◆  ◆  ◆



 海底神殿の主。その存在を、コロナモンとガルルモンは目にするまで察知する事ができなかった。
 不意を突かれる形となり、思わず警戒する。だが、立ち上がった影は動かない。

 四人は神殿の主を見上げた。──その佇まいから、彼が自分達よりも圧倒的に強い存在であることを、コロナモンとガルルモンはすぐに察した。
 しかし相手に敵意は感じられない。そして、今まで出会った領主級のデジモン達のように──自分達を特別視する様子も、見受けられなかった。

 主はただ見据えていた。
 そして、コロナモンのすぐ前へと立つ。腰を低くし、コロナモンの瞳をじっと見た後────こんな言葉を口にする。

「私の事が分かるか」

 コロナモンは「え?」と声を上げた。目を丸くしたままのコロナモンに、主は再び問う。

「私が、誰だか分かるか」

 その問い掛けの意図が掴めず──コロナモンは言葉を出せぬまま、首だけを横に振った。主は「そうか」と言って、離れていく。

「すまない。人違いだ」
「…………は……はい」

 主はそれ以上、自分から声をかけようとしなかった。──というよりは、主自身、彼らにかける言葉を探しているようにも見えた。
 コロナモンとガルルモンは顔を見合わせる。そして、二人から言葉をかけようとした────その時。

「そーちゃーん!」

 遠くに誠司の声を聞く。
 慎重に氷の道を辿った彼らも、ようやく神殿に到着したようだ。ドタバタと響く足音が次第に大きくなる。

『無事デスか!? 正体不明の熱源がそちらに────』

 一番乗りは使い魔の黒猫だった。……焦っている様子がよく分かる。熱源を感知していたのだから、当然ではあるのだが。

 ウィッチモンは使い魔を通して、先に着いた四人が既にデジモンと接触していることを知る。
 視認した相手の情報を解析しようとして────彼女は息を呑んだ。瞬きをすることも忘れて。

 直後、駆け付けたシードラモンも──主の姿を目にした途端に、身動きが取れなくなった。それは、直感的に抱いた畏怖によるものだ。
 唯一テイルモンだけが、怖じ気付きながらも果敢にナイフを抜こうとした。だが、ウィッチモンの黒猫が咄嗟に彼女を床へ押さえつける。
 自分が何をされたのか。テイルモンがそれを理解するまでには、僅かに時間を要した。敵意を黒猫に向け、振り解こうとする。

「離しな! 誰に何してんのかわかってんの!?」
『わかッテいマス。目の前の方との、力の差ぐらい……!』
「は!?」
『無礼を……どうか、お許し下サイ』

 使い魔は深々と、神殿の主に対し頭を垂れた。主は、意に介さないといった様子で静観していた。
 主は何も言わずに踵を返す。水の無い宙を泳ぎ、玉座へと戻ると──気だるげに腰を掛けた。

「……これで、全員か」

 そして、ようやく重い口が開かれる。

「……今回は、数が少ないんだな。……そうか。わかった」

 主は俯きながら自問自答し、そして顔を上げた。

「こんな海の底まで、足を運んでくれた事に感謝する」

 周囲の燭台の炎が大きく燃える。
 主室はあたたかな明かりに満ちて────神殿の主の姿がはっきりと、彼らの目に映り込む。

 上半身は人の容を。
 下半身は魚の容を。
 その全身に、鈍く光る 青き鱗の鎧 スケイルメイル を纏い────

「此処は 深海神殿 アビスサンクチュアリ 。私が治める、私達の神殿。……そして……」
 
 巨大な槍を床に突き立て、神殿の主は名乗りを上げた。

「我が名はネプトゥーンモン。
 オリンポス十二神が一人。海と泉を司る存在である」

 ────それは、海の神の名前。

  この世界 デジタルワールド において、子供達が初めて出会った──“究極体”のデジモンであった。




◆  ◆  ◆



 究極体。
 それは、デジモンの進化段階における最高位の存在。

 現デジタルワールドでは、伝説上の存在として扱われる。かつては多数いた筈の彼らは、過去の毒の厄災以来ほぼ全員が姿を消した。……その為か、彼ら究極体の情報はデータベース上にもろくに残されてはいない。まさに未知の領域の存在と言えるだろう。
 故に、現在の最高位のデジモンと言えば完全体を指すことが主である。民を束ね土地を治める彼らも、非常に強力で貴重な存在なのだ。

 だが、今。
 ウィッチモンの観測データには、【 Ultimate:Unknown 】という文字だけが表示されている。

 それは、主がネプトゥーンモンと名乗った後も、更新されることはなかった。
 しかし先の言葉をそのままに受け取るのであれば────恐らく彼は、海や泉を守護する役目を持つのだろう。このデジタルワールドで、水場のみが毒の影響を受けていなかったことも納得がいく。
 その尊大な雰囲気を感じ取っているのか、いつもであれば野次を飛ばすみちるとワトソンも、静かにモニターを見守っていた。

「あ、あの」

 無条件にひれ伏すシードラモンの後ろで、誠司が恐る恐る声を絞り出した。

「……す、すみません。こ、言葉が、難しくて……よくわかんなくて」
『────!? せ、セイジ!』
「だ、だって、オリンピックって、何だろうって……」
『オリンポス……! わ、わからない言葉があッタら教えテあげマスから……』

 混乱している誠司に悪意はない。わかってはいるものの、ウィッチモンは胃に穴が空く思いだ。どれだけ目の前の存在が強大で、偉大で、そして────敵にだけは回してはいけないかを、子供達とテイルモンが理解できていない。

 どうしたら赦してもらえるか。使い魔を介することも失礼にあたるだろう。そう判断したウィッチモンは慌てて、自身のホログラムを作成し謝罪を述べようとするが────ネプトゥーンモンは片手を挙げて、「構わない」と彼女を制した。

「……オリンポスは、山の名前だ。お前達の世界に、そういう名前の山がある筈だ」

 子供達は顔を見合わせる。互いに声を出さず、「知らない」と言い合う。……小学五年生に、世界地理の知識は備わっていなかった。

「……ただ、あくまでリアルワールドでの名称だ。……私はこの名前を────我々という“家族”を指す言葉として用いている」

 どこか懐かしそうに──そして寂しそうに、彼は語った。

「……その、家族は……。……ここには、貴方しかいないんですか」

 コロナモンは恐る恐る問う。
 出会った時から、気に掛かっていた。──彼がずっと、悲しそうな顔をしていたから。

「貴方は俺を……誰かだと、思ったんですよね」
「……忘れてくれ。成長期も成熟期も、同じ種族の個体はたくさんいる」
「……」
「だが……そうだな。ここには、私ひとりだけだ」

 少しだけ自嘲気味に、ネプトゥーンモンは笑った。初めて見せた笑顔だった。

「そもそも十二神と名乗りながら、未だ生まれてきていない家族も多い。────時を同じくして生きた兄弟も、過去の厄災で、いなくなってしまったから」

 ネプトゥーンモンの玉座の側には、小さな写真立てが伏せられていた。
 それを一瞥する。視線を戻すと、客人達がそろって目を丸くさせていた。

「そこまで驚くことだったか?」
『……いえ……その、まさか、貴方は……。……生き残りなのデスか。過去の、毒の厄災の』
「…………あの日々を生き残ったのは、私だけではない」
『デスが……当時を知る者は、もう、どこにも……』
「……。……そういえば、どうやら、そうらしいな」

 ずっと此処に居たものだから、と。自身の、地上での出来事の疎さに呆れる。

「……私はずっと、この深海神殿に居た。あの厄災から……あの雨の日から、世界が解放された時から────ずっと此処に」

 それは、ダルクモンのように転生したわけでもなく、ホーリーエンジェモンのように後代へと継いだわけでもない。
 現在の彼という個体そのものが、過去の厄災から現在に至るまで、生き続けているという事だ。

 アンドロモンのように記憶が朧げな幼年期だった訳でもない。
 不完全な記憶でも、書物での記録でも、伝承でもなく──過去の記憶をそのまま持ち続けているという事なのだ。

「……」

 ネプトゥーンモンは、子供達ひとりひとりの目を見つめる。

「……選ばれし子供たち。今度は君達が……。世界を救うなどという詭弁に踊らされて、その身を削って……」

 それは憐憫を込めた眼差し。
 そんなものは、初めてだった。

 選ばれし子供たちを前にして、誰もが────目を輝かせて感動し、活躍を期待し、世界を救うことを期待した。子供達という存在を、自分達の土地を守るという優しい利益の為に利用しようとした。

「……君達という存在が、デジタルワールドに在ることを……知ったのは最近だ。……身を危険に曝して、世界を救おうなどとしている。……世界はまた、そんなことを人間にさせているのだと」

 しかし彼は、今まで出会ったどのデジモン達とも違った。

「……毒の事だけが、やたらと記録に残されて……あの時、我々に何があったのかは……ろくに伝わってないと聞いている。
 君達は今、どれだけ時間を費やしたかわからないが……世界の毒を焼くなどという行為に心血を注いでいるかもしれない。かつての我々もそうだった。だが、その行為に意味はない。それでは世界など救えない。……君達が成してきたことを否定するつもりはないが……──もう、やめなさい」

 果てには、そんなことまで言い出した。
 子供達は思わず反論しようとした。だって毎日、確実に毒は焼いて来ている。世界の毒は消せている筈だ。

 何故、そんなことを言うのだろう。
 だって自分達は、それが世界を救う一歩になると言われてきたのに。
 嘘を吐かれていた?
 いいや、そんなことは無い筈だ。この緊迫した事態の中で、嘘などついて時間を費やして、何になるというのか。

 子供達は、パートナー達は、ただ困惑する。
 何が真実で、何を信じればいいのか。
 何を成せばいいのか、何の為に、自分達は今この世界を駆け回っているのだろう。

「私は決して、君達と敵対する立場ではない。かと言って全面的に協力するような立場でもない。
 私は海の底から見守るだけだ。ただ見守り────君達を導く為に、この深海の神殿へと招いたのだ」

 ネプトゥーンモンはどこまでも悲しそうだった。

「……少しだけ、昔話をしよう。そうしろと、言われているから」

 誰に、とは言わなかった。

 そしてネプトゥーンモンは、今のデジタルワールドを生きる誰もが知り得なかった────過去の厄災の全貌を、選ばれし子供たちに語り出す。



◆  ◆  ◆




 ────。


 それは、かつて駆け抜けた激動の日々の話。
 海の底にしまい込んでいた記憶を辿る話。
 まだ、毒なんてものが存在していなかった世界の話。


 ……当時が平和な世界だった、とは言い難い。
 デジタルワールドというものは、そもそも弱肉強食の世界だからだ。
 それを生き残った者が頂点に立つ。そんな、実にシンプルな在り方をしていた。
 各々が生き抜いて、それぞれの進化世代を受け入れ、もしくはさらに上を目指して生きて行く。幼年期から究極体まで。あらゆる世代のデジモン達が、世界の中で必死に生きていた。

 孤高に生き抜く者もいれば、群れを成して土地を治める者もいる。
 特に完全体、究極体のデジモン達は────似た特性の者同士が集まり、大きな勢力として土地をまとめる。そんな光景も珍しくはなかった。

 例えば、サイボーグ型デジモンが治める最大の工業地帯[メタルエンパイア]。
 例えば、平和と秩序を重んじる[三大天使]と、彼らが率いる天使の軍団。
 例えば、デジタルワールドの東西南北を守護する[四聖獣]。
 そして────神人型デジモンが集う、我々[オリンポス十二神]。

 その名の通り我々は、リアルワールドにおける神話をモチーフにデザインされていた。
 我々は、互いを「家族」や「兄弟」と呼び合い、協力をし合いながら各地を統治していた。デジモンに血縁の概念がないことを承知の上で、その盃を交わしていたのだ。


 ────その日も、いつものように。
 この深海の神殿に集まり、他愛のない話に花を咲かせていた。

 そんな時だった。
 兄弟の一人に仕えるデジモンが一体、慌ただしく神殿へと駆け込んでくる。何事かと問うと、彼は酷く焦った様子で──

『地上でデジモン達が共食いをしている』

 私達に、そう告げた。



◆  ◆  ◆




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