◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆





 燃え盛る生命の灯。迸る生命の血潮。
 色を失くした彼らが、求めて止まない清らかな輝き。

 ああ、けれど、そんなものより。
 男には、欲しい者が在ったのだ。






*The End of Prayers*



第二十七話

「光を灯して」






◆  ◆  ◆



 勢いと共に飛び散る赤色が、灰色の地面を彩った。
 鮮やかに、華やかに。────そんな感想を抱くのは、赤い絵の具を撒き散らしている張本人。突如として引き離された神経が、数秒の長い時間を経てようやく事態を自覚する。
 決して鋭利ではない歯が、自身の肉を容赦無く裂いていく。

 足が────喰われている。

「────が、ぁあ゛ああああああッツ! あああああああ!!」

 荒野中に絶叫が上がった。子供達の悲鳴が響いた。
 ガルルモンは必死に抵抗する。激痛とショックに苦悶の叫びを上げながら、男の顔面に炎を吐き続けた。
 けれど必死の抵抗も虚しく、彼の前肢は確実に質量を失っていく。

 ガルルモンに何が起きたのか──仲間達にとって、それは遠目からでも明らかだった。何よりガルルモンの絶叫が全てを物語っていた。
 誰より大きな声で、ファイラモンが友の名を叫ぶ。救いに駆け付けようとする。──しかし背後でメタルティラノモンが唸り、彼がガルルモンのもとへ駆け付けるのを許さない。

 堪えかねた蒼太と花那が走り出した。それを柚子が止めようとした。……だが、止まるわけがない。感情のまま泣き喚くように声を上げ、走って行こうとする。

「────……」

 その姿を見たベルゼブモンは、白銀の肢から口を離す。
 顔を上げ、ゆっくりと立ち上がる。血に濡れた顔は子供達に向けられていた。
 それに気付いたガルルモンが、行かせまいと男の足に噛みついた。けれど男の視線は、変わらず子供達に向いたまま。

「────返せ」

 重くのしかかるような声が、小さく零れた。

「人間を、返せ」

 自分を見上げる獣の顎を蹴り飛ばす。それから子供達がいる方向へ、ゆっくりと足を進める。
 彼らの姿が鮮明に見えてくる頃、男は手を伸ばした。そっと、子供達に向けて────

『あ……アクエリープレッシャー!!』

 男の行く手を阻もうと、柚子の使い魔が立ち向かう。

『逃げて! 早く!!』
「────」
『あっち行け! 皆に近付くな!!』

 正面から何度も、あらゆるコマンドを使い黒猫に攻撃させていく。しかし男は表情を一切変えず、そして動きを止めることもない。
 どう転んでも不利な状況。ウィッチモンは子供達だけでも緊急転移させる必要があると判断し、大声で仲間達に呼びかけた。

『誰か……! 一体でいい、そこから離脱シテ! 子供達を連れてホーリーリングを────ッぎゃあっ!!』
『!? ウィッチモ……』

 ウィッチモンが悲鳴を上げて腹部を押さえる。亜空間のスピーカーから、咀嚼音のような酷いノイズが響き出した。

 使い魔が喰われたのだ。
 男に攻撃し続けていた黒い猫。掴まれて、頭部を喰われた。

『……ッひ……ぐ、ぅう……ぁッ!』

 そして次に胴体。遠く伸びた下半身まで、捕食されていく。
 いくら使い魔とはいえ自身の一部。ただ攻撃を受ける事と、根元から捕食される事とでは、ダメージの度合いが違いすぎる。

『ウィッチモン……ウィッチモン!!』
『……フーっ、ぅ、──っぐ……』
『は、早く手当て……ワトソンさん、みちるさん!』
『……な、……んで……こんな……』

 激痛に歪んだ顔からは、大量の脂汗が滲み出ていた。なんとか残った使い魔の音声機能を奮い立たせ──交戦する仲間達に、絞り出すように伝える。

『……あ、あれは……汚染体……! データベース、照合エラー……しかし、完全体以上、である、ことは……』
「……。……、……どう、して」

 意識を朦朧とさせながら、ガルルモンが虚空に問う。

「……毒……。……毒なら……どうして……」

 名も知らぬ黒いデジモンは、確かに言葉を発していた。
 意志と意味を持った言葉を。はっきりと、『人間を返せ』──と。

「……子供、たちを……。……花那、蒼太……」

 滲む視界。男の背が遠のいていく。
 遠くで仲間達の声が聞こえる。メタルティラノモンの雄叫びに混ざって。

『……だ、誰か……! 動けま、センか……!? どうか……』
『どうしよう、どうしよう……! 治し方なんて分からない! ウィッチモン……!』

 柚子は気を動転させて取り乱し、ウィッチモンは痙攣している。もう一体の使い魔は完全に動作を停止させていた。

『────だから言ったのに。すぐ逃げないからだよ。ほら、しっかり』

 そんな二人の肩を、ワトソンが後ろから抱き寄せる。

『わ、ワトソンさ……』
『ゆっくり深呼吸して。二人ともだ。
 それとウィッチモン。もう一匹は食われないようにね。皆をモニタリングできなくなるから』
『……、……』
『落ち着くまで代わるよ。大丈夫。柚子ちゃん、彼女をしっかり抱いてあげてて』
『既にヤバすぎ案件だけど、逃げるの第一弾は失敗しちゃったし? ギリギリ頑張ってみよ! ここで死なれちゃ困るからさ!』

 みちるはウィッチモンの背を優しく撫でると、デスクに乗り出す。すると──モニターの向こう側、襤褸切れのように痩せた使い魔が現れた。
 それは猛スピードで男をすり抜け、ガルルモンの側へ。動きを止めていた使い魔も再起動し、ファイラモンとシードラモンのもとへ向かった。

『皆ー! 慌てず焦らず周り見てー! 落ち着かないと死ぬからねー!』

 張り上げられる声。流石にメタルティラノモンの側まで使い魔を飛ばせなかったが、「とりあえず良っか!」とみちるは笑う。

『まずはそこから離脱だ!
 シードラモン、距離を取って氷柱をたっぷりお見舞いしてやって。顔面ね! それ以外は撃たなくていいからねー。
 ファイラモンは背後に回って。そしたらテイルモンを回収! このままじゃ首を取る前にナイフが鈍になっちゃうぜ!
 それから交互に位置を撹乱させて……あ、攻撃モーション見逃さないでね! その隙にテイルモンを馬車まで送ってあげてー、皆とゴーホームさせよ!』
『ガルルモンくん、動ける? 動けるよね? いや、位置は移動しなくていい。撃たれるから。そこからシードラモンくんをフォローして』

 ────負傷したウィッチモンの代打とはいえ、二人は非常に手際よく指示を出していく。柚子はただ目を丸くさせ、口を出すことができなかった。

『ほらほらシャキシャキ動いて! ──ファイラモン!!』
「でも、ガルルモンが……!」
「ぎぎっ……ファイラモン! おれたちが生きなぎゃ、ガルルモンも助げられない!」
「……ッ……!」

 ファイラモンはよろめきながら飛び上がる。シードラモンはありったけの力を込めて、メタルティラノモンの足元から壊れた馬車までを氷付けにした。

「……ファイラボム……ッ!」
「アイスアロー!!」

 メタルティラノモンの顔面に放つ。ファイラモンも火炎弾を撃ちながら背後に回る。

「テイルモン!」
「ファイラモン……! まだだ! まだ首が切れない! でもあと少しなんだよ! それよりまた敵が出たんだろ!? ウチはいいからそっちを──」
「馬車が壊された! ……このままじゃ逃げられない! だから君は、子供達を連れて都市へ!」
「なっ────」
「俺に飛び乗って!」
「────くそっ……くそ!! ふざけないでよ! ここまでやったのに!!」
「早く!!」

 ファイラモンが叫んだ。テイルモンは悔しさに歯を食いしばり、今ここでナイフを止めることを躊躇った。ファイラモンは彼女のすぐ側まで飛び上がると、返り血で染まった小さな身体を強制的に離脱させた。

「あとちょっとだったんだ! そうしたらアイツを倒せたのに! 皆で助かった筈なのに……!!」
「ごめん、ごめんな! でも今は……!」
「分かってる!! ……行くなら急がないと、ウチらまとめて焼かれるよ! どうやってあそこまで行くつもり!?」
「俺たちで注意を引く! メタルティラノモンも、あのデジモンも……」
「……それじゃアンタたちが……」
「あの子たちを頼む。お願いだ。都市まで逃がしてあげてくれ。────シードラモン!」
「コールドブレス!!」
「……アイス……ウォール……!」

 ガルルモンとシードラモンが氷の壁を乱立させる。テイルモンの移動を目視させない為だ。シードラモンが次いで氷の舟を創り上げ、飛んできたファイラモンがテイルモンを押し込める。────そして、シードラモンは傷だらけの尾を振るい、舟を弾いた。
 アイスホッケーのように、テイルモンは氷の道を滑走していく。その軌跡を悟られないよう、ガルルモンが更に氷壁を張り巡らせる。

『……よし、良い感じだ。でもすぐには着かないから、それまでは……』
『頑張って逃げまくろー! 解散!!』 

 ファイラモンが男の元まで翔ける。その姿を横目で見送り、シードラモンはメタルティラノモンと対峙する。たった一人で、完全体に。

「……せーじ……」

 思わず、パートナーの名前が零れた。
 身体は既にボロボロだ。そもそも、まともに戦って勝てるわけがない。けれど状況を遅滞させられるか否か──今の自分に出来ることはそれだけだ。

『シードラモンくん、無理はしなくていいよ。だけど皆が逃げるまでは耐えて』
「うん。時間、稼ぐよ。みんな逃げられだら……その時は、教えでね」

 シードラモンの声は、少しだけ震えていた。ワトソンは僅かな沈黙の後、『約束するよ』とだけ答えた。



◆  ◆  ◆



 蒼太と花那は、目の前に聳える氷の壁を、力が抜けた顔で見上げる。
 花那は放心しながら膝を着いた。蒼太もまた、起こった現実を受け入れられないでいた。

 ガルルモンが撃たれた。……喰われた。
 使い魔もやられてしまって、柚子達の声が聞こえない。痛そうに声を上げたウィッチモンは大丈夫だろうか。──遠くで皆が何か叫んでいたが、うまく聞き取れなかった。

 助けに行けなかった。このままではガルルモンが食べられてしまう。見えない壁の向こうで何が起きているのか、恐ろしくて想像もできない。

「……」

 でも、と。蒼太は思う。
 この壁が作り上げられた。そして今、別の場所にも作られている。
 それはガルルモンが生きている証拠だ。彼はまだ食べられていないのだ。……きっと。

「────か、花那……」
「……やめて……」
「花那……しっかり……」
「ガルルモンのこと、食べないで……」
「っ……まだ生きてるよ……! だから、ほら!」

 花那の手を引いて、馬車まで連れて行こうとする。花那はそれを拒み、手を振り解いて壁の向こうへ走ろうとした。

「行っちゃだめだ! 今は……」
「何で!? ガルルモンが食べられちゃうのに!?」
「いいから……!」

 説得など出来ぬまま、それでもなんとか馬車へと戻る。壊された荷台の下で、誠司が必死に手鞠の介抱をしていた。

「──そーちゃん……村崎……。……ガルルモンは……?」
「…………まだ……生きてるって、ことしか」
「そんな……! やばいじゃん、このままじゃ──」
「誠司。……俺、思ったんだ。あいつの狙い……多分、俺たちだ」
「…………は?」

 壁の先から銃声が響く。次いで叫び声が聞こえた。──ファイラモンの声だった。

 蒼太は唇を噛み締める。花那の顔からは更に血の気が引き、両目から大粒の涙を溢れさせていた。
 手鞠は恐怖に身体を震わせていた。もう役に立たない後輪の破片を、呆然と見つめるしかなかった。

「……わたしたちのこと、狙ったから……だから馬車、壊したの……?」

 一歩違えば、砕けていたのは荷台ではなく自分達だったのかもしれない。
 蒼太は「うん、でも」と、肯定とも否定とも取れる返事をした。

「殺すつもりだったかは分からない。ただ、俺と花那のこと見て……ガルルモン食べるの止めて、こっち来ようとしたんだ。全員殺すつもりなら、ガルルモンを……殺した後だって良かったのに」
「……じゃあ、何の為にオレらを? フェレスモンさんの時みたいにするのか?」
「そんなの俺が知るわけないよ。だけど、もし捕まえるのが目的なら────」

 蒼太は深呼吸をした。深く、深く。そして──

「────バラバラになろう。此処から離れて、バラバラになって逃げるんだ。そうすればアイツは……きっと、俺たちを追ってくる」

 囮になって、気を引いて、ひとりでも多く逃げられるように。
 それは──下手をすれば、巻き込まれて死ぬかもしれない。そんな無謀な作戦だった。けれど、少年にはそれしか浮かばなかったのだ。

「それ……マジで言ってんのかよ」
「……冗談なわけないだろ」
「無茶だろそんなの! み、宮古さんは……走るどころか逃げられないよ、こんな足で!」
「お、俺だけでもいい! 俺だけでアイツを……」
「それじゃそーちゃんが危ないだろ!」
「……か、海棠くん……!」

 手鞠が遮るように声を上げた。

「心配してくれて、ありがとう。でも……わたし、大丈夫。平気だよ。遅くても歩ける……」
「で、でもさ……!」
「それに……わたしだけ、ここで何もしないで待つのだけは嫌。チューモンたちが食べられちゃうところなんて見たくない……!」

 負傷した片足を庇いながら、散らばった擲弾を探そうとする。
 それを花那が止めた。無理に動いてはいけないと制止する。──手鞠は、自分だけ怪我をした事で力になれないのだと思い、悔しさで泣きそうになった。

「……ちゃんと、歩けるから……」
「もっと酷くなっちゃう。ねえ、手鞠はここにいて」
「そんなこと、言わないで。わたしだって……」
「違うの。……──私、蒼太の案に乗るよ。でも……全員が絶対、ここから動かなきゃいけないわけじゃないんでしょ?」

 花那の視線に、蒼太は頷いた。

「……うん。それに、俺が勝手に言ってるだけだ。さっき言ったけど、俺だけでもいいんだ。だってこんなの、絶対に危ないから……だから花那も」
「友達がそんなことするのに私がやらないわけないじゃん!
 早くしないとガルルモンも、ファイラモンも、皆だって死んじゃうんだよ……!」

 花那は、散らばった武器をありったけ集めてきた。
 そして「どれを使うつもりなのか」と。蒼太の目を見て、真っ直ぐに問う。

「……使えるなら、全部。きっとアイツらの注意を引ける。動きだって止められるかもしれない」
「じゃあ、それが成功したら?」
「もし上手くいったら……近くにいるデジモンと合流する。誰でもいい。そのまま遠くまで逃げて、またどこかで集まって……そうすれば、都市まで逃げられるんじゃないかと思う」
「……よかった、そーちゃん。流石に逃げるつもりはあるんだね」

 誠司は冗談交じりに言ってみせたが、その顔は引きつっていた。「死にたいわけないよ」と、蒼太も頬の筋肉を無理矢理に上げて答える。

「そこでさ。……花那。もしやってくれるなら……アイツらからなるべく離れた所まで走って、信号弾を使って欲しいんだ。それから宮古がここで信号弾を撃つ。アイツに、俺たちがどこにいるのか混乱させるんだよ」

 撹乱目的の信号弾であれば、わざわざ男に接近する必要も無い。距離を取って、まだ安全に使うことが出来る。──だが、それを放つピストルは二丁しか存在しない。二人で定員だ。

「俺は……少しでもあいつらの近くで、こっちの爆弾を投げる。近い方が効果あるだろ」

 少しだけ数が減った、聖なる手榴弾に目を向ける。
 距離が近ければ近い程、その効果はより強く得られるだろう。しかし同時に男に捕まる、もしくは巨体の攻撃に巻き込まれる可能性も高くなる。──それは、分かっているつもりだ。

「でも……やっぱり、怖いからさ……。……たくさん持って行かせてよ。悪いけど……」
「────何言ってんだよ。半分こだろ。オレもやるんだから」
「……誠司……」
「ていうか、なんでオレだけ作戦から抜こうとしてるの。ひどいじゃん」

 誠司は声と歯を震わせながら、持てる限りの擲弾を腕に抱えようとする。
 蒼太は滲む涙を必死に堪えて、「それじゃ投げれないだろ」と言って笑った。



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