◆  ◆  ◆




 白い扉の向こうには、同じく白で統一された空間が広がっていた。

 緩やかなカーブを描く円の廊下。ガラスの壁の向こう側に、同様の白い廊下が続いている。
 建物の中央部は、底の見えない吹き抜け構造だ。クレニアムモンは此処を「塔」と称していたが──確かに高い建造物なのだろうと、カノンは思う。

 天井は無く、見上げれば円形の空が広がっていた。この世界に来て初めて見た青空だった。
 目の前に広がる白と青のコントラストは、ヨーロッパの海辺の街を思わせる。……だが、美しいというよりは────どこか寂しくて、不思議と僅かな恐怖を抱いた。

 廊下を進んでみる。クレニアムモンのサイズで作られている為か、やけに広く感じる。
 他に部屋は見当たらない。同じような景色がずっと続くせいで、自分が何処にいるのかわからなくなる。きちんと部屋まで戻れるか、カノンは不安を抱き始めた。

 ふと、クレニアムモンの言葉を思い出す。“私か同志”────つまりこの場所には、彼と同様のデジモンが複数存在するという事だ。恥ずかしい話だが、出会えたら部屋までの道を聞かなくては。

 ガラスの向かい側を眺める。別の階層の通路には、所々が崩れている箇所が見受けられた。

 やがて、廊の先にエレベーターのようなものを見つけた。
 目の前に立って、見上げる。乗るべきか、乗らざるべきか。……今までであれば、不用意に乗らずに引き返しただろう。

「……」

 だが今は、興味本位で手が伸びてしまう。
 この世界に来て、旅をして──培われてしまった冒険心が、蝋燭の炎のように灯って揺れた。

 きっとベルゼブモンとの旅のせいだわ。なんて思いながら、カノンはエレベーターの中へと乗り込む。
 自動で扉が閉まった。ボタンを押していないのに、エレベーターは動き出す。上下には移動せず、建物内の空間をワープして────少女を別の階層へと連れて行く。



◆  ◆  ◆



 軽快なベルの音と共に、エレベーターの扉が開いた。

 薄暗い灰色の空間が出迎える。他の場所と同様、無機質な部屋だ。
 恐る恐る降りると、エレベーターの扉が閉まった。

「……」

 部屋にはスチール製のデスクが数台、置かれていた。
 デスクの上にはたくさんの紙が散乱していた。そこに記されている言語は、前に見た手記と同様のものだ。カノンには読むことができない。……だが、資料のいくつかに、人間の肉体の図が描かれている。それは理解することができた。一体、何に使う資料なのだろう。

 顔を上げると、奥の壁に扉があることに気付く。──金属製のスイングドアだ。向こう側の光が、窓から薄暗い空間に漏れていた。
 窓に顔を近付けてみた。曇ったアクリル越しではよく見えず、思わずドアに手を触れる。
 ……すると、ドアは静かに開いてしまった。開いた隙間から光が溢れた。中から音は聞こえなかった。

 誰もいないのだろうか。カノンはそっと顔を覗かせる。
 少しだけ明るい部屋。その中央には白い何かが積まれていて、小さな山を成していた。

「────え?」

 目を凝らしたカノンは、思わず声を上げる。
 積まれている白い何かが────人間の形を、していたからだ。

「……っ」

 自身の胃液が喉元までせり上がる感覚。カノンは慌てて後ずさり、扉から離れようとして────しかし、先程の“山”に僅かな違和感を覚えた。

 積まれた『何か』を見つめる。その皮膚はやたらと白く、陶器の様であった。顔の造りはどれも異なるが、皆、安らかに眠るような表情だ。

 積まれた彼らを、まるで人形の様だと思った。
 カノンは部屋に入り、恐る恐る人形の山に近付く。
 彼らを間近で見た。肌や毛髪の質感は、やはり作り物のそれだと感じる。

 思わず触れようとした、その時。

「────誰ですか」

 突如聞こえた第三者の声に、カノンは跳ねるように手を離した。

「そこに、いるのは」

 声は、人形の山の向こうから聞こえてきた。

「……」

 カノンは、足音をなるべく立てないように──そんな行為がデジモン相手に意味があるのかはさて置き──人形の山を回り、その物陰から奥を見渡した。
 そこには小さなデスクがあった。周囲にはいくつものディスプレイが浮かんでいる。

 そして────黄金の鎧を纏ったデジモンが、こちらに背を向けて座っていた。

「…………クレニアムモン? また人間を、連れてきたのですか」

 黄金のデジモンは、背を向けたまま呼び掛ける。
 カノンは声を出せなかった。しばらくしても返事がないことを疑問に思ったのか──そのデジモンは体を椅子ごとこちらに向ける。

 すると、黄金のデジモンは目を丸くした。そこにいた人物が、自身の予想と異なっていたからだ。

「人間ではないですか」
「……あ、あの」
「此処までひとりで?」
「…………」

 カノンは頷く。黄金のデジモンは「そうですか」と言って、青い手を差し伸べた。

「どうぞ、こちらへ」

 今度はカノンが目を丸くした。黄金のデジモンは、少女が部屋に勝手に入った事について、咎めるどころか気にも留めていない様子だ。

「来たばかり、なのでしょう。回路を計測しますので」

 カノンは目の前のデジモンの言動に混乱する。……だが、敵意は無いように思えた。
 言われるがままに側まで行くと、座るよう促される。黄金のデジモンは手際よく、計測器具のようなものを少女の手首に巻き付けていく。

「…………あなたの名前は?」

 カノンが問うと、黄金のデジモンは視線を一度だけこちらに向けた。

「覚えていただく、必要は無いのですが」

 空中ディスプレイに映し出される、少女には到底理解できないデータを見つめながら──黄金のデジモンは名乗る。

「小生の名称はマグナモンと」

 マグナモンに対し、少女も名乗る。マグナモンは「よろしく」と答えたが、視線は画面に向けられたままだった。

「……あなたは、クレニアムモンの……」
「ええ。大切な盟友です」
「この塔のデジモンは皆、鎧みたいな服を着てるのね」
「そうですね。小生らは……騎士として、デザインされていますから」

 そして、カノンの何かを示す数値に目を見張る。

「…………。これは、素晴らしい」

 マグナモンは、ようやくカノンの顔を見た。

「ああ、そういえば……奇跡のような回路を、見つけたと言っていましたね。彼は……」
「……そう」

 クレニアムモンも言っていた、自分の中に在る『回路』という何か。……褒められるのは嬉しいが、いまいち、回路というものへの実感が湧かない。
 
「もしも貴女にパートナーがいたなら……きっと幸せだったでしょう。こんなに素敵な回路と、繋がる事が出来るなんて」
「……」

 幸せ。
 そんな言葉は、久しぶりに聞いた気がした。

 回路が繋がる。それがどういう事かはわからない。
 だが、それで彼は幸せだったのか。そんなことで、幸せになれたのだろうか。

 ────もし、本当に幸せだったのなら。彼はあんなに苦しんで、デジモンを食べたりなんてしていなかったわ。

「……」

 それをわざわざ、目の前のマグナモンに言うつもりもないけれど。

「……私の……人間の回路は、何に使われるの?」
「それは……。まだ説明を、受けていませんね?」

 こくりと頷く。

「では、丁度良いので……見た方が、理解も早いと思いますから」

 マグナモンは少しだけ椅子を回転させ、人形の山を指差した。

「これらは、義体です。人間の形に作った」
「……本物の人間みたいだわ」
「組み立てた身としては、嬉しい言葉です」
「顔が皆、違うのね」
「ベースとなる子供達がいますので」

 顔の造形が異なるのはその為だと、マグナモンは言う。

「……あなた達が、今まで連れてきた子達?」
「ええ。そして……この義体達に、移植をしています。人間の、彼らの回路を」

 それを聞いたカノンの背筋が凍りつく。しかしマグナモンは「心配ありません」と少女を宥めた。

「わざわざ移植をするのは……回路の“接続”による、肉体への負担が大きすぎるからです。だから摘出して、肉体から離さねばならなかった。
 ……昔はたくさん、死なせてしまいました」

 義体の山を見つめるマグナモンの横顔は、後悔の念で歪んでいた。

「だからこそ、今度こそは……と。研究を続けてきた。彼らの肉体に負担をかけぬよう」

 マグナモンはディスプレイのひとつに、別の部屋の様子を映し出す。
 広い病室のような部屋には、人形と同じ顔をした子供達がいた。皆、並べられたベッドの上で眠っていた。

「全員、生きています。まだ意識はありませんが……元の世界に帰って、年月を経れば戻ります。回路を抜いた影響も」
「……」
「ここはデジタルワールドなので」

 画面が消える。

「リアルワールドのような、外科的処置はしません。肉体を一度デジタル化してから、回路のみ摘出するのです」

 本来、人間とデジモンは異なる世界で生きる存在。環境が異なる以上、本来であれば肉体のまま生存する事はできない。
 例えばデジモンであれば、リアライズゲートを通過する際、肉体へ過大な負荷がかかる。それを放置すればデジコアへの損傷へと繋がり────やがて飛散する。
 人間も同様だ。しかし水と細胞、血と肉で構成された人間は突然に飛散することはない。異世界で及ぼされた身体の影響は、リアルワールドに帰還すると同時に発現するのだという。

「繋がりは運命の糸。巡り逢った肉体はその状態を共鳴し合う。そうする事でデジモンも、人間も、互いに異なる世界で生存する術を得るのです。 
 しかし人間の肉体を、デジタルワールドの手段で処置する行為は……あまりに大きすぎる干渉は……この世界に長期存在する以上に、肉体へ負荷をかけるリスクが高い」
「…………そう」

 随分と物騒な話だ。そうカノンは思う。
 だが、不思議と彼の話は納得できた。負担の少ない状態で処置を施した方が、確かに結果的なリスクは減らせるだろう。

「人間の回路は、デジモンを強化、改変する奇跡を起こします。それはきっと…… 我らが世界 デジタルワールド そのものに対しても、例外ではない」
「あなたも、随分と壮大な話をするのね」
「そうですね。規模が大きすぎる程、実感は湧かなくなるものです」
「そんなに大層な事を成すなら、もっとたくさん人間が必要でしょう。この人形達の分だけじゃ、きっと足りないわ。……私ひとりが加わった所で、意味があると思えないけれど」
「多いに越した事はないのですが、しかし質もまた重要ですので」

 それに、と。マグナモンは付け加える。

「そう……ひとつ、思い違いをされているでしょう。小生の説明不足に因るものです。
 貴女は人間の回路を……たくさんの人形を経由して、世界中あらゆる場所に接続すると思っているかもしれない。しかしそうではない。接続はあくまで、ある一ヶ所に限局して行います」

 ディスプレイが浮かぶ空間に手を向け、ページをめくるように動かした。ディスプレイは一斉に流れて消えていく。

「全ては、清らかなる此の場所で」

 そして、ひとつの大きな画面だけが、二人の前に映し出された。
 そこには──とある部屋の様子が映し出されていた。

「────」

 神秘的で美しい、純白の空間。
 ドレープを描いた半透明の布が、天井からいくつも垂れ下がっている。

 カノンは思わず見惚れた。あの布の向こうには、誰がいるのだろう。

「この場所には……我らが仕える、君主たる方がいらっしゃいます」
「……お姫様?」
「……騎士と姫、ですか。その発想は、悪くないですね」

 マグナモンは少しだけ微笑んで、カノンの予想を評価する。

「仕え、守ると言うのなら、確かにその例えも頷ける。しかし姫君には少しだけ荷が重いかもしれません」

 そして、敬愛の眼差しで画面を見上げた。

「偉大なる我らが主は……このデジタルワールドなる世界を創造し、維持し……我々デジタルモンスターという生命を、見守る存在です」

 ──その言葉で例えられる存在を、何と呼ぶのか。カノンはそれを知っていた。
 映された部屋を見つめる。天蓋のベールは、穏やかに揺れていた。



◆  ◆  ◆


 → Next Story