◆  ◆  ◆




「偶然だったんだ」

 アスタモンは語る。

「偶然、私もこの場所で遊んで(・・・)いたんだ。もう帰ろうかという所で……とても良い銃声を聞いてね。慌てて戻って、君を探した」

 嬉しそうな男の姿に、カノンはただ驚愕していた。

 あの男はデジモンだ。ベルゼブモンと同様に、大男の姿を模した。
 意識も言語も明瞭で、自分達を目にしても無心に襲いかかる事なく──彼は会話を交えようとしている。

 こんな事は初めてだ。
 あのベルゼブモンが、デジモンを前にすれば、真っ先に銃を放つベルゼブモンが──相手を牽制しようとしている。その事も。
 出会ったデジモンがベルゼブモンを前に悠々と構え、語りかけている。その事も。

 そして、マシンガンの銃口を見て少女は察した。────ああ、あの着ぐるみの腹部の穴は、きっと

「驚かせてすまなかった。でも、気配を出しては気付かれてしまうだろう? どうしても会ってみたかったから、頑張って静かに行動したんだ。どうだろう、私はうまく隠れられていたかな」

 アスタモンの仕草や口調は実に穏やかで、友好的にさえ思える。しかし構えられたマシンガンが、現実はそうでないのだと物語った。

「……トリガーを引こうとしないな。なら少し話をしよう。せっかくだから。
 そうだね。例えばそちらのお嬢さんについて聞いてみようか。人間を見るのは初めてなんだ」
「────ッ!!」

 ベルゼブモンの顔色が変わる。アスタモンはその変化に驚いて──ベルゼブモンと少女を交互に見比べ、「なるほど」と頷く。

「お嬢さん。どうやら彼は、君を巻き込みたくないらしい」

 声をかけられ、カノンは大きく身を震わせた。

「確かに、オーロサルモンの流れ弾でも当たろうものなら……きっと君の身体はズタズタになってしまう。……うん。つまり君がそこにいると、彼は戦えないわけだ。
 待っててあげるから、あの場所に逃げるといい。もしくはこの場を去るといい。そこにいるよりは、ずっと安全だろうから」

 アスタモンは笑顔で、片手を観客席に向け少女を誘う。

 ……カノンには、男の言動の一切が理解できなかった。
 突如として現れたこの男──あの小屋で自分達が放った銃声を聞いて来たのだろう──は、ベルゼブモンと戦おうとしている。
 だが、何故? 自分をわざわざ逃がそうとする行為も、ベルゼブモンとそうまでして戦おうとする意思も──その理由がわからない。

 何故だろう。
 ……何故、あの着ぐるみのデジモンは、捕食されずに殺されたのだろう。

「……どうして」
「ん?」
「どうして、そこまでして」

 言葉を絞り出す。

「……あなたは……食べる為に、デジモンを……殺すわけじゃ……」
「食べる? ……ああ、ロードのことだね。確かに我々デジモンは、相手のデータを食らう事で強くなれる。……うん。弱肉強食はこの世界の根底にある、実にシンプルで平等で、美しい法則だ」

 優しい声が、とても、怖かった。 

「生きるという事はそもそも、他者の命を奪うという事に他ならない。つまり私の言動は、それを逸脱しているのではと疑っているんだね。
 その通りだ。……でも、それだけではないんだよ。お嬢さん。君の相棒は食いしん坊なのかもしれないが、私はそこまで大食らいじゃない。私が容易く勝ってしまうような相手なら、それはロードするにも値しない。
 我々のように力を持ったデジモンはね、結局……闘っていなければ、まともに生きていけないんだよ。……だから、許して欲しい。あの銃声があまりにも素晴らしかったから……私はもう、私が生きる為に引き下がるわけにはいかない。強いて言えば────私の矜持を守る為に、私は心から、彼に決闘を求めている」
「……っ」

 なんて、理不尽な理由。
 怖くて、恐くて、少女は泣いてしまいそうだった。

「……そんな理由で……ベルゼブモンを……。……あのデジモンを、殺したのも」
「そうか。そこの君は『ベルゼブモン』というのか。
 初めましてベルゼブモン。私の名前はアスタモンだ。短い間になるが──」
「────その、名前は」

 ベルゼブモンは、トリガーに指をかけた。

「お前が……呼ぶものじゃない……!」

 表情は怒りに満ちていた。────だが、まだ弾丸を撃たない。

「……もう少しか。難しいな。……すまない。こういうのは趣味じゃないんだけど……君が戦えるように条件を出そう。
 勝手で申し訳ないね。けれど思った以上に君が、私と戦おうとしてくれないから」

 調子を狂わされたといった表情で、アスタモンは頬を掻いた。

「君が私を殺しにかからなければ、私は君が守ろうとしているお嬢さんを殺す。
 君が私を殺しにかかれば、私はお嬢さんに手を出さないと約束しよう。
 けれど途中で彼女と逃げ出すのは駄目だ。その場合は申し訳ないが、お嬢さんを手にかけることになる」

 アスタモンはひどく身勝手な条件を突き付けてきた。

「君が勝てばハッピーエンドだ。けれどもし、きちんと殺し合った末に君が命を落としたなら……私は君が、この身勝手で理不尽な我儘に付き合ってくれた事に感謝し、君に代わってそのお嬢さんを引き取ろう。そうすれば、君も安心できるだろう?」
「……あなた、何を言ってるの……」
「お嬢さんも安心だろう。どっちに転んでも、二人のうちの強い方が君の側に付くのだから。それに私も────」

 突然、この男は何を言い出すのだろう。
 言葉を詰まらせるカノンに、アスタモンは微笑んだ。

「人間に隠された回路が……我々デジモンに何をもたらしてくれるのか。興味がないわけでは、ないからね」

 ────ああ。

 このデジモンは、人間の価値を知っている。
 私が何よりも、出会いたくなかった────


「────ダブルインパクト!!」


 トリガーは引かれた。
 ベルゼブモンの銀の銃から、衝撃と共に銃弾が放たれた。

 予告なしの高速の銃弾。西部劇ならばブーイング必至の先手攻撃。
 しかし、アスタモンは既の所でそれを躱す。
 僅かに弾が掠った獣のマスク、その一部が消し飛んだ。

「始めていいのかい? まだお嬢さんが逃げ切ってないのに」
「カノン!」

 アスタモンは優雅にマシンガンを構える。金属音が小さく聞こえた。

「カノン、走れ……!」

 その言葉にカノンは駆け出した。広場の階段を駆け上がり、フィールドから離れていく。
 ベルゼブモンは少女と逆の方向へと走る。 
 同時に、アスタモンのマシンガンが放たれた。フルサイズの小銃弾が断続的にベルゼブモンを襲う。
 ベルゼブモンは、今までの彼からは想像できない速さで走り抜ける。──カノンとの旅で、そこまでの回復を見せていたのだ。

 だが──足りない。彼の肉体は完治していないのだ。加えて種族としての身体能力は、本来のそれよりも劣っている。

「ぐッ……!」

 マシンガンの銃弾から逃げ切れない。
 ベルゼブモンの尾を、小銃弾が抉っていく。

「どうしたんだ。見た目より動きが遅いんじゃないか?」
「……ッ! ァアア!!」

 それでもベルゼブモンは足を止めず、二丁の銃を構えて放つ。マシンガンにも劣らぬ速さで連射していく。
 壁が砕け、地面が吹き飛ぶ。アスタモンはショットガンの弾を回避する。

 ──迎撃する。
 銀の男が駆け抜けた跡を、散乱する薬莢が標していく。

 黒い男は咄嗟に、広場の小屋に潜り込む。
 ショー用にセットされた木造の小屋だ。駆け込むとそのまま、バーカウンターの後ろに隠れた。
 マシンガンは外から無差別に小屋を撃ち抜く。
 発射時の衝撃で巻き上がる土埃が、硝煙と混ざって周囲の視界を濁らせた。

 アスタモンは、煙の中で動いた影を撃ち抜く。

「!」

 ──砕け散ったのはベルゼブモンの肉ではなく、彼が放り投げた木材。
 照準がベルゼブモンから離れた。即座にショットガンが放たれる。アスタモンの赤いストールが千切れて飛んだ。

「……ああ!」

 アスタモンは笑う。 
 
「見ているかお嬢さん! 君の相棒はなかなかに手強い!」

 観客席。少女は羅列した椅子の下に隠れながら──男達の銃撃を目に焼き付ける。

「カノンを!」

 ベルゼブモンが声を上げて飛び出した。

「見るな!!」

 姿を見せた黒い男に、マシンガンの照準を合わせられた。

 銃弾の雨が降る。
 駆け抜ける。──躱しきれない。銃弾はベルゼブモンの外腿を抉り、そのまま地面を吹き飛ばした。

「……っ! ベルゼブモン!!」

 悲鳴が上がる。赤黒い液体が弾道を彩る。
 ベルゼブモンの動きが止まる。────だが、すぐに走り出した。アスタモンに向かって。

 血液を飛び散らせながら、ベルゼブモンは大地を蹴り壁を駆け上がる。
 不規則な動きを繰り返し、マシンガンの照準を定めさせない。その勢いのまま距離を少しずつ詰め、トリガーを引き────今度はアスタモンの片腕を吹き飛ばした。

「……ッ!! 嗚呼──」
「お前に……!」
「──素晴らしい……!」

 肘から先を失ったアスタモンは、残された片手でマシンガンを構え直す。

「渡さない……ッ!」
「君は、あのお嬢さんを随分と……それだけ大事なら余計に、君は勝たなければならないよ!」

 もはや定まらない照準。無差別に繰り出される小銃弾。

 ベルゼブモンの肩が撃たれた。
 だが、腕は繋がっていると言わんばかりに──彼は銃を放ち続ける。
 射撃の反動の度に、肩の穴から血液が噴き出した。


 硝煙のにおい、土のにおい、錆びた金属のような血液のにおいが、風に乗って広場に満ちていく。
 カノンは両手で口元を強く抑え、嗚咽を漏らしながら泣いていた。



◆  ◆  ◆



「────不思議だ! 君の血はやたらと黒い!」

 アスタモンは駆ける。
 
「私は似たものを見たことがある!」

 血と薬莢を飛び散らせながら、マシンガンを乱射しながら。

「美しかったとも。その黒い液体は、私にまた夢を見させてくれた! 浴びるのだけは願い下げだがね!」
「黙れ……ッ」
「そして私の夢は、願いは! きっと君が叶えてくれる! 出会えた事を神に感謝しなくては!」
「黙れ!!」
「そう言ってくれるな! 私は今とても楽しいんだ!」
「……『たのしい』……」


 ────“ ベルゼブモン、楽しい? ”────。


「……違う……」

 否定する。
 その言葉に例えられるのは、決してこの状況ではない。

 ベルゼブモンは銃弾を浴び、そして彼もまたアスタモンに銃弾を浴びせる。
 周囲は硝煙にまみれ澱んでいく。
 自身の血液でグリップが滑りそうになる。

 気付けば、ベルゼブモンは仮面の一部が破壊され、頭部からも酷く出血していた。
 気付けば、アスタモンの脇腹を銃弾が貫通し、青いスーツが赤く染まっていた。

 それでもアスタモンは笑顔だった。

「────」

 ────我ながら、狂ってしまっているのかと思う。

 わざわざ相手を煽って、殺し合いを仕掛けて。
 自分はこんなにもボロボロになっているのに、機関銃(オーロサルモン)の銃弾に備わった追尾機能だって、頑なに使おうとしない。
 もっと早く勝つ方法はあるのだ。でも、それはやらない。どうして自分はそこまでするのだろう。

 答えは明白だ。
 だって、すぐに勝負が決まってしまってはつまらないだろう?
 純粋なただの銃弾で、撃ち合った方が楽しいだろう?

 全ては鮮やかな戦いの為に。

「────ああ」

 楽しい。

「ははっ……はははッ!」

 楽しい!

 命を懸けた銃撃が!
 巻き上がる土煙が、迸る硝煙の香りが!
 弾丸がすり抜ける感覚が!
 肉を抉られる痛みが!

 私は楽しい!!

「見ていてくれお嬢さん! 見届けてくれ! 私達が生きる姿を!!」

 それもこんな大舞台で、観客まで付いているとは!

 ────嗚呼、私はこの為に、この瞬間の為に。
 生き延びて来た。全てを見捨て、裏切って、それでも命は終わらずに────この瞬間、自分という存在が、『美しい光景』の中に在ることが赦された。

 なんたる幸運。
 この退廃した世界で。色褪せてしまった私達の世界(デジタルワールド)で────


「今、此処で……私達の命は輝いている……!!」


 ──銀の男の小銃弾が、ベルゼブモンの手からショットガンを撃ち落とした。
 ショットガンは吹き飛ばされ、観客席の椅子に激突する。プラスチック製の椅子は粉々に砕け散った。

 銃は破壊さえされなかったものの────ベルゼブモンに、それ拾いに行く余裕はない。

 ベルゼブモンは一方の手にショットガンを、もう一方の手に、鋭い鉤爪を構えた。
 ……鉤爪など、ショットガンの代用にならないどころか、接近戦でなければ役立たない。そんなことは理解しつつも、彼に残された攻撃の手段は限られる。

 しかし互いに肉体は損傷している。良くも悪くも、最初の様に素早く動くことはできないだろう。

 ベルゼブモンは駆ける。少しでも距離を詰めようとする。
 アスタモンは距離を離そうとする。弾薬の限りを尽くす勢いで、ベルゼブモンに銃弾を放ち続ける。

 だが、片手でのマシンガンの使用は──やはり照準が定まらない。
 銃弾はベルゼブモンから外れ、側のコンクリートを砕くだけ。その隙にベルゼブモンは、一気にアスタモンとの距離を縮めていく。

 あと少し。もう少しで────。

「! ぐッ……」

 ショットガンを構える手首を銃弾が貫いた。ふわりと手が浮くような感覚────しかしまだ手首は繋がっていると認識できる。
 ベルゼブモンはその手を振り下ろす。アスタモン目掛けてショットガンを投げつけたのだ。アスタモンは咄嗟に避けようとして────その瞬間、

「ダークネスクロウ……ッ!」

 黒い鉤爪が、アスタモンの肉体に届いた。

 炎のような軌跡と共に、アスタモンの胸部が切り裂かれる。
 鮮紅色の血液が宙に舞う。
 しかし同時に、マシンガンの銃口がベルゼブモンの腹部に当てられる。

 そして

「────ヘル、ファイア!!!」

 大量の銃弾が、ベルゼブモンの腹部を吹き飛ばした。


 少女の悲鳴が響く。
 ベルゼブモンの身体から、瞬く間に力が抜けていく。
 それでも目を見開く。カノンの姿を探して────だが、見つけることはできなかった。

 黒い男は、音を立ててその場に倒れた。



◆  ◆  ◆



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