◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆





 星の数ほどの命の中。出逢えた事はきっと、ひとつの奇跡なのだろう。

 それが良いものであるか否か。どんな結果をもたらすのか。
 ────そんな事は、さて置いて。



*The End of Prayers*



第二十六話

「Hello,Hello,Hello」





◆  ◆  ◆



 迫り来る足音。地響き。空気を震わせる雄叫び。
 ダークティラノモンと呼ばれた個体は──子供達が知るところの“恐竜”と、非常によく似た姿をしていた。

「……すっげー……そーちゃん見てよアレ! ティラノサウルスだ!」

 恐竜好きの誠司は目を輝かせた。だが、蒼太は青ざめた顔で言い放つ。

「あんなティラノがいてたまるかよ! っていうかデカすぎない!?」

 悲しいかな、この遠目からでも分かってしまう体長の大きさ。今まで出会った生き物の中で最大だろう。
 そんな黒い巨体が、発達した腕と尾を振り回しながら驀進してくるのだ。デジモン達も流石に顔を引き攣らせている。

「……ウチ、踏み潰されないかなあ」

 テイルモンの心の声が漏れた。大きな溜め息を吐き、それでも気だるげにナイフを構える。

「あー、ちなみに作戦とかあんの?」
『腕と尾による攻撃は必ず回避を。あとは、これまで通りにお願いしマス』
「だってさ。じゃあユキアグモン、お先にどうぞ」
「頑張れユキアグモン!」
「ぐぎゃー!」

 ユキアグモンは気合十分に両手を上げ、誠司と叩き合う。デジヴァイスの画面から溢れた蒲公英色の光が、小さな体を包み込んだ。
 そのまま飛び降りる。光と共に着地する瞬間、ユキアグモンはシードラモンへと姿を変えていた。

「コロナモン、俺たちも!」
「ここからだけど、私たち一緒に頑張るから!」
「……ありがとう。行ってくる!」

 蒼太がデジヴァイスを掲げた。──紅色の光が放たれる。コロナモンは光に包まれ、ファイラモンとなり飛び上がった。

「……き、気を付けてね、テイルモン……!」

 手鞠の声に、テイルモンはナイフを掴んだ片手を挙げて答える。馬車から飛び降りた彼女を、ファイラモンが背に受け止めた。

 仲間を送り出した幌馬車は速度を変え、ダークティラノモンと一定の距離を保つように移動を続ける。
 離れすぎてはデジヴァイスが媒介としての役割を果たさず、接近しすぎれば巻き添えを喰らうからだ。

 故に、ガルルモン達は後方からの援護射撃を担う。子供達も拙いながら、与えられた武器を使用しフォローする。──しかし数に限りがある為、柚子達からの指示があるまでは使わず待機だ。子供達はデジヴァイスを握り締め、少しでもパートナーに力が及ぶよう祈った。

『対象、射程圏内に突入しマス。三、二……』

 そして────ダークティラノモンは、シードラモンが張り巡らせた氷の大地に踏み入った。

 摩擦を失った地面に足を滑らせ、割れた氷に足を取られ、巨体が横転する。
 その瞬間、先陣を切ったシードラモンが氷柱の矢を発射させた。

「アイスアロー!!」

 降り注ぐ氷柱の雨。しかし殆どが尾に振り払われ砕け散った。むなしく舞う氷片の中、今度は上空から火炎弾が抜けていく。

「ファイラボム!!」

 二発の火炎弾はダークティラノモンの顔面に直撃した。皮膚が焼け、黒い煙が立ち上る。
 ──ひどい臭いだ。間近で吸えば嘔吐しそうな、毒の焼ける臭い。眼球に染みて涙が出そうになる。
 かといって離れるわけにもいかない。煙が視界を遮る中、ファイラモンはそれでも接近し火炎弾を撃ち込んだ。……どこに命中したのかもわからない。ただ、煙幕の向こうに黒い影だけが浮かぶ。

 黒い影が揺れ、大きく動く。
 ファイラモンの存在を捉えると、彼の頭上めがけて腕を振り降ろした。

「! ──ッ!」
「アイスキャノン!!」

 刹那──馬車の方角から、ガルルモンによる氷の砲弾が放たれた。
 ダークティラノモンの肩に落下し、腕の照準が後方にずれる。ファイラモンはその隙に距離を取り回避した。

 強靭な腕、巨大な尾。圧倒的な重量とスピードを以て振るわれる物理攻撃。直撃すれば、たった一撃でも致命傷になりかねない。
 それは明確な脅威だった。同時に、真っ先に対処しなければならない部位でもある。

『──このままでは攻撃が深く入らない。やはり腕と尾から潰すしかないでショウ。
 ガルルモン、彼の気をできるだけ引き付けて下サイ。その隙に……』
「俺とテイルモンで腕を!」
「おれとウィッチモンで尻尾を切る!」

 氷弾が再びダークティラノモンを狙い撃つ。
 鈍い音、砕ける音。不愉快そうな叫び声。ぐるぐると激しく回る眼球は、狙撃位置を懸命に探しているようにも見えた。しかしダークティラノモンの照準が固定されないよう、ガルルモンもまた馬車を移動させていく。

『シードラモン。尾の先端、五メートル部位を凍結!』
「──コールドブレス!」

 使い魔の視界は、ダークティラノモンの尾に刻まれた僅かな破損を見逃さなかった。
 彼女はそれを、毒の腐食によるデータの欠落だと推測する。であれば、その腐食は周囲にも広がっている可能性もある。
 叩くべきはそこだろう。ウィッチモンの指示のもと、シードラモンによって破損部位が凍結された。

『『バルルーナゲイル!』』

 使い魔達の風の刃が巻き込み、チェーンソーのような音を立てて尾を切り刻んでいく。ダークティラノモンは抵抗してみせるが、彼の背後にぴたりとくっ付く使い魔達を振り払う事はできなかった。
 やがて凍結部は見事に砕かれ、巨大な尾は本体から切り離される。地面に落下すると、打ち上げられた魚のように大きく跳ねた。

『……成功デス。次は腕を!』

 ダークティラノモンはバランスを崩し、僅かに前のめりになっていた。
 何かに攻撃された、その認識はある様だ。しかし尾が切り落とされた事に気付いていない。────痛覚が無い以上、見えない場所は傷ついても認知できないのだろう。

『ガルルモンは彼の注意を正面に向かせ続けて。二人は静かに移動を』

 ファイラモンはテイルモンを乗せ、ダークティラノモンの背後へ飛び上がった。
 氷の砲弾が間近で砕けていく。ダークティラノモンは二人に気付かぬまま、その意識は氷弾のみに向けられていた。相変わらず。役立たずの眼球を回転させている。

「あの様子なら行けるんじゃないの?」
「……いいや」

 まだ早い、と。ファイラモンは息を潜め、彼の背後に滞空し続けた。
 完全に隙が出来るまで粘る。気付かれれば、テイルモン共々薙ぎ払われて終わりだ。

 ガルルモンの咆哮が上がる。三度、氷弾は連続してダークティラノモンの頭部に直撃した。ダークティラノモンもまた雄叫びを上げ、ようやく氷弾の狙撃位置を把握した。
 一歩前に踏み込む────背後への警戒がゼロになった瞬間、ファイラモンとテイルモンが飛び掛かった。

「ファイラクロー!!」

 炎の爪は首から肩、そして腕にかけて、汚染された肉を切り裂いていく。そのまま腕に喰らい付くと、今度は肘の部位に集中して爪と食い込ませた。
 しかし腕には元々のデータ破損もなく、骨を断ち切る事までは叶わない。……せめてもう一度、同じ場所を狙わなければ。
 体勢を立て直すファイラモンの下では、テイルモンがクロンデジゾイドのナイフで手首から先を切り付けていた。
 ダークティラノモンの巨体に対し、テイルモンはあまりに小さい。そんな彼女が短刀を振るったところで、その手を切り落とせるわけも無かった。

「ちっ……!」

 テイルモンは舌打ちしながら着地し、黒い巨体を見上げる。ナイフを握り直し、再び狙いを定めて──

「!?」

 自身がつけた傷口から、黒い血液が噴出するのを見た。

「────」


 毒に汚染された血液が、雨のようにテイルモンに降り注いでくる。
 ──ああ、この量の毒を浴びたら死ぬな。間違いなく。

 頭で判断できても、回避が間に合わない。まずい。
 視界が暗くなる。身体が────

「────……あれ?」

 ────数秒後。
 彼女は、未だ意識が存在していると自覚する。
 困惑しながら周囲に目をやった。自分のいる場所は確かに、黒い毒が飛散し汚染されていた。

 だが、生きている。

「……」

 自分だけ液体が付着していない。焼けずに、溶けずに残されていた。

「……水……?」

 そんな彼女の全身を覆う──やわらかな、水のベール。 「テイルモン!!」

 駆け寄ったファイラモンが、テイルモンを咥えて退避する。
 背によじ登ったテイルモンは、彼の全身も同様のベールで纏われている事に気が付いた。
 そして──大地で交戦するガルルモンとシードラモンにも。

「……ちょっと。ねえ、何が……」
「……ネプトゥーンモンだ。俺たちを助けてくれた……!」

 それは、ネプトゥーンモンが彼らに授けた加護。
 彼らを黒い毒から守る、聖なる水の結界だった。

「……なる程、随分と便利なものをくれたもんだね」
「ああ。これなら奴の血でまみれても死なない。首にしがみついたまま戦えばきっと……!」
「馬鹿言わないで。毒は防げても攻撃は防げないんだ。無暗に近付けば潰されるよ!」

 ダークティラノモンは全身を地面に打ち付け暴れていた。先程の攻撃で、どうやら尾を失ったことに気付いたようだ。
 不規則に暴れる今のダークティラノモンは、振り回される巨大な鈍器そのもの。狙いを定めた攻撃をされるより厄介な状態だ。気を引く事も出来ず、下手に接近すれば自殺行為となる。

 かと言って、ただ呆然と見ているわけにもいかない。ウィッチモンは頭を悩ませ、他に集中して狙えそうな場所を探していく。

『どこか、他に損傷部位は……』
『……だめ。さっきの尻尾の他は、どこも壊れてないみたい……!』
『地道に潰していくにも限度がありマス。今のうちに少しでも……せめて首元か胸にダメージを……!』


「 ぐ 」


 その時。
 どこからか、小さな唸り声が漏れた。

「 ぇ 」

 同時に、ダークティラノモンの動きが止まった。

『…………ウィッチモン。今のは?』
『────』

 突然の事態に、一行は思わず目を見張る。
 そのまま、黒い巨体はぴくりとも動かなくなった。隙だらけだ。しかし誰もが警戒して、手を出すことが出来なかった。

 それから一分ほどが経過した後。ダークティラノモンの頭部だけが、僅かに動く。

「 ぅ、ぉ え ぇえっ 」

 ──聞こえてきたのは嘔吐く音。
 巨大な喉元が大きく波打つ。口が開かれる。そして────鋭い牙の隙間から、大量の黒い液体が溢れ出る。

 黒い吐瀉物が荒野に広がる。
 周囲に、灯油を零したような臭いが漂った。
 ────自身が撒き散らしたそれを見て、ダークティラノモンは絶望する。

「! !! !!!! !!!!!!!」

 そして、絶叫した。音圧で空気が震える程だった。
 叫ぶ。叫ぶ。大切なものを目の前で失くしたかのように叫ぶ。唯一まともに動かせる片腕で、吐瀉物が広がる地面を抉っていく。

 けれどそんな行為が意味を成す訳もなく、ダークティラノモンもそれに気付いたのだろう。すると彼は────なんと、自らの腕に喰らい付いた。

 馬車から見ていた子供達は、何が起きたのか咄嗟に理解できなかった。しかし事態を認識できた途端、花那と手鞠が悲鳴を上げる。

 ダークティラノモンの濁った両目が、質量を減らしていく自身の腕を映していた。

「────も、っと────」

 吐き出した分を取り戻す為。
 喰わなければ。
 そう、喰わなければ。もっと喰わなければ。

「た 、──」

 頭の中で、声が聞こえた。

「────────べ、さ  セて」

 そして────その言葉を最後に、ダークティラノモンは沈黙した。



◆  ◆  ◆



 口から、鼻から、目元から。
 耳穴から、爪と肉の間から、傷口から。
 黒い液体が漏れ出していく。
 溢れて、溢れて、その身を包む。

 実に異様で凄惨な光景。テイルモンは事態を飲み込めずに困惑している。誠司と手鞠は生理的な恐怖感に怯えていた。フェレスモンの城の中にいた三人は、ダークティラノモンの異変が意味する事を知らなかったのだ。

 しかしその他、全員。
 かつて同様の事態を経験した、彼らは知っている。
 だからこそ、全身から血の気が引く感覚が止まらない。生きた心地さえしなくなった。ダークティラノモンの肉体は、みるみるうちに巨大な黒い塊へ変貌し────

『アクエリープレッシャー!!』

 行動を起こしたのはウィッチモンだった。

『今すぐ対象の破壊を! 急いで!!』

 ウィッチモンは叫ぶ。その声が彼らの目を覚まさせ、突き動かした。
 ファイラモンとシードラモンがありったけの技を撃ち込んでいく。ガルルモンも絶え間なく氷弾を放った。
 溶解した皮膚が焼け落ちていく。しかしその下から、次々と粘性の液体が溢れて固まっていく。

『止めなければ……止めなければ!!』

 それは、彼らが初めてデジタルワールドに──ダークエリアに降り立った日に見たものと同じ。
 あの時のタスクモンと同じだ。全身に黒い毒を纏い、そして────濁った光の帯が、巨体の周囲に浮かんで覆う。

「僕のハーネスを外してくれ!」

 ガルルモンが声を上げた。……此処からでは攻撃の威力が甘い。子供達から離れるのと、ダークティラノモンの進化を止めるのと────どちらが危険か。理解していた蒼太と花那が即座に馬車を降り、ガルルモンからハーネスを外していく。

「は、早く! 蒼太そっちまだ!?」
「あとこれだけ……! ────よし、外れた!」
「行ってガルルモン! あのデジモンを止めてあげて!」
「俺たちは大丈夫だから!」
「……ああ!!」

 ガルルモンは全速力で駆けて行く。ありったけの青い炎を、ダークティラノモンの形をした塊に浴びせていった。

「フォックスファイアー!!」
「アイスアロー!!」
「ちょ、ちょっと何なのさ! あいつ一体……」
『説明は後デス! テイルモン、貴女はなるべく距離を取ッテ!』
「ファイラボム!! ……くそ! 足りない……ッ!!」

 急げ。急げ。急げ!
 早くあの巨体を砕かなければ! 自分達の手で止めなければ! あの時とは違う。此処にはラプタードラモンもピーコックモンもいないのだから────!!

 煙が上がる。焼けたにおいが立ち込める。
 焼け焦げた毒の塊。固まっていた表皮が、ボロボロと崩れていく。

 その下に、水銀色の皮膚が見えた。

『…………ウィッチモン……』

 眼球が、ぐるりと動いた。

『────』

 肉は溶けて落ち、骨が露出する。その上を血管のごとくケーブルが這う。
 機能を奪った筈の尾と腕は、黒い粘液を垂らしながら再生する。
 変色した皮膚の上、硬化した毒がそのまま張り付き──それは強靭な装甲となった。

『────────対象の情報が更新されまシタ』

 力が抜けた声で、ウィッチモンは静かに告げた。

『個体名、メタルティラノモン。……完全体……』


 そして────メタルティラノモンは、灰に濁った空を仰ぐ。




◆  ◆  ◆



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