◆ ◆ ◆
────そして。
選ばれし子供たちは、氷の壁に向かい立ち上がる。
轟音と銃声と叫び声、血のにおいに満ちた向こう側へ。
先頭を行くのは花那だ。
「……」
胸が高鳴る。緊張が渦巻く。
──屈む。信号拳銃を片手に、溶けた氷で濡れた地面に手をついて、クラウチングスタートの体勢を構える。
「……よーい……」
ドン。自身の掛け声と共に走り出した。
壁を抜ける。男と真正面から当たらないように、懸命に周囲を確認しながら。
「────ッ!!」
視界の中、毛並みを赤く染めたガルルモンが立っているのを見た。
ガルルモンは花那を呼び止めた。それでも、走り続けた。
走り抜けていく少女に、男は一瞬だけ目を見開く。腕を下ろし追おうとする。
続けて蒼太が、そして誠司が走り出した。
『────げ、ちょっとあの子達ウソでしょ!? 何してんのー!?』
想定外にも程がある子供達の行動。みちるは驚愕の声を上げた。しかし悲しいかな、遠く離れた使い魔の声は子供達に届かない。
少年達は息を切らせて走っていく。鉄くさい空気が、肺に入り込んで気持ち悪い。
土煙の中、誠司は必死にパートナーの姿を探した。
「! し、シードラモンが……! ティラノに捕まってる!」
「誠司! 一発目だ!!」
二人同時に擲弾の栓を抜き、ありったけの力を込めて投げる。
飛散した粉のいくらかは風に流されていってしまった。──それでも、ほんの数秒。まさに今、シードラモンを喰おうとしていた巨体の動きを止めたのだ。
シードラモンはその隙に氷矢で身を包む。自身を掴む掌との間に、僅かな空間をこじ開けた。
ずるりと地面に落下し、どうにか命を取り留める。しかし喜ぶ様子はなく、少年達に向かって何かを必死に叫んでいた。だが、メタルティラノモンの呻吟する声に掻き消される。
「やった! ……けどダメだそーちゃん! 男の方に効いてない!」
「そんな……どうして……!」
粉は男の方向にも、少なからず流れて行った筈。だが、男が苦しむ様子は一切見られない。
どういう事か困惑する。蒼太は、あの黒い男は毒に侵されていると思い込んでいた。男の立ち振る舞いは、幾度も目にしてきた汚染デジモンとよく似ていたからだ。
ウィッチモンと柚子なら知っているだろうか。しかし使い魔は目の前で喰われ、もう一匹もどこにいるのか分からない。孤立した子供達には、情報を得る術が無かった。
──その時。先頭を走る花那が信号弾を放った。
火薬が詰まった星弾は煙を吐いて空に昇り、破裂する。
周囲を照らす鮮やかな光。メタルティラノモンは────それを、じっと見上げた。
「────、ぁ────」
両手を伸ばす。
瞬間、シードラモンが背後に回った。抉れた頚部に氷柱を突き刺していく。
響く叫び声。メタルティラノモンの両手から──エネルギー弾とミサイルが発射される。
それらはいずれも空に放たれ、何処に墜落するかが予想できない。
──無差別に着弾すれば、飛び出した子供達が巻き込まれる。ファイラモンとシードラモンが慌てて迎撃しようとして────
「────」
ベルゼブモンが銃を構えた。
乾いた二発の銃声が響く。
放たれた銀の弾丸が──メタルティラノモンの左手首とミサイルを、一瞬にして吹き飛ばした。
「…………何あれ。マジで?」
氷上を滑走するテイルモンは、その光景を見て吐きそうになる。あんな奴に勝てるわけないだろう。
それから間もなく。テイルモンは無事に馬車へと到着した。
子供達が取った決死の行動は、確かに男とメタルティラノモンの注意を引いていた。彼らのパートナー達を守ったのだ。
「…………ちょっと」
しかしテイルモンはその事を知らない。
後輪を失った荷台。散らばる木材。自らのパートナーが負傷した姿と、他の子供達がいなくなっている光景に──彼女は眩暈を起こしそうになる。
「! て、テイルモン……!」
「……ちょっと待ってよ……なあ、何で手鞠しかいないの。何であいつらどっか行ってんの!? 何でアンタは怪我してんの!? 何で!?」
テイルモンの感情が爆発する。
「あんたとウチだけで帰れって!? そんな馬鹿な話ある!? 皆を頼むって、ウチはあいつらに!!」
「ごめんなさい! でもこうするしかなかったの……!」
もうこれ以上、皆に傷ついて欲しくなかった。──そう泣いて詫びながら、手鞠は空に向けて信号弾を放った。
それを見て、花那がもう一度打ち上げる。蒼太と誠司が続けて投擲する。
────ああ、メタルティラノモンは確かに動きを止めるのだ。光が空に浮かぶ度、見上げて見惚れて、手を伸ばそうとする。
きっと相手が彼だけであれば、このまま逃げ切れたのだろう。……だが、黒い男は止まらない。相変わらず効いている様子がない。
蒼太の中で焦燥感が募っていく。どうして効かないのだろう。やはり風向きが悪いのか? それともあのデジモンは本当に、毒に侵されていない普通のデジモンなのだろうか?
光の粉が煌めく中、少年は男に目を向けて──。
「ぎっ……ああっ……ッ!!」
……いいや、違う。
あれは毒だ。そう確信した。だって、
「────ファイラモン……!」
ガルルモンを食らい、そして今────ファイラモンの翼を引き千切って喰っている奴が、まともなデジモンなわけがない!!
『いよいよまずいね。皆もバラバラになっちゃったし。みちる、作戦変える?』
『でもさー、そしたらもう──……しかないじゃん?』
花那が再び信号弾を放つ。放って、走って、また放つ。それに呼応するように、手鞠も馬車から信号弾を放った。
メタルティラノモンが空の光に見惚れている間に、誠司はシードラモンのもとへ走って行く。そんな誠司を巻き込まぬよう、シードラモンは周囲に氷壁を張り──そして、合流した。
「シードラモン! シードラモン!! 大丈夫!?」
「……せーじ……どうして……!」
「いいから逃げよう! あいつはオレたちで止めるから!
そーちゃん、こっちはオッケーだ! このまま村崎さんを迎えに行くよ! 多分そっちのが早い!」
「わかった頼む! ……花那ーっ!」
蒼太は大きく手を振り、呼びかけた。花那はそれに気付いて足を止める。
そして息を整えながら、誠司がシードラモンと合流したことを目視した。
「……はぁ、はぁっ……!」
──あとは自分達とパートナー達が逃げ切れれば、そうすればこちらの勝ちだ。
ファイラモンとガルルモン、どちらも男のすぐ側で倒れている。男は──こちらを向いているように思えた。
「……! シードラモン……」
シードラモン達もこちらに向かっている。その理由を花那は理解した。……確かに、自分が走ってガルルモン達の所へ戻るよりは速くて安全だろう。
だが────花那は悩んだ。いっそ自分だけで、もっと遠くまで逃げるべきか? そうすれば男も自分を追いかけて、蒼太とファイラモン、ガルルモンが、皆が逃げられるだろうか。
「…………ううん」
無事に逃げて欲しい。けど、自分に何かあれば彼らは悲しむだろう。
それは嫌だった。特にガルルモンとファイラモンにはもう、仲間がいなくなってしまう気持ちを味わって欲しくなかった。
だって、それがどれだけ彼らを悲しませ、悩ませていたかを────自分達は知っている。
それにガルルモンは酷く傷を負っている。自分が遠くに離れてしまう程、デジヴァイスを介していても回路の繋がりは薄れるだろう。彼の怪我を少しでも和らげたいなら、駆け寄って、ちゃんと触れてあげなければ。
「……戻ろう。ガルルモンの所まで」
もし男が来たら、信号弾で追い払ってみせる。今度は自分が、大事な友達を守るのだ。
「……大丈夫。……私は速いんだ。クラスでも、学年でも……だから、絶対……あいつを巻いて、皆で、逃げ切れる……」
自分を鼓舞して、方向転換し──花那は再び走り出す。時折、地面に残った氷で転びそうになりながら。
「……待ってて、ガルルモン……!」
◆ ◆ ◆
「花那……」
駆け出した花那を見て、蒼太は察した。彼女が、ガルルモンのもとへ向かおうとしているのだと。
「────」
誠司とシードラモンが花那を追っている。メタルティラノモンは行動と停止を繰り返している。
ガルルモンは────地面に倒れたまま。
「…………ガルルモン」
そして、
「……ファイラモン……」
片翼のファイラモン。もう、空を飛んで逃げることはできないだろう。動く足を必死に動かして、なんとか男と距離を保っている状態だ。
距離を取った所で、銃を持った男を相手に意味はない。子供ながらにそう思う。きっと男がその気になれば──飛べないファイラモンはすぐに撃たれて、喰われてしまう。
「────」
────思い出してしまう。
フェレスモンの城で、串刺しにされたコロナモンの姿を。
血溜まりの中、動かなくなってしまった──小さな身体を。
「……あ、……」
そのイメージは今、考えてはいけないものだ。だから必死に振り切ろうとする。
けれどあの時の気持ちが蘇って、胸が苦しくなった。とてもとても怖くなった。
「────ッ!」
……そして、気付けば自分も駆け出していた。
ファイラモンのもとではなく、あの黒い男に向かって走り出していた。
ああ、だってそうだろう。
男の狙いが人間なら、向かってくる自分を無視するわけがない。
きっと止められる。止めてやる。だから────
「俺が……アイツの所まで……!」
男は蒼太に気が付いた。
少女を追っていた矢先、自らに向かってくる子供の存在を認識する。当然ながら、男の意識はそちらに向いた。
誠司と手鞠の声が聞こえる。聞き取れないが、そっちへ行くなと言っているのだろう。
花那が走りながら、目線を何度かこちらに向けた。けれど止めはしなかった。蒼太のことも、自らのことも。
少女は走り抜けていく。ガルルモンとの距離はまだ遠い。花那は男に向けて信号弾を撃っていた。少しでも男の目を晦ませて、逃げきろうと必死だった。
けれど、男の意識は既に少年に向けられていた。
破裂する光に動じることもなく、また反撃することもない。自分に駆けてくる少年を瞳に映して、真っ直ぐに歩み寄ってくる。
黒い手は少年に差し伸べるかのように、だらりと上げられている。ファイラモンか、ガルルモンか、どちらかの血で赤く濡れていた。
もしかしたら自分も、その手に掴まれたら喰われるのかもしれない。
あの黒い手が、自分の血で更に赤く染まるのかもしれない。
怖い。怖い。それはブギーモン達に立ち向かったあの時よりずっと。
「……ファイラモン……っ」
ああ、それでも。
走れ。走れ。もっと足を動かして。
「……コロナモン……!!」
────走馬灯のように、彼らとの出会いを思い出しながら──少年は考える。
人間は、何の為にいるのだろう。
パートナーは何の為にいるのだろう。
ただデジモンを強くする為の道具? デジヴァイスも、心の在り方を記した紋章も、その為の道具?
人間は戦えない。デジモンとは違う。
逃げて隠れて守られて、ただ見ているだけでいい。あとはデジヴァイスが回路を繋げてくれる。
「……違う!!」
それが嫌だったから────今までずっと、がむしゃらになってきたんじゃないか。
「俺たちは────……」
ただ見てるだけじゃない。
ただ祈るだけじゃない。
力が無くても、足りなくても。それでも彼らと生き抜くと決めた。
共に戦うと、心に決めた────
「────選ばれし子供たちだ!!」
栓を抜いた。
手榴弾を投げた。
少年の手から離れた瞬間、膨張する。銀の弾丸がそれを撃ち抜く。
光が溢れた。
◆ ◆ ◆
灰色の大地に光が灯る。
それは、聖なる粒子だけに依るものではなかった。
灰色の空に光が灯る。
それは、暗がりを照らす陽光のように。
頭上後方で起きた擲弾の破裂。その衝撃で蒼太は転倒し、地面にうつ伏せていた。
僅かな間だけ吹き飛んでいた意識を取り戻し、上体を起こす。
周囲に溢れる光。……信号弾のものとは違う。けれど、見覚えが確かにあった。
立ち上がり、今度は自分の身体に目線を落とす。
「……──デジヴァイスが……」
──そして、胸元に下げた紋章が。
燃えるように赤く、紅く、灯りを宿していた。
選ばれし子供たちの紋章は輝く。
その光は次元を超え、灰色の空へ伸びていく。
天に浮かぶ七色の光帯。
二進法で表された文字列が、雪のように降り注いで────
◆ ◆ ◆
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