◆ ◆ ◆
──遡る。
叩きつけられ、薙ぎ払われ、傷付いていくパートナー達の姿。
馬車に隠れて見守っていた、子供達は息を呑む。
「…………皆、あんなに攻撃してるのに……」
蒼太の声は震えていた。そこには恐怖よりも悔しさが勝っていた。
自分達の力が及ぶなんて、子供達の誰一人思っていない。けれど少しでも、仲間達を助けられるなら、役に立てるなら────ただ、それだけを願っていた。
しかし現実は見ての通りだ。自分達の無力さを、痛感せずにはいられなかった。
「言ってる場合じゃないよ、そーちゃん! もっと投げて止めないと! シードラモンたちが……!」
「誠司くん待って! もう少ししか弾、残ってない……無暗に投げたら無くなっちゃうよ!」
「でもさ……!」
「……っ」
蒼太は思わずデジヴァイスに目を向ける。──成熟期へ進化を遂げる際のみ光り、普段は媒介として機能しているかもわからないデバイス。紋章に至っては一度も、兆しさえ見せない有様だ。
フェレスモンは言った。進化に必要なのは、『回路を伝う電流の励起』だと。
コロナモンを救おうとした蒼太の祈り、誠司を救おうとしたユキアグモンの祈り。──強い気持ち、感情の昂り。
それがあれば、彼らを強くすることが出来るのだろうか。でも、そんなものが意図的に出来たら苦労しないのだ。
……今はただ、無力さがひたすらに悔しい。そんな気持ちで彼らを強くなんてできない。それが、余計に悔しかった。
「……わたしたち……どうして、皆みたいに戦えないの……?」
『……それを言っても、仕方ないんだよ。手鞠ちゃん。私たちは人間で……人間に出来ることは、限られてるんだから』
「でも、柚子さん……そんなこと言ったら……」
『だから、やれることをやるしかない。今はここで出来る限りの援護をするの。私たちにはそれしかないんだよ。
……弾はあと七つだよね。村崎さんが言ったように無暗には使えないし、今の距離じゃ風で運んでも効き目が弱くなっちゃう。だから──待ってて』
焦っているのは柚子も同じ。結界のタイムリミットを知っているから尚更だ。それでもなんとか冷静であろうと努めていた。
『それに、きっと大丈夫。死ぬまで戦う訳じゃない。本当に危なくなったら都市に逃げて────』
そう言って励まそうとした、柚子の声が止まる。
『……』
「……ゆ、柚子さん?」
『ごめん待って。……嘘、やだ。また反応が出てる!』
その言葉に誰よりも驚愕したのは、傍にいるウィッチモンだ。
『! そんな……本当デスか!?』
『ま、間違いじゃないよ! 凄く小さいけど、これって……』
『……っ! ワタクシ今、手を離せまセン……! ユズコ、検知された情報からデータベースとの照合を!』
『わかった!』
ウィッチモンは空間維持と戦闘に殆どのリソースを割いており、新たな反応を解析する余裕が無い。
柚子は慌てて新たな反応の詳細を確認する。──もし成熟期以下ならば、自分がウィッチモンの使い魔で戦うしかない。そんな覚悟さえ心に決めていた。
だが────
「や、山吹さん、またオレたちと戦うデジモンですか!?」
『待って! 今見てるから……!』
────おかしい。
反応が小さいとは言え、この状態なら──進化段階と属性だけでも判別できる筈。ネプトゥーンモンの時でさえ、究極体であることは表示されていたのに。
メタルティラノモンとは異なるデジモン反応。
少し離れた場所からゆっくり接近する様子が、確かに映し出されている。それなのに──
『……“ unknown ”……!?』
何故、その文字しか表示されていないのか。柚子には理解できなかった。
『何これ……何で出てこないの……!? これじゃウィルス種かどうかも分からない!』
『見せて見せてー! おねーさんが一緒に調べてあげるよ!』
横からみちるが割り込んで画面を覗く。柚子は何度操作しても表示されるエラー表記に苛立ちを見せていた。
『調べるも何も、情報がひとつも出てこないんですよ……!』
『ステイステイ。落ち着きたまえ柚子ガール。んー、ウィッちゃんのシステムがバグってるとは思えないけどねえ』
『もちろんです! それに今この距離にいるなら、なんでもっと前から検知されなかったの……!?』
『ユズコ、メタルティラノモンの情報はきちんと表示されテいマスか!?』
『してるよ! だから余計に分からない……!』
『ほんとだー、アンノウンだって! ねーワトソンくん、これってさあ』
みちるが笑顔で振り返る。ワトソンが後ろから画面を覗いて、
『あー。うん。これマズイな』
珍しく、表情を歪めて声を上げた。
『退避だ退避。すぐ逃げて。腕輪使って帰った方がいい。それか天使達に言って今すぐゲート作らないと』
『わ、ワトソンさん? あの……』
『今すぐやって。皆の戦闘も止めさせて』
『────貴方達……』
直後、乾いた音が響く。
激動の荒野を揺らす、それは一発の銃声だった。
◆ ◆ ◆
空気が震えた。
たった一瞬の出来事。
何処からともなく響いた、誰のものでもない筈の音。
全員──メタルティラノモンでさえ、自らの動きを止め、周囲を見回した。
『────今のは?』
ウィッチモンはそこで初めて────戦線をモニターする黒猫の視界から、熱源探知のレーダーに目を向ける。
うっすらと巻き上がる煙。そのせいか、接近してきているであろう“反応”を目視できない。
「──!」
「────!!」
柚子の使い魔から、子供達の叫ぶ音声が届く。
「────り……手鞠!!」
「宮古さん!」
「ゆ、柚子さん! ウィッチモン!! 宮古が怪我した!! 馬車が……!」
亜空間の二人は青い顔をする。使い魔の視点を変えると──
「馬車がやられた……!!」
馬車の後輪が砕け散っていた。
車体は後に大きく傾き、子供達が地面に投げ出されていた。
その拍子に手鞠が足を負傷。他の子供達も皆、地面や木の破片で傷を作っていた。
『な……何で……何が……!?』
柚子は狼狽えた。──メタルティラノモンは馬車に向けて攻撃していない。仲間達の攻撃が飛ばされたわけでもない。
『あーあ、どーするのよこれ』
『どうするも何も、ねえ』
『んー』
みちるとワトソンが、意味の分からない会話を交わしていた。
『いざとなったら、覚悟を決めなきゃかもだねー。やだわぁ』
◆ ◆ ◆
馬車が襲われた。子供達が襲われた。
デジモン達は血相を変えて、子供達のもとへ駆け付けようとする。
それをウィッチモンが大声を出して止めた。全員がそちらに動けば、メタルティラノモンの敵意がデジモン達ごと子供達に向かうからだ。
『どうか落ち着いて! あの子達はユズコの使い魔が────』
「……だめだ、だめだ駄目だ……そんなの!!」
『! ガルルモン待ッテ! 待ちなサイ!!』
ガルルモンは制止を振り切り駆け出した。追おうとしたファイラモンが薙ぎ払われた。メタルティラノモンはそのままシードラモンの尾を掴み、岩肌に叩き付けた。
「僕が……僕が! あそこを離れたから!」
仲間達の悲鳴を聞きながら、それでもガルルモンは駆ける。
既にボロボロになった身体で、けれど子供達を守る為に。今度こそ守り抜く為に。
「皆────」
そして、もう一度。
先程と同じ、乾いた音が鳴り響いた。
「────」
子供達は目を見開く。
こちらに駆けていたガルルモンが、跳ねるようにして倒れたからだ。
「────?」
ガルルモンの視界が大きく傾いた。しかし、それを咄嗟に認識することが出来なかった。
倒れた。何故?
走れない。何故?
痛い。────何故?
身体に力が入らない。子供達の叫ぶ声が聞こえるのに、足が動かせない。
「……」
前肢の一本からは大量の血が溢れている。──どこから攻撃された?
そんな事はいい。早く立ち上がらなければ。子供達を守らなければ。この毒のにおいから────
────におい? 誰のだ?
「…………」
子供達が、仲間達が、ファイラモンが、逃げろと叫んでいる。
何が何だかわからないまま──ガルルモンは、少しぼやけた灰色の空を仰いだ。
見覚えのない黒い男が、自分の傍に立っている。
◆ ◆ ◆
男は一人、荒野を彷徨う。
◆ ◆ ◆
ふと。
風に乗って、においがした。
それが生命のにおいであると、本能が感じ取る。
しかし同時に、他のいくつかのにおいも感じ取れた。
ひとつは、嫌と言うほど覚えのある──毒のにおい。悲しき同胞のにおいだ。
そして、もうひとつは
『────ああ、当たりだね。君』
銀の男の声が聞こえる。
普段なら振り払うそれを、今だけは受け入れた。何故なら────感じたにおいが、少女と同じ生き物のものだと理解できたからだ。
「……」
胸が高鳴った。感情が昂った。
このにおいを追えば、あの子が見つかるかもしれないと思った。
懸命に足を動かす。しかしにおいは遠ざかっていく。少女では到底出せないような速度だった。
傍にはいくつもの生命のにおい。そこで彼は、「何かがおかしい」と思ったのだ。
────ベルゼブモンは少女の言葉を、少女と読んだ手記の内容を思い出す。
そう。“人間はデジモンに狙われている”のだと。
『寄り道かい?』
進む方向を変えたベルゼブモンを、頭の中の声が呼び止めた。
『お嬢さんの手掛かりが逃げてしまうよ』
頭の声はそう言って急かす。──うるさい。分かっているんだ、そんなこと。
「……俺では、追い付けない」
──走ったとしても追い付けない。速度があまりに違うからだ。
だからベルゼブモンは、付近にいるであろう“同胞”のもとへ足を運んだ。
その“同胞”は、思ったより早く発見できた。
岩よりも大きかったから、よく目立っていた。
「────」
側に寄る。不愉快な音が聞こえてくる。
黒い巨体は口元に手を当てて、もぞもぞと動かしていた。
ぐちゃり、ぐちゃり。そんな音を立てて、必死に何かを食べている。
喰われていたのはデジモンだった。とうに事切れて、既に粒子化が始まっていた。
「────おい」
ベルゼブモンは声をかける。
黒い巨体は振り向いた。──僅かに敵意を示したが、男が既に毒に侵されている事を察したようだ。大きな顔を地面に擦り付け、唸る。
「俺の、言うことが分かるか」
返事は無かった。ベルゼブモンは濁った瞳の前に立って、無理矢理に自身を認識させた。
「俺は、カノンを探している」
「……」
「お前は、“人間”を見たことがあるか?」
「……。……ぉ」
赤黒く粘ついた口が開いた。
「ぉなか……が、すぃた」
まだ、足りないのだと。喰い足りないのだと。
黒い巨体は涙を流す。満たされない空腹に耐えられず泣いているのか。それとも、いくら食べても自身が変化しないことを嘆いているのか。
「そうか」
ベルゼブモンはそう言って、同胞を見上げた。
「俺もだ」
咀嚼音が止んだ。
「……、……た、べた……い、もっ、と」
大きな手がベルゼブモンに向けられた。しかし男はその手を掴み、払い除ける。
「……食、たべ……さ、セ」
「俺は、喰わせない」
「…………ぅう、うぁう、ぐ、ゥ」
「お前が喰いたいのは、俺じゃない」
「た……べタ、い。食べ……たい……タベたィ」
「俺達が……ずっと、食いたかったのは……」
「たたたた、べ、タ、ぃ」
いずれはこの個体も溶ける。放っておいても、毒に溶けて消えていく。
「……お前は、どうしたい」
男は問う。
「お前が、終わる時まで」
「たべ、たべ、たべ、たべ」
「どうしたいと、思う」
「……ぁぁ、あ、ぁ……。……」
黒い皮膚を涙が伝った。雫は口元の付着物を渡り、うっすらと色づいた。
「…………食べ、たい」
同胞は請う。
「食べさせて」
すると男は巨体の下顎を掴んだ。そして──カノンと同じにおいを感じた方向へ、無理矢理に首を捻る。
「────向こうを見ろ。あの先にいる」
廃棄物の道。
「あそこに命が在る。お前も、感じる筈だ」
それは本能だ。喰らう対象を見つける本能。
黒い巨体は眼球をぐるぐると回す。汚染が進行した彼の目には、もう鮮明な風景など映らない。
「侵されていない、データを喰いたいなら……」
しかし──風が運ぶ生命のにおいが、彼らの本能を鮮やかに突き動かしていく。
「行け。俺達は……そうしなければ生き残れない────!」
────その言葉が発せられたと同時に。
ダークティラノモンは、雄叫びを上げて走り出した。
◆ ◆ ◆
男は一人、荒野に佇む。
◆ ◆ ◆
遠くに蠢く巨大な影。それが先程の、“同胞だったもの”だと理解した。
けれど──それ以上は特に何も思わず、目線をずらす。
「────」
視界に捉えた数人の影。
人間だ。顔や背丈が違っていても、彼女と同じ生き物だ。
人間達は大きな箱に入れられていて。
今まさに、デジモン達に拐われている。
────ああ、『救わなければ』。
人間を、デジモンから救わなければ。
あの子を。
◆ ◆ ◆
────そして。
ベルゼブモンは、ガルルモンの傍に膝をつく。
彼の前肢を掴み────口を開けて。
肉を喰んだ。
第二十六話 終
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