◆  ◆  ◆



 この世界は不思議な場所だ。

 人間が暮らしている場所とよく似ているのに、そこに存在するあらゆる物の、時代考証があべこべなのだ。

 廃墟のような工場の都市。
 現代的な地下鉄。
 中世の街並み。近代の保存食。
 中世のお城。中途半端に備えられたインフラ。
 見たことのある公衆電話。

 それらを見る度に混乱するが、どこか飽きない一面もある。
 デジモンを探しながら、けれど逃げながら────ベルゼブモンとふたり、私は静かな世界を巡る。

 今日は踏切を発見した。
 枯れたの草原の中にぽつんと。見覚えのある、黄色と黒の縞模様が覗く。
 もし電車が通っていたら、どんな景色を眺めて、どんな場所に向かうのだろう。私は、存在しない線路に沿って歩いてみる。

「どこに続いてるのかしら」
「…………さあな」

 今日は遺跡を発見した。
 南米にでもありそうな石造りの祭壇。なのに何故かタバコの自販機が置かれていた。デジモンもタバコを吸うのだろうか。

「あなたは吸っちゃだめよ」
「……何をだ」

 今日は病院を発見した。
 ずっと、ベルゼブモンの為にと探し求めていた場所だ。
 だが、中には医師も看護師も、誰ひとりいなかった。院内には黒い染みが溢れていて、床には割れたアンプルや、数々の薬品が散乱している。衛生用品は汚れて使い物にならなかった。

 今日は学校を発見した。
 海外のプライマリー・スクールのような造りだった。
 誰もいない教室に、小さな机と椅子が揃えられていた。教科書らしき本を、ベルゼブモンが興味深そうに読んでいた。……小さなデジモンは、ここで何を学んでいたのだろう。

 今日はマンションを発見した。
 だいぶ前の時代に作られた、日本のそれと酷似していた。
 明かりの無い部屋を回る。所々に黒い液体が染み付いていた。瓦礫だらけで窓も割れていたが、生活感が残されていた。
 洗濯物らしき布が落ちていた。読みかけの雑誌が置かれていた。途中まで用意された食事があった。とても手を付けられる状態じゃなかったのに、ベルゼブモンが食べてしまった。

 そうして、たくさんの場所を巡りながら。
 私達は、穏やかに日々を過ごしていく。

 相変わらずベルゼブモンはデジモンを食べるし、私はろくに飲食しなくても生きている。私の方は、なんとも気持ちが悪い。
 しかし幸い、人間を狙うデジモンには出会っていなかった。
 ただ──そうでないデジモンとも、出会う機会は随分と減ってしまった。

 デジモンは男にとって無くてはならない存在だ。
 以前と比べれば随分、自我を保ち対話してくれるようになった彼も──長い間デジモンを食べなければ、やはり意識を奪われてしまう。

 私は必死に手を掴んで、彼が遠くに行ってしまわないよう呼び掛けた。
 何度も何度も名前を呼んだ。振るった腕に跳ね飛ばされて怪我をしても、男が元に戻らなくなる位なら構わなかった。

 ……このまま、他のデジモンがいなくなってしまったら。ベルゼブモンが毒に飲まれて、あの女性の様に溶けて消えてしまったら。
 不安は尽きない。けれど彼が自分の手を握り返してくれる、その瞬間は──「まだ大丈夫」と安心できる。

 荒廃した世界に終わりは見えない。
 次は、どんな場所に辿り着くのだろう。



 ──今日は遊園地を発見した。
 小さい頃はよく、母親が連れて行ってくれた。そんな事を思い出す。青空の下で、賑わう人々に混ざって、たくさん遊んで。

 けれど今は曇り空の下、目の前の広場はひどく寂れている。
 誰もいないエントランス。看板も遊具もペンキが剥げていて、どこか物悲しい。

「こういう場所、初めてでしょう」
「……ああ」

 ベルゼブモンは珍しそうに周囲を眺めていた。

「……。……濃さが……多いな」
「濃さ?」
「………本当は、此処も……色が、多いのか」

 彼の言う「濃さ」とは、きっと目に映る灰色の事だろう。
 確かに此処は、たくさんの褪せた色で彩られている。遊園地とはそういうものだ。鮮やかに飾られて、視覚的にも来客を楽しませる。

「けど、色なんて無くてもいいのよ。他にも醍醐味はたくさんあるもの」

 色だけではない。華やかな音に、様々な遊具。あとの楽しみは着ぐるみだろうか。この遊園地にもマスコットは設定されているようで、看板には黄色いクマのキャラクターが描かれていた。

「……そうか」
「ええ、そうよ」

 もっとも、周囲に風船をくれるような着ぐるみはいないし、恐らく遊具だって、何一つ動かないだろうけど。

「手で動かせるものでも、あればよかったのに」
「……」
「本当はね、ジェットコースターは速くて、お化け屋敷は怖くて……コーヒーカップはくるくる回るし、メリーゴーランドもぐるぐる回るのよ」
「……回るものが、多いのか」
「そういえば、観覧車も回るわ」

 錆びた観覧車を見上げた。あれに乗ったら、この大地を一望できるだろうか。……仮に動いたとしても、あの状態の観覧車に乗るのは気が引ける。
 ベルゼブモンは何度か周囲を見回していたが、特別、反応は示さなかった。

「……やっぱり、デジモンはいなさそう?」
「……。……多分、だ。……よく、わからない」
「珍しいわね」
「……いる、ようで……いないように、思う」

 変な感覚だ、と。ベルゼブモンは不快そうに顔を歪めていた。

「……おなか、空いてない?」
「……」
「奥まで行けば、どこかにいるかもしれないわ」
「……そうだな」

 メインゲートへ向かう。チケットカウンターには、園内マップが雑に用意されていた。申し訳ないが入園料は払えない。

 人も着ぐるみも、音楽も、何もない遊園地。夢の終わりのような場所。
 きちんとマップを見て、順路に合わせて進んでいく。
 進む度、有名どころのアトラクションが次々と顔を出してきた。
 コーヒーカップにメリーゴーランド、ゴーカートにジェットコースター。……どれも、懐かしい。

「……」

 そして……何故だろう。この何もない時間を、“楽しい”と感じてしまう。
 こんなに朽ちていても、誰もいなくても、不気味ささえあっても──そう思えるのか。自分がそう感じている事が、本当に不思議だった。

 非日常的な情景。今までは、何より嫌いだったのに。
 変化のない平和な日常を、繰り返すことだけを望んでいたのに。
 この世界で訪れる場所、出会うもの全てがあまりに非日常的で──それらは全部、自分の人生に紛れて欲しくないものの筈だったのに。

 一番変化しているのは、自分自身なのかもしれない。
 最初はあんなにも怖かった放浪の旅で、『楽しい』と思える瞬間が来るなんて。

 ……──ベルゼブモンは、どうだろう。

「……ねえ。楽しい?」

 そんなことを、聞いてみる。
 彼が振り向く。僅かに流れる無音の時間。──私はそっと、ベルゼブモンの手首に触れた。

「……『たのしい』……?」

 ベルゼブモンは首を傾げた。
 私は俯いて、けれどそのまま指を下げて、大きな手のひらにそっと触れる。

「私は、……あなたと此処にいて、楽しいわ」

 彼が、自分と同じ気持ちでいてくれたなら。
 そんな事を、思って。それを自覚して、──胸の中がモヤモヤする。

 ベルゼブモンとの旅には恐怖もあったが、心強さもあった。一緒にいる安心感もあった。
 そして──今は、楽しいとさえ感じている。
 次は二人でどんな場所を見るのか、それを期待する自分がいるのだ。

 ……これは、追って追われて、食べて逃げてを繰り返す旅なのに。
 自身が抱いているであろう感情に、少しだけ、罪悪感を覚えた。

「それが……どんな、ものか……俺は、分からない」
「……」

 ……そもそも、自分とベルゼブモンとの関係性は、何と例えるべきものなのだろう。
 時折考えてしまう。──けれど、よくわからなくて。そんなこと、本人に問うわけにもいかなくて。

 ベルゼブモンは空を仰いでいた。私は隣で、ひび割れたアスファルトに目線を落とす。

「だが────……カノンと、いるのは……良いものだ、と思う」

 ──彼が、私の指を握った。
 思わず見上げる。柔らかい表情だった。そんな気がした。
 それが何だか嬉しくて。────どうしてだろう。私の胸は、ひどく熱くなる。



◆  ◆  ◆



 奥に進むと、ゲームコーナーの小屋があった。
 レトロなコイン遊具が並んでいる。奥のブースには、お祭りで見かけるような屋台が置かれていた。
 輪投げに射的、金魚すくい。金魚は留守だが、他は使われていた当時の姿のままだ。もちろん、こちらはコイン不要である。

 カノンは久しぶりに輪投げをしてみた。……なかなかうまく入らない。
 ベルゼブモンにも輪を渡し、投げさせてみる。ベルゼブモンは全ての的に投げ入れた。的を狙うのは、やはり得意なようだ。

 今度は射的で遊ぶ。……これも、うまく当てられない。
 カノンはコルク銃をベルゼブモンに渡してみた。──流石と言うべきか、片手撃ちで全ての景品に命中させていた。

 するとベルゼブモンは、景品のひとつをわざわざ棚に戻し、カノンの側へ。
 細い腕に触れると、彼女自身の脇に押し付けた。

「……こうだ」

 少女の頬に、コルク銃の柄を密着させる。そして少女の身体を──後ろから包むように男は支えた。カノンは驚いて顔を上げる。

「べ、ベルゼブモン……」
「これで、撃て」
「……」

 言われるがまま、体勢を立て直して引き金を引いた。──すると

「……当たった……」

 射的を当てられたのは初めてだと、カノンは、少し嬉しくなった。

「普段の構え方と違うのね」

 あなたはいつも片手で撃っている──そう言おうとして振り向くと、思ったより近くに男の顔があった。驚いて、咄嗟に前を向く。

「…………お前は、できない、から」

 射的用のピストルとは言え、片手で撃つのは少女には難しい。そこそこ重量もあり、華奢な身体では反動もあるだろう。──それを意識してくれたのか、本来の構え方を教えてくれたようだ。
 するとベルゼブモンは、普段使っているショットガンを一丁、ホルダーから取り出した。カノンの両手を取り、太いグリップを握らせる。

「……この、部分は……ここに合わせて……この指は、ここに。手を、押さえて……」
「……えっと……」
「隙間を、空けないように。この指は……」

 銃を扱う者だからか、ベルゼブモンはやたらと丁寧に、自身の銃の構え方をカノンに教えた。心なしか口数がいつもより多い。

「──そのまま、撃て」
「……いいの? 本物でしょう?」
「ああ」

 ベルゼブモンはカノンの両耳を押さえる。少女は緊張し、戸惑いながらも──言われた通り引き金を引いた。

 聞き覚えのある大きな音。
 きっとこの銃声は、遊園地中に鳴り響いたことだろう。

 発砲した衝撃で、小さな体は大きく動いた。ベルゼブモンがそれを受け止める。
 射的とはまったく異なる実銃の感覚に、カノンは腰を抜かしそうになった。

「……っ」
「……どうだ」
「…………──す、凄かった……」
「……そうか」

 的には大きな穴が空いてしまった。壁を貫通し、小屋は少し明るくなっている。

「……ここは、狭い」
「……そうね」
「広い、場所はあるか」
「……そういえば、この先に、ウェスタンショーの広場があるって……」
「……なら、そこだ」

 ベルゼブモンはまだ、銃の撃ち方講座を続けるようだ。銃をホルダーへ戻すと、カノンが指差す方へと歩いて行ってしまった。

「……ベルゼブモン」

 もしかして、楽しんでいるのだろうか?
 ああ、それならよかった。先を行く男の背中を見つめ、カノンは微笑む。

 ──しかし先程の発砲で、遊園地を更に壊してしまった。
 カノンは罪悪感を胸に、壁に空いた穴を覗く。

「…………あれ?」

 穴の向こうに何かが見える。
 ぬいぐるみ……いや、着ぐるみだろうか。床に倒れているのか、その足先が見えた。
 カノンは小屋を出て、裏側へと回る。

「……」

 陽の当たらない場所に、見覚えのある着ぐるみが脱ぎ捨てられていた。
 ……そうだ、遊園地の看板に描かれていた、黄色いクマのマスコットキャラクターだ。
 せめてこんな場所で脱ぎ捨てないで、倉庫にでも仕舞えばいいのに。ファスナーも全開で、これでは夢がない。そう思いながらカノンは近付いて────

「────そうだ」

 思い出す。

「……ここは……デジモンの、遊園地……」

 ああ、ああ、もしかしてこれは。目の前に倒れたこれは。
 着ぐるみじゃない。腹部を裂かれた、クマの着ぐるみのような外見の────デジモンだ。

「……」

 腹部の傷。
 いくつもの穴が連なって、裂かれたような巨大な傷となっている。
 ……何故、こんなに近くにいたのに、ベルゼブモンは気付かなかったのだろう。
 愛くるしいマスコットの致命傷から溢れる粒子。それはこのデジモンが、もうじき消えてしまうことを物語っていた。

 あやふやな状態だったから、気付けなかったのだろうか。海に揺蕩う透明なクラゲと同じ。すぐに見つけられはしない。

「────お、きゃく、さん」

 着ぐるみの口から声が漏れた。

「……」
「ゆう、えん、ち……たのしい、ですか」

 たどたどしく、絞り出された声で、問われる。

「お……おきゃく、さん……。……」
「──楽しいわ」

 しっかりと聞こえるように、カノンは、大きな声で伝えた。

「とても、楽しい……」
「……。……よ、か、った。……ご、ごゆ、っくり……」

 着ぐるみの腹部から下が消えた。
 残された上半身。震えながら手を挙げて──大きなハートの形をした、しゃぼん玉のようなものを飛ばしてくれた。

「あ、りが、とう」

 ハートの泡は濁った空へと昇っていく。
 それを見上げて────気付いた時にはもう、クマの着ぐるみの姿は無かった。

 朽ちた遊園地でひとり、誰かが来るのを待っていたのだろう。

「…………」  

 ハートのしゃぼん玉も消えてしまった。
 周囲にはただ、大道具の残骸が広がるだけだった。

 カノンはその場に立ち尽くした。そして

「…………このデジモン、誰に襲われたの」

 気付く。

 腹部に空いた連なる穴。
 ベルゼブモンの銃では、こうはならない。何度も側で見てきたから知っている。
 なら、この銃痕は────

「……っ」

 他に誰かいる。

 誰かがいる!

「……ベルゼブモン…………ベルゼブモン!」

 声を上げ、カノンは走った。ベルゼブモンが向かった広場を目指す。鼓動がみるみる速くなる。
 程無くして、求めていた黒い背中を見つけた。

「! ベルゼブモン……!」

 ああ、よかった。すぐに会えた。さっきの事を早く伝えないと──

「来るな!!」

 振り向かぬまま、突然ベルゼブモンが声を上げた。
 滅多に出さない男の大声に、カノンは思わず足を止める。

「……来るな……!」

 男は再び叫んだ。どうしてそんな事を言われたのか、分からず混乱する。
 けれど、すぐに──理解した。ベルゼブモンが、誰かと対峙している事に。


「────嬉しいな。観客がいるとは」


 穏やかな、男の声。

「実に、良い舞台だ」

 黒い背中の向こう側────少女は、風に揺れる銀色の髪を見る。


 そこは西部劇を模した広場(ステージ)

 ベルゼブモンは牙を剥き、ショットガンを構える。
 アスタモンは笑顔を浮かべ、マシンガンを構えた。



◆  ◆  ◆



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