◆  ◆  ◆



 ネプトゥーンモンの問いかけに、まず答えたのは子供達だった。
 そんなはずはないと、確かに見たのだと。
 しかし、厳密に人数を数えていたわけではない。ネプトゥーンモンに指摘されると、子供達はそれ以上、何も言うことができなかった。

 亜空間に淀む張り詰めた空気に、みちるは「あーあ」と、声を出さずに口だけを動かす。

『……知ってたの?』

 ウィッチモンは、柚子の顔を見ることができなかった。

『…………約、二十名』

 重い口をゆっくりと開く。

『失踪者と帰還者のデータが一致しまセン。未だ幽閉されているか、もしくは誘拐時に……』
『いつから知って……』
『……皆様が、あの城を出た時から』
『そんな前からどうして黙ってたの!?』
『……伝えれば貴女達は、城に戻ると言い出すでショウから。……貴女も、嘘を吐くのは苦手でショウ』

 ────柚子から向けられる視線が痛い。自分の責任では、あるのだが。

『皆様の戦力では、彼と対等に渡り合う事はできない。故に追及すべきでないと判断しまシタ』
『なら、ホーリーエンジェモンたちの力を借りたってよかったでしょ……!?』
『……ええ。最初は……都市に協力要請を頼もうとも考えていまシタ。
 しかし彼は都市を離れられず、都市もフェレスモンに割く戦力など無いのが現状デス。結局は我々のみで乗り込むか、浄化活動を理由に止められるかのいずれかとなる。
 ……ワタクシ達に、フェレスモンを止める力がありマスか? 彼と対等に立つことすらできないワタクシ達が、一度は見逃してもらった情けを反故にして……あの城のデジモン全員を敵に回し、完全体であるフェレスモンを制し、子供達を救出することが────果たして出来たでショウか』
『…………それは……』
「口論はよしなさい」

 ネプトゥーンモンが制止する。

「全ての真実を漏らさず語る事が、愛とは限らない」

 君達の誰も悪くない。ネプトゥーンモンはそう言って庇う。
 だが、デジモン達は悔しさを必死に堪える。……ウィッチモンが事実を隠したのは、自分達の戦力が及ばないからに他ならない。自分達がもっと強ければ、ウィッチモンは残された子供達の奪還を提案したはずだ。

「見えぬ者の決断は懸命だ。君達がパートナーの命を重んじるのであれば尚更。
 ……そして、今まさに姿を消している子供達の姿は────選ばれし君達が、辿ったかもしれない未来のひとつだ」

 その言葉は、重かった。

『……どうにか、お力添えを頂けまセンか。究極体である貴方が協力シテ下さるなら、完全体のフェレスモンは……。……』
「……それで解決をすると……君は、思うのかね」
『…………それは』
「王様……おれたち、あの城の中にいだのに……他に子供が残ってるの、気付けなかっだ。近くにいだのに。だがら……おれたちが、助けに行かないと」
「先程も言ったが、君達の責任ではないよ」

 ネプトゥーンモンはシードラモンの胴を撫でる。傍で唇を噛みしめていた誠司の頭も、優しく。

「彼方の姿見えぬ者。今から問う事には落ち着いて、深呼吸をしてから答えて欲しい。……君は、今回子供達を連れ去ったデジモンが、過去の誰の模倣をしたと考える?」

 僅かな沈黙の後、ウィッチモンは冷静さを取り戻す。

『……。……推測デスが……貴方達のパートナー達を連れ去った、何かかと』
「……そうだな。私も、そう思った」

 深く深く溢れる溜め息。
 ネプトゥーンモンは片手を自身の頭部を押さえ、少しだけ、子供達と距離を取った。
 両手で顔を覆う。決して泣いているわけではない。ただ少しの間、彼の頭の中に渦巻く感情を、溜め息と共に必死に吐き出していた。

「…………ずっと……誰が、連れて行ったのだろうと……考えていた。意図して連れ去られたのか、それとも“世界”がそれを選び、デジタルワールドというシステムから人間を排除したのか……。……だが、そうだな。それを模倣するという事は……前者だったか……。
 ……そんな真似をするなんて、本当に愚かだと……そう、思わないか?」

 彼が誰に対し、その言葉を投げ掛けていたのか。──それは、誰にもわからなかった。
 ネプトゥーンモンは体中の息を吐ききると、今度はゆっくりと深く呼吸した。少しだけ、ずれたマスクの位置を直す。彼もまた、湧き出る感情から冷静さを取り戻そうとしていた。

「姿見えぬ者の話が事実ならば────我ら兄弟の、そして戦友達が愛した子らを奪った者が……もしくはその後代が、私と同様、まだ世界に存在しているという事になる」

 それはつまり、人間の子供達にとっての脅威となる存在が、未だデジタルワールドに潜んでいるという事実。

「君達が言うフェレスモンなるデジモンを罰したところで、根源が残ったままでは意味がない」

 フェレスモンを倒したとしても、その根源たる存在が目的を果たしていなかった場合、また、他のデジモンが同じ事を繰り返すだろう。

 しかし────ここでようやく、一行の中の疑問が少しだけ晴れた。
 
 フェレスモンの目的が何だったのか。
 彼の行為は過去の模倣。彼が“同志”と語った誰か────過去の子供達を連れ去った根源であろう存在────が、恐らくは『城の結界』という恩恵を名目に、フェレスモンに行わせたのだ。
 そして彼は子供達を誘拐し、回路の優劣によって選定した。
 一行が見届けた子供達の帰還は結局、その「最終選定」にあぶれた子供達を、用済みとしてリアルワールドに帰しただけの事。

 きっと、そこまでだったのだ。選ぶという行為そのものが、フェレスモンの目的だったのだ。

「…………皆は、どこにいるの?」

 花那の問いに、ネプトゥーンモンは答えられない。
 フェレスモンらにとっての「選ばれし子供たち」が、城でない何処かに居るのだとしたら────その場所こそ、過去の子供達が連れ去られた場所だからだ。

「ネプトゥーンモンさん……俺たちと一緒に来てよ! まだ残ってる皆がいるなら、助けに行かなきゃ!」
「わ、わたしも、お願いします……!」

 懇願する子供達。しかしネプトゥーンモンが視線を送ったのは、彼らのパートナー達だ。

 もう一度、問う。────彼の瞳がそう言っていた。
 守り抜く自信が無いなら、彼らを家に帰してあげなさい。
 この先に待つのは激戦だ。
 毒の浄化の時のように、相手の世代を判断して、戦うか否かを選べる状況ではなくなるのだ。
 フェレスモンと対等に在ったということは、最低でも完全体以上の個体が相手となだろう。そして既に、子供達は捕らえられている。

「…………」

 デジモン達は、すぐに答えを口にすることができない。要塞都市での夜、皆で決意を固めた筈なのに────此処にきて揺らいでしまう。
 意志と理想と現実とが交錯し、ひたすらに彼らを悩ませるのだ。不安で、胸がはち切れそうになる。

「…………コロナモン。俺たちは……ホーリーエンジェモンさんの前で、あの時ちゃんと言ったよ。
 俺たちは一緒にいる。ここで帰ったりなんかしないって」

 蒼太はデジヴァイスと紋章を掴み、コロナモンに見せた。

「これは、俺たち皆でもらったんだ。一緒に戦うためにもらったんだよ、コロナモン」

 蒼太の手の中──勇気の紋章が、炎の明かりで橙に染まる。
 コロナモンは思い詰めた表情で、それに触れた。────そのまま蒼太の手を握る。

「…………蒼太」
「俺たちは繰り返さない。大丈夫だって、思いたいよ」
「そうだよ……! それにコロナモンとガルルモンはもう、私たちをたくさん助けてくれてるよ。ユキアグモンとチューモンも、誠司くんと手鞠を助けられたんだよ!」

 花那はガルルモンの首元にそっと抱き着く。友情の紋章が、青く揺れた。

「……私がこんなこと言うの、無責任かもしれないけど……でも……今度はきっと大丈夫だよ。だから……泣かないでね」
「……花那、僕は……。……」

 ──カタンと響く音が、部屋の奥から聞こえてきた。写真立てが玉座から床に落ちた音だった。

 ネプトゥーンモンはそれを、目を細めて見つめる。

「……。……シードラモン」
「! は、はい」

 急に呼ばれ、シードラモンは顔を跳ね上げた。ネプトゥーンモンはシードラモンのすぐ目の前まで来ると、両手で彼の頭部を覆う。
 ネプトゥーンモンの両手から、やわらかな水が溢れ出す。それはシードラモンの全体を優しく包み込んだ。

「……ごれは?」
「君達を守る水の鎧だ。全員分を、同じ水棲デジモンの君に託す。……いつか役に立つ時があるだろう」
「……おれは……天使様の、都市のデジモンです」
「個人ではなく種族としてだ。育った地が違えど、君のデータの本質は変わらない」
「……どうしで、ごれをくれるのですか?」

 ネプトゥーンモンは苦笑した。「土産ぐらいは持たせねば」と。

「それに──君達がどの道を選ぼうとも、この子らを守らねばならぬ事に変わりはない」

 そう言って、ネプトゥーンモンは神殿の外へ。外の光を反射した鱗の鎧は、陽に揺れる水面の様であった。

「私に出来る事は、これで全部だ。付き合わせてすまなかった。……もう、行くといい。時間は有限だ」
『……。……やはり、ワタクシ達と共に、来てはいただけないのデスね』
「……すまない」

 理由は語らず、そしてウィッチモンも尋ねなかった。そうした所で彼の意志は変わらないだろうと踏んだからだ。……先程シードラモンに授けた水の鎧が、彼にとってせめてもの助力だったのだろう。

「……わたしたち、……もう一度、フェレスモンさんのお城に行きます。行って皆を探してきます」
「皆のこと助けて、そこにネプトゥーンモンさんのパートナーもいたら……オレたち絶対、ここに連れてきますから」

 ネプトゥーンモンは仮初の空を仰いだ。そして小さく、「ありがとう」と言った。




◆  ◆  ◆



 一行は、海の底の神殿を後にする。

 来た道を再び辿り、石門の前へ。
 門の向こうには藍の闇が広がっている。此処を抜ければ、また透明なトンネルへと戻るのだろう。

 シードラモンが深々と頭を下げ、まずは門の向こうへと消えた。テイルモンは目線だけを向けて行った。
 子供達はネプトゥーンモンに、パートナー達を見つけてくると誓った。そのまま重たい足取りで門をくぐった。
 そして────コロナモンとガルルモンは、石門の前で立ち止まる。

 ネプトゥーンモンと目を合わせる。
 彼は何も言わなかった。コロナモンが、躊躇いながら口を開いた。

「……あの、俺たち……」
「……」
「今までやってきた事は……これからも、続けようと思うんです」
「……」
「毒にやられたデジモンを助ける方法がそれしかないなら、彼らを送ってあげるのも、きっと俺たちの役目だから。……貴方たち皆がやってきた事も……絶対、不毛なんかじゃなかったって……そう思います」
「…………そうか」
「僕らは、もっと強くなります。この子たちを守りきれるように。……だから、どうか見守っててください」

 ネプトゥーンモンは「勿論だ」と、少しだけ微笑んだ。
 そして──二人はどこか名残惜しそうに、石門へと足を踏み入れる。

 その時、後ろからネプトゥーンモンが声を掛けた。

「後悔だけはするなよ」

 コロナモンとガルルモンは驚いて振り向く。──それから強く頷き、しっかりと前を向いて石門を抜けた。

 客人達は、海の底から去って行く。
 彼らの姿が見えなくなってからも、ネプトゥーンモンは見届けていた。

「……」

 ────海の底で、長い間……自分の中だけにしまいこんでいた事を、こんな形で誰かに話す事になろうとは。
 過去の現実を知って尚、彼らはどの道を選ぶだろうか? ……考えるまでもない。あの子達の表情を見れば、彼らが往く道は明白だ。

 彼らは、子供達を捕らえた者がいる地へ戻るだろう。
 そして──自分が知り得ない更なる事実を知り、戦いに身を投じていくのだろう。

 ネプトゥーンモンは薄暗い神殿に戻る。

 気怠げに玉座へ座った。────床に落ちた写真立てを拾い上げ、じっと眺める。

「……約束は、守ったぞ」

 自分の行動が正しかったのか、これで良かったのか、その答えを出せぬまま。

 海の王は再び、海の底から世界を見守る。





◆  ◆  ◆




 → Next Story