◆ ◆ ◆
空に向け、声を上げる。
自らの渇きを満たす為、清らかな命を求めて。
「 ぁ、あ 」
硬いものが削れるような音がした。ゆっくりと、首が動いた。
虚ろな目線。その先には────シードラモンの姿が在った。
メタルティラノモンは大地を踏む。
地面が割れた。瓦礫が跳ねた。自身が標的であると理解したシードラモンは咄嗟に、残された氷上を逃げていく。
最早、氷柱で牽制する余裕など無い。がむしゃらに逃げるしかない。ガルルモンが氷の壁を生み出し、メタルティラノモンとシードラモンとを遮ろうとするが──ろくな足止めにはならなかった、
ファイラモンは息を呑む。生命への執着は恐らく、ダークティラノモンの時よりもずっと深い。認識した対象を喰らうまで追い続けるのだろう。
「────まずい、テイルモン……!」
メタルティラノモンの対象が突然、変わらないとは言い切れない。もし目を付けられたら────あの小さな身体では確実に追いつかれる。
ファイラモンは慌ててテイルモンを追いかけた。困惑する彼女を背に乗せ飛び上がる。
メタルティラノモンの眼球が片方だけ大きく回り、ファイラモン達の姿を捉えていた。
「! ちょっと、シードラモンが!」
「わかってる! ──ファイラボム!!」
ただ煙を巻き上げるだけの火炎弾。しかしメタルティラノモンは足を止めた。シードラモンが距離を取って逃げ切った。
──それを喜んだのも束の間。
「────ぬ、ぅく、り」
メタルティラノモンは左腕を高く掲げる。溶けた手のひらに光が浮かぶ。空を翔ける二人を狙って。
「!! アイスキャノン!」
「ぁ……れー、ざア」
放たれると同時に、氷弾が彼の肘に命中する。照準がずれたエネルギー弾は、空の二人を焼くことなく雲の向こうへ消えて行った。
「何さ今の! マジで死ぬとこだった!」
「……、……!」
「うっかり道連れなんて御免だね! 何の為に空に逃げたのか分からなくなるよ!」
「────ッ……たった一撃が、本当に命取りになるのか……完全体は……!」
完全体という存在。越えられない進化世代の壁を、一行は改めて思い知る。
これから再会する筈だったフェレスモンも完全体だ。しかし彼と目の前の巨体とでは、あまりに違いがありすぎる。
それはきっと理性の有無だろう。どちらがマシかはさておき──メタルティラノモンには、戦略を立てるような思考が残っていない。ただ認識した命を消す。消して喰らう。その為だけに、本能のまま巨体を動かしている。
デジモン達が固まりさえしなければ、彼の意識は対象となった一体だけに向けられる。しかし認識されたら最後、どこまでも追われ続けるだろう。
だから彼が誰かに照準を向ける度、別の誰かが攻撃して気を逸らすしか手立てが無かった。そうしなければ、まともに攻撃を受けてしまうからだ。
『しかし、これでは……!』
理性と思考を失っているからこそ、この戦法は意味を成す。
しかしそれは────誰かが気を逸らさねばならないといった状況は、全員ではメタルティラノモンから逃げられない、という事実と同義でもあった。
全員が馬車に戻れば、メタルティラノモンの照準は間違いなくそちらに向く。そうなれば子供達ごと焼き払われてしまう。
かと言って誰かが残り気を引けば、その誰かは帰還できずにメタルティラノモンと対峙することになる。そうなれば、遅かれ早かれ確実に死ぬだろう。
『……ッ……! いいえ、もっと……考えて……!』
都市へ転移する為の腕輪は二つ。一つはテイルモンの尾に、予備のものが馬車の中に。
デジモンが使用する事が発動条件である以上、子供達だけで離脱はできない。かつてのタスクモン戦の二の舞になるだけだ。
『じゃ、じゃあ、一人が馬車に戻って皆と都市に戻って……あとの三人でテイルモンのリングを使うのは……!?』
『……あの様子では、三人で固まった瞬間に撃たれマス。ワタクシ達の使い魔も、子供達が都市に転移すれば自動でそちらに行ッテしまう……援護も誘導もできなくなる。かと言って子供達の避難を後回しにもできない……!』
せめて、進化する前に離脱していれば。────ウィッチモンは後悔した。だが、最早そんな感情に思考を回す余裕さえ今は無い。
『ひゃー、めっちゃ強いじゃんあのジュラシック! みんな頑張れー!』
みちるの場違いな声援の中、デジモン達は絶え間なく攻撃を仕掛ける。
炎が皮膚の表面を焼く。氷柱が僅かに突き刺さり、風の刃が浅く抉る。
「ぎぎっ……骨どごろか肉にも届がない!」
再生した尾と腕が暴風雨の様に振り翳される中、大きな隙でも無ければ接近戦になど到底持ち込めない。
しかし、気を引きながらの遠隔攻撃も非効率的。それも事実だった。デジコアを損傷させるなら、せめて致命傷となり得る部位を狙わなければ────。
『……そうだ。なら……!』
柚子の使い魔が離脱し、子供達の側へ移動する。
『皆、少しでもあいつの動きを止めるよ!』
彼女の指示のもと、子供達は荷台の中に積んだありったけの武器を集めた。
聖なる光を込めた、手投げの擲弾と信号拳銃。子供達が戦う為の唯一の手段だ。
「ゆ、柚子さん、準備できてます……!」
『ありがとう手鞠ちゃん! 投げるのは──』
「オレとそーちゃんでやります! ドッジボールよく遊ぶんで!」
『じゃあ二人、合図でいくよ! ……さん、に、いち!』
「「せーのっ!」」
蒼太と誠司が栓を抜き、ありったけの力を込めて投げつける。弾は空中で破裂し、周囲に光の粉が散布された。
同時に柚子の使い魔が追い風を送り、メタルティラノモンに向けて一直線。その顔面に聖なる光を浴びせていく。
「────! ぎゃ、ぁあ、あァ────」
メタルティラノモンは誰もいない空間に吼えた。一瞬だけ、その動きが確かに止まった。
────成功だ。子供達が作ってくれたメタルティラノモンの隙を、パートナー達は逃さなかった。
「今だ……テイルモン行くよ! ナイフを!」
「言われなくてもぶった切るさ!」
ファイラモンはその額に炎を纏い、メタルティラノモン目掛けて突撃する。
そのままメタルティラノモンのこめかみに激突した。反動を受けたファイラモンに左腕が向けられるが────その腕に、ナイフを構えたテイルモンが飛び移る。
そして彼女はナイフを振り翳し、メタルティラノモンの片目を奪った。
黒い飛沫が上がり、降り注ぐ。しかしネプトゥーンモンの加護が守り抜く。
メタルティラノモンは鋭く硬化された爪でテイルモンを狙った。ガルルモンの氷の砲弾が再び肘を狙い、テイルモンに切っ先が向かうのを防いだ。テイルモンはそのまま逃げるように頭部を駆け上がる。
『今のうちに頸部を!』
ファイラモンは背後に回り、爪を立てて首に飛びついた。うなじに巻き付いたケーブルを噛み千切っていく。
程無くしてテイルモンが合流した。千切れたケーブルにしがみつき、ファイラモンに視線を送る。ファイラモンは頷くと、再びメタルティラノモンの正面に飛び出した。
そしてテイルモンは躊躇うことなく、硬いうなじナイフを突き立てる。……当然だが、一撃ではあまりに浅い。岩盤をハンマーで叩き掘るように、肉を断とうと何度も振り翳した。
自らの損傷に気付いたメタルティラノモンが、右腕からミサイルを発射した。──氷弾と氷矢が迎撃する。
巻き上がる爆炎の中、ファイラモンはメタルティラノモンを誘導するように火炎弾を浴びせていた。メタルティラノモンもまた、ファイラモンに向けエネルギー弾を放っていく。ウィッチモンの使い魔が高圧水流を放ち、その照準を無理矢理に逸らせた。
『このまま誘き寄せマス。動きが止まッタらガルルモンとシードラモンは関節を砕いて! よろしいデスね!?』
『────よし、正面に来たよ! 一気に投げて!』
馬車の直線上にメタルティラノモンが位置したと同時に、今度は四人全員で投擲する。先程の倍量の粉に、巨体は声を上げて悶えた。
「コールドブレス!」
シードラモンの吐息が、メタルティラノモンの左腕を凍結させる。
「ガルルスラスト!!」
ダークティラノモンの時と同様、凍結部位ごと関節の破壊を狙った。爪は関節に這うケーブルを砕き────だが、その奥まで破壊する事は出来なかった。
直後、大きな腕が水平に振るわれ、ガルルモンの腹部に直撃した。薙ぎ払われた胴体は後方のシードラモンと激突し、氷の大地を転がった。
「ぐ……ッ」
「ぎぃっ!」
「! ガルルモン! シードラモン!」
「────手を、休めるなファイラモン……! シードラモン、行けるか!?」
「もぢろん!」
再び駆ける。痛みの中、それでも生き残る為に。
……そう、生きる為だ。決して勝つ為の戦いではない。一時的にも行動不能にできたなら、その間に子供達を連れて逃げていける。
逃げて、都市に避難して。それで────
「────」
だが、それでいいのだろうか?
メタルティラノモンに必死に食らい付きながら、ガルルモンは頭のどこかで考える。
「ぎぃいい、ァあぁァあアア」
ここでメタルティラノモンから逃走すれば、生き残ることが出来る。
けれど────野放しにされたこいつは、再び命を求めて世界を往くだろう。
完全体となった毒のウィルス種が、今のデジタルワールドを徘徊する。──その先にどんな悲劇が待ち受けているのかは、想像に容易い。
まず真っ先に、生き残りが密集した地域が狙われるだろう。その中にはきっと、要塞都市やメトロポリスだって──
「────ガルルモン!」
ガルルモンに振るわれた腕。そこにファイラモンが勢いをつけ体当たりする。腕はガルルモンを僅かに掠めたが、幸いそれだけに留まった。
「怪我してないか!?」
「……なあファイラ……僕は……」
声を掛けながら、二人は黒い腕に飛び移る。ファイラモンの炎の牙が、装甲に覆われていない皮膚を食い破った。
「僕らはあの子たちを、守る為に……! でも……!」
狼の爪が、食い破られた皮膚から関節部を狙う。しがみついて肉を割いて、今度こそ片腕を奪う為に。
「守れるなら、僕らと出会ってくれたデジモン達だって……!」
必死の攻防の中、息を切らせて告げる言葉に取り留めは無い。しかしファイラモンはしっかりとガルルモンの瞳を見て、「当り前だ!」と声を上げた。
「このままにして、みすみす皆を死なせるなんて絶対させない! その為に戦うんじゃないか!」
だから、何を今更こんな時に。ファイラモンは若干、怒りを込めて吼えた。
「意地でもここで止めないと……!」
『ファイラモン、対象の沈黙は優先事項ではありまセン! 離脱のタイミングを逃さないで! 完全体以上との戦闘は回避すると、全員で話して決めた筈デスよ!』
「でも! ここで眠らせてやらなきゃ……! それにコイツを放置すればどうなるか、分からない君じゃないだろ!?」
『────ッ……! デスが!』
ウィッチモンとて理解している。しかし死んだら意味が無い。それも分かっている。だからこそ止めるのだ。
そんな彼女の制止を振り切り、ファイラモンはガルルモンと共に腕を切り付け続けた。
「俺たちは絶対に……皆で生き残るんだ……!」
柚子の合図と共に、再び擲弾が投げられる。
メタルティラノモンの動きが鈍る瞬間、シードラモンはガルルモン達とは反対の腕に巻き付いた。
「アイスワインダー!」
締め付けなど効果がある筈もない。目的は圧迫でなく、あくまでも振り払われない為にある。彼もまた装甲の薄い関節部分を狙い、皮膚を食い破ろうとしていた。
細かい血管からどれだけ毒の血液が溢れようと、ネプトゥーンモンの結界が守ってくれる。気負うことなく噛みつきながら、口内で生成した氷柱の矢を食い込ませていく。
『限界までワタクシが気を引きマス! ……テイルモン、そちらはどう!?』
「どうって聞かれても!」
テイルモンは、デジコアにダメージが蓄積されていく事だけを願いながら──何度も何度も頸部に刃を斬り込んでいた。
肉は確かに裂けているのに、血が出るばかりで先が見えない。そもそもどこまで切ればいいのか、これが致命傷となり得ているかも確信が持てない。
それでもやるしかないから切っていく。黒い血を浴びて、結界が防いで、その繰り返し。──だが、
「……この結界なんか! さっきより薄くなってる気がするんだけど!?」
『何ですッテ!?』
ウィッチモンは思わず声を上げた。高圧水流を撃ちながら、慌てて自身の結界を解析する。
「回数とか時間制限とか決まってるわけ!?」
『……ッ……確定は出来まセンが恐らく後者デス!
ああ、そうデスわよね……考えてみれバ! 永久に使用できる結界なんてものが在れば、世界はとっくに救われていマスとも!』
「きーっ! なんで大事なこと言わないんだあの旦那!」
結界の効果が有限だと気付き、テイルモンは酷く焦る。
しかし努力は僅かに実を結んだようで──デジコアへのダメージを本能が感じ取り、メタルティラノモンは大きく暴れ出した。
腕にしがみついたガルルモンとファイラモンは、何としてでも片腕の機能を奪おうと足掻くが────その腕ごと、地面に叩きつけられる。
『!!』
嫌な音がした。骨が砕けそうになった。──だが、まだ立てる。戦える。
『無事デスか!? 損傷は!』
「「かすり傷!!」」
立ち上がる。再び腕に飛び掛かる。だが、メタルティラノモンは体勢を変え────二人は見事に薙ぎ払われてしまう。
そしてメタルティラノモンは、シードラモンが巻き付いたままの腕で岩山を殴りつけた。砕けた岩の破片が、シードラモンの皮膚を所々引き裂いた。
それを目にしたテイルモンは、更に焦ってナイフを突き立てていく。
「……! くそ、くそ……っ!」
早く──早く! 早くしないと仲間が死ぬ!
どうして届かない! あとどれだけ肉を裂けば致命傷になる!?
『────また反応が出てる!』
柚子の声が遠くに聞こえた。
『! 本当デスか!? ────ッ!』
「……ちょっと、ふざけんじゃないよ!」
『──、──しかし────ワタクシ今、手を離せまセン……!』
ウィッチモンの焦る声。亜空間の仲間達が何かを言い合っている。
しかし誰も、黒猫から漏れる会話に耳を傾ける余裕など無かった。
『あー。うん。これマズイな。──、────』
「黙りな!! 悠長に何言ってんのさ! 早くしないとこっちは仲間が死んじまうんだよ!
くそ! くそ!! 畜生が!! 死なせてたまるか! やっとできた仲間だってのに──……!!」
テイルモンの叫びもまた、誰に届くことは無く────。
直後、乾いた大きな音がひとつ。
何処からか放たれ、荒野に響いた。
◆ ◆ ◆
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