」

 何故、自分達は力を欲し戦うのか。
 それは大切な者を守る為に。
 囚われの子供達を救う為に。
 毒に侵された世界を救う為に。
 この旅路は、聖なる偉業を成す為の行進。

「いいよ。許しであげる」
「……ああ、ありがとう!」

 けれど──それだけじゃない。大切な事を思い出した。

「……なんてな! 喰らいやがれ! デッドリーシェード……」

   この世界デジタルワールドの根底にあるのは弱肉強食。
 強きが弱きを喰らう事こそ世界の摂理。
 都市で穏やかに暮らしていて、そんなことも、自分は忘れてしまっていたのだ。

 ああ、どうりで……強くなれないわけだった──。



 ────穏やかな湖面に、氷の矢で串刺しにされたゲソモンの残骸が浮かぶ。

 白い身体に分解の光が宿る。ゲソモンのデータが散っていく。
 光は、星空に混ざるように消えていった。

 同時に、誠司に巻き付いて外れなかった、触腕の破片も消滅した。
 少年の身体が自由になる。ファイラモンは気を失った彼を畔まで連れていくと、友人たちの前へ横たわらせた。

 湖に佇むシードラモンを、警戒するものは誰一人いなかった。

 使い魔の猫が、俯くシードラモンの傍に寄る。シードラモンは何かを訴えようとするが──

『貴方の腕輪を切りまシタ』

 落ち着いたウィッチモンの声に、目を丸くした。

『手も一緒に、巻き添えに』
「……ウィッチモン、おれのこと……」
『ワタクシは貴方に、本当に申し訳ないことを』
「…………ううん。そのおかげで、たすげられだ」

 少しだけ濁った声が、溢れた。

『……でも、腕輪は回収しまシタので……。都市に持ち帰ればまた、直すなり新しいものが貰えると思いマスが……』
「いいんだ。……もう、あれは返すがら」
『……そうデスか』
「それより……それよりおれは、せーじを、死なせるとごろだった」
『いいえ……いいえ。全てワタクシが。きちんと、貴方達を見ていれば……』
「おれが、せーじを、殺すとごろだっだ……」
「……俺たち全員の責任だ。自分だけを責めないで。ウィッチモンも、シードラモン……ユキアグモンも」

 ファイラモンはシードラモンの前へ。前肢をそっと、シードラモンの顔に当てる。

「……他に怪我は?」
「ない。どこも、ない。……ごめん。ごめんね。おれ、みんなに、ほんとうに、足をひっぱって、ばっかりで」
「ユキアグモン。……無事でいてくれてありがとう。俺たちを助けてくれて、ありがとう」

 ファイラモンは笑顔だった。

「……ファイラモン……」

 シードラモンの目から涙がこぼれた。

『……海棠くんが起きたら、見せてあげなよ。シードラモン、すごく格好いいよ』
「そうだよ。でも起きるまで、頑張って成熟期のままいないとね」

 冗談混じりのファイラモンの言葉に、シードラモンは微笑んだ。
 畔で眠る誠司の表情から、恐怖の色はもう、消えていた。



◆  ◆  ◆



「ごめん!! 本当にごめんなさい! うわああん!」

 そのまま朝まで熟睡した誠司は、目覚めるなり昨夜の事を思い出し──顔面を涙と鼻水で濡らしながら大泣きしていた。

「せ、誠司。落ち着いて……」
「オレがわがまま言ったせいなんだ! ユキアグモンは止めてくれたのにオレが行っちゃったから! あいつは何も悪くないんだ、怒らないであげてよぅ……!」

 自責の念で泣き喚く。しかも下着姿だ。何故そうなっているのか分からず、恥ずかしさで更に泣いた。外で乾かしていた服を、蒼太が慌てて持ってきてくれた。

「ほら誠司、早く着なよ。花那と宮古が困っちゃうから」
「困らせちゃってごめんよぉ!」
「せ、誠司くん、誰も二人のこと怒ってないよ。すごく心配したけど……無事で本当によかったよ。それが一番でしょ?」
「おかげでウチは寝不足だけどね」
「わーん!」
「か、海棠くん泣かないで。テイルモン、そういうこと、言ったらだめだよ……」

 悪態をつくテイルモンの手には、昨夜同様たくさんの魚が集められていた。もちろん朝食用だ。しかしそれを見た誠司は、更に泣きながらテイルモンを止めにかかる。

「だめだよ! その魚とったらまたあのデジモンに怒られる!」
「何言ってんの、もう倒したよ。ていうか顔拭いてから寄ってくんない!? ……ああ、もしかしてそれで襲われたの」
『ドンマイせーじくん! でもでも、あのイカっぽいデジモンは湖の土地権利書なんて持ってなかったんだから、この湖もお魚さんも皆のものだよ!』

 黒猫から高い声が響いた。

『それがキャンプってものさ……!』
『キャンプで済む感じじゃなかったじゃないですか……』
「まあ、キンキン声の言う通りだ。気にするなって。いらないならウチが食べるだけさ」
「あ、あの……燻製にしたら、お弁当にもできるかな。お魚……」
「手鞠ナイスアイディア! でも燻製ってやったことないなあ……」
「……み……皆、怖いもの知らず……!!」

 すっかり怯えた誠司を、ガルルモンが苦笑しながら慰めた。誠司はガルルモンの毛で顔を拭いていた。
 
「……ユキアグモンたちが戻ってきて、僕らも食べ終わったら出発するよ。今日こそ都市に戻りたいからね」

 ────そう。流石に今日こそは、課せられたノルマを達成しなくてはならない。昨晩のように夜中も戦闘が行われるならば、消耗していく一方だ。

「ぐずっ。ねえ、ユキアグモンどこ?」
「彼なら湖の中を調べに行ったよ。コロナモンも付近を見てくれてる」
「謝らなくちゃ。オレのせいで、ユキアグモンに怪我させたかもしれないんだ。危ない目に遭わせちゃった。……ううん。ひょっとしたら……」
『確かに危険はありまシタ。しかし責任の所在は、決しテ貴方達ではありまセン。それに二人とも生きているのデス。だからもう泣かないで。
 それに昨夜の事は……ユキアグモンにとっては、大きな転機となッタのかもしれまセンよ。────ねえ、シードラモン?』

 ウィッチモンの呼びかけに、湖面が大きく揺れる。水飛沫をあげて──シードラモンが、その姿を現した。

「……へ!?」

 明瞭な意識と視界で、誠司は改めてシードラモンと対面する。

「……ゆ、ユキアグモン……?」
「……せーじ」
「…………」

 硬さと柔軟さを兼ね備えた緑の皮膚。頭部を覆う黄色の外殻。胴体に手足は無く、幾つかのヒレのみが備わっている。
 そんな、巨大な海蛇のような姿。
 ユキアグモンが、進化を遂げた姿。

 誠司は目も鼻も口も大きく開き、思わず膝を付いてしまった。
 シードラモンは不安げに誠司の顔を覗く。

「せーじ……おれのこと、こわい……?」
「…………めちゃくちゃカッコいい……」

 誠司は口元を両手で覆い、そのまま拳で地面を叩いた。

「カッコ良すぎる……ま、まって、本当に本物だよね……!?」
「ほんもの?」
「無理! 眩しくて見れない!」
『海棠くん、言ってることとやってること違くない?』
『んにゃー柚子ちゃん、あれは感動のあまり気持ちを言葉で表現できなくなった者の姿さ』
「そういえば誠司、爬虫類のこと大好きだもんな」
「……そーちゃん……オレ夏休みの恐竜展、一緒に行けないかもって思ってたけど……今もう本当に満足してる……」
「……よ、よかったじゃん」

 少し遅れて、ファイラモンが戻ってきた。誠司の様子を不思議そうに眺めた後、「大丈夫そうで良かったね」とシードラモンに声をかけた。

『ファイラモン、空からの様子はどうでシタか?』
「見える範囲では、だけど……町や集落は無さそうだった。ポイント設置の場所を見つけるなら、やっぱりしばらくは進まないと。……毒の状態も良くなかった。此処を見つけられたのは運が良かったよ」
「湖も近くの川も、水はきれいだっだ。だから、ゲソモンも毒にやられてなかったのがもしれない」
『水場は比較安全……その可能性があるという事デスね。今後の移動の際も、なるべく水場の位置はおさえておくべきでショウ』
「ガルルモン、水のにおいわかるし、おれも水の気配がわがるよ。だから任せで」

 そして、付近の調査を終えた二人は、成長期の姿へと戻っていく。
 ウィッチモンに切られたユキアグモンの手は、進化の際にデータが書き換えられたことで、不完全ながらも再生していた。そこにはもう、黄金の腕輪ははめられていなかった。

 コロナモンが先を行き、焚火を調節する。ユキアグモンは嬉しそうに仲間のもとへ────数歩だけ進むと、そのまま地面に倒れてしまった。
 誠司が慌てて駆け寄り、抱き起こす。

「……朝までずっと成熟期でいたから、疲れたんだね」

 ガルルモンの言葉に、誠司は驚いて顔を上げた。

「な、なんで……」
「退化すると、次にすぐ進化できるかわからなかったから。君にシードラモンの姿を見せたかったんだよ。今日は中でゆっくり休んでもらおう」
「……ユキアグモン……」

 ユキアグモンは、すやすやと寝息を立てていた。誠司はそっと抱き締め、随分と軽くなってしまった白い片手を撫でる。

 誠司の胸元で揺れる希望の紋章が、朝の陽光に煌めいていた。






第二十一話  終






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