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 大切にしていたものがあった。
 守りたいと思っていたものがあった。

 その想いを、記憶を。
 自分さえ、そっと海の底に沈めた。





*The End of Prayers*



第二十二話
「海の底から」






◆  ◆  ◆



 澱んだ空からの日射しを浴びながら、一行は枯れた大地を駆ける。
 相変わらず乗り心地の悪いワゴンで、使い魔の黒猫が声を上げた。

『九時方向に熱源を観測』

 周囲にデジモンが出現した事を意味するアナウンス。
 その言葉を聞くことも、もうあまり珍しくはなくなっていた。

『熱源はいずれもこちらに接近。数は三つ。成熟期ウイルス種。……今回も、毒による汚染が確認されていマス』

 ────彼らが世界の浄化活動を開始して、既に一週間以上が経過する。

 湖での一件以来、彼らは度々デジモンと邂逅した。
 いずれも毒に侵されたデジモンばかりで、ゲソモンのような 正常 ノーマル のデジモンと出会う機会はほぼ皆無。その事実が、デジタルワールドの現状を一行に思い知らせる。

 毒を焼き、毒のデジモンを焼き、対価として得られるのは陳腐な激励と僅かな休息。ポイントを設置し都市へ戻っても、数時間後には毒を狩る為外の世界へ。
 命を懸けたルーティンワーク。それをただ繰り返す日々を、選ばれし一行は過ごしていた。

『ガルルモンはそのまま進んで下サイ。どうか追い付かれないように』

 毎日を必死に生き残る。それは決して惰性には成らない。
 だが──それでもやはり、押し潰されそうな緊張感にも多少の慣れが出来てしまうのだろう。良くも悪くも子供達の表情からは、以前より恐怖の色が薄れていた。

『対象との距離が五百メートルを切りまシタ。遠隔戦デスのでテイルモンはそのまま待機。──お二人、用意を』
「蒼太、誠司! 俺たちにデジヴァイスを!」
「うん……! コロナモン、気を付けて!」
「頑張れユキアグモン!」

 パートナーと協力して織り成す進化も、すっかりお手の物となっていた。
 蒼太と誠司はデジヴァイスを掲げる。
 二人の回路にデジヴァイスは呼応し、その小さなモニターから鮮やかな光を放つ。

 光はコロナモンとユキアグモンを包み込む。
 内部では彼らの外皮テクスチャが塗り替えられていく。ワイヤーフレームの骨格が変化し、データが書き換わり────

「──コロナモン進化! ファイラモン!!」
「ユキアグモン進化! シードラモン!!」

 進化した二人が光から飛び出す。
 ファイラモンは宙を舞い、シードラモンは水の無い大地へと降り立った。

「コールドブレス!」

 シードラモンは辺り一面に冷気を吐き出す。ガルルモンの進行方向を除き、大地を氷で覆っていく。

『対象接近、視認しまシタ。ドクグモンが二体、フライモンが一体!』

 間を置かぬうちに、遠くから喧しい足音が聞こえてきた。
 雄叫びが聞こえる。不快な羽音が耳に触る。

 そして音の主達は、一行の視界へ入り込む。
 黒い液体にまみれながら、正常なデジモンのデータを求めて、一心不乱に襲ってきた。

 ドクグモン達は氷に足を滑らせる。シードラモンとテイルモンが蜘蛛と対峙し、ファイラモンは高度を上げてフライモンの前にはだかった。

『ワタクシ達も参りマスよ。ユズコ、練習どおりに!』
『うん!』

 ウィッチモンの指示と同時に、柚子は手元のキーボードで素早くコマンドを打ち込んでいく。
 すると彼女の入力に合わせ、デジタルワールド上での使い魔──ウィッチモン本体が操るものとはまた別の個体──が、ドクグモン達に対し攻撃を始めた。
 対象の位置を確認しながら、使い魔へ命令を下していく。本来ならウィッチモンの技である筈の 鋭利な疾風 バルルーナゲイル を放っていく。

 ────それは、ウィッチモンがパートナーに託した技術のひとつ。
 ウィッチモンは自身とは独立した使い魔を作り上げ、柚子にのみ操作出来るよう設定した。全ては、パートナーの為に。

「ファイラボム!!」

 ファイラモンの火炎弾がフライモンの顔面に直撃した。巻き上る炎と煙の中、頭部を焦がしたフライモンが飛び出してくる。
 自らを顧みない行為は、毒により自我を失ったことに依るものだ。目の前の相手を喰らうことしか考えていない。

『ファイラモン、下から行くよ!』

 迫り来るフライモンに、柚子の使い魔が 高圧の水噴流 アクエリープレッシャー を放つ。毒々しい色の身体が打ち上げられ、空を舞った。
 ファイラモンは火炎弾を休まず炸裂させていく。フライモンは身を炙らせながら躱し、飛翔するファイラモン目掛けて毒針を乱射した。照準などない毒針を、ファイラモンは咄嗟に噴き出した炎で防いだ。
「……アイツらしぶといね。シードラモン! ウチも出る。背中に乗せな!」

 テイルモンが馬車から飛び降りた。離れていくガルルモンを横目に氷の道を駆ける。

「行かれたら面倒だよ! 足を落とす!」
「わがった!」

 シードラモンと合流し、彼の背中へ。
 風と水の刃に刻まれて尚スピードを落とさないドクグモンに追い打ちをかけていく。

「アイスアロー!」

 足元を穿つ氷柱。バランスを崩したドクグモンに、テイルモンは狙いを定めた。

「! ダメだ距離取って! まだ浅いよ!」

 シードラモンが咄嗟に距離を取ると、直前までテイルモンがいた場所に毒の糸が吐き出される。一部はシードラモンの身体に張り尽き、鱗を焼いた。

「あづい!」
「しっかりしな! かすり傷さね!」
『物理的に足を奪わなければ止まりまセン。アクエリープレッシャーで再度、膝を狙いマス!』
「よし、頼む……って、あ! 一体逃げられた!」

 シードラモンの横を、ドクグモンが一体すり抜けていく。
 汚染個体なら先ず正常なデジモンを標的とする筈──なのにドクグモンは、どういうわけかシードラモン達に目もくれなかった。一目散に、子供達を乗せた馬車を追いかける。

 二人はその背中を追う。自ら張った氷の上を滑走し、背後から 氷柱の矢 アイスアロー を射出し、なんとか足止めしようとするが────ドクグモンは矢を受けながらも、その進行を止めようとしない。

「が、ガルルモン! こっち来てる……!」

 距離を詰めてくる蜘蛛達に、花那が狼狽える。ガルルモンはスピードを上げるが、子供達が振り落とされることを危惧して全力で疾走できない。
 この事態は、旅の当初から想定していた事ではあった。では、デジモン達の包囲網を突破された場合はどうするか?
 対策として────

「花那しっかり! 俺たちもガルルモンを援護だ!」
「村崎さん宮古さん、これ持って! 急いで!」

 蒼太と誠司はワゴンの奥から発煙弾を取り出す。
 非常に物騒な代物だ。だが、弾に込められているのは子供に危険な爆薬などではない。

「そーちゃん、準備おっけーだ!」
「よし! 投げろーっ!!」

 蒼太の掛け声と共に、子供達は発煙弾をワゴンから投げ飛ばす。
 自分達の後ろを追うドクグモンに当たる。弾は破裂し────中から、美しい光の粉が飛散した。

 彼らが投げたのは────天使達の聖なるデータを凝縮した、対汚染デジモン用の武器である。仲間に当たったとしても影響はないが、

「ギィーッ!」

 毒に侵されたウイルス種には、一時的だが効果がある。目を晦まし、足を止め、身を悶えさせるのだ。
 ────それは、かつて蒼太と花那がアンドロモンに貰った武器を使用した、その経験を応用したものだった。

 殺虫剤を浴びたかのように身を震わせるドクグモンに、シードラモン達が追い付いた。
 シードラモンは再び周囲を凍らせる。頭部に乗ったテイルモンがナイフを構えた。

「攻撃しでも止まらない……。やっぱり皆、痛み感じでない……!」
「悲しいもんだね。とにかく動きを止めて、それから送ってやろうじゃないのさ」

 シードラモンは氷の道を滑走した。彼の尾部に巻き付いた使い魔が水噴流の勢いを利用し、彼を一気に加速させていく。
 テイルモンはシードラモンのヒレを片手で掴み、地面擦れ擦れまで身体を倒した。ナイフを片手に、さながらバイクを深くバンクさせるような体勢だ。

 ドクグモン達の足元を駆け抜ける。
 その一瞬、すれ違い様に────テイルモンがドクグモンの足元を切り裂いた。

 飛び散った血液が僅かに触れた。シードラモンとテイルモンは皮膚を火傷する。
 だが、止まらない。ドクグモン達の進行が止まるまでは、自分達も決して止まれない。

「ギイィ! キキッ!!」

 金切り声が上がる。ドクグモンの一体が、シードラモンとテイルモンに大量の糸を吐き出した。
 黒い粘液と共に降りかかる糸を、ウィッチモンと柚子の使い魔が吹き飛ばす。

 シードラモンはドクグモン達の周囲を氷で囲んでいく。氷を重ねて壁を作る。
 そして──身動きが取れなくなったドクグモン達の上に、羽を焼失したフライモンが落下した。

 ──氷の壁の中で、黒い液体を撒き散らしながら、彼らはもがいていた。
 勝負はついた。もう彼らは、自分達を襲うことはできない。

 それを確信したのか。ファイラモンが目を伏せながら、ドクグモンとフライモンの傍へと降り立った。

「……苦しくないように……してやれなくて、ごめん」

 本心を言うならば──やはり、誰かの命を奪う事なんてしたくはなかった。
 誰もがそうだ。仕方の無い事だとは、思いたくない。

 しかし毒に侵されれば、もう救う手だては無いのも現実だ。侵される苦しみから解放してあげるには、彼らを送ってあげるしかない。それも、事実だ。
 だからこそエンジェモンもペガスモンも、その行為を一瞬で終わらせていた。偉大なる光の力で。相手に与える苦痛を、少しでも減らしてあげるために。

 だが、自分達は────

「……ごめん……」

 フライモンとドクグモン達は、氷の中で黒い液体に満ちていく。
 毒を、デジモン達を、シードラモンはゆっくりと凍らせていった。彼らは抵抗することなく、静かに身を任せているようにも見えた。

 そして────全てが静かになった後。
 氷柱の矢で、炎の爪で、クロンデジゾイドのナイフで、彼らの肉体ごと氷を砕いていった。



◆  ◆  ◆



「どうして、毒のデジモンしかいないんだろう」

 先程の緊張感も和らぐ頃、花那は外を眺めながら呟く。

「メトロポリスだって、フェレスモンの城だって、都市だって、普通のデジモンはたくさんいるのに……どうして外には誰もいないんだろうね。ちょっとくらい出てきてくれたっていいのに」

 その違和感は、他の子供達も感じていたものだった。
 誰にも出会わない。まるで外のデジモンは、皆死んでしまったかのように。──流石にそれはないと、信じたいところではあるのだが。

「……俺たちが見つけられてないだけで、皆きっと隠れてるよ。こんなんじゃ外、出られないもんな」

 往く道も来る道も毒まみれ。
 通常であれば、とてもデジモンが生存できる環境ではない。

「もっと、世界地図とかあればよかったのになー。そうしたらデジモンが集まりそうな場所から探せるのにさー」
「あ、あの、病院とか……どこかにないのかな。具合が悪いデジモンとか、そこに集まってるかもしれないよ」
『そりゃあダメだ手鞠ちゃん! めちゃくちゃフラグってるからね!』

 会話を聞いていた黒猫が騒ぎだす。

『もしやゾンビ映画を見たことないね? 病院なんて行ったら毒のデジモンまみれだぜ!』
「え、え、そうなんですか……!?」
『多分!』
『まあ、具合が悪くなった人が真っ先に行くのが病院だもんね』

 みちるとワトソンの意見に、「確かに」と子供達は青い顔をする。
 そもそもデジタルワールドに医療機関が存在するかはさて置き────避けた方が良さそうだ。

『……難民を見つけ次第保護、も目的デスが……都市が持つ情報だけでは足りない部分も多い。そういッタ面でも、生き残ッテいるデジモンに会いたいデスね』
『そういえば、水のある場所は毒に汚されにくいんだよね? この前の湖みたいに……』
「ぎぃ。苦い思い出」
「水が綺麗なら、それこそ僕ら以外のデジモンが来てもおかしくないんだけどね」

 ガルルモンは怪訝そうに目を細める。
 水場はこれまで何度も見つけていた。どこも汚染を免れていたが、等しく誰もいなかった。────汚染されていないなら、一体くらいはいてもおかしくないのに。

『じゃあ、海は?』

 みちるが挙手をし提案する。

『川が綺麗なら海も綺麗じゃん? ってゆー安直な発想ですけど』

 流石に海には誰かいるだろう。広いし。──という、これまた安易な発想ではあるが。

『とゆーわけでレッツゴー海! ガルちゃんの嗅覚で見つけて!』
「ま、待って待って。君、相変わらず急だなあ。……ここから潮のにおいはしないから、川を見つけて下った方が早いかも」
『まじでか! ダンジョンマップは!?』
『そんなのあったら苦労しないですよ』
『少々、手間ではありマスが……視界の二時方向に確認できる山を目指して、そこから川を探索しまショウ。本日のうちに間に合わなければ後日また』

 予定されていたルートからは外れるが、仕方ない。
 終わりの見えない繰り返しの日々を過ごすよりは、少しでも進展のある道を選ぶべきだ。ウィッチモンは不本意ながらもみちるの提案に賛成し、一行は、デジタルワールドの海を目指すこととなった。



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