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 目の前に広がるたくさんの道の中から、ひとつを選び進んでいく。
 辿る道が正解なのか、それは誰も教えてくれない。
 それでも────選ばなくてはいけなかったかから。ただ、そうするしかなかっただけの事だ。

 幾つもの思いを胸に、前へ進む。
 それぞれの旅路。それは命の岐路。





*The End of Prayers*

第二十五話
「クロスロード」






◆  ◆  ◆



 モニター越しに見るデジタルワールドは、今日も曇り。

 デジモンの反応は無い。柚子は椅子の上で体育座りをしながら、友人達の旅路をぼんやりと眺める。
 常に動き続ける使い魔の視界。初めは見ていて酔いそうになったが、今ではもうすっかり慣れた。
 モニターに表示されるデータの意味も、ウィッチモン達が使う文字の読み方も、理解できるようになっていた。
 使い魔だって操作できるようになった。たくさんの事が出来るようになったのだ。

 それは、とても嬉しい。
 安全な部屋から見守るだけの自分が、きちんと力になれている気がして嬉しかった。
 ────その筈なのに。

「柚子ちゃん元気なくない? だいじょぶ?」
「……そんなことないですよ。そう見えます?」
「うーん、なんとなく? 第六感がちょっとね」

 柚子は苦笑して、「目が疲れちゃって」と答える。眼鏡を外して、目元をそっと押さえてみせた。

 ああ、まただ。また心配をかけてしまった。
 どうしてこうなっちゃうんだろう。みちるさんみたいに、いつだって元気でありたかった。素振りだけでもそう見せたかったのに。

「……ユズコ」

 元気をなくしているパートナーへ、ウィッチモンは気まずそうに声を掛ける。
 柚子は目元から指を離し、無理矢理に笑顔を作ってみせた。

「あ、後で蒸しタオルでも当てようかな……!」

 いつもより高めの声で、みちるの口調を少し意識してみる。ウィッチモンは苦い顔をしていた。どうやら失敗に終わったようだ。

「……」

 ────未だ発見されていない子供達の存在を知ってから、どうにも気分が落ち着かない。

 ウィッチモンはずっと知っていた。恐らく、みちるとワトソンも。こんなにも狭い部屋の中、自分だけが知らされていなかったのだ。
 それが悲しかった。悔しかった。その選択をした彼女らの事情を理解した上で、それでも「どうして教えてくれなかったんだろう」という気持ちが拭えない。

 ……そう、理解しているのだ。ウィッチモンが言っていた通り、知れば自分は仲間達に伝えただろう。助けに行かなければと声を上げただろう。
 そして現に、ウィッチモンが危惧したことが────今、目の前で行われている。仲間達は取り残された子供達を救う為、再びフェレスモンの城を目指し始めた。

「……ねえ、ユズコ。ワタクシは……」

 わかって、いるのに。
 そのもどかしさを、隠すことが出来ない自分が腹立たしい。

「ごめんなサイ。本当に。……貴女に、皆に隠シテきてしまッタ事を。……ワタクシは貴女のパートナーなのに、貴女に……そんな顔をさせテ……」

 違う。そんな顔をさせているのは自分の方だ。困らせているのは、いつだって自分なのに。

「……大人になりたいなあ」
「え?」
「そうしたら……こんなに拗ねたりして、ウィッチモンを困らせることも無いのに」
「……」

 ウィッチモンは少しだけ悲しそうな顔をして、柚子の首元に下げられた紋章に触れる。

「……もし貴女が大人だッタら、こうしてパートナーになれていまセンでした。貴女が子供で良かッタと、ワタクシは思いマス」
「……それは、そうなんだけど。気持ちの問題。……私はすぐモヤモヤして……ウィッチモンや皆に励ましてもらって。……それが、情けなくて。
 私がもっと冷静で、もっと心が……考え方が大人だったらって、思っちゃうよ。そうしたらウィッチモンだってさ、残ってる子たちのこと、話してくれたでしょ?」
「それは……」
「……難しいなあ。頭では、わかってるのになあ」
「…………ユズコ」
「話に割り込んで悪いけど」

 俯く柚子をワトソンが覗き込む。柚子は驚いて声を上げた。

「柚子ちゃん、それは大事な葛藤だよ。心が成長してる証だ。
 それに、そう思うのだって仕方ない。理想と想像と現実はなんて、いつだって噛み合わないんだから」
「…………そういう、ものですか」
「ウィッチモンがボクらにだけ話したのだって、単純な理由だよ。彼女はボクらが、嘘を吐いても顔色を変えないような奴だって気付いてたから」
「……そんな、ウィッチモンはきっと……」

 ワトソンは両手を上げて、「ごめんごめん」と真顔で謝る。

「つまり、キミ達はとっても良い子だってこと」
「……。……ええ、その通りデス。……」
「ごめんよー、悪気があって騙してたわけじゃないんだよう!」
「わ、わかりました。わかりましたから……ちょっと、服ひっぱるのやめてください。もー」
「へへっ!」

 二人のやり取りを眺めるワトソンと、ウィッチモンの目が合った。ウィッチモンは思わず顔を逸らす。

「────」

 それに気付いた柚子は一瞬、表情を曇らせる。
 ……どうしてだろう。最近なんだか、ウィッチモンと二人の間に距離を感じるのだ。



◆  ◆  ◆



『────それで、どうするのデスか?』

 灰色の大地を駆ける一行へ、ウィッチモンは溜め息混じりに尋ねた。

『正直、勝算なんて無いでショウに』

 未だ囚われている子供達を救う為。海を抜けた一行は、再びダークエリアを目指している。

「まあ、その通りだとは思うけどね」

 テイルモンがぶっきらぼうに答えた。

「いいじゃないの。どうせ何処に行くにしたって、ウチらがやることに変わりはないんだ」
「毒を焼いで、たぐさん綺麗にする。ぎぎっ。目的地があるのは、良いごどだよね」

 そう。果ての無い旅路を往くにあたり、途中で目的地を設ける事には意味が在る。見えないゴールを目指す不安を、僅かでも拭うことが出来るからだ。

「……勝ち目、本当にないの?」

 心配そうに見下ろす手鞠に、テイルモンは両手を上げてみせる。

「ないね。実力行使じゃ、あの側近にだって勝てやしない」
「で、でも……皆、成熟期に進化できたんだよ。あの時よりずっと……」
「強くは、なっただろうさ。このナイフともすっかりお友達だ。でもね手鞠。強くなったって、どうにもならない壁はあるんだよ」
「……そうなの?」
「そうさ。……この中じゃ多分、ガルルモンとファイラモンがツートップで強い。まあ四体しかいないけど。それで最後がウチだ。そのガルルモンですら、あの時……」
「────そうだね。僕は、フェレスモンの気配にさえ気付けなかった。あんなに近くまで来ていたのに」

 同じく成熟期であるブギーモンらは、フェレスモンとその側近に目の前で瞬殺された。フェレスモン達と自分達との戦力差は歴然だ。
 頼みの綱の聖要塞都市には、フェレスモン攻略に避ける人員など残されておらず──結局、ネプトゥーンモンの同行も叶わなかった。

 その現実は、デジモン達自身が誰より理解している。

「彼がまた気まぐれでも起こして、俺たちに子供たちを返してくれるなら……って思うけど」

 コロナモンが苦笑する。

「そんなにうまく運ぶことも無いだろうし。それに賭けるわけにもいかないからね」

 例えば世界が救われたなら、子供達は確実に用済みだ。返してもらえるだろう。しかし、いつ来るかもわからない救済を待ったとして──そこまで彼らが無事に生きている確証もない。どうあれ、救出するなら動くしかないのだ。

「やっぱりさ、オレたちでフェレスモンさんにお願いするしかないよ」

 子供達も、彼らなりに案を講じてみる。

「怖かったけど、ほんとめちゃくちゃ怖かったけど、ちょっぴり優しいとこもあったじゃんか」
「……でもさ誠司。今いない皆をあの時、帰してあげなかったってことは……きっとフェレスモンが必要だから残したんだよ。多分、そいつらだけは返したくなかったんだ」
「……じゃあ、オレらへの優しさはカモフラージュだったの?」
「そこまでは、わからないけど……」
「そうだったら悲しいなあ」

 誠司は肩を落とした。

「でも、そうだよなあ。やっぱり正直に話してみるのは難しいのかなあ」

 それにフェレスモンは一度、自分達を見逃してくれた。その慈悲を反故にして「隠している子供達を返せ!」などと詰め寄った日には、絶対にいい顔をされないだろう。最悪、敵とみなされる。

 考えても糸口は見つからない。けれど立ち止まることもできない。

「……私は……誠司くんと同じ。やっぱりちゃんと頼むのが、一番いいんじゃないかと思う。でも……皆はどう思ってるの?」

 花那がパートナー達に問う。彼らが事態を楽観視していない事は、よく理解している。投げやりになって、自棄になって、彼らが何かを進めたことは無かった。
 それに────仲間を失い逃げ延びたコロナモンとガルルモンは、いつだって自分達の力不足を認識していて……そして誰より、仲間を再び失うことを恐れているのだ。だから今、彼らが全く考え無しに進んでいるとは思えない。

「そうだね。……僕らでは敵わない。でも、勝てないなら戦わなければいい。交渉の余地はまだある筈だ」

 ガルルモンの答えに、子供達はキョトンとする。

「ウィッチモン。君は以前フェレスモンに、仲間にならないかと誘われたね」
『…………ワタクシからも質問を。例えそれを実現したとして──その先に何を求めるのデス』
「ネプトゥーンモンが僕らに言ったことだよ」

 子供達の誘拐。フェレスモンの目的。そして────根源に在るであろう誰か。
 フェレスモンを倒したところで意味は無いのだ。かと言って彼を問い詰めたところで、その情報を聞き出せる筈もない。彼自身「同志以外には語れない」と言っていたのだから。

 だから──自分達が、彼の仲間になれば。立場は違えど、最低限の情報共有はされるだろう。

『……貴方は、それで良いのデスか?』
「……いいんだ。僕らも生きる為に、手段を選んでいられないから」
『しかし……』
「俺たちにできることは……ウィッチモン、あまりに限られてる。考えても正解がわからなくて、自由に何かを選べるほど強くない。だからこの世界で、いつだって誰かの言葉通りにしてきた。そうするしかなかった。……でも今度は、俺たちが決めるんだ」

 ネプトゥーンモンが示してくれた道。根源の存在。それを追えば、子供達を取り戻す手掛かりになると信じて。

 ────例え世界が救えなくとも。せめて、子供達だけは。
 そんな思いを、パートナーデジモン達は胸に抱いていた。



◆  ◆  ◆



 フェレスモンと手を組む。
 それはつまり、聖要塞都市を裏切るという事だ。

 要塞都市の目的は『世界の救済』であり、英雄達の偉業を模倣する事である。そこに、選ばれなかった子供達の救出は含まれていない。
 もっとも、「救出した子供達を天使達と契約させる」とでも言えば……交渉の余地もあるのかもしれない。しかしそれは同時に、救出した子供達を巻き込むという事でもある。彼らの安否も、肉体の状態もわからない以上、そんな約束を交わす事はできない。一行の誰も、それを望まない。

 しかし今、都市の援助を失えば、子供達が逃げ込み、安心して夜を越せる場所も失ってしまう。──少なくともダークエリアに到着するまでは、絶対に隠し通さねばならなかった。

「頼むからうっかり天使共に言わないでよ。バレた瞬間ウチが殺されそうだ。やっぱりフェレスモンの手先だったかーって」

 テイルモンは念入りに釘を刺した。
 そんな一行の意見を聞いて、ウィッチモンはしばらく考える。

『わかりまシタ。──とは言え、ダークエリアへ到着するにはかなりの時間が必要でショウけど。これ、数日どころの話では済みまセンよ』
「うわあ。ウチらが着く前にデジタルワールド無くなってんじゃないの?」
『やめてくだサイ、縁起でもない』

 そうは言いつつも、心の中では否定しきれないウィッチモンであった。

『……ひとまず、今後の活動報告は上手く偽造するとシテ……あとは、そうデスね。我々の位置情報を誤魔化しつつ、適度に迂回しながら向かわなければ……天使達に気付かれマスので。……それもワタクシの方で何とかしマス』
『ウィッちゃんすごーい! でも過労で死にそう! 大丈夫??』
『まさか』

 ウィッチモンは鼻で笑う。

『死にまセンよ。こんな程度で』

 現地で戦う仲間達の方が、命を落とす可能性が遥かに高いのだから。

「……まあ、そういう訳で、僕らはまた君の故郷に戻るんだけど────ブギーモン。
 どう思う? うまく彼と手を組めるかな」

 ──不意に、ガルルモンが亜空間のブギーモンに問い掛けた。
 日々の経過があっという間で──最後に彼の声を聞いたのは、いつだっただろうか。

「……あれ、ブギーモン?」

 返事は無い。当然だ。
 けれど彼らはまだ、ブギーモンの死を知らない。なるべく一行を動揺させまいと、ウィッチモンが伝えていなかったのだ。柚子にも口止めをしていた。

『……。……』
『────ブギーモンなら、起きてないよ』

 柚子は必死に、声が震えそうになるのを堪える。

「なんだ。寝てるのかい?」
『うん。最近はずっと』
「……彼の体に異変が?」
『多分ね。リアライズしたら、デジモンひとりじゃ生きていけないんでしょ? ……きっと、そういうことなんだよ』
「……」

 一行は言葉を失った。知らない間に、ブギーモンがそんな事になっていたなんて。

「……なら、彼が帰る為にも、デジタルワールドを何とかしないとね。『そんなんじゃお金持ちの子とパートナーになれないよ』って、伝えておいてくれ」
『────うん。わかった』

 柚子は、誰もいなくなった部屋の隅に目をやった。
 彼が死んでしまってからどれだけ経ったのか、思い出せなくて──それが悲しかった。

 こちらからの音声を切り、ウィッチモンが柚子の肩を抱く。

「……ワタクシが口止めシタばかりに、貴女まで」
「ううん。……死んじゃったより、生きてるって方が……皆の気持ち的にも良いかなって、私も思ったから』

 でも──ああ、自分も、嘘を吐くようになってしまった。
 誰かを想って吐いた嘘。その皮を纏ったエゴの塊。──“全てを語る事が愛とは限らない。” ──ネプトゥーンモンの言葉が、今も柚子の胸に刺さっている。
 それはきっと、ウィッチモンが自分に向けてくれていた愛だ。自分が仲間達にできる事もまた同様なのだと、柚子は思った。

 乾いた笑いを零す柚子に、ワトソンが声を掛ける。

「柚子ちゃん。ひとつ、大人になったね」



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