◆  ◆  ◆



「結局のところ」

 ネプトゥーンモンは、新たな選ばれし子供たちに告げる。

「我々は何も成し得なかった。何もできなかった。事態に対して動いたのは世界デジタルワールドであって我らではない。収束させたのも同様だ」

 聞いていた子供達は皆、目を伏せていた。
 ──ネプトゥーンモンが語った事実は、子供達の心を追い込んでいく。
 
 世界の為に奔走し、世界に翻弄され、戦い抜いたデジモンと子供達。
 それでも、彼らは世界を変えられなかった。何かを残すこともできなかった。彼らの戦いを、偉業を、覚えている者だって殆どいない。

 子供達の気持ちが、意志が、揺らぎそうになる。

 世界を救う為に戦う。そんな高尚なものとはいかなくても、あの日、あの時、知り合ったデジモン達を助けたくて戦う────それは自分達で決めた道だ。見返りなんて求めていない。
 しかしあんなに期待されて、怖い思いだってして。それでも誰かの為になると信じてきた。しかしその結果が彼の語った通りになると言うなら────自分達は、何の為に戦っているのだろう。

 それが、少しだけわからなくなる。
 自分達の存在に、行いに意味があるのか。あったのか。……それは、未来にしかわからないのだと知る。

「…………ただ……ああ、どんなに不毛だったとしても、報われなかったとしても……私達が戦ってきた事、あの子が、この世界で生き抜いた事が……無意味なものだったとは思わない。思いたくはない」

 玉座に伏せられた写真立て。そこには誰が、どんな顔で写っていたのだろう。

「それは────新たな選ばれし子供たち、君達だって同じだ。
 児童期の人間が持つ回路は、我らデジモンに干渉し、確実なデータの強化と変性をもたらした。確かに意味は在った筈だ。
 ……何より、君達がいた事で、救われたデジモンだっていただろう」

 パートナーデジモン達は、選ばれし子供たちをただ、見つめる。

 ──廃墟のビルで、ふたり静かに息を引き取る運命だったデジモンを。
 知らない世界にひとり降り立ち、野垂れ死ぬ運命だったデジモンを。
 常に命を危機に晒しながら、身を隠し必死に生きていたデジモンを。

 確かに救った。フェレスモンに捕らえられた子供達のことだって。

「それだけでも十分だ。救われた者達だけはきっと、覚えているから。……それに、選ばれし子供である君達は確かに、出会ったデジモン達にとっての希望と成った筈だ」

 泣きそうな顔の子供達に、ネプトゥーンモンは「そんな顔をするな」と微笑む。そして玉座を離れ、宙を泳ぎ──子供達の前へ。大きな身を屈ませ、彼らと目線を合わせた。

 自分達が置かれている状況に、事実に、今後起こり得る未来の可能性に────あらゆるものに翻弄される子供達。

「……この戦いを……君達は受け入れていただろう。あの子と同じ、世界を救うなどという選択肢しか無かっただろうに、その中で……その上で、自ら納得し選んだ道だったのだろうな。……──ああ、本当に……命を懸けて、ここまでよく頑張った」

 慰めるように、諭す。確かに意味は在ったのだと。

「しかし、この先……君達の絆で強くなったパートナーデジモンは、更なる激戦に身を投じる事となる。君達は必ずその戦いに飲み込まれ、今以上に翻弄されていくだろう。そして──あの子の、過去の子供達のように……突然と姿を消すことだってあるかもしれない。
 だから、……だからこそ、選ばれしパートナーデジモン達よ。この子らを……大切な子供達を、最期の最後まで守り抜く自信が無いのであれば────今すぐにでも世界を捨て、彼らを家に帰してやりなさい」


 この子達はもう十分、戦ったのだから。

 ネプトゥーンモンはそう告げた。
 コロナモンとガルルモンは、ネプトゥーンモンから目をそらせなかった。

 ────“子供達を、家に帰す。”

「「……」」

 ああ、自分達は──その言葉をずっと待っていたのだ。
 多くのデジモン達が、子供達を世界を救う為の手段として見ていた。なんとかデジタルワールドに残そうと、躍起に言葉を操って。
 そして子供達は覚悟を決めた。決めざるを得なかった。自分達デジモンの為に世界を救うと。
 自分達も、覚悟を決めた。この子達を巻き込み、守り抜く覚悟を。

 だが、それでも。
 その言葉を────誰かにずっと、言って欲しかった。
 もうこの子達を、危険な目に遭わせなくてもいいんだと。

 言って欲しかったのに。

「……最初に、貴方に会えていれば」

 ガルルモンの目からは、大粒の涙がこぼれていた。

「もっと早くに、出会っていたかった」

 もう、戻れない場所まで来てしまったかもしれないんだ。その言葉は、喉につかえて出てこなかった。

「彼らを守りたい。彼らの意志も尊重したい。けど、この戦いに終わりが見えない。……この子たちを……いつまで、ここに居させてしまうのかもわからない。……ちゃんと家に、帰してあげたいのに……僕には、その自身が無い……」

 守らなければ。守らなければ。この子達を守らなければ。
 どう戦えば、どんな作戦で行けば、どうやってデジモンを倒せば、この子達を守れるだろう。

 大切な子供達を失わない為に。
 デジモン達にのしかかるプレッシャーは、あまりに重い。

「そうだな」

 ネプトゥーンモンは、ガルルモンの頭にそっと手を置く。ガルルモンが驚いて顔を上げた。魚を模ったマスクの下、泣きそうな笑顔が、ガルルモンの瞳に映った。

「究極体の私でさえ守れなかったのだ。……尚更、お前達は不安だっただろう。君達の戦いを目にした事はないが……今までよく、頑張ってきたのだと思うよ」
「──……ッ」
「……でも、俺は……俺たちはそれでも、強くなりたいって、思うんです……もっと頑張って、もっと、今のままじゃ足りないから」

 これまでずっと溜めていた感情が──何故だか、このデジモンの前では溢れて止まらない。ネプトゥーンモンはそれを汲み取るかのように、二人の頭を撫でてくれた。

「ああ、……わかるとも。私達は、どこまで強くなれば良かったのだろうな」

 もっと強ければ、自分達のパートナーが姿を消した時だって、もっと早くに動けたのではないか。周囲の事態をすぐに収めて、自分も探しに行くことができたのではないか。──ネプトゥーンモンには今も、その後悔が残っている。

「……だがら、海の王様は、おれたちを止めてぐれるんですか?」
「そうだ。しかし強制するつもりもない。最後に決めるのは君達自身だ。……先程も言ったように、私はただ君達を見守り、導く為に語ったまでなのだから。
 ただ、君達が道を進むにしろ、退くにしろ、この事は知っていた方がいい。知った上で選択するべきだ。君達には、事実を知る権利がある」

 シードラモンは言葉に詰まる。テイルモンは俯きながら、じっと床を睨んでいた。苛立ちで歪む自身の顔が、大理石の床に映っていた。

「……。……今までだって……ウチらはずっと、命懸けだったよ。だから全員で協力して生き延びてきた。こいつらだって、戦えないなりに頑張ってくれてたんだ。
 それを思い知った上で……嫌ってほど怖い思い、した上で……手鞠たちが決めてくれた覚悟は無駄にしたくないよ。……死なせたら元も子もない。それも全部わかった上で、ウチらだって覚悟を決めたんだ。
 …………でも……究極体様のさ……アンタのパートナー達は、どうして……。誰に、殺されたんだい。……それがわかるなら、この子らを、そいつから守れば……」

 テイルモンの震える声に、ネプトゥーンモンは口を紡ぐ。
 それが分かれば苦労はしない。そう、言いたそうだった。

「…………命を落とした者もいる。……だが、生き残りリアルワールドに帰還した者も、確かに存在した。あの日、突然姿を消した子供達の中で……」

 少なくとも全滅ではない。そんな含みを持たせた言い方だった。

「それが判明したのは最近だ。……しかしあの時、彼らに何が起きて……どれだけ生き残って、どうやって世界が救われたのかは、わからなかった、語りたくないと言っていた。
 ……語れないような事が起きたのだろう。私には、その程度の憶測しか伝えられない」

 全員の安否は不明なまま。何が起きたのかもわからないまま。
 誰が生き残ったのだろう。それは果たして、彼と、その兄弟のパートナーだったのだろうか。

「せめてあの時、別れの挨拶ひとつでもあれば良かったのにな」

 そう言って、ネプトゥーンモンは寂しげに笑った。



◆  ◆  ◆



 亜空間では、ウィッチモンが青ざめた表情で頭を抱えていた。
 柚子は遣り切れない思いで、ウィッチモンの胸に顔を埋めていた。耳だけをモニターに向けていたが、正直、それも放棄してしまいたい衝動に駆られる。

 紋章のペンダントがウィッチモンの服に当たり、カチャリと軽い音を立てた。

 ……これは何の為にあるんだろう。
 私たちは結局、何をしているのだろう。

『結局、私たちは……前のデジモンたちがやったのと、同じことを繰り返してるだけなんだね』

 思わず口にした言葉が、使い魔から神殿に漏れた。

『フェレスモンが皆を誘拐したのだって、昔の天使たちがやってたのと同じ。ホーリーエンジェモンが皆にやらせてるのも、前の子供達がやってたことと同じ。……そんなことしたって、変わるわけないじゃん』

 こんなもの、ただの愚痴だ。わかっている。

『そもそも……こんな、デジヴァイスとか紋章とか、貰っちゃうから……「選ばれた」なんて思っちゃうんだよ。特別に思えちゃうんだ。……ずるいよね。天使たち、こんなずるいの作っちゃうなんて』
「……尤もだ。だが、これを創ったのは彼らではない」

 ネプトゥーンモンは柚子の言葉を否定した。

「あれらは──子供達がそれぞれ身を置いていた場所に、いつの間にか残されていたものだ」
『……前のホーリーエンジェモンが渡したんじゃなくて?』
「……デジヴァイスと紋章……それだけが、残ったのだ。あの子達が姿を消した時、彼らはそれを身に着けていなかった筈なのに。──君達が授かったものは、セラフィモン達が各地で回収し保管していたものだろう。……誰も、作っていない」
『……メタルエンパイアなら、その技術があるのでは?』

 ウィッチモンが問うが、ネプトゥーンモンは首を横に振った。
 誰が創ったのかわからない聖遺物。────彼女の中に、靄が生まれる。

 その事実は、かつてウィッチモンがアンドロモンから受けた報告と重なった。
 人間界にリアライズする為の、ブギーモンの腕輪を製造したのは誰か。
 アンドロモンは、メタルエンパイアの技術では作れないと言っていた。

 次に思い出したのは────フェレスモンの城を覆っていた結界。
 彼は、自分が作ったものではないと言っていた。

 腕輪も、結界も、デジヴァイスも紋章も、誰がそんなものを創ったのだろう。

『…………』

 誘拐された、過去の選ばれし子供たち。
 誰かが創ったデジヴァイスと紋章。
 彼らを導く天使の言葉。毒を焼く不毛な日々。
 子供達の突然の失踪。救済された世界。

 誘拐された子供達。
 誰かが創った腕輪と結界。
 天使の言葉。毒を焼く日々。
 失踪者と帰還者の──合わない人数。

 柚子は言ったように、自分達は結局、過去の彼らの行動の繰り返しだ。
 天使は子供達という英雄を再び求め、フェレスモンは自身がかつての英雄に成ることを求め、ただ模倣しているにすぎない。それは自分達も同様に。

 ────いや、待て。

『……フェレスモンが模倣シタのは誰……?』

 柚子が顔を起こす。『天使たちの真似でしょう?』と、ウィッチモンの顔を覗いた。

『……確かに彼は、子供達を集めて、彼らの回路を調べテ……けれど天使の模倣なら、自分達で彼らとパートナーの契りを結んだ筈……』
「あ、えっと、フェレスモンっていうのは……俺たちの世界から、人間の子供をたくさん誘拐したデジモンで……」
「ここにいる手鞠と誠司くんも誘拐されたんです。助けに行こうって、私たち、最初はそれでデジタルワールドに来ました」
「…………なんて事を。どこで過去の記録を見たのか知らないが……愚かな」

 その声には、軽蔑の色が込められていた。

「……見たところ無事なようだが、何もされなかったのか」
「オレと宮古さんは、その、回路があるとか無いとかで、引っかからなくて……別の場所にいたんです。だから、何もされてないです」
「で、でも、アタリって言われた皆も無事で……皆、ちゃんと家に帰れました。フェレスモンさんが、わたしたちに帰すところを見せてくれたんです」

 事情を伝える当事者達。しかしネプトゥーンモンは、訝しげに表情を歪めた。

「……何もされずに、全員が帰還した?」

 当然の疑念だ。それでは、フェレスモンの誘拐の目的がまるでわからない。

「……帰還した子供達の容体は、確認できているのか?」
『…………リアルワールドで得られたデータでは……共通する状態は主に、栄養失調。彼らを監禁していたデジモンによる外傷、帰還後の感染症。……他には特別、特殊な事をされた形跡は……』

 それも、おかしい。
 だた誘拐して、監禁して、何もせずに帰す。そんな、形だけの模倣をするにしてはリスクが大きすぎる。
 必ず目的はあった筈だ。何も無いなんてことはあり得ない。ネプトゥーンモンは黙然し────ふと、何かに勘付く。

「────そもそもだ。本当に、全員が帰還しているのか・・・ ・・・・・・・・・・・?」


 ネプトゥーンモンの直感に、その場に居た全員の思考が一瞬、止まった。
 ……いや、全員は否だ。ウィッチモンとみちる、そしてワトソンは────その事を知っていたのだから。

 そして柚子は、亜空間に居る自分以外の全員が、驚愕とは異なる表情をしていることに気付く。
 パートナーから向けられる刺すような視線に、ウィッチモンはただ、俯いた。



◆  ◆  ◆



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